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異世界の新生活は知らないことが多すぎる件5

「では、ここの花瓶に花を活けておきなさい」

「わかりました」

「水は花瓶の半分ほどくらいがいいでしょうか。この水差しと鋏を使うように」

「はい」


 ひと回りしてから、カイさんと私は水場に戻ってきた。テーブルの上には色んな形の花瓶が30個ほどあり、そのテーブルのすぐ近くに、桶に入った沢山の花がある。

 カイさんは簡単に指示をすると、別の場所に行ってしまった。何やら別に仕事があるらしいので、戻ってくるまでに済ませておけ、ということだった。


 初仕事が簡単なものでよかった。ピッチャーを流し台に置いて、レバーを何度か上下する。水が溜まったら持ち上げて、まず全ての花瓶に水を注ぐことにした。

 並んでいる花瓶に順番に水を注ぎ、ピッチャーに水を入れ直すのを2回くらい繰り返したときに、ドアが勢いよく開いた。


「あ〜、獲物ちゃんじゃ〜ん」

「エッ」


 やってきたのは昨日会った髪も目も赤い、なんだったら発言もレッドカード寄りだった人だった。ニヤニヤしながら水場の中に踏み込んできて、私の近くまで来る。


「え〜なんで逃げんの〜?」

「逃げてないっす」


 嘘である。逃げている。なぜかというと、赤い人が近付いてくるからだ。ただ近付いてくるのではない。大股でグイグイ、具体的にいうと30センチくらいの距離まで近付いてくるから足が下がってしまうのである。


「逃げてんじゃん〜」

「逃げてないっす。仕事してるだけっす」


 テーブルの周りを回るように横歩きしつつ、私はピッチャーの水をチョロチョロと注ぎながらせめてもの仕事している風を装った。本当ならば全てを投げ出して逃げたいけれど、そんなことしたらあとでカイさんが怖そうなので妥協案である。

 誰か助けて。

 もちろん私の心の声に応えてくれる人はおらず、それどころかピッチャーさえも空になって私の敵に回った。仕方なしに流し台の方へ行くと、赤い髪の人が至近距離でニヤニヤしてくる。さも仕事熱心なせいでレバーを上下させるのに夢中になっているという空気を演出していると、いきなりグイッと肩を組まれた。重い。


「な〜知ってる〜? 異世界人って髪の毛一束だけでひと月分のメシ代になるってさァ」

「そ、そうなんですか、すごいですね」

「そーなの。だからァ異世界人は大体その筋に捕まるとまず丸坊主にされんだよねェ」


 その筋ってどのスジ。ていうか丸坊主って。


「……怖いですね」

「獲物ちゃんはァ坊主にされなくてよかったねェ〜長さあるからまとめて売り付けようとしてたんだろうなァ」

「そ、そうですね」


 異世界で人攫いに捕まってそうそうに丸坊主にされてたら、流石に心折れてたと思う。

 ていうかこの世界での異世界人のハードル高すぎないか。


「髪の毛とか涙とか唾液とかはいくらでも作れるからさァ、出せるだけ出させるんだってェ」

「怖っ」

「血とか皮膚とか取ると弱るからァ、あとはもうまとめてサクッとやるんだってェ」


 サクッと何をやるんですか。怖い。

 私が嫌な想像をしていると、赤い目がニンマリと弧になった。

 ひょろ長い腕がポニテにした私の髪を無駄にいじっている。


「獲物ちゃんはトロ臭そうだからァこっから出たらそういうやつに絶対捕まるよねェ〜……だから出ない方がいいよォ〜」

「でででで出ません」

「ウチは色々狙われてっからァ、この屋敷から出ただけで目ェ付けられるよォ」


 やっぱり強くて大きなマフィアだけに、敵対勢力から下剋上を企まれたりしているのだろうか。コネを使おうとして馬の首を投げたりしているんだろうか。怖い。就職先間違えたかもしれない。

 ヒャヒャヒャと笑う赤い人に指摘されるまで、私はダバダバと水を汲み続けていた。

 ピッチャーからは水がダバダバ溢れていた。


 水が溢れるほど入って重たいピッチャーを持って再び花瓶に注ぎ始めるも、赤い人は肩を組んだまま付いてくる。私の動きに合わせて移動してくれるのが幸いだ。いやこの状況自体が幸いじゃないんだけども。


