聖女と教皇
神聖ガイア教国には二つの派閥が存在する。
聖女派と教皇派である。
元来、神聖ガイア教国の成り立ちとして、絶対神ガイアの存在がある。ガイアの教えに従う人間が集うことで教国が生まれたのだ。
すなわち。
ガイアの使徒である聖女が、権力ヒエラルキーにおいてナンバーワンであるべきだ。そうでなければ、教国そのものの否定に繋がる。
けれど人間の欲望とは底なし沼のようで……。
「教国は究極の血統主義よ。実力主義の龍皇国や帝国はもちろん、貴族制の王国すら足元にも及ばないぐらいのね。それなのに――」
聖女が産んだ子供が聖女となるのだ。
神の血を引く次世代の聖なる統治者。邪悪な心を一切持たず、人類のためだけに身をやつすガイア教徒の鑑。
「グレゴリー教皇。あのきな臭い男を教国のトップに擁立しようする勢力があるの。私は最近の国際情勢に詳しくないけれど、教国が私の知っているままであれば、権力争いで血みどろの戦いが繰り広げられているでしょうね。聖女派の勢力が才気ある子供を洗脳して、戦闘員に仕立て上げるぐらいは当たり前にやるわよ」
そろそろ夜も更け込んできた頃、ルクセリアの客室に呼び出された俺は、彼女に現在の教国事情についてご教授いただいている。ルクセリアはベッドに腰かけ、向かい合わせの俺は椅子の背もたれに身体を預けている。
客船とも貨物船ともつかぬこの船の客室は、必要最低限のものしか置かれていない。ベッドと、書き物机と簡易椅子だけ……のはずなのに。彼女の客室はどこから調達してきたのか、菓子の残りや飲みかけの赤色のジュースなどがそこら中に散乱している。どうすれば五日間でここまで汚せるのか問い詰めたいところである。
しかしまあ、今の本題はそこではない。命拾いしたな龍殺し。
「ミーナの洗脳を解くことはできるのか?」
「難しいわ」
無理とは言わないのは気をつかっているのか、不可能ではないからなのか。
「精神に干渉する魔法はたしかに存在するけれど、彼女の身体には常時発動しているような魔法は感知できなかった。つまり――」
「魔法ではなく、単純にブレインウォッシングされてると」
「そういうこと」
原因が魔法であれば、オリオンやルクセリアがそれを解呪できるかもしれない。しかし、直接脳や精神を上書きされている場合、俺たちには何もできない。
「夜にだけ洗脳が強まるってのは、おかしな話だよな」
「たぶん、あのコスチュームを身にまとったときに発動するようになっているんでしょうね」
「じゃあそれを止めればいい」
「根本的な解決になってないわ」
「まあそうだけどさ……」
俺はため息をついて、全身から力を抜いて天井を見る。
「できるなら、解放してやりたいよな。あっちは記憶が無いかもしれないが、同郷なんだし」
「ええ」
あっさり頷く彼女に、俺は再び前を向いた。
「俺のときは出会い頭に殺そうとしてきたくせにな」
「あんたらが先に攻撃してきたんでしょうが。それに……」
「それに?」
ルクセリアは口を開きかけ、俺の頭を引っ叩いた。彼女の顔は、少し赤らめいていた。
「いてぇな! 何すんだよ!!」
「とにかく。ミーナを今すぐに助けるのは無理よ。拉致してゆっくり治療してもいいけれど、やっぱり解決には至らない。洗脳を解こうとして、無意識に新しい洗脳をかけてしまうのがオチね。たとえば、神聖ガイア教国はすべてにおいて謝っている……とか」
たしかにルクセリアの言う通りだ。俺たちは心理学の専門家では、もちろんない。
「……」
「何よ」
黙り込んでしまった俺に、ルクセリアがジロリと見る。文句があるとでも思われてしまったのかもしれない。
「いや……まぁなぁ……」
「ハッキリ言いなさいよ」
ルクセリアがわざわざ俺なんかに着いてきてくれている理由は、何となくわかっている。あの犯罪者の巣窟である寒村でそのことには気づいていた。
彼女は元の世界に帰りたい。
そしてたぶん、俺はその手がかりを見つけたのだ。話題に出さないということは、ルクセリアは気づいていないのだろう。いや、そもそも知らないのかもしれない。
――俺は意を決して、彼女の瞳を見た。
「もしかしたら、元の世界に戻る方法を見つけたかも……って言ったらどうする?」
「……どういう意味?」
先ほどまでとは違い、部屋全体にひりついた空気が張り詰めた。視線で誰かを刺し殺せるのならば、俺はきっと死んでいる。
息を呑み、しかし話を引っ込めるわけにはいかないので緊張を隠しながら口を開く。
