衣食住環境の落差がすごいことになってる件7
「いずれ知るだろうから、先に言っておく。ここへ来た異世界人は、元の世界には戻れねえ」
え、と出したはずの声は、涙が滲んでいるせいか吐息だけにしかならなかった。
「例えば異世界を渡る力があったとしても元の世界には戻れねえ。理由は知らん。死にかけた瞬間にこの世界に来るやつが多いのが関係してるといわれているが、とにかく帰れたやつはいねえ」
「……じ、じゃあ、私も帰れないんですか。お、お父さんとかお母さんとか、友達とか」
ハンカチに吸い取られたはずの涙が、あっという間に溢れてきた。
「もう会えないんですか……」
「……諦めるしかねえ」
色々問い詰めたかったけれど、お腹と喉が震えて、もうそれ以上は何も喋れなくなった。
もう会えない。
なぜか、はっきり言ってもらうまでそんな実感が湧いてなかった。異世界に来れたんだから帰れるんじゃないかって心のどこかで思っていた。生きてるんだから、そのうちまたどうにかなって、いつも通りの日常にある日突然戻れるんじゃないかって思っていたのだ。
もう無理なんだ。やりかけの課題も、大学の図書館から借りたままの本も、家族も友達も、日本の街並みもネットも音楽も。もう二度と帰れないんだ。
しゃっくりが苦しくて声が勝手に出て、そうしたら止まらなくなった。もう二十歳になるのに私は声を上げて泣き出してしまって、そのまま身体中に染み渡ったような悲しみにまかせてずっと泣き続けた。
どれくらい泣いていたのかはわからないけれど、 一生なくならないと思えるような悲しい気持ちを出し尽くしたような感覚になったのだから、相当長く泣いてたと思う。声もなくしばらくしゃくりあげて、それからぼーっと思った。
総長さん、私が泣いてる間、ずっと隣で座ってた。
うるさかっただろうに、しつこいくらい泣いてたのに、たまに「お母さん」とか言ってたのに、何も言わずにいてくれた。
部屋出てってから泣けとか、さっさと泣きやめとか、言ってもいい立場なのに。
まだ横隔膜がひくひくするまま、そっとハンカチから顔を離す。俯いたままの視界は残っていた涙をこぼしてから、その端っこに横で組まれている長い足を映した。
もう一度、柔らかな肌触りのハンカチをぎゅーっと顔に押し当ててから、私は顔を上げる。
「そ、総長さん」
ちょっと鼻声になってしまったけれど、青色の目はこっちを向いた。鋭くて迫力があるその眼差しに目を逸らしたくなってしまうけど、グッと堪えて息を吸った。
「あの、わ、私をここで働かせてくれませんかっ!」
攫われて競売にかけられていた身でさすがに身の程知らずとは思うけれども。
「あの、なんでもしますから」
「何でもするとかいうんじゃねえよ。昼間言ったのを忘れたのか?」
「スイマセンッ」
凄まれたので私の度胸は秒で萎えた。
異世界人は、貴重な材料だかなんだかになると言っていたなそういえば。
何でもすると言っちゃったけど私もさすがにそういう「何でも」は遠慮したい。コマネズミのように働くならまだしも、コマ切れにされて働くのは遠慮したい。是非とも。
でも、この人は、地下牢から豪華な部屋に連れてきてくれた。
一番知りたくなくて、一番知りたかったことを教えてくれた。
「でっ、できるかぎり頑張りますから……」
そうやって注意してくれたり気を使ってくれるということは、この人は、私を材料として使わないつもりじゃないだろうか。もしそうなら、私にとってここが一番安全な場所だ。この人やこの人の部下がどれだけ恐ろしい集団なのかはわからないけれど、地下牢から出してくれたことは確かだ。例え建造物に穴を開けたり、派手な抗争で沢山の人を倒していたりしても、私は競売にかけられることなく、お風呂に入れたしベッドで眠れた。
どこかに売り飛ばされたとして、ここよりいい環境になる確率はどれくらいあるだろう。
競売にかけられるのが怖いなら、そうならないようになればいい。
私は立ち上がってコップを棚に置き、総長の正面に立った。青い目をしっかり見据えてから、ふかふかのカーペットに膝と両手を付き、そして額も押し付ける。
「総長さん、どうかお願いします!! ここで働かせてください!」
「おい……」
人攫いに捕まったとき、私は何もできなかった。売られそうになっても、流されるままだった。このまま流されてまたどこかに行くのは嫌だ。
せめて後悔しないように、私ができる範囲では自分で決めたい。




