世の中物騒だと覚えることがたくさんある件8
自分の部屋に戻っていくサラフさんと別れて2階へ降り、廊下のランプを自力で点ける。
サラフさんアシストのあったときのようにパパッと明るくはならなかったけれど、脚立の1段目に乗り、サラフさんが掴んでいたように左手首を自分で掴みながら力を込めることで火を灯せるようになった。まだまだ歩きながら点灯できるレベルではないけれど、それでも随分進歩したような気がする。
夕食の席で報告すると、カイさんも微笑みを浮かべて頷いてくれた。
「結構。今まで使っていなかったのですから、感覚を知ることが大事なのでしょう。これからも試しながら感覚を掴むように」
「はい!」
「ある程度できたら、護身術も教えましょうか」
「おい」
割って入ったのはサラフさんの声だ。
あれから夕食はサラフさんとカイさんとガヨさんと私というメンバーでなぜか固定されており、ガヨさんはほとんど喋らないので、私とカイさん以外の声といえば大体サラフさんである。
「これに教えるのか?」
「コレ……」
「ええ、知っていて損はありませんから。万が一を考えるとなるべく鍛えておいた方がいいでしょう」
「鍛えてる途中に倒れるだろ」
サラフさん、そんな確信めいた声で言わなくても。
コレだめじゃねと言わんばかりのサラフさんに内心ダメージを受けていると、カイさんが「そんなことはありませんよ」とかばってくれた。優しい。
「ユキ、今まで大きな戦闘経験はどれほど?」
「あの、大きな……というと、どういう感じのものですか」
「複数人を相手にしたり、危険な場所での戦闘です」
それはガチのガチなやつですね。
「あの、ゼロです。たぶん、小さな戦闘? も、やったことないです」
「本当に? 相手が弱っている状態でも?」
「相手が弱っててもないです」
カイさんが片眉を上げてちょっと黙った。
「武術の経験は?」
「ないです」
「武器を扱ったことは?」
「ないです」
「では逃げ方は? 襲われたときや、危険なものに遭遇しそうなときなどの」
「ないです……」
「……」
カイさんの視線が痛い。私は視線をそっとお皿の上に戻した。今日は鳥のモモ肉だ。鶏よりもちょっと小さいけれど、オレンジソースっぽいものとパリパリの皮が合っていて美味しい。
「……まあ、以前に殴ったこともないと言っていましたし、見るからに貧弱なのであまり期待はしていませんでしたが。まだ若いので、多少はどうにかなるかもしれません」
カイさんの私に対する期待がとても下がったことがわかった。ちょっと悲しいけれど、助かった。マフィア基準の戦闘能力が身につくまで帰れません的な感じだったら一生無理だったし。
「まず体力作りから始めとけ。今の状態じゃ走って逃げるのも無理だろ」
「確かにそうですね、ユキはまずちゃんと走れるようになることを目標にしておきましょうか」
体力がないのは地下牢生活のせいで、普通はもっとあったんですよ。普通くらいだったんですよ。
と心の中だけで名誉を守っておいた。仮に体力が落ちる前の状態でもカイさんが求めているレベルには遠すぎる気がするけども。
「ある程度逃走の基本を学んだら、最低限の反撃を教えましょうか」
「無理だ」
「エッ」
逃走の基本ってなんだろうと思っていたら、サラフさんがまたざっくり鋭い一言を放った。
「こいつは抑制が強過ぎる」
「ああ、その傾向はあると思っていました。しかし、軽いものなら」
「無理だ。かなりキツい」
「それほど?」
カイさんとサラフさんが話しているので、私は隣のガヨさんにそっと訊ねた。
「ガヨさんあの……抑制ってなんですか」
もぐもぐと白い頬を動かしていたガヨさんは、飲み込んでしばらくしてから答える。
「自分で自分に禁じてること」
「……えーと、た、例えば?」
よくわからない。さらに訊くとガヨさんは無表情のまま少し考え込んで、それからカトラリーを置いて手でテーブルに触れた。
「ユキ、これ燃やせる?」
「えっ」
「ロウソク点けられるから、ここに火点けたらいい」
「いやそれはダメだと思います」
