第二章 6 力の使い方
それは、余命宣告だった。何処の誰かも分からない奴から告げられた言葉。顔すら見えないほど高く、遠く、ただ響くその声と会話をするだけの空虚な世界。
夢、夢───。
化け物に襲われた時も、目覚めた時も、ひたすらに夢を願っていたレイジだからこそ思うのだ。これは夢ではない。
───何故?
「俺は、死ぬ……のか、」
「うん。このままだとね。もう永遠に目覚めることは無いだろう」
そう言いながら、ヴィネと名乗る者は大きな赤い鳥居から飛び降りた。あまりに軽やかに飛び降り華麗に着地したが、その高さは三十メートル以上あるだろう。
恐らく、コイツは───、
「───ボクは人間じゃないよ。あ、夢魔でもないからね? それとレイジが死ぬ事についてだけど、キミが死んだらボクも困る。ここは、協力していこうじゃないか」
中性的とは言ったものの、髪は紫黒のような色で結われ、顔立ちはエゼとは違う幼さが印象的の子供に見えた。
紫の瞳と目鼻立ちの整った横顔が、綺麗ではあるものの、背の低さがヴィネの可愛らしさを助長していく。
「助かる……? なら───」
なら、なんだと言うのだ。得体の知れない人間でもなく、勿論夢魔でもない奴からの提案など、聞いてもいいのだろうか。
第一、知らない場所で見たことも無い景色の中にレイジとヴィネの二人きり。フーカ達は大丈夫なのか、心配が押し寄せてくる。
「キミが死んだら面倒だ。ボクは手っ取り早くレイジに『力』をあげたい」
「力……」
「夢魔と戦えるだけの力をね。今オールダイスで失敗したのは、レイジが弱いからだ。弱者は、強者に縋るのが筋さ」
弱者だの強者だの、まるで全て見ていたかのような口振りだが、力というのは一体どういうものなのだろうか。
確かにレイジはオールダイスが上手くいかず、能力すら分からずにいた。ただそれは後々知ることだと考えていたが、弱いから発動しなかっただけだとしたらこの先夢魔が出ても死んでいくだけだ。死にたく、ない。
───それでも果たして、ヴィネを信じていいのか。
「───助かりたいのなら『手段は選ばない』というのがキミの信念だろ?」
「うっ……」
───信じて、いいのか。
「ほら」
───ボクを。
「信じて、レイジ」
「───一つだけ、聞かせて欲しい」
呑まれてしまう。喰われてしまう。呼吸も思考も、何もかも。
だが、その前に自分の心の為にも、聞かなければならないことがある。人間ではない、何者かに聞く、最後の質問だ。
「うん、なにかな」
「フーカ達は、無事……なのか?」
それだけだった。自分の口から出た意外な言葉。こういう場面では目の前の奴の素性や、この場所の説明、自分の状態など、他人の事なんて考える余裕が無いはずなのに真っ先に口にしたのは、レイジ自身も驚いた。
この質問は果たして先述挙げた疑問よりもメリットがあるのか。もしかしたらメリットなんてどうでもいいのかもしれない。でなければ、こんなこと聞くはずないのだから。
「彼女等は無事だよ。というか、元よりレイジしかこの場所には来れないから。ここは君の核だ。他の者が核に入るには、高度な精神回路と血筋、代償、依代、魔術付与がなくてはならない。ちなみに魔術付与というのは大まかに言うと呪いのようなものかな。……どう? これで満足?」
なにか意図を含んでいるような不敵な笑みを浮かべ、彼女は淡々とそう答えた。見た目こそ綺麗な印象だが、目に光がないことと、少し低めの独特の声から不気味な印象を覚える。それに何より、
「フーカ達のこと知ってんだな。……てか、オールダイスも知ってるっぽいし全部見えてるのか。俺の核ってことは、精神みたいなもんなのか?」
「キミ、わざとはぐらかして情報を聞き出そうとしてるけど、ボクには通じないからね? 小賢しいようだが、さて。そろそろ決めてもらおうか」
得意な情報戦には持ち込めないようだ。レイジ自身情報網で極貧の生活をやりくりし、誘導や尋問で何とか生き延びてきた過去がある。情報が有れば有るだけ動けるが、無ければ為す術ないのだ。
だが、話を摩り替えることすらバレてしまう彼女は相当の手練だろう。
ヴィネはパンと手を叩き、白い杖のような輝く長い槍を異空間から取り出す。その輝きは水面に映る事で更に光を増し、レイジの瞳に飛び込んでいく。気づけば辺り一面まで光の道は続き、レイジは目を細めることしか出来ない。
「力を欲すならばボクは与える事は出来る。だが、それはキミが『本当に欲した時』だけだ。ボクは意地悪だからね、一筋縄で辿り着かせはしない」
「力か、死か……」
どちらにせよ、魔取に入るのならばいつか突然死ぬ時が来るかもしれない。今確実に死ぬ未来よりも、絶対に力がなくては死を回避することは出来ないのだから。答えは決まっているのだ。
「───俺に力をくれ、ヴィネ」
力が、いるのだ。
「ああ。契約だ、レイジ」
そう言いながらヴィネは白い槍を上へと翳し、一つ瞬きをする。動作はそれだけ。
目には見えなかった。
「ぅ、へ……っ」
口から零れる。溢れる。
何が?
