どこにでもいる、ごく普通の女の子
前後からの柔らかい圧迫感。ここが天上の世界だというならば、なるほど、欲望の欠片を一片でも持っている人間が門前払いされる理由にも納得がいく。
ルクセリアが気を利かせてとった宿は、それなりのグレードだった。部屋は広く、三人でも狭さを感じさせずベッドも寝心地がよく毛布は肌触りがいい。
しかし問題が一つ。
多くの魔族と少数の亜人や人族でごった返すこのハーフェンの街では、一部屋しか取れなかったそうだ。加えてベッドも一つ。
衣擦れする音がいやに大きく聞こえる。薄い毛布が右へ左へよじれ、わずかにリズムの違う寝息が二つ。俺の目は赤く充血して、龍人たる有隣眼は痛みを訴えていた。薄紫色の夜闇が窓の向こうで薄笑いしているみたいだ。
「寝れねぇ……」
前から俺を抱きしめるオリオン。
背中に額を押し付けているルクセリア。
彼女らは卑しくもさっさと眠りこけてしまい、俺だけが夜の世界に取り残されている。
「……お嬢様……」
オリオンがそう囁き、もぞもぞと動いた。俺はできる限り彼女の豊満な胸に触れないよう、距離をとろうとすると……。
「んぅ……」
ルクセリアも身じろぎする。
俺はこの三人の中で最も弱い。ベッドの上ですら主導権を握られる。
「強くならなきゃ……一刻も早く……!」
そのためにも今は、さっさと眠ってしまい明日以降の長旅に備えなければならない。
俺の頬につたった涙。彼女らの無防備な姿に、結局この日は一睡もできなかった。
☆★☆★☆
昨夜は賑やかだった通りが今は静まり返っている。立ち並ぶ屋台は仕込みをしている主人以外、誰もいない。冷たい風が疲れた身体に追い打ちをかける。
今にも、疲労で死んでしまいそうだ。
「お嬢様、眠れなかったのですか?」
「旅をする以上、休むべきときに休むべきよ。どうせ、初めて来た大きな街にテンションが上がったんでしょう。愚か者ね」
心配顔のオリオンと鼻で笑うルクセリア。
てめぇらのせいだ、てめぇらの!!
こうして早朝の道を歩いている今も、昨夜の甘い香りが鼻腔から離れない。俺は前世では男だったから、当然女が近くで寝ていれば本能という名の悪魔が枕元に立つ。しかしそれを言えるわけはないので、眼を擦りながらオリオンに支えられながら歩くことしかできない。
オリオンは俺に前世の記憶があることを知らないため仕方ないが、ルクセリアは知っているのだから少しぐらいは配慮してほしい。
……と、そこまで考えてから気づく。
そういえば、こいつは俺の前世が男であったことを知らない。”俺”という一人称で気づいてもよさそうではあるが、どうにもルクセリアは変なところで鈍い。ヴィンフリーデ・ドラゴニアとして、俺が性別を偽ってVtuber稼業を始めようとしていたことを知らないのだから、前世でも俺が女であると思い込んでいたとしても不思議ではない。
ゾッとする。もしも俺の前世が男だとバレれば、斬り殺されるかもしれない。何せ一つ屋根の下、同衾したのだ。向こうからすれば騙し討ちみたいなものである。
このことは墓まで持って行こうと決意してから、眠気を払拭するために話を切り出す。
「中央大陸まで、船でどれぐらいかかるんだ?」
「お嬢様、何か誤魔化しました?」
「うるせぇ」
何でこう、このメイドは間が悪く鋭いんだ。
腕を伸ばしてオリオンの両頬を引っ張っていると、朝の乾いた空気に伸びをしたルクセリアが答える。早朝ということで人気が少ないため、さぞ気持ちよさそうだ。
「順調にいけば、大体10日間ってとこね」
「順調にいかなかったら?」
「船が難破して乗員もろとも海竜の餌食。あの世までの道程は1日で済むわ」
「あまり、お嬢様を脅かさないでください」
表情筋が引き攣る俺をそっと後ろから抱き締めながら、オリオンがジト目でルクセリアを睨む。「はいはい」とどうでもよさそうに手をヒラヒラと振って、ルクセリアは口笛を吹く。
険悪な空気……ではない。もちろんオリオンとルクセリアが仲良しこよしだと思えるほど頭お花畑ではないが、犬猿の仲と言うのも違うと感じる。
