化け物の創り方
この悪夢の三年間、俺は絶え間なく後悔を続けていた。きっと、桐谷 漣として生きてきた二十一年よりも深い後悔だった。
腰かけていた天蓋付きのベッドから地面に降りると、名前も知らないメイドがスススッと近づいてくる。俺が転げないように傍で見守っているのだ。
優しい彼女だが、しかし、三白眼の目とおよそ人のものとは思えない純白の肌が怖い。メイド服も、肌も、ついでに髪と纏っている雰囲気も氷を感じさせる。
窓とメイドを何度か見比べると、彼女は俺の意思を汲み取ってくれ、「かしこまりました」と無駄のない動きで俺を抱きかかえてくれる。地面からプランと足が離れた。
そうだ。俺は、二十一歳の大学生だった俺は現在、窓の外を見るのにも誰かの手を必要とする身体となってしまった。
三年前のあの日。俺がVtuberとしてデビューするはずだったあの日。すべての艱難辛苦はあの日から始まったのだ。
Vtuberヴィンフリーデ・ドラゴニアは、現実のものとなってしまった。
俺は桐谷 漣からヴィンフリーデ・ドラゴニアに、青年から幼子に、そして人間から龍人となったのだ。
眉間に手をやると、フニフニと柔らかい一本の角がちょこんと乗っかっている。自分では見えないが、肩甲骨の辺りに控えめな翼も生えている。
けれど、そんなことは……自分が人間ではなくなったことなどは些細な問題だった。
深い嘆息。俺はどうして――自分のキャラ設定を幼女にしてしまったのだろうか。
Vtuberは女性キャラクターの方が人気が出やすい。俺は自分のトークスキルにも、配信技術にも、ましてや人間性にも自身などありはしなかった。だから、そういう安易な方向に逃げてしまったのだ。声はもともと中性的だったから、少し練習すれば簡単に女声を出せるようになった。
俺はいわゆる企業勢、つまり会社に囲われているVtuberとしてのデビュー予定だったので、お付きのマネージャーに相談したところ、「断然女性キャラの方がいい」というお墨付きももらっていた。たぶん、容姿さえも中性的だったためそういう補正も入っていたのだろう。認めたくはないが。
ともかく。
俺は男としてのプライドなどどうでもいいと思っていた。男も女も老人も幼子も、所詮は画面上の話だと割り切っていた。
しかし、どうだ。
「どうせなりゃ、せーかんなおとこに……」
自分の姿が現実に反映されることを知っていれば、女性キャラなど真っ先に候補から消していた。いくら考えても後の祭りではあるのだが。
「?」
ポツリと漏らしたろれつの回らない言葉に、俺を抱きかかえていてくれる白髪のメイドが顔を覗き込んできた。何でもないという風に視線を窓に映すと、彼女は更に持ち上げてくれて、眼前に外の風景が広がる。
「だいたい……」
何なんだ、この世界は。
朝だろうが昼だろうが、空は真っ黒に塗り潰されたみたいに暗い。
そんな空を飛んでいる生物はプテラノドンよろしく、でかくてごつい。
遠くに見える海では、時たまシロナガスクジラの数倍はあるであろうネッシーもどきが飛び跳ねる。
木々は紫色でおどろおどろしくて、空気も淀んでいるみたいだ。太陽が恋しいなどと俺が考えることになるとは思わなかった。
まあともかく、俺はヴィンフリーデ・ドラゴニアとして生を受け、この訳のわからない異世界に飛ばされてしまったのだろう。
「ヴィンフリーデお嬢様、敷地のお外に出向かれたいですか?」
俺は単純に、夢なら夢で覚めてくれと願っていただけなのだが、傍からすれば熱心に見えたのだろう。まるで、小さな子供が外で遊びたいと無言でせがむみたいに。
子供扱いがたまらなく許せなくて、俺はジト目で振り返る。
「……ちぎゃうよ」
「そうですか」
「ほんとうにちぎゃうから」
「そうですかそうですか」
「……」
小生意気なメイドは置いておいて、この三年間の生活でわかったことがいくつかある。
一つは、俺が産まれた家がかなりの力を持っていること。……というか、父親はおそらく魔王だ。魔族を統べる王。あらゆる敵を虐殺、塵殺、高笑い。
虐殺龍、アダルバート・ドラゴニア。
