育成目標:アダルバート
円筒型の殺し合い部屋。辺りを見回してみたところ、俺がいくら飛んだり跳ねたりしても支障がないぐらいには広い。三十畳はあるだろうか。
「ヴィンフリーデお嬢様。くれぐれもこのことは……」
「わかってる。だれにもいわない」
現在時刻は、闇が支配する蝙蝠刻。一部の守衛と夜行性の魔族以外は眠りに就いている。
「鼠刻までですよ」
「それもわかってるって」
「あと、無理はしないように」
「わかってる!」
俺はあと何度わかってると言えばいいのだろう。魔法の練習の際はあんなにも無慈悲に稽古をつけてきたというのに、どうして剣術となると周りの目を気にするのか。
やっぱり俺には、白髪メイドの考えがわからない。
鼠刻までとなると、地球の時間で考えれば二時間程度だ。俺の思いつきをたしかめるには十分すぎる。
ヴィンフリーデ・ドラゴニアは、何度も言及しているように俺が創り上げたキャラクターそのものだ。
俺は二十一歳時点のヴィンフリーデ・ドラゴニアとして活動する予定であったが、三歳児の現時点でも容姿の点では二十一歳時点と比べても若干の面影がある。
白髪メイドや他の使用人たちの名前や容姿まではさすがに考えていなかったから、その辺りはこの世界が勝手に創り上げた者たちなのだろう。
ここで問題となってくるのが、これも何度も言及しているが、やはりアダルバート・ドラゴニアの存在だ。彼もまた、俺が創り上げたキャラクター、否、化け物である。
この世界はあまりにも俺が創り上げたキャラクター、世界観、環境と酷似しすぎている。そのことを踏まえれば、俺が……ヴィンフリーデ・ドラゴニアが魔法を扱えないことは至極当然のことであった。
何故なら――ヴィンフリーデ・ドラゴニアは一切の魔法を扱えない龍人であると、俺がキャラクター化したからだ。
布団の中でそのことを思い出したときは、愕然とした。
もしもこの世界が俺の考えた設定通りに回っているのだとすれば、俺は今後一生、いかなる労力を払っても魔法は使えない。
こんなことであれば、ヴィンフリーデ・ドラゴニアは誰よりも魔法の才があり、傾国の美貌があり、類まれなる頭脳を持っているとでもしておけば、俺の龍生は間違いなくイージーモードであった。
……まあ、そんなことをグダグダ言っても仕方がない。
俺は魔法が使えない。それはたぶん、決定事項だ。世界が俺にそうさせている。
ならば俺にできることは何だ。必死に記憶を遡った。このままでは俺は、アダルバートから見放されてしまうかもしれない。
彼は虐殺龍と呼ばれるような男だ(俺がそう設定したからだが)。我が子だろうと何だろうと、使えない者は切り捨てる判断をしても不思議ではない。
だから俺は、自分自身の価値をあげる必要がある。虐殺龍の娘というだけではない、突出した何かを得なければならない。
そこで俺は思い出した。
――ヴィンフリーデ・ドラゴニア。多くの魔力をその身に宿していながら、魔法を扱えない龍人。虐殺龍、アダルバート・ドラゴニアの一人娘である。そして現在、剣を片手に人間界を支配しようとやって来たが何の因果かVtuberとしての活動を始める――。
俺の設定はこんな感じだ。一部抜粋したものだから、当然まだまだ設定はあるがキービジュアルの横にこんな感じの言葉を付け加えた覚えがある。
ここから導き出される答えは一つ。
俺は、剣術に適性がある……否、剣術にしか適性がない。
そうとわかれば話は早い。さっさと人並み程度に剣術を学び、この城を出て行くべきだ。今はまだ幼いから見逃されているのかもしれないが、相手はアダルバート・ドラゴニアだ。いつ気が変わるかわからない。
そんな環境の中で生きるのは、命がいくつあっても足りないだろう。
というか、怖すぎて無理!
そういうわけでこういうわけで、俺は必ず剣術を習得し、アダルバートの下から逃げ出し平穏に生きるのだ。
「ところでヴィンフリーデお嬢様」
手渡されていた子供用の木製剣を、息まきながら振り回していると、白髪メイドがそう話しかけてきた。
「どうして剣術を学びたいのですか?」
「え」
「ヴィンフリーデお嬢様が剣術に興味を持つのは少し意外だったというか……。何か、本でも読み聞かされましたか?」
「えっと……」
まずい。
よく考えれば、俺が剣術を始めたいと言い出すのは不自然だ。この世界で俺は、剣に触れたことなどない。そんな俺がいきなり剣術の教えを乞うなんて不思議……というか、かなり怪しいだろう。
俺は誤魔化すようにニヘラと笑って、後頭部をかいた。
「あの、えっと、そとでみんながけんふりまわしてたから、それみてかっこいいなっておもって……」
「外? ……ああ、龍王軍のことですか」
どうやら、雨の日も風の日も訓練場で雄たけびをあげながら身体を鍛えている、あのゴリゴリの厳つい集団は龍王軍というらしい。
「そ、そう!」
「……それだけでやりたいと思うものでしょうか……?」
白髪メイドは首を傾げ、一人思案に耽る。
彼女は頭がいい……と思う。少なくとも、魔王の一人娘の教育係に任命されるような者だ。俺のでまかせが看破されるのは時間の問題である。
俺は焦って、後先考えずにこう叫んでいた。
「しょーらい、ちちうえをまもれるようなつよいりゅーじんになるためだよ!」
俺はこのとき、知らなかった。
白髪メイドの正体が、帝と呼ばれる魔界における最上位の魔導士であることを。
そして彼女が……。
生粋の育成ガチ勢であることを。
「――なるほど。それはそれは、素晴らしく崇高で、たまらなくそそる目標でございますね。あの方を護るとは、ずいぶんと大きく出ましたね……」
目を伏せ、肩を揺らしだす白髪メイド。異様な雰囲気を感じて俺は後ずさる。
「……はくはつめいど?」
「剣術だけでかの虐殺の具現者を超えるとは、フフフフフ…………」
ゆっくりと顔を上げ、怪しい光を放つ瞳で俺を見つめるオリオンさん。眼がイってますよ、オリオンさん。幼女に向けていい眼じゃありませんよオリオンさん!
「そのためには、ヴィンフリーデお嬢様。あなたは……虐殺龍、アダルバート・ドラゴニア公を超える力を付けなければならない」
彼女は俺が見たことのない笑顔を見せた。実に楽しそうに、魔族らしく。あるいはきわめて彼女らしく。
細められた目と吊り上がった口角が、俺の脳裏に焼き付いた。
「それでは、地獄を始めましょう」
彼女の言葉には、なるほど、嫌になるほど嘘は含まれていなかった。
俺はこの日から、二時間の地獄を毎日見ることになったのだ。