異世界の新生活は知らないことが多すぎる件3
「………………」
いや。
朝食は美味しかったんですけど。
大きいソーセージまたは小さめのハムみたいなのを厚切りにして焼いたやつと、ザワークラウトみたいなのが載ったパン。それと夜中に飲んだものと同じ柑橘系なジュース。
久しぶりのまともな食事に、ガン見してくるガヨさんも気にならない勢いで食べたんですけども。
「ガヨさん……」
なぜ、用意された着替えが、なんでフリルたっぷりめのドレスなんでしょうか。
食事を終えてから渡された服は、薄めのレモンイエローの生地にブルーベリーに似た果実と花と葉っぱが刺繍されたドレスだった。ドレスといっても胸元や背中や腕が出ているものではなく、首元にフリフリ付きの襟があり、パフスリーブの袖が肘まで隠し、さらにエプロンもついている。スカートもやたら布の量が多いけれど膝下まであった。言うなればカラフルなメイド服。ついでに足元はレースの靴下に足首を隠す丈の編み上げブーツである。
カイさんの趣味……?
ガヨさんに着方を教わりながら着替えつつ、私の頭にはそんな疑問が浮かび続けていた。
もしかして、私が地下牢生活しかしていないせいで知らないだけで、こういうフリフリを着るのがスタンダードな世界なんだろうか。文化のギャップがすごいんですけど。
「あの、ガヨさん。こういうフリフリの服って、この世界では普通なんですか」
「普通じゃない」
望みが絶たれた。じゃあなんでこんな服用意されてるんですか。
ていうかガヨさんもゴスロリドレスなのはなぜ。
勢いで質問してみると、ガヨさんはわずかに首を傾げてからこういった。
「敵が油断するから」
マフィア——!!
いたいけな可愛いゴシック少女と思わせておいて、油断した敵をブスッとやるんですか。いや、ガヨさんは棍棒を持ち歩いているから、ブスッじゃなくガスッとやるんですか。
ていうか敵って何。私も棍棒を持たされるのだろうか。
フリフリ服は、デザイン自体はとても可愛い。ガヨさんについてはまあ、ぱっと見ゴスロリで可愛いという油断を誘えると思うけれど、私もそうなるかというとかなり疑問だ。なんだコイツ的な油断を誘えたとしても、この衣装を着て動くのは簡単ではない。なんかフリフリが邪魔だし、布の分普通の洋服よりちょっと重い気がする。今まで地下牢でペラいワンピースで過ごしてきただけに余計に。
不安だらけのままで身なりを整え、ガヨさんと一緒に部屋を出る。朝食を載せていたカートを押していたので、私が代わりを申し出た。片手に棍棒、片手にカートは大変そうである。物騒だし。
「ガヨさんも、えーと、私と一緒に過ごすんですか?」
「仕事がある。今日は3人」
「そ、そうですか。大変デスネー」
「簡単」
ガヨさんは3人を相手に、どんな簡単な仕事をするのだろうか。聞きたいような聞きたくないような気持ちで廊下を歩く。階段の前でカートをどうするのか訊いたら、ガヨさんは片手で持ち上げて降り始めた。
「……」
もう何が起こっても大体怖くない気がしてきたぞ。
「ユキはあっち」
何事もないかのように階段を降り終えたガヨさんが、棍棒で奥を示す。
ガヨさんは、と尋ねると棍棒が反対の方を示した。
ここからは別の方向に行く、という意味のようだ。
「じゃあガヨさん、また。いってらっしゃい」
無表情でじっと見上げたガヨさんが、頷いてから歩き出す。
姿が見えなくなるのを見送ってからガヨさんの教えてくれた方向に歩き出そうと向きを変えると、すぐそこにカイさんが立っていた。
ここの人たち、気配消すの上手すぎない? マフィアの入社試験とかにそういうテストあるの?
