難しいのは仕事だけじゃない件1
「ユキ、遅い」
「いやガヨさんが速いんだと思います!!」
私に追いついたガヨさんが背中をポンと叩いたので、私はついツッコミを入れてしまった。ゼイゼイと息を切らしながら。
カイさんの指導により、私の日課に護身術が加わった。
護身術というか、逃走術である。より明確にいうと鬼ごっこである。
毎日何度か、ガヨさんという鬼から逃れるために屋敷内を走るというミッションを課されたのだ。そしてそのミッションは今のところ、100パーセントの確率でガヨさんが私にタッチすることによって終了していた。
「ユキは本当に体力がありませんねえ」
屋内とはいえ、15分ほど全力疾走すると疲れる。
朝イチと午前の休憩中の回を合わせると3回目なので尚更だった。疲労困憊で水場に入ると、カイさんが呆れた顔をしながら水の入ったコップを渡してくれた。お礼を言いつつなんとか受け取ると「ドレスが乱れていますよ」と注意も貰う。ちなみに今日の服装は柔らかシフォンブラウスにビロードっぽい紺色の生地で作られたフリフリエプロンドレスである。従業員である私に拒否権はない。
リボンを結び直してヘッドドレスの位置を調節すると、カイさんはよろしいと頷いた。
「屋敷の他の者もあなたを心配していますよ。足が遅すぎるけれど怪我をしているのかと」
「健康です……」
少しずつだけど仕事をしたり、屋敷中を走り回っているせいで、このお屋敷で働く他の人たちとも顔見知りになってきていた。ほぼ全員がマイ棍棒を持っているところからもわかる限り、ここで働く人のほとんどがカチコミ要員というか、戦闘力というか、そんな感じの人たちである。当然運動神経は高い。私が急に角を曲がっても避けてくれるし、パッと見かけただけでも挨拶をしてくれるのはありがたいけれど、彼ら基準からすると私は運動音痴過ぎるようだ。若干憐れみが混じった目で見られている気がしていたけれど気のせいじゃなかった。
「あの、逃げ切るの、どうやっても絶対に無理なんですけど」
「まあ、ガヨは特に素早いですからね。そこは最初から期待していません」
「えぇ……」
私の隣で汗ひとつかかずにいるガヨさんを見ると、無表情で頷かれた。
大学に入ってからの運動不足と地下牢生活で体力が低下しまくっているということに関係なく、ガヨさんの動きは逃走を許さない俊敏性を見せつけていた。
まず動体視力がよすぎる。ガヨさんと向かい合っているとき、フェイントをかけてすり抜けようとしても絶対に動きを捉えられている。おまけに反射神経もいいので、私の目の前から体がズレることがないのだ。フェイントをした方にも動くし、その反対側にもきちんとついてくるのである。バスケ部に向いてそう。
もちろん足も速いので、直線だろうが迂回だろうが必ず追いついてくる。その小さな体はバネ仕掛けなんですかと問い質したいくらいにしなやかで、階段を登るのも速かった。ちなみに実際に問い質したら「違う」と真顔で返された。
15分も鬼ごっこができるのは、ガヨさんが手加減しまくっているからである。おかげで私は、9割の時間をすぐ後ろにガヨさんをくっつけたまま屋敷中を逃げ回っているのだ。残り1割は、追い越して前に来たガヨさんに慌てている時間である。
「足の速さはともかく、任せた仕事は丁寧にこなしていて大変よろしい。ユキが午前中に畳んだ布はとても綺麗でした」
「あ、ありがとうございます」
カイさんは指導は厳しいけれど、ちゃんと褒めてくれていい上司だった。今日は大量のナフキンを畳んだけれど、カイさんが次々にアイロンを当てて渡してくるのでかなり大変だった。でもまだあったかいナフキンを角を揃えて綺麗に折るとピッチリ綺麗に畳むことができてちょっと楽しかったし、無心で畳みまくって全部終わったときは達成感があった。
「飾る花や絵を選ぶのも統一感があって良いですよ。ガヨも見習いなさい」
矛先が向いたガヨさんは、ハイともヤダとも言わずにスルーしていた。ヒヤヒヤしてしまうけれどカイさんは溜息を吐いただけだった。諦め半分だったようだ。
「もしまだ余力があるなら、ユキとガヨはもう一度走ってきなさい。午後はガヨに出てもらいますから、今日の練習はそれで終わりでかまいません」
「わーい嬉しいです……」
「絶望した顔で嘘を言うのはやめなさい」
「わーい地獄です……」
いつもなら食事休憩を挟むはずなのに、まさかの連続鬼ごっこ。ガヨさんが準備万端で私を見つめている。
明日の筋肉痛を確信しながら、私はコップを置いた。
「えーと、次はどこ出発にしますか?」
「上。階段降りる」
ガヨさんが3階を指した。裏もものご臨終確定である。
手すりに掴まりながら、走り疲れて悲鳴をあげている足で一段一段登っていく。途中で2階から降りてくる集団がいたので、ガヨさんと私は壁際に寄って待った。私に気付いた集団が、フレンドリーに挨拶してくれる。
「ユキ、また練習してるの?」
「はい」
「頑張れよー」
「リムさんたちも。いってらっしゃい」
どこかにカチコミのご予定なのか、棍棒を持っている男女がニコニコと笑いかけたり肩を叩いたりして激励してくれた。ここの人たちは大体新参者の私にも優しいので声をかけてくれると嬉しいけれど、ちょっとだけモヤモヤする。
「ユキの分も土産買ってくるなー」
「ありがとうございまーす」
ほとんどの人は、ガヨさんのことをスルーするからだ。
無視しているというより、もしかして見えてないんじゃないかというくらいの反応である。挨拶しないだけでなく、私の隣や後ろに誰もいないかのように視線すら向けないで去っていくのである。
本当に見えていないわけじゃない。何度か昼食に誘われたけれど、私が「ガヨさんもいいですか?」と尋ねると「じゃあまた今度ね」と返された。ガヨさんのことを知っていて避けているようだ。
スルーを貫く人たちに対して、ガヨさんもいつもと同じ無表情で反応しない。
この状態の原因は、ガヨさんが言っていた「呪い」のせいなのかもしれないし、ガヨさんが無反応だからそっとしておいてあげているだけなのかもしれない。入ったばかりの私が口を出すことじゃないのだろうけれど、やっぱり目の前でスルーされるとモヤモヤしてしまうのだ。私に対しては優しい人たちだけに。
「……ガヨさん、手を繋いで登りませんか?」
集団が通り過ぎてから手を差し出すと、ガヨさんがしばらくしてから自分の手を重ねてくれた。一緒に並んで足を踏み出す。
そして並んでいたはずの足並みはすぐにズレた。
「……引っ張る?」
「いえ、引っ張らなくて大丈夫です」
ガヨさんの強靭な脚力、見習いたい。