「ねェ〜獲物ちゃん、いいこと教えてあげよっかァ?」

「……いいことって、具体的にはどういう」

「坊主にされたりヨダレ出し続けるよう強要されたり、体をバラ売りされたりしないようにする方法ォ〜」

「教えてください」


 思ったよりもいいことだったので顔を上げると、赤い人はニヤァと笑った。

 嫌な予感がする。


「呪力が高い人間に本名を教えると防げるよォ〜」

「……ううう嘘だ!」

「えェ〜ひどいなァ〜本当のことなのに疑われるとか傷付くなァ〜」

「スイマセン」


 全ての花瓶に水を注ぎ終わり、床に置いてある桶から花を取る。しゃがみ込んだついでに肩に乗せられている赤い人の腕もさりげなく外してみたけれど、花を持って立ち上がると「そんなに嫌がんなよォ〜」と再び肩を組まれてしまった。バレてる。


「オレ結構呪力強いからァ〜、本名教えてくれたら獲物ちゃんのこと守ってあげてもいいよォ〜?」

「結構デス」

「え〜なんでェ」


 でかいガーベラみたいな花を、1本ずつ花瓶に入れていく。背の高い花瓶にはそのまま入れていって、背の低いものにはピッチャーに水を汲んでその中で茎を切った。他にも何種類か花があるけれど、どれも大体花瓶ひとつにつき1本か2本くらい分ありそうだった。そしてあちこち動き回ってるのに赤い人が離れてくれない。仕事してるんですけど。


「な〜とりあえず本名教えて?」

「イヤです」

「ハァ? なンでだよ」


 いきなり声が低くなったので、私は誤って茎を短く切りすぎてしまった。ヤバい。一番小さい花瓶に入れることでことなきを得るも、近くでガン見してくる視線の圧は減ってくれなかった。


「あの……そ、総長が、名前教えたら、危ないって」

「え〜総長とオレどっち信じるワケ?」


 どっちも怪しいよ!!!

 ピッチャーの水を頭からぶっかけた上で持っている花の茎を一本ずつ鼻に刺す、という想像をしたものの、もちろん実行する度胸は私にはなかった。


「……総長、を、信じます」


 ていうか、アナタを信じる方が難しいッス。という言葉も心の中に留めておいた。

 そもそも、信じられるほど会話をしてないし、初対面の握手でめっちゃ握ってきて痛かったし、いきなり本名言えとか無理な話だった。

 本名をいうと命の危機レベルでヤバいリスクがあると言われたら、誰だってホイホイ本名を言いたくないはずだ。嘘だったら「なーんだ」で済むけど、本当なら悲惨な目に遭うのだから。少なくとも嘘であるという明らかな証拠が出るまでは警戒した方がいいし、そんな証拠なんか誰がどうやっても出せないと思う。


 もし赤い人が私を騙して本名を聞き出している場合、予想される選択肢は2つ。

 ひとつは、私の本名をそのまま告げる。私は総長ことサラフさんが言ってた通りになんか肉体を縛られる的な謎のアレをアレされてしまい、貴重な異世界人として闇市でバラ売りされるエンド。無理。


 もうひとつは、人攫いに明かした偽名である「ニッポニアニッポン・ユキ」という名前を告げることだ。これは本名じゃないので、もし赤い人が私に何かしようとしても不発に終わる可能性がある。しかしこの場合、多分偽名であることがすぐにバレると思うので、嘘を吐いた分だけ酷い扱いをされたりする可能性が大だ。嘘つかなくても酷いエンドなのに、さらに酷いエンドになるだろう。絶対無理。


 どう転んでも救いが見出せないのだから、この人、いやこの世界の誰相手であっても本名は言いたくない。


「……フーン」

「スススイマセン」


 言いたくない気持ちは確かだけれど、睨まれたくない気持ちもまた確かなわけで。

 ヘラヘラ笑いをやめてじっと見てくる赤い人に思わず花束を抱きしめていると、突然ドアが勢いよく開いた。ここの人たちドアは大きい音を立てて開く決まりでもあるのだろうか。


「何をやってる」


 ゴロゴロと響く雷のような声を発したのは、ヤバそうな雰囲気をふんだんに醸し出しているサラフさんだった。不機嫌そうな表情にこちらを射抜きつつ見下ろすような視線。私の脳裏には自然と「鬼の総長」という単語が浮かんできた。


「あっれェ〜総長なんでこんなとこにいんのォ? 殴り込みは?」


 いま赤い人が殴り込みって言った。


「中止だ。お前は何してる」

「獲物ちゃんと親交を深めてるとこ〜。ねェ?」


 ちがいます。カツアゲです。いやカツアゲでもないんだけど。

 今までのコミュニケーションが親交を深めるための行為だったとしたら、私はこの世界で正常な人間関係を構築する自信が全くない。あと組んだ肩からグイグイ体重を掛けられて重い。

 避けようと足を踏ん張りつつ、私は不機嫌そうなお方を見上げた。青い目と視線がかち合ったので祈っておく。助けてください。






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