聖女
「なぁんで、ああも俺ばっかり狙うんだろうな」
今日は天気がいいということで、船員の計らいで希望者は甲板で昼食をとれる。久方ぶり……いや、七年ぶりの日光が気持ちいい。遠くに見えるカモメも平和な感じがあって素晴らしい。魔大陸では、カモメなんて飛んでいようものなら眺める暇もなく捕食されてしまうのだ。
潮風に揺られながら、用意されたパンをパラソルの下で頬張る。
大陸間を移動できる客船など、基本的に利用するのは金持ちか行商人だけだ。それなりの金額がかかるし、魔族が中央大陸に向かったり、人族が魔大陸に向かう必要性などない。そういう場合は世界を駆け回る仕事をしているか、単なる旅行であろうが、ほとんどの場合が前者だ。こうしてグダリと背もたれに身体を預けている今も、あちこちから商談が聞こえてくる。
事実、俺だって特別な理由が無ければ魔大陸から出ようとなんて思わなかったに違いない。
「あんたが虐殺龍の娘だからでしょ」
野菜スープに入っているすべての野菜を取り除きながら汁だけすするルクセリアはそう言った。今日も今日とて、俺とルクセリアは外套のフードを目深に被っている。
「顔隠してたんだからわかんないはずだろ。……でもあいつ、初対面で俺が龍人だって気づいてたなぁ」
「あんた知らないの?」
「何が?」
ルクセリアはバカを見る目をこちらに向けた。非常にムカつく。
「この世に、龍人はアダルバート・ドラゴニアとあんたしかいないわよ」
「え、そうなの? 竜燐族は?」
「あれと龍人はまったく違うわよ。見た目からして違うでしょ。あっちは古代の竜と人との間に作った子供が始祖で、龍人の始祖はあくまでも龍よ。平常時は人の姿をとるように進化しただけで、やろうと思えばあんただって本来の龍の姿になれるはずよ」
そうなのか、それは初耳だ。
「でも、なんで龍人が二人だけなんだ?」
「私がほとんど殺したから」
「……あっ、そう…………」
「言っておくけれど、喧嘩を売られたから買っただけよ。長い間生きている割には頭の悪い連中だったわ。それとも破滅願望でもあったのかしら」
「一応俺、龍側なんだが」
「Vtuber側でしょう」
そう言われたら、たしかにその通りだ。
現在、オリオンは単独で情報収集をしている。中央大陸に降り立った後、どのように行動するかを決めなければならないからだ。俺も手伝おうとしたのだが、俺やルクセリアは正体を隠している状態である。あまり他人と関わるわけにはいかない。
そういうわけで、こうしてルクセリアと昼下がりの談笑に花を咲かせているわけである。
「でも、何で龍人だってバレたんだろうな」
「それは私のマジカル☆アイのおかげだよ!」
「うぉっ!?」
肘をついてぼやくと、いつの間にか背後に立っていたミーナが顔を突き出して笑いながらそう言った。
「記憶喪失でいらっしゃる? てめえ、何を気安く話しかけてんだボケ」
「私のことを話しているのが聞こえてきちゃったから……。ごめんね、盗み聞きするつもりはなかったの!」
両手を胸の前で組んで、申し訳なさそうなミーナ。
これが初対面ならばいざ知らず、こうも敵対行動をとられ続ければそのか弱い姿に騙されることもない。
そもそも、魔法少女ミーナ……桜井 美菜は、ギャップのある配信者として有名だった。初期の頃は魔法少女という設定を順守して、明るく素直で元気なキャラクターを演じていたが、ゲーム配信や雑談配信で化けの皮が剥がれ落ちた。
視聴者曰く、”人が好きなわけではなく人以外が嫌いなだけ”と称されるサイコパス。
画面の向こう側で見ている分には面白く、視聴者たちも彼女の言動や行動を「やべぇやべぇ」と言いながら楽しんでいた。
しかし、目の前にいれば話は別だ。しかもこいつは現在、前世での記憶が無く日本的な倫理観も欠如している。
だがまあ、何かを進んで教えてくれるのであれば話をすることもやぶさかではない。ルクセリアを見ると、好きにすればいいとでもいいたげにオレンジジュースをストローですすっている。
「……マジカル☆アイって?」
尋ねると、初対面のときのようにやっぱり彼女は花のような笑顔を浮かべた。