突然何を言い出すのか。食事中にテーブルを燃やしたら、めちゃくちゃ困るからダメだと思う。ていうか、食事中じゃなくてもダメだと思う。このお屋敷は木材もそこそこ使われているので、延焼間違いなしだ。そんなことになったらさすがに優しいサラフさんでも私を火炙りの刑に処したのちに売り払いそうだ。放火って重罪じゃなかったっけ。
「それが抑制」
「それ……?」
「能力による可能不可能の問題ではなく、倫理や規範によって自らの力を制限している状態のことですよ」
私がまだよくわかっていないままで首を傾げていると、カイさんがフォローをしてくれた。
「ユキはランプの火を灯せるのですから、能力的にはこのテーブルに火を点けることはできますね。この布巾の端にでも火を点ければいいだけですから。でも、ユキは今まで一度もテーブルを燃やしたことがない」
「燃やしたことがないのが普通だと思います」
「そう、それがあなたの中の『普通』なのです。家具を燃やしてはいけない、という観念があなたの中で確固たるものとして存在している。強い観念は能力を無意識に抑制します。だから実際に火を点けようとしても点くことはない」
テーブル燃やすなんてとんでもない、という気持ちが、無意識に呪力を抑え込んでしまうらしい。燃やそうとする行動を取りたくない、という意識的な問題だけでなく、やろうとしたとしても呪力が働かないだろう、ということだった。
呪力はその大きさに比例してできることが変わるけれど、その呪力を宿している本人の観念や倫理観によってもできることが大きく左右されるらしい。
「物を破壊することなどに対しては抑制が強い者が多いですね。最も抑制が働きやすいのは、人に対するものです。ユキ、あなたは人を焼死させられると思いますか?」
「絶対にムリです!!」
私は力強く首を横に振った。想像するのもゾッとする。
「そうでしょう。他者の命を奪ったりするための呪力はほとんどの者が使えません。戦闘経験もないなら、ユキは呪力を使って小さい切り傷ひとつ付けることも難しいでしょうね」
「でもそれって良いことですよね? 私、ロウソク点けるときに間違ってカーテンとか燃やしちゃわないか心配だったんですけど、そもそもそれが出来ないならすごく安心だし嬉しいんですけど」
もしかしたら、呪力を使った点火をするときに気合が必要なのは、そういう心配をする気持ちで無意識に呪力を抑えたりしているからなのかもしれない。離れた場所からランプを灯すのも、狙いを間違えたらお屋敷が焦げたりしないかヒヤヒヤしていたせいなら納得がいく。
他の場所を燃やしたらダメだと思ってることで呪力が危ないことに使えないなら、むしろ安全装置みたいなものだ。今度からカーテン引火の心配をせずに灯りをつけられる。
私がそう言うと、カイさんがヒョイと片眉を上げた。サラフさんが息を吐く。
「だから言ってんだろ。それじゃ反撃できねえだろうが」
「あっ」
そうか。反撃するということは、誰かに攻撃を加えるという意味だから、抑制した状態だと出来ない。だから私には反撃はムリだと言っているのだ。
「あ、あの、危機的状況に陥ったら私でもこう……無意識に反撃するとか」
「したか? あのクソみたいな状況で」
「してなかったですね……」
胡乱げな青い目に、私は反論できなかった。
物語でよくあるのは、魔法を使える人が危ない場面で無意識に魔法が使えたみたいなシーンだったけど、残念ながら私には当てはまらないようだ。
私がサラフさんと最初に会ったのは、人身売買会場での抗争中。あたりが大変なことになっていて、しかも見張りの人に手枷の鎖を引っ張られて尻餅を搗いたりしていたのに、私の中にあるらしい呪力は特に反応しなかったのだ。サラフさんはそれをよくご存知である。
そもそも無意識に使えるんだったら、人攫いに捕まること自体回避できてただろう。
「呪力分けたときにも思ったが、ユキは抑制が効き過ぎてる。お前に攻撃はできねえ」
「オゥ……」
もしまた人攫い的な人に狙われたとしても、私が点火攻撃をしてその隙に逃げるといった行動を取れる確率は、サラフさんの見積もりではゼロのようだ。確かに私もできる気はしない。
つまり私は、呪力強めでなんかの材料に向いている異世界人であり、他の人の呪力ともいい感じに馴染む使い勝手の良さがあって、かつ、呪力で反撃できない人間であると。
いやこれ完全に詰んでない?




