第二章 4 捌き方
乾いた空気が冷たく、肌を粟立てる。
凍えた声音が硬く、脳を麻痺させる。
この心に宿された灯りも、暖かさも、きっと誰にも伝わらない。
脳天から爪の先まで一直線に駆け巡るその電流は、まるで自分の居場所を示しているような、そんな気がした。
分からない、分からない。
───分からなくてもいい。
ただひたすらに、自分は自分の為に動く、機械なのだから。
己の信念を貫け。己の意思を指せ。
信じられるのは、自分だけ。
伝わらなくても、伝えられなくても■■は置いていく。
「……ぁ」
息をする。
瞼を閉じる。
肺が膨らむ。
鼓動を感じた。
瞼を開けて、ようやく、分かった。
今まで生きていたこの世界は自分が思うよりもずっと複雑で絡まっていた、ということを。
ありえないなんて、もう通じない。自分を見失いそうになる。
それでも、理由なんて簡単でも、ここで生きていくと決めたのだから。
「この姿は初めて見たよね。オールダイスって呼ばれてる。人によって形や色、姿は全く異なるんだよ。僕の場合は鎧をモチーフにしているみたい」
喋る度にマエダの口元の黒い影がパカパカと開いたた。全身が鋼のような、白銀のような色の硬いもので覆われているのが分かった。
鎧とは言い難いが、所々尖った場所に血糊が付いている。戦いの跡は生々しいものだ。
「魔取の人間しか出来ないんだけどね。レイジくんは入ったばかりだし、正直今使えるのかは……」
「───やってみよう」
嫌な予感がする。顔は見れない。それでも少女のその声からは、好奇心と昂揚が感じられた。
「いや待っ」
「───ダメっスよ、エゼさん」
意外にも、止めてくれたのはイコマだった。低い声を吐きながら無精髭を手で撫でた。
急に自分の姿がマエダのようになるなんて、どう考えても怖すぎる。それを汲み取ってくれたのか、イコマはやる気のない目つきとは裏腹に、意外と後輩想いで───、
「やるならフー子を呼ばないと」
なんて考えは捨てればよかった。失敗するかもしれないし、もしかしたら変な姿になるのかもしれない。羞恥だけが残ってしまう。
どう転んでもデメリットの方が大きいのだから、レイジとしてはやりたくなかった。
「あ、そっか。おーい、フーカ! こっち来て来て!」
何故フーカを呼ぶのか分からないが、そんなことどうでもいい。やりたくない。ましてやフーカの前でなんて、失敗したら、何も起こらなかったら、絶対に馬鹿にされる。
マエダに視線で助けを求めても、苦笑いの後に顔を背けられた。こうなったら、自分で抗議するしかない。
「エゼさん、俺そういうのまだわかんないしやりたくな」
「あ、これ上官命令だから」
フーカを呼び、期待をした顔で冷たい言葉を貰った。レイジは下っ端で、助けてもらった恩義もあるのだから彼女には逆らえない。逆らえないのだ。
その事実が歯痒くて、奥歯を噛み殺す。拳を固く握り、目尻に涙を浮かべる。今は、そういうことしか出来ない。
「くっ……!」
「レイジくんドンマイ。失敗してもフーカちゃんがいるなら、ちゃんと外に出れるし大丈夫だよ。あとどんな姿になるかはお楽しみ。入りたてだし、なにも変わらないかもしれないけど……」
何も変わらないのが一番困る。路地裏に繋がる入口から、フーカがわざわざここに来て何も起きなかったら。
こんなに辛いことは無いだろう。
「……そういえばマエダさんって最初から……オールダイスはその格好なんですか?」
「ん? そうだよ。僕は入社時からずっとこれ。輪死線を越えれば自動的に解除されるから、変更、改造とかは出来ないんだ」
「へえ、じゃあ変なのになったら一生それで闘うんですね。なかなか恥ずかしいですけど……」
そうやって、自分がなった時の保険を掛けておく。皮肉のようなものを込めて、もうすぐ訪れるその時を待つのだ。何とも打算的で、性格の悪い男なのだろう。
「あはは! 命を懸けて闘っているのにかっこ悪いとか思わないって! それに不格好でも専用の制服があるんだよ。着れば闘えるし見栄えも悪くない」
「そう……ですよね」