「新しい聖女について、どう思う?」
「話が逸れるの、私嫌いなの」
「いいから答えてくれ」
ルクセリアは舌打ちをして、眼を閉じる。
「聖女ってのはね、いつの時代も名前は変わらない」
「名前が変わらない?」
「ええ。聖女はね、母親が死ぬ前までは仮の名前を与えられていて、自分の代になれば”マリア”という名前になるの。先代はたしか、マリア41世だったわ」
「何でそんなややこしいことを?」
「そういうものだからよ。聖女は神の使徒だから、画一的に扱う必要がある。初代だろうが何だろうが、使徒は使徒よ。そこに上下関係があってはならない。だから、名前も着る服も話し方に至るまで、先代以前と同じものでなければならないの。聖女は聖女で、そこに差異があってはならないという考えからね」
俺には理解できない価値観だが、それがガイア教徒の考え方ならば否定はしまい。
けれど……。
「今回、聖女の子は一人も存在しなかった。だから名前が変わったのか?」
「そうでしょうね。フィオネ・ユリアーノという子が誰かは知らないけれど……あんたの反応を見る限り、やっぱりVtuber?」
俺は黙って頷いた。
「聖女という設定があった?」
「ああ」
「そう。じゃあ、世界の強制力が働いたのね」
「え……」
「マリア41世は世界に殺された。フィオネ・ユリアーノを聖女とするため、子供さえ残せないままで」
もしも。
もしも彼女の言う通りなのだとすれば、ルクセリアが以前、バルファルクの死の話の際に言及していた”世界のシステム”とやらが現実味を帯びてくる。
この世界は、転移してきたVtuberの設定を守るために命を奪うことすら厭わない。
あくまでも仮説だが、一度そのことを考えてしまうと、俺たちの身体が酷く不自由なものに感じられた。
「それで?」
ルクセリアが言った。
「元の世界に帰れるってのは、どういう意味?」
「帰れるかもだ」
やっぱりできませんでしたで怒られても面白くないので、丁寧に訂正しておく。
「フィオネ・ユリアーノは俺と同期だ。まあつまり、デビュー前だってわけでお前が知らないのも無理はない」
「……」
「フィオネは聖女で、世界を渡って日本に来たっていう設定だ。設定通りの力を持っているのだとすれば、フィオネこそが元の世界に帰還する鍵になる」
「世界を渡って……」
俺はフィオネ・ユリアーノと直接話したことがある。彼女は天真爛漫で、おしとやかな聖女などとはかけ離れているような気がしたが、その設定ギャップがあるのがVtuberだと思った記憶がある。
同期だけではない。俺は、ヴィンフリーデ・ドラゴニアを作るにあたって、他のVtuberたちの焼き直しになるわけにはいかないと、同じ会社のVtuberの基本的な設定はすべて目を通した。ミーナからフィオネのことを聞くまで思い出せなかったのは、単に俺の記憶力の問題だ。
「だからさ、ミーナを助けることはお前の目的に近づくことでもある。少なくとも、フィオネに一度会ってみるのは無駄にならないはずだ。お前が存在を知らなかったってことは、前世での記憶があるかどうかもわかってないんだろ?」
「まあ、そうね。あんたにしては頭が回るわね」
「一言余計なんだよ」
「頭が悪いなりによく考えたわね」
「おい、どうして余計な二言目を言った?」
ムカつくが、とりあえずは勘弁しておいてやろう。
とにかくだ。ミーナから現在の教国事情を聞き出すことができれば御の字。もしも彼女がフィオネと仲がよかったりすれば百点満点である。彼女を通して面会ぐらいはできるかもしれない。
「とりあえず、一回オリオンとも話し合って今後どうするか方針を――」
そのとき。
轟音と共にドアが蹴り開けられ、包丁片手のミーナがツカツカと客室に入ってきた。
「マジカル☆アイからは逃げられない! 邪悪な龍人よ、逃げたって隠れたって無駄よ! この魔法少女ミーナが、悪を滅ぼすんだから!」
俺は自分でもわかるぐらいに邪悪な笑みを浮かべて立ち上がる。
「それじゃあとりあえず、叩きのめしてから考えるか。魔法少女は鎖に縛られるって、相場は決まってんだよ」
そして、あんなことやこんなことが日曜の朝から繰り広げられる。まあ、なんて破廉恥な!
「変態」
ルクセリアの声は聞こえなかったので、俺は一歩踏み出して叫んだ。
「龍人ヴィンフリーデ・ドラゴニアが相手になってやろう!!」
さあ、神を騙くらかそう。




