衣食住環境の落差がすごいことになってる件3
ちょっと傷付いた乙女心で閉まったドアを見ていると、不意に声がかかる。
「こっち」
ガヨさんを見ると、いつの間にか立ち上がり、そしていつの間にかまた近くにいた。
椅子を引く音が聞こえなかった。お上品を通り越してニンジャになっている。
「あ、お風呂ですか?」
頷いたガヨさんを見て、私も立ち上がる。木の椅子に木の床なので、ガタガタ音が鳴ってしまった。しっかりした作りなのでちょっと重いのだ。ガヨさんはどうやったんだろう。
ガヨさんについていくと、部屋にあったドアを開けてちらっとこちらを見る。覗き込むとそこは豪華な洗面所だった。洗面台のある正面の壁は上半分が鏡張りになっている。蛇口は金色だ。
「おぉ……」
入ってきたドアの両脇に棚があって、タオルや瓶が並んでいるのが見える。左側の壁は一面水色にピンクの花柄が散った壁があり、右側には白く塗られた木製っぽいドアがあった。ガヨさんがそこを開けると、猫足の浴槽が置いてある。
天井も壁も床も継ぎ目のないクリーム色の素材で作られていて、高い位置に採光のための窓が付いている。浴槽は見たかぎり陶器っぽい。部屋の隅に石で作られた小さなテーブルが置かれていて、火のついていないロウソクが山みたいな形のスタンドに置かれていた。
「あの、ここ、私なんかに使わせていいんですか」
ガヨさんは頷いて、棚を指しつつ「全部」と言った。自由に使えと言いたいようだ。
いくら実力と金を備えたマフィアのお屋敷とはいえ、待遇が随分と良すぎる。地下牢に閉じ込められていた日々を思うと雲泥の差だった。同じ人攫いでもこれほど格差があるとは。異世界は世知辛い。
相変わらずガヨさんにじっと見られつつ、棚からタオルを恐る恐る取る。高そうなフカフカタオルが、大中小のサイズに分けられて数枚ずつ揃っている。とりあえず1枚ずつ。
「この瓶は……石鹸ですか?」
「髪用」
「あ、シャンプーですか」
異世界のシャンプーはなんか高そうな香水瓶のようなものに入っているものらしい。何種類か並んでいるので手に取るのを躊躇していたら、細い指が真ん中の2種類を順番に指した。ガヨさんを見ると目が合ったので、とりあえずその2つを取る。
ガヨさんは棚の扉付きのところを開けて、中に並んでいるもののうち端にあるものを指した。これは石鹸のようだ。薄ピンク色のものを取ると、ガヨさんは小さく頷いた。
タオルと石鹸類を抱えて浴室に入る。クリーム色の床は、マットな見た目に反して意外とツルツルしていた。テーブルが四隅にあったので、一番近いところにタオルを置いておく。私に続いて浴室に入ったガヨさんがすすっと部屋の隅に近付くと、部屋が明るくなる。タオルを置いたところ以外のロウソクに火を点けたらしい。
……随分早くて静かだったけれど、マッチはどこに持ってるんだろう。
「えーと、じゃあ、入らせていただきます」
私が言うと、ガヨさんは頷いた。そのままじーっと眺められたので、もしかして監視状態のまま入るのかと慄く。幸いガヨさんはしばらくしてから浴室を出てドアを閉めてくれた。よかった。危うく初対面のマフィアの人と一方的な裸の付き合いになるところだった。
蛇口が金色なお風呂は、仕組みは難しくなかった。壁から出ている蛇口は2つ、高いところにあるシャワー用と浴室に溜める用で、それぞれ冷水温水のコックがついている。出てきた水は綺麗で温度を調節するととても気持ちが良かった。
「ふー」
最初はシャワーだけで素早く出ようと思っていたけれど、お湯が気持ち良すぎて図々しくもバスタブも使ってしまった。脱いだワンピースと石鹸を使って洗濯も兼ねつつ体の汚れを落とし、髪の毛も念入りに洗う。薄ピンク色の石鹸から出た泡が血のように真っ赤だったので意味を深読みしたりしてビビったりはしたけれど、ほのかにフローラルで洗い上がりもさっぱりしたいい石鹸だった。瓶の中身のシャンプーとリンスは普通だった。
血行が良くなって、筋肉のついでに緊張もほぐれたような気がする。
あんまり長居して怒られても怖いので、そこそこで湯船から上がり、軽く掃除をしてから浴室を出た。ガヨさんが運んでくれたらしく、棚の真ん中あたりに着替えが置かれている。
着替えは、なんかネグリジェとかそういう呼称が似合いそうなものだった。
ゴムの代わりにリボンで結ぶパンツと、ブラ代わりの厚めのキャミソール。そこに長袖ワンピースで完成である。ワンピースは薄くて白い布で作られていて、襟元はスクエアカット、袖はふんわり膨らんでいて、全体的になんかフリフリしている。
奪ってきた商品は全員これ着用なのかな。……もしかしてあの丁寧な人の趣味なのかな。
知るのが怖い謎は見ないふりしつつ、髪も大雑把に乾かしてからドアを開ける。
「ゥワッ……すみません、びっくりして」
開けたすぐ近くにガヨさんが無表情で立っていた。ホラー感が強い。
私のリアクションにも無反応だったガヨさんが、スッと持っていたものを差し出してきた。
「水」
「あ、飲み物持ってきてくれたんですか、ありがとうございます」
実は髪を洗ってる途中くらいから、めちゃくちゃ喉が渇いていた。
地下牢では飲食物は1日2回、しかも最低限しかもらえなかったし、私の「出番」が来たときには緊張で喉がカラカラだったのだ。その緊張を軽く超える緊迫した展開が続いていたので、もはや意識にはなかったけれど喉がとても渇いていた。緊張がほぐれるとともにそれを強く実感していたところだったのだ。
ガラスのコップを受け取ると、思わずグビグビと飲み干してしまった。
水、美味しい。こんなに美味しい飲み物飲んだことないってレベルで美味しい。
あっという間になくなってしまったそれを惜しみつつコップから口を離すと、ガヨさんが無表情でスッとピッチャーを持ち上げた。
さっきまでコップしか持ってなかったのにいつの間に、いや、そんなことどうでもいい。おかわりください。
そっとコップを差し出すと、水が注がれる。それも美味しく飲み干し、3杯目は流石に断った。
「美味しかったです。ありがとうございます」
心からそういうと、じっと私を観察していたガヨさんが小さく頷いてピッチャーをテーブルに戻しにいった。私もコップを持ってテーブルの方に行くと、ティーセットも置かれていることに気が付く。私が風呂ってる間にお茶でもしていたのかもしれない。
「食べ物はまだ」
「あ、食べ物も貰えるんですね。ありがとうございます」
コップと同じ、ガラス製のピッチャーには、まだ8割ほど水が入っている。こんなに惜しみなく飲用水をくれることから考えても、食事も人並みのものがもらえそうだ。服もこんなに綺麗な新品だし、否応にも期待してしまう。
やっぱりいいマフィアは商品管理もきちんとしてるんだな〜。
ちょっとラッキーに思っていると、ガヨさんが今度はティーカップを持ち上げた。
そこには薄青色の液体がなみなみと入っていた。
「飲む」
「えっと……私が、ですか」
こっくり頷かれると、受け取るしか選択肢がなかった。
わー、液体、キレーイ。ネモフィラの花畑みたーい。
「あのー……ちなみに、これは何ですか」
「飲むと眠る」
ガヨさんが簡潔に答えてくれたので、私は笑顔のまま固まってしまった。
やべー薬入りじゃないですか。