異世界に来てからというもの運がものすごく悪い件4
馬車でしばらく揺られてから気付いたけど、私、反対側に座るべきだったのではないだろうか。
マフィアのボスと私が並んでいるベンチは、進行方向側に向いて作られている。進行方向とは反対になる向かい側が下座だろう。ボスが私の隣に座ったのは、ここが上座だったからに違いない。
今更だけど向かい側に座るべきか、もうこうなってしまったからにはひたすら小さくなって耐えるべきなのか迷っていると、グッと腕を引っ張られた。
「しっかり座ってろ」
「ハイッ」
もはや聴き慣れてきはじめた声で、私は小学生にするような注意を受けた。低くて小さい声だけれど、声を張ったらめちゃくちゃ迫力あるんだろうなというのが窺い知れる。背中が背もたれに付いたまま、カクカクと頭を動かす。かなり体が斜めになっているので、じわじわと気付かれない程度に腰も背もたれの方に移動させて体勢を整えた。
「お前、名前は」
「なっ……マエ……名前……あの……ニ、ニッポニアニッポンです……」
咄嗟に付けた偽名とはいえ、マフィアに睨まれている状態で言うのはいたたまれない。このボスオーラと比べると、私を捕まえた人たちはチンピラくらいの迫力しかなかった。彼らが負けたのも頷ける。
「おい」
「ハイィッ!」
「さっき、ユキって呼ばれてなかったか」
「アッ」
さすがマフィアのボス、耳ざとい。
人攫いには呼ばれたくなかった本名だけど、ネイたち女の子には本当の名前を教えていた。このよくわからない場所のよくわからない状況で、それでも誰かに私のことを知っておいて欲しかったのである。まさかそれが今になって命取りになるとは。
ビビるあまり顔を上げてしまった私は、青い目に迫られながら冷や汗をかきまくる。
「アノ……なまえ……どっ……どっちも」
「両方名前か? どちらかは家名か?」
「アノ……ニッポニアニッポンが……苗字……みたいな感じで……」
本当はうちの苗字とは全く関係ない絶滅が危惧されている鳥の学名だけれど、一度名乗ってしまったものは仕方がない。私が苦し紛れにそう言うと、マフィアのボスがグイッとこちらに顔を近付けてきた。
「それは本名か」
こちらの世界のヤバい人たち、本名に拘りすぎでは。自分たちは偽名使ってそうなのに、商品に対しては誠実であれというのか。名前で家柄とか調べて身代金とか取るためかな。私は異世界人なので誰も身代金を払ってくれないんだけども。
嘘ですとも言い切れず、私は震えよりちょっと大きいくらいの動きで何度も頷いた。もはや馬車の揺れと同化しているような私の顔をしばらく眺めてから、マフィアのボスはそうか、と姿勢を戻して正面を向いた。眼力がなくなってホッと息を吐く。
「その名前は今日から捨てろ。いいな」
「エッ?!」
本名を白状させられたのちにそれを捨てろとは?!
私は思わず隣を見上げた。また目があったので素早く視線を戻した。馬車の青い内壁が眩しい。
「異世界人は高く売れるのを知ってるか」
「イイエ?!」
私は再び見上げてしまった。
「この世界にはない組成をしているからな、闇市に落ちれば希少な材料として高値で取引される」
「コワイデスネ?!」
知識とかじゃなく、純粋に物質として需要があった。めっちゃ怖い。
「貴重な異世界人が逃げないために、名前を使って肉体を縛る方法がある」
「アブナイデスネ?!」
どういう仕組みなの。なんか陰陽師的なやつなのか。怖いすぎる。
「だから本名は言うな。家名か名前のどちらかならいいが、両方聞かれるのは命の終わりだと思え。いいな」
凄まれて、私はまた赤べこのように頷いた。
なんだそれ怖い。だからあの人攫いの人たちも執拗に本名を聞いてきたのか。売買したのちに名前も教えることで、逃走防止機能付きという付加価値を付けたかったのだろう。
ていうか今、名前、白状したけど!! この人に!!
褐色の横顔を眺めていると、マフィアのボスがこっちを向いた。
「俺が悪用すると思ったか?」
「思ってナイデス」
首がポキッとなるほど横に振りまくったけれど、思った。正直絶対悪用すると思った。
かなり勢いが良すぎて嘘くさかったと思うけれど、マフィアのボスは「そうか」と言っただけだった。私がどう思っていようが思っていまいが悪用するときはするということだろうか。強者オーラがすごい。
「今後は名前を全て名乗ることは絶対にするな。偽名にするか、少なくともどちらかの名前は絶対に捨てろ」
「ハイッ」
「名前を知っているのは、あの場にいた女らと人売りだけか?」
頷くと、マフィアのボスも頷いた。
「わかった、処分する」
「エッ」
私の頭の中にどこか山奥の光景が広がる。本人にスコップを持たせて掘らせた穴に、背中を蹴って落とすマフィア。丁寧に土を掛けるマフィア。その上に壊れた冷蔵庫を不法投棄するマフィア。
もしくは真夜中の東京湾。何かが入ったコンクリートのドラム缶。ボスの命令でそれを蹴り転がして沈める部下。走り去る高級車。
「あの……ネイは……ネイだけは助けてください……あの……名前……、ニッポニアニッポンは捨てますから……ネイだけは……命だけは……」
「……そのネイって女はお前の名前だけしか知らないんだな?」
「そうです……今日から苗字なしのユキになります……」
ドラム缶の中に入れられる順番待ちをしている自分という想像を必死で振り払いつつ、できる限りの低姿勢でお願いすると、マフィアのボスはしばらくしてから「わかった」と頷いた。
「人売りには苗字のみ名乗ってたのか」
「ハイ……」
「どちらかを知ってるものが消えれば問題ないな」
さようなら、人攫いの皆さん。海コースでも山コースでも恨まないでください。恨むならこのボスを恨んでください。私のせいじゃないです。そもそも私を攫ったあなた方が悪いんです。成仏してください。
心の中で冥福を祈っているうちに、馬車はゆっくりと停車した。