難しいのは仕事だけじゃない件3
「ユキに関わるなっつったろ。何度言やわかんだてめえは」
「俺はただ獲物ちゃんを鍛えてやろうと思っただけだしィ〜、こんな状態じゃいつまで経ってもめんどくせェじゃん?」
唐突に繰り広げられる殺伐とした会話。ひしひしと伝わる張り詰めた空気。そしてサラフさんにしがみついたまま動けない私。頼むから先に私が脱出してからそういうことをやってほしい。ていうかそういう空気は出さないでいただけるととてもありがたい。とはいえサラフさんはロベルタさんが私をビビらせて喜んでいることを咎めているのであって、そのこと自体はとてもありがたい。ありがたいんだけども、もうちょっと穏便にというか、動いても大丈夫そうな雰囲気でやってほしかったというか、サッと離れる勇気が持てるような人間になりたかったというか、とりあえず動けないんですけど助けて。
私が厚めの胸板に顔が熱くなったり緊迫した空気に血の気が引いたりしているあいだに、ロベルタさんが階段を降りきった音が聞こえてきた。近付いてくる音が聞こえてくる。なるべく離れててほしい。ロベルタさん、ニタニタって感じだけどいつも笑顔だし、ひょろっとしているのに怒ったサラフさんの迫力に全く怯まないのが本当にすごい。私にもその図々しさを分けてほしい。
「くだらねえことする前にてめえの仕事をしろ」
「だぁかぁらァ〜、この獲物ちゃんを鍛えてんだってば。こいつが使いもんになれば、囮にして放り込んで一網打尽にできんじゃん?」
「ロブ」
名前を呼んだサラフさんの声が、もう、めちゃくちゃに怒っているのが伝わってくるような響きだった。心なしか、私を支えてくれたサラフさんのお手にも力がこもってらっしゃるような気がする。
あの、お叱りなどはよそでやって頂けませんでしょうか……。いえむしろ私をよそへ行かせてくれませんでしょうか……。
「なァんで怒んの? 今までもそうやって潰してきたんだから、獲物ちゃんにも恩返しがてら手伝ってもらったらいいじゃん? なァ獲物ちゃん?」
「ヒッ」
私に話を振らないでいただきたい。
「俺らは異世界人を狩って商売してる奴らを潰してんだけど、イチバンの大物がど〜しても捕まんないわけよ。獲物ちゃんも総長が長年追ってる奴を捕まえる手伝いしてくれるよなァ?」
「エッ……えーっと……アノ……ヘブッ」
再度話を振られて、答えに困ってるうちに後頭部を押された。サラフさんの着ている上等そうな服に押しつけられて私の鼻が若干低くなる。なんか温度が伝わってきてこれはこれで恥ずかしいんですけど。
「ユキは黙ってろ」
ハイ。
「ロブ。さっさと行け。今日は戻るな」
「……ハーイハイ」
じゃーねーという軽い挨拶と共に、足音が遠ざかっていった。
重苦しい空気と、なんかいい匂いがする体温とで、もはやどういう感情でいたらいいのか全くわからない私は、サラフさんの手が緩んでようやくひとりで立つことができた。大きく息を吸い込むと、久しぶりに呼吸したような気持ちになってちょっとフラつく。ガヨさんが一歩近付いてそっと腕を支えてくれた。そのガヨさんに、サラフさんの厳しい目が向いた。
「ガヨ、しっかり見てろっつっただろうが。危険がある場所では目を離すな。てめえの呪力が遅かったせいでこいつが死ぬとこだっただろうが」
「……ごめんなさい」
「え、あの、ガヨさんのせいじゃないです!」
私が慌てて間に入ると、サラフさんの睨みがこっちに向いた。石になりそう。
「ユキ、てめえも自分の身を危険に晒すんじゃねえ。何のための訓練だ」
「ごめんなさい」
「生き残るための訓練で怪我したら元も子もねえだろうが」
正論である。赤くて怖い人が追いかけてきたからといって、慌て過ぎて躓いたのは半分は私のせいだ。逃げる練習なんだから、焦って転んだら当然失敗である。もし追いかけてきたのが人攫いだったら確実に捕まっていただろう。たまたまサラフさんが通りがからなかったら、大怪我をしてここ数日の努力が泡になったかもしれない。
「今日はもう大人しくしてろ。限界なら限界って言え」
「はい」
そういえばこの鬼ごっこを始める前、カイさんも「余力があるなら」と言っていた。あれは、自分でできるかどうか判断しろということだったのだろう。あのときは何も考えずに、カイさんがもう一度と言ったし息も落ち着いたからやろうくらいの気持ちだったけれど、もうちょっと自分の調子について気をつけるべきだったのだ。
なんだかしゅんとしてしまい、もう一度ごめんなさいと言うと、サラフさんが私の肩に手を載せた。
「次から気をつけろ」
「はい」
「それと、今聞いた話は忘れろ。いいな」
ちょっと柔らかい「気を付けろ」だったのに、「忘れろ」はまた凄みのある声に戻っていた。私が頷くと、サラフさんの手が離れていく。何か返事をすべきか迷っているうちに、サラフさんはそのまま外へと出ていってしまった。




