第二章 2 定義の重荷
「んー? レンジくんに、何がどうなっているのか私が説明してしんぜよう!」
エゼは胸を抑えながらフフンと息を荒らげてレイジを見つめる。彼女に「まあ、そこに腰かけてよ」と言われたのでベッドの上に尻を置き座った。途端に激痛が脊髄を走り頭蓋まで駆け上がる。この痛みはもう何回目だろう。
「昨日の怪物は死灰と言って夢の中に潜む夢魔だよ。夢魔でもあれは下級だから死灰ってカテゴライズされる」
「む、ま……」
聞き慣れない単語を復唱し頭に叩き込む。もはや夢だという戯言すら聞いて貰えないのだから、これは現実以外の何者でもないのだ。分かっていたくせに、思考から逃げようとしていた自分が腹立たしくて拳に爪を立てる。
自分が一番わかっているはずだ。ここでメリットになるのは己で状況を早く飲み込み、理解することだと。今までも得失を測りながら生きてきた。遠回りなことは時間も、労力も何もかも無駄なだけだ。
「一般的に夢魔と言うと淫らな悪魔を思い描くけど、それは昔の話。今は人の命と代償に相手にとって最高の夢を見せるというのが主流なのだよ」
「ち、ちょっと待ってください。なんでその、夢魔は命を代償にしているんですか」
レイジの記憶が正しければ夢魔は性欲や精気、時には魂を奪う悪魔だが、人の命を主にして奪ってはいなかった。そうなると根底から夢魔の定義が変わってきてしまう。
「なんでってそっちの方が美味しいからね」
「───」
「だって人間だって便利だからガラケーからスマホになったり、美味しいからイタリア料理とかインド料理を食べるんでしょー? 夢魔だってそれと同じで時代と一緒に進化、成長をしてるんだよ」
後半は微妙に違った気がしたが深く入らないようにした。「効率的になったっていえばいいのかなー?」などと言っているが美味しいから魂を食べる、精気よりも効率がいいから殺す。それは相手には全く関係ないのだ。
夢魔も進化しているのなら、それは気まぐれで人が殺されているようなものでは無いのか。人という命を味わうように弄んでいるのでは無いか。
「───それは違うわよ」
鈴が咲いたような声が思考に割り込む。口にはしていない筈だが、こちらの考えまで読めたのだろうか。フーカは整った眉をつり上げて深くため息をついた。
「腹立たしいことだけど、ヒトは喜んで命を差し出しているの。けど等価交換という夢魔の本質自体は変わっていないわ。変わったのは主に命を摂ることと、人間から声をかけて夢魔を唆していることね」
「そうそう。前は夢魔が寝込みを襲撃、最適で最高の淫夢を見せてから精気を奪っていたけど、今は人間の望みを叶える代わりに魂を喰らうんだよ。望みと言っても夢に限るけど夢の中で何でもしてあげるの。だから夢魔から先に襲いかかることは無いかな、利益が少ないし」
そう言いながら眉を顰めるフーカ。反対にどうにも楽観的に見えるエゼに対して苦笑を浮かべた。
だが、二人の説明でもいくつか疑問に残ってしまう。あの襲われた感覚を思い出しながらレイジは冷や汗を垂らした。恐怖と憎悪を感知し、顔から水が湧き出てくる。
「でもおかしいですよね、俺はアイツに襲われたんです。襲うことがないなら、なんだって言うんですか」
呼吸を忘れたかのように息を荒らげて反抗をする。記憶が確かならあちらから手を出してきたはずだから、自分は悪くないのだ。悪くない。そう己の核に言い聞かせながらレイジは疑問の意を彼女たちにぶつけた。
「───キミだって本当は分かってるんでしょ」
鋭い眼光と表情がレイジの背筋を強ばらせ、エゼは冷たく言い放った。さっきまでのおどけた態度とは一変し、真剣な眼差しになる。
見透かされている。心まで。
見下されている。心の底で。
どうやら、今までのは前フリでここからが本題らしい。
その物言いにレイジは息を詰め、思考をする。本当は分かっている、分かっているのだ。相手は自分から襲ってこない。
なら、レイジが何かしたのならそれは───、