「魔法少女に備わる、真実を見通す目のことだよ!」
「魔眼ってことか?」
「違うよ、マジカル☆アイだよ!」
「いや……だから…………まぁ、いいや」
魔眼の一種であるのかと聞きたかったのだが、そんなことは些細なことだ。とにかく、視覚的な隠しごとはミーナには通じないというわけである。
「お前の魔法さ、普通と違うよな? あれも、魔法少女の力か?」
「うん、そうだよ。ガイア様に与えられた、私だけの特別な力なの」
素直に答える彼女。それはそれでいいのだが、最近の俺は疑り深い。
「じゃあもう一個聞くが、どうしてそんなことをペラペラと喋るんだ? 俺とお前は敵同士だろ」
「敵同士? どうして? 私たち、お友達だよ」
「はぁ?」
話がかみ合わない。冗談とか腹の探り合いとか、そういう雰囲気が彼女からはまったく感じられない。眉をしかめると、彼女は酷く悲しそうな顔をした。
「お友達だって思ってたの、私だけかな……?」
いや。
いやいやいやいや。
お前は、何度俺を殺そうとしてきたんだ。五日連続、俺の眠りを妨げて包丁やら拳やらを向けてきたんだぞ。
「だから――」
「いいじゃない友達で。あんた、友達いないんだから」
「はぁ!?」
ルクセリアまで訳のわからないことを言い出した。すると、混乱する俺の耳元にルクセリアが囁いた。
「あの子、洗脳されてるの。変身したら、その間の記憶がすべて都合のいいものに変換される。ガイア教はそのぐらい平気でやる」
洗脳……。
俺は、再びミーナの顔を見る。純粋で、潔白で、清廉。まるで、本当に夜のことをすべて忘れているみたいだ。
ガイア教。絶対神ガイアを主として、人族以外のすべてを憎むイかれた宗教。
しかし、目の前のミーナは俺どころか周りにうじゃうじゃといる魔族にさえも悪感情を持っていないようだった。少なくとも、俺には感じられない。
だからなのかもしれない。オリオンもルクセリアも、この少女を排除しようとしなかったのは。
あまりに不憫で、不幸で、不条理だ。
「私もね、聖女様に忠誠を誓ってからあまりお友達ができてないの。すごく忙しくて……」
どうすればいい。
俺は、何と言えばいい。
彼女はVtuberで、魔法少女で、ガイア教徒で、魔族の敵で、夜な夜な俺を殺そうとしてくる。仲良くする理由など欠片もない。
「だから寂しくて、お友達がほしくて……。迷惑、だったかな?」
友達なんて、今も前世でもいない。オリオンは形式上俺のメイドだし、ルクセリアは何があっても俺とそんな関係であることを認めないだろう。
友達がいないから寂しいだなんて、俺は思ったことがない。
けれど……。
「…………別に、迷惑ではねえよ」
「ほんと!?」
目を輝かせて俺の目の前に顔を突き出したミーナ。
仲良くする理由なんて欠片も無いのに、そんなことを言ってしまったのは俺の醜い同情心からだろうか。彼女を助けられる方法なんて、俺は何一つ持っていないというのに。
俺はぎこちない笑みを浮かべた。
俺は醜悪な笑みを浮かべた。
「当たり前だろ」
そんな自分が、心底嫌だった。
ミーナは俺の手を取って、今にも歌いだしそうな感じで言う。
「これで、新しい聖女様へのお土産話ができたよ!」
「新しい?」
「うん、先代の聖女様は、お亡くなりになったから……」
そこでルクセリアが意外そうな声をあげる。
「あら、あの子死んだの? 最近の聖女にしてはいい子だったのに」
「はい……難病を患い、急逝なされました……」
「ふぅん。それで、新しい聖女は誰なの?」
ミーナは言った。淀みなく、その名を答えた。
「新しい聖女様は、フィオネ・ユリア―ノ様です」
「いやいや、聖女の名前なんていつの時代も――――今、何て?」
ルクセリアが目を見開き、ミーナは再び答えた。
「フィオネ・ユリアーノ様です。先代の聖女様は急逝のためご息女を産まれることができませんでしたので」
俺は誰にも聞こえないよう、一人で呟いた。
「何人いるんだよ、この世界に飛ばされてきたのは……」
新しい聖女の名前は、俺の同期Vtuberのものだった。




