港町・ハーフェン
我らが魔大陸から中央大陸に向かうためには、船を利用する必要がある。何百kmも離れた大陸に泳いで向かう度胸は流石に俺にはない。
あの寒村を出て、またもや歩き詰めの中俺が疑問を口にした。前日と同じように、ルクセリアが前に、オリオンと俺は後ろの配置だ。
「魔法で、ひとっ飛びってわけにはいかないのか?」
「お嬢様のためならば、不肖オリオンはどこまでも!」
「やめときなさいバカ」
フンフンと鼻息荒く宣言したオリオンにルクセリアが口を挟む。
「魔法ってのは便利であっても万能じゃないのよ。やりたいことや想像したことを全部叶えられるわけじゃない。飛行魔術はたしかにあるけれど、大陸間を移動できるほどのスペックはない。海のど真ん中に落ちて、水竜のエサになるのがオチよ」
「まあ、あなたではそうでしょうね」
オリオンの挑発に、ルクセリアが振り向く。
「ふぅん。あれだけボコボコにしてやったのに、まだそんな大口が叩けるのね」
「お褒めいただき光栄ですね、龍殺し。もう一度試してみますか?」
「私は構わないわよ」
二人の間に尋常ならざる雰囲気が流れ、立ち昇る魔力と瘴気に地面が揺らぐ。
「やめろアホ共!! 死人が出るわ!!」
死人とは巻き込まれた俺のことである。
オリオンの頭を引っ叩くと、彼女はシュンとした。
「申し訳ありません……」
「わかればいい」
「この罪を禊ぐため、次の集落までお嬢様を抱えてまいります!」
「やめろ!!」
とまあ、そんなやり取りを交わしながら、たまに犠牲者(主に俺)を出しながらも俺たち三人は順調に歩みを進めていった。複数の集落を経由して――ほとんどが最初に行き着いた寒村と同じような状況だった――俺たちはついに、迷宮大陸に向かうための要所の地点を遠くに確認した。
――港町ハーフェン。
旅を始めてから七日経っていた。
ようやくここまでやって来た俺たちは……。
「やっとマシな飯にありつける!!」
「もう携帯食はごめんよ!!」
俺が叫び、ルクセリアがそれに追従する。
涙を流して喜ぶ俺たちに、オリオンが呟く。
「旅での食料など、胃が膨れれば同じではないですか」
「「これだから魔界育ちは!!!」」
俺とルクセリアの息が、初めて合った瞬間だった。
☆★☆★☆
丘を越え、かの街を遠目から眺めると巨大な門扉の前に並ぶ長蛇の列が確認できた。
十メートル以上の壁に囲まれたハーフェン内部は、実に異世界らしいレンガ造りの建築物が所狭しと並んでおり、至る所に水路が引かれている。そこではオールを漕ぐ水夫が笑っていたり、子供がはしゃぎながら水遊びをしていた。中央にそびえ立つひと際背の高い時計台は、いくらつぎ込んだのだと問い詰めたくなるぐらいに豪奢な装飾品が散りばめられている。
「ハーフェンは、人と魔族の交易でぼろ儲けしているから」
そう言ったルクセリアの瞳は、仕方なく説明したのだということがありありとわかるぐらいにどうでもよさそうだった。
「魔の森の東には龍皇国の王都があり、西にはこのハーフェンがあります。授業でも扱いましたが、他の大陸と魔大陸を繋ぐ航路が設置されているのはハーフェンだけです。なので、大陸を越えての行軍や領地侵害が行われればすぐに対処できます。敵がハーフェンを制圧し、魔の森を踏破し、王都に攻め込む間に我々は万の大軍で圧殺することができるでしょう」
オリオンはそう解説した後、「まあ一人で乗り込んでくる阿呆に関しては発見が難しく、すり抜けられてしまう可能性がありますが」と横目でルクセリアを睨む。するとルクセリアはすまし顔で、「お褒めいただきありがとう」と言った。
「まあそれはいいけどさ」
俺は空気を変えるべく、できる限り明るい声を出した。七歳児に気をつかわせる年齢不詳と六百歳はどうかと思う。
「早く並んじまおう。ダラダラしてると日が暮れちまう」
するとオリオンは無表情のままこちらを向いた。
「安心してください」
そして十分後、俺たちはハーフェンの門扉を通り抜けて石畳の広場に三人並んで立っていた。もちろん、俺とルクセリアは外套のフードを頭から被った状態で。
安心してくださいと言う言葉通り、俺たちが検問に時間をとられることはまったくなかった。乾いた冷たい風に身を縮こませる行商人や、武具を身につけた筋骨隆々の男たちが並ぶ列を素通りした彼女は単刀直入にこう言ったのだ。
『オリオン・モーリタニアです。通してください』
ダラダラと通行人をチェックしていた竜燐族の憲兵たちは、その名を聞いた瞬間背筋に電撃でも走ったみたいに居直り『すみません、どうぞお通りください、すみません!!』と声を張り上げた。冷や汗を滝のように流しながらペコペコと頭を下げる二人の憲兵が若干可哀相だった。酷く怯えている様子だったのだ。
俺は広場を見回す前に、ルクセリアをチラリと見た。すると彼女はその視線に気づき、「大体の魔族は幼い頃、悪い子の下には白き災厄が来るぞって言い聞かせられて育つのよ」と教えてくれた。
なるほど、オリオンがどうして白き災厄などと呼ばれているのか何となくわかった。あいつは昔から無茶苦茶だったようだ。少なくとも、俺たちが街中に入った今もなお、憲兵たちが震えているぐらいには。