かたや人類の希望である勇者。
かたや白き災厄と呼ばれた魔族。
両者の間にはきっと、俺が知らない禍根や消化しきれない感情はあるのだろう。
けれど旅を共にする仲間である以上、二人共一線を越えようとはしない。手を取り合って並んで歩くことだって、もしかしたら将来はできるのかもしれない。
前世でだって、人種差別や国同士のいざこざは嫌になるほど存在した。けれどそういうことを気にせず、誰にだって分け隔てなく接する人間だってたしかにいたのだ。
叶うのであれば、二人が笑いながら互いの肩を叩き合う姿を見たいものである。
「まあ、中央大陸に無事に着いたらそこからは安心しなさい。守ってあげるから」
「お嬢様を守るのは私の役目です」
「あんたはいちいち口を挟まないと気が済まないのかしら?」
「その無粋な口を閉じれば、万事解決ですよ龍殺し」
「私が龍殺しと呼ばれるのは、ただ単に龍を殺した数が多いってだけよ。何ならあんたも殺されたいの? 雪巫女?」
「あなたには鉄の処女がお似合いですよ、適当に見繕ってあげましょう。その矮小な人格と胸部に合わせて、サイズピッタリの物を」
「は?」
「何ですか?」
そのままキスでもするんじゃないかという距離まで近づき、大鬼族顔負けの形相で睨み合う彼女たち。
……まあ、仲良くなるには時間がかかる。のんびりと行こう。
☆★☆★☆
港にある船の発着場に着くと、もうすでに魔族や人でごった返していた。
「うっ……」
人波に揉まれそうになりながら、オリオンとルクセリアに左へ右へ誘導されながら歩き続ける。気分が悪くなって、口元を手で抑えた。
船に乗る前から酔った……。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫、だいじょぶ……」
時おり声を掛けられながら、俺たちは何とか行列の最後尾に辿り着いた。
「でけぇ……」
港に偉そうに鎮座しているその船は、前世でだってそうそう見ないようなサイズ感のものだった。それこそ、超大型の貨物船みたいな出で立ちだ。帆は付いておらず、どうやら魔法であれこれして推進力を生み出すらしい。何とも便利なものである。
船底の後方を見てみると、七歳児である俺より大きなプロペラが設置されており、その真上には巨大なファンネルが取り付けられている。船首に巨大な竜のシンボルが構えているのは、威厳を出すためだろうか。
酔いや寝不足も忘れて夢中で船を観察していると、ふと、後ろから肩を叩かれた。
「こんばんは!」
振り向くと、薄桃色の髪をツインテールにしている、俺と同じぐらいの歳の少女がはにかんでいた。フリルをふんだんに散りばめた白基調のゴシックロリータを身にまとい、クリクリの目を持つその少女。
俺は、挨拶を返すことができなかった。
「あ、ごめんね! 私と同じぐらいの歳の女の子がいたから、つい……」
申し訳なさそうに眉を八の字にして、彼女は頭を下げた。
俺は息を呑み、彼女の顔を凝視する。周りの喧騒が、今だけは聞こえなくなっていた。目の前の少女のことで頭がいっぱいになった。
唇がかさつき、言葉が出てこない。
「でもでも、これから10日間も旅をするんだから、お友達を作りたいなと思って……」
「あ、うん……」
何とか、曖昧な相槌を返すと少女は可憐な花のような笑顔を俺に見せた。
「私、ミーナ! どこにでもいる、ごく普通の女の子だよ!」
ミーナ……。
やっぱりだ、間違いない。
彼女は桜井 美菜。俺やルクセリアと同じ、元Vtuberだ。
そして……。
「あなたの名前は? 可愛い龍人さん」
悪を抹殺、魔を絶滅、世界平和を願う人類大好き女の子――魔法少女、ミーナだ。
「私に、教えてよ」
そう言う彼女の瞳の奥は、深く暗い底なし穴だった。
これにて第二章は完結です。今までお付き合いくださりありがとうございました。
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