慄きながら見上げると、青緑色の髪をさらりと揺らしながらカイさんがこちらを見下ろした。
「随分遅かったですね」
「スイマセンでしたっ!」
「まあ、いいでしょう。サイズも合っている。回って」
「まわって?」
カイさんが人差し指で空気を掻き混ぜるようにくるりと回したので、敏感に意図を察知した私はその場で回転してみせた。布量の多いスカートがふんわり広がって落ち着く。
「良いでしょう。リボンも綺麗に結べている」
「ガヨさんが手伝ってくれたので」
「ただし髪が良くない。伸ばすにしても結ぶにしても手入れしなければ。自分で結べるのでしょうね?」
「アッハイ、簡単なのなら……あの、髪ゴムがあれば」
「支給しましょう」
カイさんがジャケットのポケットに手を入れ、そして紐を取り出した。3本。ゴムではなくて革紐みたいなものだったけれど、髪用にくれたようだ。ポケットに髪用の紐が常備されているのだろうか、この人。エプロンドレスを選んだのもカイさんで間違いない気がしてきた。
「あの……カイさん」
「何です?」
「こ、この服ってその、」
「私の趣味です」
「エッ」
表情を崩さないままのカイさんと、しばし見つめ合う。
「趣味ですが、何か?」
「…………イエ」
「不満でも?」
「ナイデス…………」
こうも堂々とされると何も言いようがなかった。
フリフリ、お好きなんですね。お好きなら支給する服に私情が入っても仕方ないですよね。ガヨさんの衣装もきっとカイさんがプロデュースなさったんですね。
「ヘッドドレスは白がいいでしょう」
「え……」
「何です」
「なんでもないです」
ヘッドドレスって初めて付けるんですけど。付け方教えてくれるだろうか。ガヨさんに聞いておけばよかった。
「手袋も用意させますが、その前に」
カイさんが言葉を区切って顔を上げた。同じ方向を見上げると、階段の上から強そうな人が悠々と降りてきている。
コートに袖を通しながら最後の一段を降りたサラフさんが、青い目でこちらをジロリと見た。
今のは前髪が鬱陶しくて顔を顰めただけだよね。「なんだコイツら絵面がうるせえ」とかでイラっとしたわけじゃないよね。
半ば祈りつつ立っていると、長い足がこっちに向いて歩き始める。やばい近付いてきた。
そしてよく考えたらちょっと気まずい。トイレを借りたりジュースもらったり泣いたり職をもらったりしただけに。
立っているとより威圧感のある、スタイルのいい姿を見上げていると、相手もじっとこっちを見ているのに気が付いた。
私は慌てて頭を下げる。
「お、おはようございます」
「ああ」
そっと顔を上げると、まだサラフさんはこっちを見ている。
ここは昨日のお詫びとお礼も言うべきなのかと迷っていると「おい」と声を掛けられた。背筋を伸ばしてハイッと返事をする。昨日1日で返事のスピードだけは上達した気がする。
「嫌なときはちゃんと嫌って言え」
「ハイ……?」
「カイ、てめえの趣味も大概にしとけよ」
「心外ですね。私は似合わないものは渡しませんが」
どうやら、サラフさんから見てもフリフリはちょっと普通じゃないようだ。よかった。この服装がデフォルトの国じゃなくて本当によかった。
マフィアの睨みを食らっても飄々としているカイさんに、総長さまはチッと舌打ちをしてからそのまま玄関の方へ歩いていった。どこからともなく現れた部下の人たちがもれなくついて出かけている。
私がカイさんに顎で促されて「いってらっしゃいませ」と声を掛けると、サラフさんはチラッとこっちを見てからドアを開けて出ていった。全員が出てパタンとドアが閉まると、また静かな空気が戻ってくる。
「嫌なのですか?」
「えっ?」
「もしどうしても嫌だと言うのなら、別の服も用意しますが」
「えっと……」
「もし、どう足掻いても嫌だというのなら、今からでも着替えを用意しますよ」
圧を感じる。
「……あの、ちなみに着替えとはどういった感じの?」
「そうですね。真っ赤なものもありますが、白襟をつけてもあなたには色味が合わない気が。ガヨと同じ黒もありますが、あれは丈が短く」
「いえ大丈夫です今のやつがベストだと思います着替えしなくていいです」
「そうですよね。私の目に狂いはありません」
どう足掻いてもフリフリの気配がしたので、カイさんの申し出は丁重にお断りしておいた。多少リリカルな感じはするけれど、真っ赤なフリフリとか、ミニスカのフリフリとかよりはまだマシだ。たぶん。
かわいい制服のカフェだと思えばいつかは慣れる……かもしれない。