「……ぁ、が血。血ぃ……」
下を見れば赤い液体が、否、血が口だけでなく胸から溢れて止まらない。胸の中から顔を出すのは眩いほど煌めいてる槍だった。
「いぁ……ヴィ、……ネ……ッ!」
「すまないレイジ。では、落ちる前に聞いて欲しい」
聞けるわけが無い。脳まで血に漬けられ、侵されまともに動かないのだ。心臓だって、もうすぐ止まるだろう。かろうじて急所ではなかったが、致命傷。失血で死んでしまうのか。
「力の使い方は、キミが欲した時に分かるようにしておく。それまであの狐にバレたら面倒だからね、忘れてもらうよ」
「……ア……ぁ」
ただ喘ぐことしか、出来ない。喉の奥まで血糊が付いている。口の端に吹き出る泡はきっと朱色だ。
「じゃあ、頑張ってね」
その言葉を最期に、レイジの中でぷつりと意識の糸が切れた。
暗く、何も無い世界は、あの青空とは真逆で愛おしい。
夢なら良かったのに。
「……ぁ」
「あ!起きたんだ!良かったー!」
横にいるエゼの声が耳に入っていく。
夕暮れの空、硬い床。少し交じった血の匂い。オールダイスが失敗した後レイジは倒れてしまったのだろう。見慣れた路地裏の風景が、広がっていく。
▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦
これは記憶だ。今、全て思い出した。オールダイスの後血を吐き倒れ、寝ている間の出来事である。
そして、記憶と共に流れ込んでくるのはヴィネが与えてくれた力とその使い方だ。多大な情報により脳はパンクし、筋肉は伸縮で調整が追いつかない。
それでも、今やるべき事は目の前の男を殺す。それだけだ。
「うーん。くたばっちゃったかなァ? そうだよね、君弱すぎるもん」
声は低く、木霊する。輪死線の中で響いた声は、レイジには届かない。
祭りの催しに使う提灯は割れ、紅白の布地から灯火が漏れる。もっとも、高く括られたはずの「星屑祭」と書かれた装飾も、血に濡れ地面の泥と同化しているが。
「全く、僕と彼女の結婚を邪魔するなよ。お前が居るとあの子との結婚が遠のくだろうが。消えろクソ男」
腸は潰れ、肺が取り込むはずの空気を吸うことが出来ず、ただ口から血が流れるだけ。身体だってもう動かない。男の拳で飛ばされた場所は特に死体が積み重なって居た。
後ろの輪死線から外へ、死体の唾液すら出ることは許されず、血溜まりは泥濘となってレイジの足を下へと引きずり込む。意識だけは反発しているのに。
───まだか。もう十分欲している、力を。もう何度も願っているじゃないか、力が欲しいのだ。
欲しい。早く。死んでしまう。
早く、早く。
「───ヴィ、……ネ」
「は?」
『ああレイジ。やっとボクの名前を呼んでくれたね』
脳内に麻薬のような中性的な声が溶け込む。割れそうだった頭蓋の、頭痛が加速し潰れた腸は痛みを鋭く突き刺す。彼女が紡ぐ一音が心臓の鼓動を強くさせるのだ。
「───い、っぁァ……ッ」
『さて。二秒後に攻撃が来る。左に避けて一旦伏せろ』
「ま、待て。まだ」
「死ね───ッ!」
攻撃が、来る。間違いなくもうすぐ。とにかく考える時間はない。今は左、左に避けるだけだ。
「ハ、ぁ……。つ、次は」
トドスからの猛攻撃。黒い爪は、顔面目掛けて風を切る。積まれていた死体は真っ二つに割かれ、その威力を物語っていた。
レイジの下半身は、回路を閉ざしたまま神経すら繋がらない。上半身だって肋骨は折れ、首上しか動かないのだ。それでも危機一髪、彼の攻撃を避けきれた。
だが、次の指示は───。
「う、ぁあ。が、ぁっ!」
伏せることが出来ない。痛みでは無い。