自分の心の狭さを痛感した。命を懸ける者は誰であれ素晴らしいものなのだ。それを羞恥心で否定するなんて、人間として最低ではないか。
笑い飛ばすマエダで良かったが、反面、叱って欲しくもあった。
「───まあ。どんな姿でも闘ってくれれば、なんでもいいよ」
「?」
その顔は、よく見えなかった。
「───なんですか姐さん。私、あそこで警備しなくていいんですか?」
思考を遮るようにフーカが嫌そうな顔で声を掛けていた。彼女のその怪訝な目はマエダとイコマを見ているような。
「うん、いいの。それより今からレンジくんのオールダイス見るから、輪死線よろしくね」
「う、げ。まだ入りたてですよ? こんだけ期待しといて、何も起こらなかったらこの人可哀想じゃないですか。ただでさえ幸薄い顔なのに」
「おいおいおい。さらっと吐いた毒が俺にとって一番キツかったぞ……」
幸薄い顔と言われて反論出来ないほど、これまでの人生は『幸薄』だと思っている。実際は薄いなんて柔らかいものではなく、ど貧乏で底辺の生活を送っていた。だからこそ、魔取での生活はどうであれ、絶対に手放しては行けないのだ。
───絶対に。
「何も起こらないわけないって。死灰に襲われて生きているなんて、ものすごい豪運の持ち主なんだから」
その期待が辛い。輝いている瞳が痛い。言い切るあたり相当レイジに肩入れしているが、そんな運があったのなら貧乏に育ってないわけで。
「どっちにしろ、今日か明日やる予定だったし。まあいいでしょう」
「だってレンジくん! 行ってらっしゃい!」
先程までの冷徹な態度はどこに行ったのか。すっかりエゼの印象が逆転してしまった。袖が余った白衣を横に振りながら「がんばれー」と声をかけてはいるが、何を頑張るのだろう。
ともかく、上官命令であることには変わりない。やらなければならない。
「ふぅ……」
もうすっかり、輪死線への抵抗は薄くなっていた。あの時のトラウマを思い出しても、それを掻き回してくれた彼女が、後ろで見守っていてくれるから。
深い青の線がまだかと急かしてくる。両隣には高い建物がそびえていて、地面から壁まで直線に大口を構えていた。
「……せめて」
───せめて、かっこいい姿でありますように。
そう願いながらあの時と同じように右足を踏み入れる。行くしかない。無意識だがレイジは強く瞼を閉じてその線を───、
「レンジくん、もう目開けていいよー」
越えたのだ。
やっと、トラウマを。
「───で、どうなんですか!? 俺、何か変わりましたか!」
「───」
「え!?」
反応がない。これじゃ、ただの───
「あなたって本当に幸が薄いのね。ほら、鏡で見てみなさい」
失礼なことを開口一番に言われたが、鏡をエゼから手渡され口吃る。手鏡を見れば分かるのだろうか。何も変わっていないのなら、そう言われるはずだがどうなのか。
不安と好奇心がグルグルと波打っている。
かっこいい姿でありますように。
既に二度そう唱えているが、果たして効果はあったのだろうか。
「……は」
「うん。レンジくん……」
「「「ドンマイ」」」
フーカ以外の皆の声が合わさる中、手に持っている鏡が小刻みに震えていた。
それは、嬉しさでも、虚しさでも、なんでもなく。
「なんじゃこりゃー!!」
写っていたのは自分の顔。否、黒髪だった。
あの日輪死線を越えて以来ずっと白髪なのが気になっていたのだ。それが、また越えたことにより、元の黒髪に戻っていた。そんなことに驚き、声を上げてしまう。
つまり、レイジのオールダイスは黒髪だけ。何とも哀しい結果なのだろうか。
「……フ」
「おいフーカ! 今鼻で笑わなかったか!?」
「ええ、笑ったわよ。あまりにも期待されてるみたいだったから、どうなのかと思ったけれど。お粗末ね」
「お粗末とか言うなよ」
鼻を鳴らしながら錫色の髪を手櫛で靡かせるフーカ。なんともお嬢様気分で居られてはこちらも腹が立ってしまう。
「まあまあ! レイジくんは変な格好が嫌だったみたいだし髪だけで良かったじゃん!」