「俺が、線を跨いだから……」
「そうよ。あなたは禁忌を犯してヤツらの領域内に入ってしまった。それが逆鱗に触れたのね。私があなたに問い詰めたいのはそこよ。あの線、いえ、輪死線を見たら逃げろなんて幼稚園生でも知っていることなんだから! あなたなんで輪死線を───」
「まあまあ、レンジくんには教養すら無さそうだししょうがないんじゃないかなー」
殺気。殺気だった。殺されるような勢いで胸ぐらを少女に掴まれる。その固く握りしめた拳は肉を爪で削る程で、痕が残っていた。
師匠の声を聞き冷静さを取り戻したのかようやく離してくれたが、このままだと眼力で殺されかねない。
「……それもそうですね。この人に義務教育なんて四文字ある訳ないですし。見るからに阿呆の象徴みたいな面構えだものね、あなた」
酷い酷すぎる。だがフーカの言い方はなんであれ、レイジに教育は施されてないし、もちろん輪死線すら知らなかった。それは自ら死に飛び込んでいるもので彼女の言い分はごもっとも、激怒なんて当たり前なのだ。
それに弟子の毒舌は今に始まったことではない。会った時から第一印象は最悪なのでこのまま覆ることは一生ないだろう。
ここでフーカの怒りが納まったのなら例え辛辣なことでもレイジは何も言わないのが得策である。
「……この話をしたから帰さないとかそういう訳じゃないですよね?」
「んー。魔取に入らないのなら帰さないし、魔取に入るなら帰さないよー」
「どっちも帰さないじゃん!」
ガーンという効果音が似合うほど口を開けてげんなりするレイジ。守秘義務である話を聞いてしまったのだろう。
落ち込んでいる男を尻目に何が不満なのかフーカは「フン」と鼻を鳴らしながらレイジを睨みつける。
嫌われすぎでは無いだろうか。
チラりとフーカを見るも目を逸らされ更に落ち込んでしまう。そんな一連の流れが面白かったのか腹を押さえてエゼは笑い声をあげた。
「なんでその二人そんなに嫌い合ってるのー! あはは!」
「嫌いなものは嫌いですから。ですが……彼も私のことを嫌っているとは思いませんでした。嫌われてると思うとちょっと悲しいですね、でも嫌いです」
フーカの言葉を聞いて更にエゼは笑いながらしゃがみこむ。見れば目に大粒の涙を浮かべているが、レイジとしては何がそんなに面白いのかさっぱり分からなかった。
彼女の最後の一言がなければ握手をして嫌ってはいないと誤解を解いたのに余計な一言だ。だが取り繕うのもメリットがないので、嫌われていてもそのままの方にしたほうが余計なことに干渉されなくて得である。
既にレイジはフーカのことが少し嫌いというところにまであるのだ。
「魔取に入らなければ守秘義務を聞いてしまったのであなたを処罰します。勿論話してしまった私達も処遇は受けるわ。でもあなたの場合は一般人だから口外しないように、まず爪を」
「わかったわかった! 俺はメリットがある方が好きなんだ、入らなきゃ死ぬのなら入るから勘弁してくれ」
「え、あなた魔取に入るの? 嫌よ、私」
なら処罰内容を伝えなければいいのに、と口を尖らせ小声で言うもその声は聞こえないだろう。
本気で嫌そうな顔をされてはこちらも胸に刺さるものがある。
そもそも強制的に話を聞く羽目になり、逃げる場が閉ざされ、何処へ行くにも地獄がついてまわる可哀想な男児はレイジ以外に見当たるのだろうか。
「よくぞ言ってくれたレンジくん! さすが私が見込んだ男だ! はいこれ、サイン書いて」
捲し立てるような早口で大声をあげるエゼに苦笑しながら、どこから出てきたのか分からない紙を見る。
渡されたペンを握りながら今か今かと目を輝かせているエゼを見つめて、
「なんて書いてあるんですか、これ」
文字が読めないレイジは何が書いてあるのかさっぱり理解できない。否、簡単な漢字なら読めるが契約書のような難しい字面が並んでいるものは、レイジには解読不能のものだった。
口をあんぐり開けながら目を丸くする師弟。
