異世界に来てからというもの運がものすごく悪い件2
目が合ったと気付いたとき、濃い青だ、とまず思った。
金髪の間から、とても綺麗な青色が見えている。真夏の、うんと晴れた昼間の空の色。入道雲が映える鮮やかでなんだか懐かしい気持ちになるあの色だ。こんなに綺麗な色の目をした人を、今まで見たことない。
たっぷり10分……ぐらいに感じたけど多分実際には10秒くらい、私はマフィアのボスと見つめ合った。蛇に睨まれたカエルの気持ちをこれほど理解した瞬間はない。
このまま石化してしまうのでは、と思っていたら、「チッ」と舌打ちが聞こえてきて、その瞬間に私は条件反射で顔を下に逸らした。地面を通り越して自分のお腹を見るくらいの勢いだった。薄汚れたワンピースのシミを凝視して現実逃避をする。
「おい」
このシミは、私が付けたものじゃない。このシミを付けた人は今どこでどうしてるのかなあ。その人を買った人が今この場にも来てて、抗争に巻き込まれてちょっと痛い目に遭ってるといいな。
「おい、無視するんじゃねえよ」
「ヒィッ!!」
些細な願い事をしているうちに、長い足がぐわっと倒れた男の人を跨ぎ、そして私のすぐ近くでしゃがみ込んでいた。ヴッと詰まった声が聞こえたのは、しゃがみ込んだその人が仰向けに倒れた人の胸に腰掛けたからのようだ。
さっきより近くなった目がより強い眼力で睨んでくる。
ママママママフィアのおおおボス様がわわわ私めに話しかけていらっしゃったんでございますか。
ものすごい勢いで流れ始めた冷や汗がこめかみを流れるのを感じつつ目を泳がせまくっていると、マフィアボスはおもむろに私へと手を伸ばし、グッと私の両手を引っ張った。手というか、手枷だけど。手枷が重いので痛い。
「クソが」
「すみません」
「あ?」
私が反射的に謝ると、マフィアのボスが圧のある声で凄んできた。喋っちゃいけなかったらしい。すみません。
「いいか、両手ともしっかり握ってろ。手ぇ開いて指伸ばしたらどうなるか……わかるな」
どうなるんですか。
開いてしまった指から順番にケジメ付けられるんですか。日本刀でロシアンルーレットですか。中学生男子がコンパスで指の間をトントンやってたやつのガチバージョンですか。私の手も見張りの人みたいに座布団になるんですか。
思考がぐるぐるしながらもなんとか両手をぐーにして頷くと、マフィアのボスは手枷の片側を掴んで持ち上げ、おもむろに床に打ちつけた。
「——っ」
手首に負荷がかかり、打ちつけた衝撃が床からも伝わり、多分魂が抜けかけた。
何これ怖い。
「おい、しっかり握っとけ」
ブンブンと頷くと、もう一度手枷が持ち上げられる。
ガツンガツンと何度か打ちつけられる手枷にどうにかこうにか両手をついていかせていると、板に嵌められていた金属が片方落ちた。反対にしてもう一度打ち付けると、ガシャっと音が鳴って両手を挟んでいた板がバラけて自由になる。揺らされてぐわんぐわんしている手を慌てて引き寄せた。
手、めっちゃ軽く感じる。あっちこっちアザになってるけど、痛いというかなんか痺れててよくわからないのは良いことだろうか。
もしかして、手枷を外そうとしてくれてたのだろうか。
そっとマフィアのボスを見上げると、ボスは私の手から外れた木の板と金属を拾い、近付いてきていた敵対勢力に思いっきり投げつけていた。
武器が欲しかっただけのようだ。怖い。
「顔上げろ」
低い声で言われた言葉に(さもなくば殺すぞ)とか付いてる気がして、私はハイッと小声で返事をして顔を上げた。
夏の青空の目がじっと見ている。
「異世界人か?」
声を掛けられてハッと気が付いた。うっかり見とれてしまった。
ゴツゴツした指が顎に掛かって、私の意思に関係なくジロジロと顔を見られる。
私を捕まえた人攫いの人たちがよくやる仕草だ。やっぱりこの人もマフィアなんだ。
マフィア様の指の負担にならないようにハラハラしながらちょっとだけ頷くと、ボスはパッと手を離して立ち上がる。
「立てるか?」
私は慌てて立ち上がった。
よろめいたらゴツゴツジャラジャラした指輪だらけの手を差し出されたけど、掴んだらその瞬間に私も見張りの人の横に叩きつけられそうなので頑張って自力で立ち上がる。この舞台上に連れてこられたときよりも足がガクガクしていた。膝がなんかフワフワしている。
「お前の他にも攫われた女がいるな?」
いますいます。頷いた。
「どこにいるか言え」
あっちです。指さした。