もう動かないのだ。動けない。動くことが出来ない。動け、動け。
舌を噛み千切りながら筋肉へ命令を降す。
動いたのは人差し指のみ。一度上がった指は為す術なく、そのままレイジから垂れ出す血溜まりへ浸かっていく。
まずい、このままじゃ。
「───!」
ビリリと。
落雷が落ちたかのような衝撃が指先に通った。強力な電流はレイジの腕から脳へと伝っていく。焦げたような匂いと痙攣する指に流れて、脳は考えることを放棄した。
チカチカと暗転する視界に異常なんかない。
口から零れてく止め処無い血は普通の事だ。
動かない下半身だってもうどうだっていい。
ただ、心の思うままに。
痛みも異常も忘れて、思うままに。
動かせ、動かせ。
思考も痛みも、感覚さえ乗っ取られてしまったとしても。
「───」
不思議と身体が、否、右手が軽い。電撃が繋がった右手だけが心を浮かせてくれるのだ。
右手を前へ、伸ばす。
憎き男の胸へと手を伸ばすのだ。
シャツの胸には一度首を切られた時に付いたであろうレイジの血。夥しい血の量は凄惨な死を物語る。他に死んでいく人の血は付かないぐらい手馴れているのか。
そこに、手を伸ばすのだ。何故、何故。
それは、
「これが、俺の……力だ……!」
「───ふ」
伸ばした五指が胸の血に触れた瞬間、目に見えるほどの青白い電流がトドスの身体に流れ込んで行った。血管の中の血液が沸騰したように沸き上がり、疼いていく。
痙攣、爆発。
血と指が触れたことにより、静電気が見えたかと思えば爆発し彼の肉体は吹き飛んで行く。ただ、レイジはその様子を自分のことながら眺めることしか出来なくて、突然の出来事に脳が追いつかなかった。
黒煙を上げたトドスはぐったりとその場から動かなくなっていた。
「あ、え? 俺今……」
訳が分からない。
もう死ぬしかないと思っていた事が自分の手によって覆すことが出来たのだ。あんなに強かったトドスは触れただけで倒れ、動かない。
ヴィネが教えてくれた力の使い方はなんだったか。忘れてしまった。彼女からはなにか教わったようで、何も、教わっていないのに。
───これは、極限の中自分で辿り着いた力なのだ。
辺りを見回すと輪死線は消え、すっかり暗くなっていた。弾けた指はかなり電流で痛みはあったものの、今はすっかり治っている。身体も動いてすっかり元の身体に戻ったのだ。
「そ、そうだ。フーカは……!」
「ここよ」
ぬるりと背後から顔を出す銀色の少女。あまりに急すぎて心臓が口から出そうになる。
だが、その彼女が今こうして生きていること、守るこ
とが出来たのがレイジにとってこの上ない程嬉しいのだ。
「ふ、フーカ。良かった、本当に。首は大丈夫か?」
「もちろん問題ないわ。と、そんな事よりレイジ! あなた身体は大丈夫なの? 私の首なんかよりあなたの身体が心配よ! もう、なんであんなに無茶するの」
「お、お……」
「一体いつ能力が使えるようになったの! オールダイスだって昼間したばかりなのに、レイジばかりなんでこんな目に。それとお腹。見たところ潰れてたみたいだし口から血が出てた。今は、今はなんともないの?」
止まらない程早口で、潤んだ瞳を輝かせながら捲し立てる。ぺたぺたと身体を触り、異常がないか心配をしてくれて説教もしてくれて。本当に心の優しい子なんだと再認識するのだ。やはり、この子を守ることは間違いではなかった。
「落ち着いてくれフーカ。今は特になんともない。お前があの時、俺の死体を輪死線から出してくれたから今生きてる。ありがとう」
フーカはトドスの隙を突いて見知った死体を輪死線から出した。それは、レイジであり首から上がない死体なんて彼しかいなかったから。