フーカの方は「入れるべきじゃないですよ、姐さん!」と騒いでいるがエゼは目を輝かせていた。嫌な予感がする。
「素晴らしいよレンジ君!! 君は文字が読めなくとも言葉は理解出来るんだね! 中級の夢魔並だ!」
「姐さん……?」
「よし! 私が君に教えてしんぜよう!」
少しズレているエゼの発言にどこまでも冷ややかな目でレイジを見つめるフーカ。
鼻息を荒らげながら近づく幼い子供のような背丈の彼女を見て、可愛いなあと思う始末。ズレているのは自分もそうではないか。
エゼには契約書の内容とおまけに少しだけ簡単という漢字を習わされた。サインなんて書けなかったが指印で勘弁してもらった。そうこうしているうちに三十分ほどが経った頃、
「まずい! 私ちょっと呼び出されてるから抜けるねー! あとはフーカよろしく」
ぐるぐる巻いたような足の速さでその場から遠のくエゼ。実はもっと前から召集がかかっていたのではないか。
何がなにやら忙しなく動いていくエゼに向かってかける言葉もなく去っていった。
いつもの事、というように頭を抱えて嘆息するフーカを横目に見た。
フーカと二人きりという現状だけがレイジの頭の中に囁いてくる。苦手な人といるのはこちらだって息が詰まるのだ。
「───ちょっと、いいかしら」
声の主はフーカで、この重い空気を一刀しようと明るい声色で語りかけ───、
「私あなたのこと嫌いだから」
なんてことはなく拒絶宣言をされてしまった。何がそこまでレイジを嫌うのか分からないが、影でコソコソ言われるより何倍もマシだと思う事にしたのだ。
「でも魔取に入るのなら教えておかなければならないことがあるの」
「……ぇ」
てっきり追い出すように、追い返すように言葉で責められるのかと思ったので構えていた表情が崩れた。
拍子抜けをしたレイジからは掠れた声が出てしまったがフーカはそれには取り付かない。
「───あなた、呪われてるわよ」
そう口にしたフーカはおぞましいというように腕を抱きながらレイジを憐れむように見つめた。
意味がわからない。呪われているなんて。
意図が分からない。女は何を言っている。
「呪われてる? 俺が? なんで? 嘘をつくならもっとマシなやつにしろ」
「嘘なんてついて意味があるかしら。 呪われているから死灰にも遭遇して足も切断され、その髪の毛も元々違う色だったのでしょう? それも相当色濃い呪いよ」
理解も何も追いつかない。呪われているなど、突飛に言われても信じれるはずがない。
第一、呪われているのなら今助かっている自分はなんなのか。命があるから関係ないのではないか。
「なん……で俺は今生きてんだ……?」
「そりゃああなたに死んで欲しくないからよ」
「……は?」
「あなたが輪死線に近づくようにしたのも呪いだし、死なない程度に左足を切るようにしたのも呪い。輪死線を行き来した反動と呪いで髪の色も変わったのかしらね。ここまで来ると呪いではなく『魔術』の類かしら」
誘導ということだろうか。フーカの言葉が嘘をついているようにも思えず、レイジの頭はフル回転する。
フーカは「それにね」と口を紡いだ。
「あなたの足が生えたのも、もしかしたら呪いの影響かも。輪死線が媒介になってるんじゃない? 死なない程度に痛めつけられるのよ、これから」
「なんだそれは……。俺は死にはしないが不死身のような身体で拷問されるのか」
「呪いのせいか身体が反転してるから、輪死線を越えたら不死身じゃなくなるわ。線の内側は夢魔の領域だからそこに入ったら死ぬ可能性は高い。でも出れば傷は治ると思うの」
口に手を当てながら「そうじゃなきゃ、おかしい」と独り言を吐く彼女に感謝しなければならない。魔取の仕事はまだよく分からないが、夢魔を殺すことなら自分が危ない目に遭うかもしれなかったから。
「魔術の大元は呪いで、呪いを蓄積し媒介になる杖とかで辿れば魔術として放たれる。魔術は夢魔が得意とするものよ、魔取に入るのならあなたは狙われるから気をつけて」
