呪力は加減が難しい2
「サラフさん、ここ入るんですか?」
3階まで上ったサラフさんが開けたドアは、階段のすぐ近く。
私の部屋でもサラフさんの部屋でもない場所のものだった。
「ああ」
「ここ、入っていいんですか?」
私は入ったことのないドアだ。
カイさんに案内されていない場所は、基本的に入っちゃいけないと思っている。1階の知らないドアはなんか武器とかヤバそうな雰囲気がするし、上の階はプライベートな空間が多いからだ。
しかしその中のひとつであるドアを開けながら、サラフさんは普通に頷いた。はよ入れと言わんばかりに目で促されたので、大人しく入る。
「おぉ……」
書斎とか、執務室とか、なんかそういう言葉が似合いそうな空間が広がっていた。
窓を背にした大きな机は書類が積み上げられ、両側にはめちゃくちゃ分厚くて大きい難しそうな本が並び、そして左側にシンプルな机が置いてある。シャンデリアも絨毯も豪華なところからして、カイさんがひときわ気合を入れてコーディネートしたらしきことが窺える。小さいけどお高そうな額縁の絵が掛けられているし、小さい家具に花瓶も置かれていた。私が午前中に活けた花が入っている。
サラフさんの仕事部屋だな、これは。
大統領とかが座っていても違和感がないような席に座って見劣りしないのはサラフさんしかいない。
私がしげしげと部屋を観察しているうちに奥の机へと進んだサラフさんが、その立派な席に座って威厳を強めていた。権力すごそう。
「あの、」
私はここで何をしていたらいいんでしょうか。
そう尋ねるまえに、シンプルな椅子がふわっと浮いた。そのまま移動して、大きな机の隣に置いてある小さい机っぽいもののところに着地した。
「座っとけ」
「ハイ」
この部屋には、椅子がふたつしかないようだ。ひとつにはサラフさんが座っているので、私が座る椅子は浮いて移動したアレなのだろう。近付いて恐る恐る座ると、サラフさんはペンを取り出して書類の束を引っ張っている。
「そこでじっとしとけ。少しでも気分が悪くなったら言えよ」
「あ、はい」
「我慢するんじゃねえぞ」
「すぐに言います。すぐに」
私の返事に満足したらしいサラフさんは、よしと頷くとそのまま仕事を始めてしまった。
…………。
もしかして、体調が心配だから連れてきただけなんだろうか。
特に仕事とかあるわけでもなく。
カリカリとペンの音がだけが響く。
まあそうだよね。こういう仕事って全然したことないし、いきなり頼むわけないよね。
私は言われた通りにじっとしていることにした。
濃い色の天板を見つめ、本棚を見つめ、額縁を見つめ、花と花瓶を見つめ、絨毯を見つめ……
「暇なら本でも読むか」
「エッいいんですか」
「部屋から出ねえなら好きに見ていい。少しでも疲れたらすぐに座れ」
「ありがとうございます」
サラフさんの視線は書類に向いていたはずなのに、私が時間を持て余していたことを察したらしい。すごい。
お言葉に甘えて、私は立って本棚を見に行くことにした。私の部屋にもちょっとした本棚があるし、サラフさんの私室にも大きめの本棚があるけれど、ここの本棚はもっと大きくてたくさん詰まっている。
やっぱりこのお屋敷に住んでいる人を率いているだけあって、色々とデスクワークも多いようだ。この世界に来てしまった異世界人のうち、少なくともこの国に来た全員の権利を守ったり保護したりしているわけだから、そりゃ色々あるのだろう。しかも王城の人たちは全面協力してくれているわけでもないし。
初対面が初対面だったので、サラフさんはなんかこう、カチコミというか、棍棒というか、武闘派なイメージが強すぎたけれど、こうやってペンを握る仕事も多いのかもしれない。
……それはそれでイイよね。濃い肌と金髪でワイルドなサラフさんが執務とかギャップがあるよね。
背表紙に指を掛けつつ、私は華麗に書類を捌くサラフさんをこっそり眺める。
「持てねえなら運んでやるから呪力は使うなよ」
「あ、ハイ」
また声を掛けられてしまった。何でこっち見てないのに私の動きがわかるんだろう。エスパー?
私はサラフさんを盗み見することをやめて、本を見ることに意識を向けた。確かに重くて持てなさそうな本が多いので、なるべく軽そうな薄くて小さい本を選んで戻る。
椅子に座ると、書類を見ていたサラフさんの目がこっちに向いた。
「……何ともないですよ。元気です」
「そうか」
視線が私から書類へ帰っていった。
サラフさん、わりと私のことを心配しているようだ。久しぶりに呪力をしっかり使ったので、また呪力切れを起こすんではと気にしているらしい。椅子をわざわざ隣に運んだのも、具合が悪くなったらすぐに対応できるようにだろうか。
まあ、目の前で誰かが死にかけたらそりゃ心配するのもわかる。ましてサラフさんは私のことを好きだったわけだし。やばいニヤつきそう。
私は頑張って口元を引き締めつつ選んだ本を眺め、そしてそのまま机に置いた。
「サラフさん」
「何だ」
「もうちょっと近くに行ってもいいですか?」
またちらっとこっちを見たサラフさんは何も言わなかったけれど、無言で私を椅子ごと横にスライドさせてくれた。手を伸ばしたら触れる距離である。
「あの、お手伝いしてもいいですか? 書類揃えるくらいしかできませんけど」
残念ながら、私はまだこの世界の文字は読めない。
読めない本を眺めているよりも、ちょっとでもサラフさんの役に立てるならそっちの方がいいなと思った。
サラフさんは私を見てから、簡単な書類の分別を任せてくれた。たぶん、特にやらなくても支障がない程度の作業だと思うけれど、私のためにやらせてくれている感じがして嬉しかった。
ニヤニヤしつつ書類を揃えて、たまにこっちを向くサラフさんに元気ですよと応えて、なかなか充実した午後になったのだった。
ちなみに書類もわからない文字すぎて眠気に襲われ、カクッと船を漕いでサラフさんに体温を確認されたのは葬りたい事実になった。読めない文字、怖い。