歯向かう奴は殺してしまえ、気に入らなければ殺してしまえ、立ち塞がれば殺してしまえ。雨が降ったら殺すし、楽しみにしていた劇場が開演されたら殺す。肩が凝れば殺し、早く目が覚めれば殺し、花が綺麗だから殺す。
そこに理由などない。
そこに意義などない。
殺したいから殺すのだ。殺したくないから殺すのだ。きっと、鳴いたホトトギスさえも殺してしまうのだろう。
彼はそうして魔王と成った。彼はそうして天災と恐れられた。
どうして俺がそんなことを知っているのか……その理由は簡単だ。
彼は……虐殺龍、アダルバート・ドラゴニアは、俺が作った魔王だからだ。
俺は、Vtuberとして活動を始める準備として初めに行ったのが設定作りだ。
Vtuberとは夢を見せる職業だ。そこに現実味も生活感も必要ないと考えた。だから、徹底的にヴィンフリーデ・ドラゴニアとしての設定を練り上げた。
ヴィンフリーデ・ドラゴニアの対人関係、性格、趣味、仕草、能力、家族構成はもちろん、住まう国およびその歴史と現状、周囲の天候、この世界の仕組み……考えうるすべてを設定に組み込んだ。
すべては、視聴者に現実を忘れさせるため。
その結果……。
「ばけもの、うまれちゃったぁ……」
アダルバート・ドラゴニアは俺が生んだ怪物だ。
どういう世界に俺が放り込まれたのかは未だ判明していないが、少なくとも、俺の育つこの環境に限って言えば俺自身が作り上げた設定に酷似している。もはや言い逃れはできない一致率だ。
もしも今の俺の父親が世界でも滅ぼそうと目論むのなら俺は……。
当然、その背中に隠れていよう。なんせ俺はか弱い幼女なのだから。仕方がない。
「ヴィンフリーデお嬢様。そろそろよろしいでしょうか?」
固い決意をその身に秘めていると、上からそんな声が降ってきた。白髪メイドを見上げると、彼女は言った。
「腕がしんどいので、そろそろダルゥございます。蜂蜜を飲みたい」
……これがわかったことの二つ目だ。
このメイドは、魔王の娘である俺を舐め腐っているのである。
だから、権力者たる俺は返す刀で言ってやった。
「わたしものみたい」
「かしこまりました」
この日も俺は、無駄に大きな部屋で無駄に美人な白髪メイドと共に、日がな一日堕落を享受したのだった。
☆★☆★☆
「オリオンよ、我が子の様子はどうだ」
虐殺龍、アダルバート・ドラゴニアは、先ほど謀反を企んでいた部下の縊りきった頭を弄びながら白髪メイド、オリオンにそう尋ねた。彼が腰かけている執務室の椅子は、五百年前の前衛芸術家であるゴレオバそのものである。
ゴレオバは死ぬ間際、自身の身体を切り落とし椅子を作成したのだ。
異様な威圧に眉一つ動かさず、オリオンは答える。常人であれば、アダルバートの目の前に立つことすら許されない。彼の全身からは、常に放射線状に殺意が漏れ出ている。黒い、瘴気。
業火に染まっているかの如き赤髪が揺れる。口元にわずかに見られる犬歯が、今にも誰かの首筋を噛み千切りそうだ。左右のこめかみからねじれ、突き出した角。まとっている漆黒の外套は、この城で、彼以外が身に着けることを許されてはいない。
彼の子であるヴィンフリーデ・ドラゴニアとは髪色や瞳が似通っているが、抱く印象はまったく異なる。
畏怖の具現化。彼はしばしば、そう呼ばれる。
「変わらないご様子です。敷地外に出たがっているようでした」
「……そうか」
「適切な者を同伴させれば、そろそろお嬢様も――」
瞬間、殺気が膨れ上がる。視線だけで彼は人を殺せる。そう思わせるぐらいに、アダルバートのまとう雰囲気が更にどす黒く変貌した。
「貴様は、我に意見するのか?」
「……差し出がましいことを申しました」
溢れ出る殺気はそのままに、アダルバートは扉の方に目をやった。ドアノブが人間の右手の扉に。
「さっさと我が子の世話に戻れ。気が変わって貴様を殺してしまうかもしれぬ」
「はっ」
オリオンが立ち去っていく音を聞きながら、アダルバートは椅子の背……つまり、ゴレオバの冷たい背に身体を預けた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「そろそろ、教育というものをしてやらねばならんな……」
くわえた葉巻がひとりでに火を灯し、虐殺龍は目を細めた。