忠告してくれた。嫌いなはずなのに気をつけてと教えてくれた。根は優しいのかもしれない。呪い、呪われている、そんな暗い部分を話してくれた彼女は今、少なからずレイジを想ってくれたのだ。
「そうか、ありがとうフーカ。俺が危ないから魔取に入るのを反対してたんだな。でも俺は魔取に入る。魔取には食べ物も寝床もあるらしいしな」
「……な! 違うから! 私はあなたが嫌いなだけだから思い上がらないで!」
ぷいと頬を膨らませてそっぽ向くフーカ。年相応でようやく可愛らしい一面が見れた。錫色の髪が揺れ、仄かな花の香りが鼻腔をくすぐる。金色に煌めく瞳がこちらを射抜く度どうしても鼓動が鳴ってしまう。何度も、何度も高鳴ってしまう。それは、顰め面の彼女をずっと見てきた反転か。
何故か、それを見たら肩の荷が少し降りた気がした。
今日一日で必要なことを叩きこまれ、精神的にも体力的にも疲れてしまったのだ。一刻でも早く休みたい気分で。
「ちょっと、ここで休んだらダメよ。ここは治療室なんだからあなたには必要ない。そうね、あなたが魔取に入るのなら相応しい部屋を用意してあげましょう」
「部屋……?」
ここでも充分広い。だがそれ以上の相応しい部屋というのは、豪邸のようなものでは無いか。
「こんな部屋狭すぎて息苦しいでしょうし」
価値観の違いなのだろう。レイジにとっては広すぎて落ち着かないほどのもので、白いシーツやふかふかのベッドなど廃工場の我が家では味わえない程贅沢な思いをしたのに。
着いてきてと言わんばかりに手招きをするフーカの後を追う。左足の痛みはないが、それ以外の背骨や内臓が痛すぎて軋むだけで爆発しそうだ。歩くなんて痛すぎる。
これも呪いなのだろうか。
「身体、痛いわよね。でも治療して治るものじゃないの。さっきも言ったけどその痛みは呪いだから呪術師……それも無理か。魔術師なら和らげることは出来るかも」
魔術師。昨日までそんな世界とは無縁だったが、事が事で信じなければならない。魔術は呪いより上という認識で合っているのだろう。
歩けば扉、扉、扉。それぞれ番号が割り振られてあるが全て等間隔で扉が設置されている当たり、道に迷いそうで不安である。
「着いたわ」
「え」
そこは明らかに他とは違う様な作りの扉で度肝を抜かれる。
豪華、豪邸、豪勢。
煌びやかに光る金色の装飾が施されている。赤と金で盛大に飾られた扉は大口を開けてレイジ達を待ち構えていたかのように見えた。
扉を押し開け中に見えたのは、
「なんだこれ」
まるで夢で見たような豪華客船の室内のような部屋だった。
白く透けるようなカーテンは日光を溶かし部屋へと導いている。高さが腿まであるベッドと金の枠で覆われている鏡や壁紙。
「ここが私の部屋よ」
「───」
フーカの部屋だった。ふふんと鼻を鳴らしながら自慢げに手を扇ぐ彼女。ただ見せびらかしたいだけだったようだ。
一人だけ部屋が違うという優越感に浸っていたレイジは現実に引き戻され、怒りが心の底から湧き出てくる。
「なんなんだこのアホはぁあ!」
「え!? 阿呆って何よ! 私は自分の仕事をきっちりやったからこの階級になったの! 誰かに褒めて欲しかったの!」
「だからってそれを自慢することないだろ! 期待した俺の気持ちを考えろ! えらいえらい!」
「貶すか褒めるかどっちかにしてよ!」
廊下で響く大喧嘩は近隣の部屋の住民が顔を覗かせる次第だった。ここにいる人も皆魔取の人間なのだろう。
どちらも悪いことは分かりきっているのに、絶対に引かない争い。レイジに関してはメリットがないにも関わらずここまでムキになることは無いし、いつもならここで引いているのだ。だがフーカが相手だとどうしても負ける気にはなれないらしい。
この小学生のような喧嘩はいつになったら終わるのだろうか。
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