衣食住環境の落差がすごいことになってる件4
どうしよう、睡眠薬入りのティーカップなのに受け取っちゃったよ。
ていうかそんなに堂々と薬を盛らないでほしい。せめて気付かないようにやってほしかった。自分の意思で飲むには膨大な勇気がいる。
「眠った後で食事」
「あ、そうなんですね」
どうやらはいっているのは永遠の眠りに誘うタイプの薬ではないようだ。嘘じゃなければ。
逃走防止のために眠らせておくのだろうか。食事の時だけ起こされて、みたいなやつだろうか。それだと確かに手枷がいらない。
じっと見つめられているので、やっぱり私の選択肢は一つだった。
ゆらゆら揺れる水面を眺めてから、覚悟を決めて口を付ける……前にガヨさんに止められた。
「あっちで」
小さな手が指した先はベッドである。キングサイズ、天蓋付き、枕も5個ぐらい付いてるベッドである。
……即効性が強いタイプの薬なのかな〜。
床に倒れないように気遣ってくれるなんて、ガヨさんは親切なマフィアだな〜。
打ちどころが悪かったら商品価値が下がるって理由じゃないといいな〜。
まるで死刑台のように感じる豪華なベッドに近付いて、それからまたティーカップを向かい合った。今度はガヨさんも止めない。止めてほしい。
南無三。
目を瞑り、カップの中身を一気飲みした。中身はちょっと酸味があり、香りはラベンダーっぽい匂いがする。熱かったので舌をちょっと火傷した。
「……っ」
最後のひと口を飲み込むと、それを見届けたガヨさんがカップを受け取った。
それからガヨさんがベッドの上を指したので、指示に従ってもそもそと高級シーツに潜り込む。シーツの肌触りがスベスベしていてとても気持ちいい。ベッドもしっかり弾力があって、寝心地が良さそうだった。枕もフカフカしている。
最期になったとしても、まあまあ満足なベッドかもしれない。
カップを持ったままのガヨさんが、天蓋の柱に結ばれていた紐を順番に解いていき、ベッドの周りが厚みのある布で覆われた。それを眺めていると、体の内側にじわじわと熱が広がっているように感じた。
もしかしてこれが薬の効果だろうか。確かに効くのが早い。
ポカポカしてきた頭で、最後の一角を閉めようとしているガヨさんを見上げる。
「おやすみなさい、ガヨさん」
じっと私を見下ろしたガヨさんは、おやすみ、と小さく言って布を閉める。
光が厚い布に遮られて、私の視界は暗くなった。しばらくしてからドアが閉められる音が僅かに聞こえる。
体はポカポカしてるけど、スベスベシーツは少し冷たいので心地いいくらいだった。
清潔な場所で寝転がるのも、布の上で寝転がるのも、周りに誰もいないのも、かなり久しぶりのことだ。地下牢にいた期間は1ヶ月もないくらいだと思うけれど、ずっと嫌な気分だったから、何年も入れられていたような気がする。今いる場所が信じられないくらいに清潔で豪華に思えた。いや、実際豪華なんだけども。
ずっと心の8割くらいを占めていた身近な不安や恐怖がなくなったせいで、ポカポカした頭には忘れていた「寂しさ」がふいに浮かんできた。
なんで私、こんな世界にいるんだろう。
ここ、どこなんだろう。やっぱり地球で死んじゃったんだろうか。
私の本当の肉体は死んじゃってて、意識の欠片だけが変な世界にいるんだったらどうしよう。トラックに轢かれた体はもう葬式も火葬も済ませて、骨壷になってお墓に入ってたらどうしよう。誰も私がここにいることなんて知らないで、お母さんやお父さんも泣いて、しばらくしたら私のことなんて忘れていったらどうしよう。
急に心細くなって、私は寝返りを打った。枕をひとつ掛け布団の中に引きずり込んで抱える。
これからどうなるんだろう。なんでこんなことになったんだろう。
また怖いことが待ってるなら、ガヨさんの渡したティーカップの中味が、睡眠薬じゃなかった方がよかったかもしれない。
胸のところがズキズキするような考えがぐるぐると頭を苛む中、私はいつの間にか意識を手放していた。
やがては私は、体がビクッとなって目が覚めた。
起き上がると、嫌な汗が引いていって首周りがひんやりする。
なんか怖い夢を見ていた気がするけれど、どんなのだったかもう思い出せない。枕を抱きしめていたので暑すぎたのだろうか。元の場所に戻してから、膝で歩いてベッドの端まで移動する。四方を塞いでいる布を切れ目からそっと捲ると、ベッドの外も暗かった。
もう夜になったらしい。テーブルの上に、細長いロウソクを5本挿している燭台が置いてあって、その全てに火が点いていた。
明かりの方へと近付いて、コップに水を注いで飲む。ふた口飲んでから、あらためて周囲を見回した。暗くて不気味だ。ロウソクの火が揺れるせいで、椅子やベッドの影が揺れていてなんか怖い。
怖いと思ったからか、トイレに行きたくなった。
「トイレ……」
カーテンが掛かっている向こうには窓。ドアを開けた先には洗面台と浴室はあったけれど、トイレはなかった。この部屋でまだ開けていないところといえば両開きのクローゼットだけれど、開けてみても畳まれた毛布以外何も入ってなかった。もちろんトイレもなかった。
なんで浴室が部屋にあってトイレがないのか。
「が、ガヨさんー……」
今が何時かはわからないけれど、マフィアも夜は仕事を休むらしい。ガヨさんはいないし、軽く呼んでみても来てくれなかった。健全だ。
寝る前に水分を沢山とったせいか、朝までガヨさんを待てるような状況じゃないと体が訴えてくる。
ウロウロしてベッドの下や窓の外にもトイレがないことを確認したのち、私は外に出ることにした。
無断で出たのがバレたら大惨事になるかもしれないけれど、このまま部屋の中にいてもある意味大惨事になることは確実だ。トイレを探していたと言えば見逃してくれるかもしれないし。
金のドアノブを回し、重たいドアを押し開ける。ギィー……と音が鳴ってヒヤヒヤしたけれど、やってくる足音は聞こえなかった。ドアの隙間から光が入ってくる。
顔を出すと、廊下の方が明るかった。細長い廊下の両側、壁の上部にランプが付けられている。2メートル間隔くらいで並んでいるので、ちゃんと奥まで見渡せるくらいに明るい。そして誰もいない。
ちょっと躊躇したけど、身体的焦燥感から私は廊下へと足を踏み出した。ちょっとひんやりしているように感じるのは薄着だからだろうか。丁寧な人は寝巻き以外もくれるかなと思いつつ廊下を歩く。
……当然なんだけど、トイレって表示されているドアはなかった。ドアをひとつずつ眺めながら歩いていくけれど、私がいた部屋のドアとの違いがわからない。どれも重厚でしっかりした作りだ。
ひとつずつ開けて確かめたいくらいの気持ちにはなっているけれど、うっかりマフィアの人の部屋に入り、曲者と思われて成敗されたら怖い。大惨事と同じくらいに怖い。
ペタペタと床を歩きながら、階段がある場所を過ぎて反対側の端に近付いてきた。
もしかして、1階にしかトイレがないのだろうか。割と大変だな。お腹痛いときとか。
廊下の端でくるりと向きを変え、下に降りるべきか考えると、ガチャリとドアが開いた。音につられてそちらを見る。
「……」
「……」
マフィアのボス、もとい総長がいた。
死。