ハーフェンの街には、溢れかえるほどの魔族がそこら中を闊歩していた。俺たちが今いる広場もそうだし、その先に見える屋台が並ぶ商店街も、魔族、魔族、魔族でごった返している。
緑色の肌を持つ小鬼が目の前を数人で駆けていき、豚頭の大男が鶏肉を店先に吊るす。遠くから聞こえてくる怒鳴り声の方向を見ると、手のひらサイズの妖精族がヒョロ長い青色の男に「あんたの魔道具、不良品だったわよ!!」とポカポカ殴りつけていた。
この世界に産まれて、初めて見る喧噪。怒声や罵声ですら心地いい。感動すら覚えた。
「ひとまず、船の手配をしなければなりませんね」
「じゃあ私は食料の買い出しに行ってくるわ」
「……やっぱり中央大陸まで着いてくるおつもりなんですね」
「当たり前でしょ。私は私の目的を達するまでヴィンフリーデから離れるつもりはない。それに」
ルクセリアが笑う。
「あんた一人じゃ、お姫様を守れない」
オリオンは珍しく舌打ちをした。けれど何も言い返さなかったのは、きっとその根拠がルクセリア自身にあるからだろう。事実、ルクセリアが心変わりすることなく俺を殺そうとしていればオリオン共々死んでいた。
オリオンは化け物クラスに強いが、ルクセリアは化け物そのものだ。この世界はあまりに危険である。
「じゃ、行ってくるから」
ヒラヒラと手を振りながら雑踏に消えていくルクセリアの背から視線を逸らし、オリオンが言う。
「それでは私たちも行きましょうか、お嬢様」
手を繋いできた……否、指を絡ませてきたオリオン。
「……どうして手を繋ぐんだ?」
「はぐれられては困ります」
「それじゃあ言い方を変えよう。どうして恋人繋ぎなんだ?」
「恋人だからです」
「言語野バグってんのか?」
しかし俺の言い分は通用せず、そのままルクセリアとは違う方向に引きずられていく。
――オリオンは、ルクセリアと俺の関係が前世で繋がっていることを知らない。たぶん、アダルバートも詳しくは知らないだろう。ルクセリアは頑なに、俺がオリオンに前世の記憶を打ち明けることを否定した。
旅の道中、オリオンが眠りに就いたあとのことだ。前世の記憶についてどう切り出すかをルクセリアに相談しに行った夜、彼女は静かに語った。
『バルファルクがどうして死んだかわかる?』
『……さあ』
『殺されたのよ』
そう言う彼女の瞳は、わずかに揺れていた。前世で仲が良く、異世界でだって関係のあった人物が死んだのだ。彼女のぶっきらぼうな言葉以上に悲しみがあることは考えなくてもわかる。
『殺されたって、誰に?』
『世界のシステムに』
『システム?』
『あいつはね、バルファルク・シガーという存在から離れすぎたのよ。竜は龍と違って、人になることができない。それなのにあいつは、百年かけて人化の秘薬を作ってそれを飲んだ。目の前で見ていたから鮮明に覚えているの。人化が始まると思った瞬間、地面から這い出た無数の黒い手に、あいつは異次元の扉に引きずり込まれた……。生死は確認できていないけど、まあ間違いなく死んでいるでしょうね』
ランプの炎が揺れ動く。
『この世界に神がいるのだとすれば、何が奴の気に障ったのかはわからない。けれど、どう考えたって、バルファルクはVtuberとしての設定を無視したがゆえに罰を受けた。そうとしか思えないのよ』
だから、と彼女は続ける。
『死にたくないなら、前世でのことを関係者以外に話すのはやめておきなさい。どういう基準で殺されるかわからない』
ルクセリアは、バルファルクのことをバカなことをしたせいで死んだと言った。そのバカなこととはつまり、設定を逸脱しすぎた行為のことだ。ルクセリアにしたって、彼女は年齢を明確に設定していなかったから、六百年前に産まれて成人して以降老化していないに過ぎないそうだ。
そこで、俺はふと思った。
『俺は設定をかなり詰めた。けどさ、まだ配信はしたことがないんだ。だから他のVtuberたちより、その基準とやらが緩いかもしれない』
ルクセリアは少しだけ悩んで、最後にこう零した。
『まあ、死なないようにだけしなさい』
彼女の伏せられた顔が思い出されて、俺の脳内は現在へと巻き戻る。
「どうしました、お嬢様?」
「何でもない。ほら、さっさと行くぞ」
「できるならばいつまでもこうして手を繋いで歩きたいものですが、そういうわけにはいきませんか」
相変わらず、冗談か本気かわからない無表情の彼女に俺は笑い、手を引いた。
オリオンは、俺を本気で守ってくれようとしている。
ルクセリアは、バルファルク・シガーの二の舞が生まれることを憂慮している。加えて、俺に少なからず好感を持ってくれている。最低でも、死ぬなと忠告してくれるぐらいには。
俺はアダルバートを助けるため、立派になって魔大陸に凱旋する義務がある。けれど、彼女たちと束の間の楽しい時間を過ごすのも悪くない。
俺はとりあえず頼りになる姿を見せようとして、しばらくの間ズンズンと歩いてから振り返った。
「チケットの売り場はどこにあるんだ?」
「そんなことだろうと思いました」
……まあ、これから頑張ろう。




