異世界の新生活は知らないことが多すぎる件1
朝、目が覚めると、至近距離にゴシックな人形がいた。
「ヌッ……?!」
起きて早々心臓が止まりそうになっていると、大きな黒目がスッと下がっていく。
揃えて切られた前髪にヘッドドレス、ストレートロングの黒髪にゴスロリ衣装。
人形じゃなく、ガヨさんだった。
「……お、おはようございます……」
まだ暴走している心臓を押さえつつ上半身を起こす。
気が付くと天蓋付きベッドのカーテンが全て開けて結ばれ、明るい朝日が窓から入り込んでいた。いつの間に開けたんだろうか。開けても起きなかったから観察されていたんだろうか。
私がベッドの端から足を下ろすと、ガヨさんは無表情でテーブルの方へと歩いていった。昨日見たものとは違うティーポットがある。ガヨさんはそのティーポットにお湯を注いでいるので、私は一人で洗面所へ行くことにした。
入ってすぐに目に入る大きな鏡には、目の周りがちょっと赤く腫れている自分が映っていた。昨夜はいっぱい泣いてしまったので顔を洗ってから寝たけれど、冷やし足りなかったようだ。顔を洗いつつ瞼のあたりを冷やして目尻のあたりをちょっと揉んでから、左側にある壁に近付く。
昨日の総長……サラフさんの部屋の構造から考えるに、この部屋のトイレはここにあるはずだ。近寄ってじっくり見ても、壁紙を指でなぞってみても切れ目が見つからないけれど、たぶんあるはず。
真ん中を両手で押してみたり、そのまま横にスライドさせようとしてみたり、昨日のサラフさんのように片手で触れてみたりしたけれど、びくとも動かない。
もしかして、やっぱりこの部屋にはトイレが付いてないのでは。
そう思いながらふと振り返ると、ガヨさんが無表情で私を眺めていた。
「が、ガヨさん、足音静かですね」
「消してる」
「えっ」
小さく頷きながらの返答に思わず二度見してしまった。わざとだったの。ていうか忍びなの。やっぱり監視しているからにはそういうスキルも必要なの。
「え、えーっと、あの、トイレに行きたいんですけど……昨日、あの……総長さんのお部屋でトイレを借りたので……この辺にあるのかなって……」
言ってから、総長云々は言わなくてよかったんではと思う。
ガヨさんが「うちの総長に何さしとんじゃワレェ」とキレないか構えつつガヨさんの動向を窺っていると、ガヨさんは再び頷いた。
「知ってる」
「えっ?! そ、そうなんですか?」
「外の仕事終わらせて戻ってきたら、ユキが廊下で総長と話していた」
私が切羽詰まって歩いていた姿をどこからか見られていたらしい。早く声掛けてくれたらよかったのに、と思ったけど、仕事終わりだったらそんなことを言うのはよくないかもしれない。
ていうか夜にやる外の仕事って何。月のない夜は気をつけろみたいなやつだろうか。この世界月があるかは知らないけど。ガヨさんは私よりも若いように見えるし女の子なので想像が難しいけれど、やはりマフィアとしてしっかり仕事をこなしてるんだろうか。棍棒太いしな。
私は「夜勤お疲れさまです……」としか言えなかった。ガヨさんは頷いていた。
ガヨさんが壁の前に立つと、片手を伸ばして左上のあたりに手を当てた。
すると昨日と同じように長方形に壁が浮く。開かれた向こう側には、薄ピンクの壁紙のトイレがあった。
どういう仕組みなの。ガヨさんが触った位置周辺も触ったはずなのに、私がやっていたときはただの壁紙だった。
「あの、ガヨさん、今のどうやったか教えてくれませんか?」
トイレのドアくらい自分で開けられるようになりたい。
お願いすると、ガヨさんは小さく頷いてトイレのドアを閉めた。ドアが壁に同化する。
それからガヨさんは、私の方を見ながら再び左手を上げた。
「この辺に手を当てる」
「手を当てるんですね」
「呪力を注ぎ込む」
「なるほ……なんて?」
今なんて言ったの?
「ガヨさん……じゅ、呪力ってなんですか。ちょっと私聞いたことないんですけども」
「魔力とも呼ぶ」
「どっちも私の人生とはご縁がなかった言葉ですねー……!!」
私が言うと、ガヨさんは小さく頷きながら「縁なさそう」と呟いた。せつない気持ちになった。
なんですかこの異世界。そんな呪力とか魔力とかやべー感じの能力がないとやっていけないんですか。無理ゲーなんですけど。
軽く絶望していると、ガヨさんが私の左手を持ち上げた。ガヨさんの右手に載せるように手のひらを上にされ、ガヨさんの左手のひらが私の手のひらと重なる。
なんだろう。新手の握手だろうか。
「……ん?」
ガヨさんの手と重なっている手のひらが、なんかムズムズする。
くすぐったい、まではいかないけれど、なんだか手のひらの真ん中くらいにモヤモヤとした感触があるような気がした。輪ゴムを真ん中に置いて指でやんわり動かすとこんな感じかもしれない。
しばらくモヤモヤを感じたあと、ガヨさんが私の手を放した。感触があったところを見ると、黒い模様がついている。
その模様は、全体で5センチくらいのサイズだった。
細長い楕円を8個円形に並べたような図形で、花模様のようにも見える。