「い、いいのよ、別に。私だって賭けるしか無かったんだから」
頬を桃色に染めながらフーカはお礼に応える。辺りが暗くても、その銀髪は夜空を吸収してキラキラと光っているのだ。いつ見ても綺麗だと思う。
「なんで俺が生き返るってわかったんだ? 俺も生きててびっくりしたが……」
その髪を撫で夜風の中幾つも転がる死体を見て、フーカは言った。
「……掛けられた呪いが、そう簡単にあなたを死なせるとは思えなかったから」
俯いた瞳は死体の顔を一つ一つ見つめている。どの人も今日の星屑祭に願いを込めようとしていたのだ。少なくとも、ここで死んでいい理由なんて、なかったのだから。
「あなたは輪死線から出ると傷や、致命傷、死だって覆せる。その存在は稀有で不確かよ。もう公然に知れ渡ったのだから夢魔はあなたを生かして置かないわ。……この先、命を狙われるわよ」
レイジは一度死灰に襲われた時、足を失った。が、その足はフーカが言うには輪死線から出た瞬間生えてきたらしい。呪いの話が本当であるならば、レイジは輪死線から出れば蘇生されることになる。
フーカの言う通り、夢魔からしたら殺した相手が蘇るなど、驚異でしかないのだ。
「ああ。そうだよな。俺は、魔取に入ったんだもんな。命のやり取りは普通なのか」
当たり前のように踏み入れた世界は、狩り狩られる命を賭けた世界なのだ。もう、引き返せない。
「───そういえばレイジの髪色って、夜に溶けて綺麗よね。黒がさらに深まった感じ」
唐突にフーカはレイジを見つめてそんな事を言い出す。紺色の夜空に輝く月はそろそろ顔を出し始め、欠けた形がなんとも嘲笑うかのように。
「……は? 俺の髪、今、何色だ……」
「黒だけど?」
ふと、下を見る。確認しなければならない。レイジの髪が黒ならば絶対に見えるはずだ。
その線は、丁度二人を分けるかのように半円を描いてレイジだけをを招き入れる。チカチカと薄く青い線は点滅していた。
「っァぁあァア……ッ!」
「まず───」
逃げ切れない。例えレイジが全回復していても、この攻撃は避けれないのだ。動けばすぐ後ろにいるフーカに攻撃が行くかもしれない。例え夢魔が線の外から出ることが出来なくても、輪死線自体が今薄くなっているのだ。避けるべきではない。
怒りに顔を赤くした男、トドスは最後の力で爪をレイジの心臓へ突き立てて。
「───う」
見た事がある。この光景。それは、何度も何度も思い出して焼き付いて離れなかった、あの瞬間。
見ればトドスの腹には大きな穴が空いていた。衝撃音と共に開いた穴は、完全に彼の行動を抑止した。
この光景は。
「大丈夫なの? レイジ」
初めて会ったフーカとのやり取り。違うのはお互いに少しだけ根付いた信頼だろう。
彼女は白い銃で腹を撃ち抜き素早く反応した。
あの日のように。
「フーカ」
「もうあの人は動かないわよ。最後の力みたいだったし、トドメは私が刺したから姐さんには私が倒した事にしておいて」
「わ、わかった。ありがとう」
「じゃ、帰るわよ」
錫色の髪を靡かせくるりと歩いていく。
回復したレイジなんかよりも重症のはずなのに、それを微塵も感じさせないのがフーカらしい。
「いいのか、帰って」
「ええ。魔取だってここら辺をパトロールしているはずよ。今日は特に祭りだもの。異変を見つけない訳が無い」
「? でも、魔取の人間がこんな大災害気付かないことあるのか?」
「───いいから帰るわよ」
今は新しく自分の部屋となる寮に戻り、身体を休めなければならない。聞きたいこと、言いたいことはその後にしよう。
愛犬が可愛いです。