異世界の新生活は知らないことが多すぎる件10
刃渡り20センチくらいのナイフを手にしたサラフさんは、スッとこちらに手を伸ばす。
ケジメなどと称して指を取られるのかと思ったらその手はバスケットに入った果物に伸びた。大きくて暗めの赤色の果物が掴まれて遠ざかっていく。サラフさんはその果物を持ったままナイフで切り始めた。
どうやら果物を切るためのナイフだったようだ。薄々そんな気はしていたけれど、サラフさんの目力が強いせいで物騒に見えてしまった。
「おい」
無事で良かったと指を撫でていると、サラフさんがテーブル越しに果物を渡してきた。
楕円形の果物をくし切りに4分割したものだ。そのうちのふた切れが、褐色の手から私の手へと渡ってくる。
「……あ、ありがとうございます」
半分こしてくれたらしい。まさか本当にしてくれるとは。
くし切りされた果物は、果実が薄黄色をしていた。恐る恐る食べてみると、キウイみたいな味がした。酸味があるけれど、熟れていて甘味の方が強い。
ひとつを食べおわり、もう一つを齧りながら向かい側を見る。
やっぱりサラフさんは親切な人だ。
このキウイっぽい果物は皮が薄い。たぶんわざわざナイフで剥かなくても食べられるものだ。それをナイフを使って、しかも食べやすいくし切りにしてくれている。
じっと眺めていると、青い目がこっちを見た。昼間で明るいからか、昨日より青が明るく見える。やっぱり夏の晴れた空みたいな濃くてはっきりした色をしている。濃い肌の色は中東っぽい印象を与えるけれど、青くて綺麗な目と金髪は西洋人っぽい。
人攫いに捕まえられていたので出会った人は限られているものの、この世界で褐色の肌をした人を見たのはサラフさんが初めてだ。この世界でいうとどのあたり出身の人なのだろう。どうして総長だなんて呼ばれるようになったんだろうか。
しばらく私を見ていたサラフさんが、おもむろに手元の果物を持ち上げた。
「……これも食いてえのか」
「いえそれはサラフさんが食べてください」
おかわりをねだっているように見られていた。ちょっと恥ずかしい。
「じゃあこっち食え」
私が首を横に振ると、サラフさんは代わりに青い果物を渡してきた。ツルッとした皮は丸いままだ。
「これは半分こしないんですか?」
「それは液体だから割ると悲惨なことになるぞ。齧って穴から飲め」
「の、飲むんですか」
小ぶりなみかんくらいのサイズの実は、パッと見では普通の果物に見える。振ってみても液体の音はしなかった。表面を軽くナフキンで拭いてから、齧るように歯を立ててみた。
なんか甘い。ツルッとした少し硬めの皮が割れた場所から、じわっと液体が出てくる。溢れないように慌てて口を付けると、口の中に甘い液体が流れ込んできた。飲むヨーグルトのような、ちょっととろみがついた液体だ。飲み込むとジャスミンみたいな香りがしてすごく美味しかった。
「……美味しいです!」
「そうか」
結構甘いけれど、容量が少ないせいかクドくは感じなかった。丸い本体を傾けて飲み干して、ふた口と半分くらいの量だ。クリーミーかつフルーティー。好きな味だ。
「アッすみません全部飲んじゃいました」
「てめえそれ分けようと思ったのか」
「流石にアウトですよね……」
サラフさんが異様なものを見る目でこっちを見たし、自分でも口に出してから「ないな」と思ってしまった。美味しかったんでテンション上がりすぎました。
常識的なサラフさんは、まるまるひとつくれるつもりで言ったようだ。なのでデザートは結局、私が多めに食べてしまったことになる。サラフさんのホットサンドも私と同じサイズのものひとつだけだった。私は満足したお昼ごはんになったけれど、サラフさんは私よりも背が高くて筋肉質なので満足できたか疑問だ。
「サラフさん、足りましたか? もしまだお腹空いてたら、私が取っ」
ガッシャーン、と何か大きな音が聞こえた。
「エッ」
思わず後ろを振り向いたけれど何もない。どうやら、ドアの外から聞こえたようだ。続いて怒鳴り声みたいなものも聞こえてくる。豪華なこの部屋は、壁もドアもがっしりしていて分厚い。なのにこんなに大きな音で聞こえてくることってあるだろうか。
なになに何なんですか何が起きてるんですかカチコミですか。
振り向いたまま固まっていると、サラフさんがチッと舌打ちしながら立ち上がった。
「もう客が来た。出ると面倒だからてめえはここにいろ」
「えっ、あの、」
「バレると厄介だから騒ぐなよ」
「ハイ、でもあの」
だるそうに腕を回したサラフさんが、棚に置いてあった棍棒を手に取っている。
チョット待ってそれは完全に反撃の姿勢では。
昨日の今日で唐突すぎないか。お礼参りというやつだろうか。外はどうなってるの怖い。
中途半端に腰を浮かせてオロオロしていると、ドアに手を掛けたサラフさんが私を見た。ドアの向こうからはまだ派手な音が響いているというのに、青い目はクールに澄み渡っている。揺るぎない強さがあるように見えるのは、やっぱり実力に裏打ちされた自信があるからだろうか。
「しばらくかかるだろうから、まあ好きに使っとけ。暇なら寝てろ」
サラフさんはそう言ってドアを開け、そして閉めた。たぶん音的に鍵もかけられていた。騒がしい物音と怒声が、しばらくするとぐっと小さくなる。
残されたのは空のバスケットに果物の皮、私。そして豪華な椅子や棚、そして広いベッド。
「……いや、寝れるわけないんですけど」
仮に私の肝が屋久杉のように太かったとしても、マフィア総長のお部屋で布団をかぶってぐーぐー寝れるほど捨て身にはなれない。
誰もいないので、小さく口に出してツッコミしてみた。棚の上の頭蓋骨がこっちを見ている気がした。