「む……。確かにそうですね」
「そもそも、顔が変じゃない」
「泣くよ!?」
せっかくマエダがフォローしてくれたのに、フーカはそれに追い打ちをかけるように攻撃する。下手をすると会った時以上にボロボロに言われているかもしれない。
呼び出されたのに粗末な結果でフーカとしては怒りたくもなるが、何とか抑えていただきたいところだ。
辛辣な態度の彼女へ、そっと目尻に涙を浮かべながら手鏡をエゼへと返す。黒髪は元に戻っただけだが、自分のオールダイスがこんなにショボイものだとは思わなかった。
「おい小僧、お前の能力は何だ。そこが一番の問題だ」
「能力?」
「───俺は夢魔の目を見ると五秒だけ身体能力が上がる」
突如声を更に低くして、今まで沈黙だったのに急に割り込み真剣な表情になるイコマ。
饒舌に、そのまま己の手の内を晒してきた。突然と。
果たして、彼が話したこの情報は、仲間内でも話していいものなのだろうか。
「僕はさっきの鎧のパーツを組み換え、変形させることができるよ。砕かれてもその破片を組むのさ」
「?」
何か、二人ともおかしい。レイジの目を見ているようで、見ていない。焦点は合っているのに、会話をしている気がしない。
「うーん。レンジくんは見たところはわかんないな。何か変わったところない?」
「はい、特には」
特に変化はない。決まって、動いても跳ねても身体が軋むだけで何も起こらない。
能力というのだから、もっと炎や水などド派手なものを想像していたが、本格的な戦闘のものが主なのだろうか。
どちらにせよ戦う、命を賭けるというのは男児的に無意識で心が弾んでしまうのだ。心が大きく、疼いている。
心が跳ねて、舞い上がって、飛んで、高まって。
心臓が加速して、響いて、鳴って、木霊して。
肺が動いて、稼働して、増大して、圧縮して。
血管が開いて、破裂して、零れて、流れて。
───あれ、おかしいな。
「う。なんか息が、しづらくて、げほっ……ごほっ! う、げ……ぇほ」
───ビシャリと。
なにかが口から吹き出た。
慌てて咳き込んだ口を手で覆ったが、それは片手では零れてしまうほどの。
「血……?」
鉄の臭いが、味が、身体の中に入っていく。目眩も、頭痛も全て感覚が遠のいて。
「───レイジ!」
誰かの声がする。初めて、名前を呼ばれたような。鈴の音が。
───ねえ。
可愛げがなくて、横暴で、毒舌で。
───レイジ。
錫色の髪は太陽によく似合っていて。
───ボクはキミを。
透き通るような声と肌が心を溶かしていて。
───■■■■。
「……ぁ」
「あ! 起きたんだ! 良かったー」
目を開けると吹き抜けていた夕空が真っ先に目に入った。橙色に染まり、もう夕刻になるのだろう。
床は固い。身体は冷たい。恐らく、貧血か何かで倒れて、その場所で寝かされているのだろう。記憶はあるから。
右手には暖かい感覚が少し残っていた。そのまま不思議に思い、レイジは右を見ると、
「ねえ、あなたの目潰してもいい?」
「怖すぎだろ……」
一番に視界を奪おうとするあたり、恐怖しかない。要約するとこっちを見るな、ということだ。それでも、残っていた右手の温もりはきっとフーカが手を握っていてくれたのだろう。
「照れ隠しか……行き過ぎだが、悪くない」
「分かったわ、それが遺言ね」
フーカはそう言い残しレイジの首元に手を置く。何となく本心を掠めて言っただけなのに、この仕打ちだ。まずい、本当に殺られてしまうかもしれない。
「もー! レンジくん心配したんだよー!」
すっかり恐怖に怯えていたレイジをエゼの一声が現実に戻してくれた。
「すみませんエゼさん。でももう、身体軽いぐらいなんともないです」
左側で少女の声がする。少し怒ったような、困ったようなそんな声。
誰かに心配されるというのは、こんなにも心地よいものなのか。レイジは誰にも頼らずに生きてきたがこんな感覚は久しぶりである。
エゼに身体の無事を伝えて少し起き上がる。目眩も頭痛も何も無かったかのように消えていた。
「そういえば、マエダさんとイコマさんは?」