言えって言われたけど、私の声帯が仕事をしないから許してほしい。
「おいテメエら!!」
無言だったから怒られたのかと首をすくめたけど、マフィアのボスは私にではなくお仲間の人に声を掛けたらしかった。あちこちから大きい返事が返ってきて、私が指した方へと走っていく。
命令される前に意図を察して部下が走っていくなんて、かなりブラックだ。そしてやっぱりこの人はなんかボスみたいな地位の人なんだ。
手枷もなくなったし逃げられないかと考えたら、その考えを読んだように「来い」と言われた。エスパーでもあるのだろうか。怖い。命令に逆らうのも怖そうなので、悠々と歩いていくその後ろを付いていく。
「どこだ」
階段を降りたところで振り向いてきたのでビクッとしていると、先に歩くように顎で指示された。ビクビクしながら横を通り過ぎ、来たばかりの道を歩く。
さっきは俯いていたから気付かなかったけど、地下の廊下にはドアが色々あった。左側が壁で、右側にドアが並んでいる。ドアの向こうにさらにそれぞれ廊下があるようだ。
場所を間違えたらアウト(人生的な意味で)とかにならないだろうかと怯えつつ、細心の注意を払いながら進んでいく。ここを歩いていた時間は、多分長かった。そう、地下牢から出て開いたドアを通り過ぎて廊下に出たとき、右側は壁だった。だから一番奥のはずだ。
本当に合ってるか心配になりながら歩き、うっすら開いているドアがあったら間違いじゃないか凝視しつつ、一番奥のドアを目指す。
「待て」
「ハイッ」
ハイというかヒャイみたいな返事になったけど、私は後ろから声をかけられた瞬間にピタッと止まることができた。恐る恐る振り向くと、マフィアのボスがおいと近くのドアに声を掛ける。すると部下のこれまた強そうな人たちが3人出てきて、ボスの視線で察して一番奥へと私を追い越して行った。
屈強な足がドアを蹴破り、なんか争う音が聞こえてくる。しばらくすると静かになって、部下の人が「安全です」とこっちに叫んだ。
何が安全なんだろう。この上なく物騒じゃないだろうか。マフィア界の安全の尺度がわからない。
ちらっとマフィアのボスを見上げると目が合ったので、さっと逸らして安全らしい奥へと進んでいく。壊れたドアを避けながら進むと、部下の人が金属の大きな鍵を物理的に壊して牢屋を開けていた。中に入っていた女の子たちが、おそるおそるといった様子で出てくる。その中の一人が私を見つけてパッと笑顔になった。
「ユキ!」
「ネイ」
パッと駆け出したネイは、手枷をされたままの腕を思いっきり持ち上げて腕の中に私をズボッと入れて抱きしめてくれた。
牢屋の中よりはちょっと明るい廊下で見たネイは、深緑色の髪と目をしていた。牢屋の中にいたよりもうんと明るい声で、無事でよかったとかどこかに連れ去られたんじゃないかと思ったとか色々話している。私はその背中にそーっと手を回した。
落ち着いてネイ。私の後ろにマフィアのボスいるから、ちょっと気配消していようよ。うるせえってなったらもう私たちなんか一捻りだよ。生き埋めだよ。首だけ出されて顔中にはちみつを塗られて放置とかされるんだよきっと。カブトムシとか野犬にペロペロされるんだよ。
などと怯えながらも、彼の部下たちが女の子たちの手枷を外しているのを見た。ボスが外したのと同じように、ガンガンと非常に乱暴な外し方だけれど、重たくて不便な手枷を外された女の子たちは涙を滲ませて喜んでいる。私はしゃがんでネイの腕から抜け出し、彼女も手枷を外してもらえるように部下の人たちのところにそっと背中を押して促した。もちろん近付かずに私はここで見守る。怖いから。
できるだけ壁に寄り添いながら、女の子たちを見守る。私よりも年上の20代半ばくらいの人から、どう見てもローティーンと思わしき女の子まで。中にいたときは薄暗かったのでよくわかっていなかったけれど、合わせると40人くらいいたようだ。
きっと、みんな家族が心配しているだろう。出られてよかったね……。
「全員連れていけ」
背後から聞こえた低い声にヒッと振り返ると、部下に向いていた顔がまたこっちを向いたのでサッと視線を逸らした。
連れていけって。連れていくんですか。どこにですか。
よく考えたらマフィア? の抗争に巻き込まれてなんやかんやで私たちを捕まえた人たちが負けていたけれど、それはつまりこっちのマフィアが勝ったわけであって、私たちの自由が勝利したというわけではないのでは。
売買の商品として捕まっていた私たちは、所有権が移っただけなのでは。