「ごめんね、あの二人は明日の朝から仕事で帰っちゃったよ。でも、マエダくんは心配してたから会ったら声掛けてあげてね」
と、言うことはイコマはさほど興味も無いのだろう。そんな態度が目に浮かぶ。あの人は興味が無いものはとことん無い、言うなれば昭和の男というものか。昭和に生きたことはないが。
「───あ、ごめん。本部から呼び出しされて今すぐ行かなきゃ行けないの。私は離れるけど、もう夕方だから夢魔も活発になるし気をつけてね」
「分かりました。姐さんもお気をつけて」
スマホを一度見て、顔色を変えるエゼ。こういう事態には慣れているのか、二人ともすぐに対応していた。この先エゼがいないとなると、フーカと二人きり。また来た道を二人で帰ると思うと、何となく気が進まない。
「レンジくん、身体動くならちゃんとフーカのこと守ってあげて! んじゃ!」
兎のごとく敏捷さでエゼは路地裏を離れ、。前も思っていたが、エゼは異様に足が早いのだ。気がつくと視界から消えているので、かなり早い速度で走っていると思う。
そんな彼女は最後にフーカを守れと、そう言った。
分かっている。分かってはいるのだが、何となく、自分よりもフーカは絶対的に強いんだろうなと本能で悟ってしまうのだ。恐らく相手に容赦なく詰め寄り、情けを掛けることなく袋叩きにする人間だろう。
夢での優しい声とは裏腹に言動が酷いのだからしょうがない。夢の中では穏やかで包み込んでくれる聖女のような声だったのに───。
「───フーカ?」
「え?」
「あ、いや。えっと、寝ている間にフーカの声が聞こえた気がするんだが」
聞き間違いだろうか。何か、聞こえたのに、何も思い出せない。脳に霧がかかったように暈けて、霞んで、時間と共に溶けていく。ただ、確かなのは───、
「……声が、可愛かった……」
「気持ち悪い」
「すみません……」
棘の上に棘を打ち込むフーカは本気で不機嫌な顔をしている。起きて早々こんなことを言われては腹立たしいだろう。
「それ、私じゃないわよ。なんだって寝てるあなたに声なんか掛けなきゃいけないの? 気絶する前なら名前を呼んだけど」
意外だった。初めて名前を呼ばれた。あなたとしか言われず、毎回もどかしい想いをしていたのだ。正直レイジの名前を覚えていないのではないかと思う時もあったから。
「名前、呼んでくれたのか……?良ければこれからも」
「意味は通じるんだから呼ばなくても一緒でしょ。それに、あなたのこと苦手だから。呼ぶことなんて二度とないわよ」
「えぇ……」
二度とないと言い切られてしまった。それでも、一度でも呼んでくれた、覚えていてくれたことが嬉しい。
「ほら立って。あなたの能力は分からなかったけど、今日はもう休みましょう」
そう言いながらフーカは手を差し出してくれた。苦手、嫌いと言いながら触れることは許してくれたのだ。レイジが倒れたことを気遣いながら。やはり、レイジの見立ては間違いではなく、彼女は根が優しい。
「ありがとう」
お礼を言う。本当に、口が悪くて無愛想で。
「ええ」
手を取る。それでも優しくて、憎めない。まだ会ったばかりなのに、そんなに気の合う人じゃないのに。
何故か、彼女を信頼してしまう。損得ばかり考えているレイジはすっかり置いていかれたような気分だ。
「あなたやっぱりその白い髪の方が似合うわよ」
「え、俺って今白髪なの?」
「そうだけど」
ということは、レイジは今輪死線の外にいてオールダイスを解除していることになる。だが、ここはどう見てもオールダイスをしてそのまま倒れた場所だ。だから、レイジは輪死線の中にいるはずなのだ。
「輪死線は消えたわよ。次の日の夕方になると消えちゃう仕組みだから」
「……あ、そう、なんだ……?」
早口で捲し立てるフーカが妙に珍しくて納得してしまう。輪死線についてはよく知らないが、昨日と今日残っていたのなら、何故夕方に消えてしまうのだろう。
「さ、もう行きましょう。暗くなってきたわ。今日はなにやら外が騒がしいから早く歩いてよね」
「……ああ」
そう言いながら路地裏を二人で出る。出た瞬間大勢の行き交う人集りが出来ていて、皆辺鄙なところから顔を出した男女を流し目で見ていた。
「えっと、なんだ?」
「今日は星屑祭なのね、だから人が多いのよ」
「せいせつ……? それはやるといい事でもあるのか?」
その祭りは、初めて聞く名前でレイジは興味があった。
祭とつくものは大体出店がやっていて、レイジにはいつも買うことは出来ないが、匂いで腹を膨らましている。
だからレイジは祭りの情報を聞くと、フラフラと街へ繰り出し空想でお腹を満たして帰るのが決まりなのだ。
祭り自体の内容は、全くわかっていない訳だが。
二人でスタスタと歩けば、視線が再び集まっていく。それはレイジとフーカではなく、フーカにだけ。
黙っていれば美少女なのだから、釘付けになるのも無理はない。そして錫の髪は色が透けて橙色に染まることで、さらにフーカの魅力が増していた。
「さあ? 星を模した焼き菓子を割って、それを大切な人に渡すらしいわ。それで全ての病が治るの。片想いの恋の病とかそういうのも含めて。……盲信的ね、くだらない」
今手元に金はない。だが匂いを嗅ぐことは出来るのだ。視て、嗅いで。そして帰る。見たい、見たい見たい。
「ああ。くだらない。実にくだらないが、俺はとても、出店を見たい」
鼻息を上げて捲し立てるレイジに、フーカは呆れたような表情を見せた。
「……今日は出店はやらないわよ、皆星を見に行くの。それともう魔取に入ったのだから、その意地汚い根性は捨てる事ね」
「う、はい……」
言い放った後にズカズカとフーカは歩いていく。否、走っていた。
人混みを逆流し、掻き分けて彼女は進んでいる。急に歩調が速くなったと思えば、走り出したのだ。
確かに夕暮れになり、エゼの言う通り夢魔が活発になるなら危ない。けれど、そうではなく、何か焦っているような。
「お、おい。急に無言で走り出すなよ。速いし、お前を見つけるのだって精一杯なんだから」
「───」
速すぎたとしても絶対に聞こえている距離なのに、耳から流れていくのか聞こえていない。前にいる彼女は夕日色に染った錫色の髪を揺らしながら、走っていく。どう考えたって人が多くて走りづらいのに、何故あんなに走れるのか。
「フーカ、いい加減速度を緩めてくれないか。こっちもつら」
「───黙って」
その声は張り詰めていて、遠い背中を追ったはずだが、フーカが目の前にいたことに驚いた。
彼女の声が低く、鋭く、冷たく。初めて会った昨日を思い出す。
「近くに夢魔がいる。輪死線がないってことはまだ力は使っていないみたいね」
「夢魔がいるのか…!? なら今すぐ避難を呼びかけないと」
「無駄よ」
人の多い場所へ行こうとするレイジの腕をフーカが止める。その力が強くて、上手く解けない。
「どうしてだ!? 星屑祭なんて人が集まる! なら余計に危ないだろ!」
「夢魔とは言ったけど、人間の契約者の身体を借りているから、姿は人間なのよ。それに、この人の多さじゃ、誰が夢魔かなんて分からない」
「じ、じゃあ……!」
ならどうすればいいのか。見殺しにすることは出来ない。大勢の人が目の前で死ぬなんて絶対に無理だ。魔取について何もわからなくても、人を助けることは出来るはずだから。
「あっちは私達に気付いているはず。せめて、向こうから来てくれれば……」
「う?」
気づけば、レイジの頭は胴体と切断されていた。
「───やぁやぁ初めましてお嬢さん。僕の名前はトドス」
「───」
「あ、そこの男ね? 邪魔だから首を捥いだよ。それより、二人っきりだね、お嬢さん♡」
二人きり。おかしい。そんなことは無い。だって、いまさっきまでレイジも居て、周りの人も普通に歩いていたのだから。
「───」
ただ、周りには数え切れないほどの死体の山と血が輪死線からはみ出すことなく、溶けていた。横には、レイジの頭がコロコロと身体と離れて転がっていた。
───誰も輪死線から出ることは、出来ないのだ。
星屑祭の中で最も早く、一番明るい星を見つけた人には幸せが来るそうですよ〜。