異世界に来てからというもの運がものすごく悪い件1
あーあー、異世界転移ってクソだなー。
「おい、出番だ。さっさと出てこい!」
棍棒で檻をガンガン鳴らすの、ほんとやめてほしい。デカい音怖い。
うるせーとか言ってみたいけど、いざ自分の身に危険が迫ると、ビクビクすることしかできなかった。地味に辛い。
手首を固定する穴の空いた2枚の板、それを固定する両側の金属。それだけでも重いのに、さらに鎖とか付いてるからもはや痛い。両腕をくっつけながら胸元に持ってくるように板を持ち上げると、手を下ろしていたときと力のかかる場所が変わってちょっとラクになった。バッサバサになった長めの髪をかきあげることもできないけど、むしろ視界が狭くていいくらいだ。
とうとう私の番が来た。
これが初めてだけど、どんなことになるのかくらい予想はついている。
私が異世界転移らしきものをしたのは、今から1ヶ月くらい前のことだった。
バイト帰り、明日の給料日を楽しみに歩いていた夜道で、突然トラックに轢かれたのだ。
そして目が覚めたら草原で寝ていた。
いや、今時トラック転生って。
ネタ使い古されすぎ。
遠くに見える近世ヨーロッパみたいな街を眺めながらそう思っていたら、なんか如何にも悪いヤツですみたいな奴らに捕まり、身ぐるみを剥がされてボロいワンピースを着せられ、街のどっかの地下牢みたいなとこに入れられた。その地下牢には私の他にも女の子が沢山いて、なんか色々察した。
私が読んでた異世界漫画では、聖女とか言われてなんか王子とかいて、でもなんか虐げられたりして、なんやかんやでいい感じになってたのに。
いや、本当にいい感じになったのかはわかんなかったな。無料分しか読んでなかったから。こんなことなら課金すればよかった。あの人の絵柄好きだったのに。
地下牢に入れられながら、なんかすごい力が湧いてきて治癒とか破壊とかできないかと思ったけど、もちろんできなかった。転生じゃなくて転移だったせいかも知れない。なので私は他の人たちと一緒に冷たい地下牢で寄り添って眠り、マズくて貧しい食べ物を食べ、取り調べされたり呼ばれたりするたびにビクビクしながら生きてきた。
現実って厳しい。
「さっさと出ろ」
「ユキ」
私の1日後に入ってきた、一番仲良しだった「ネイ」が、泣きそうな顔で私を見上げる。大丈夫だよとか言いたかったけど、足はガクガクだし涙出そうってかちょっと出てるし、どうにか笑顔のようなものを浮かべるだけで精一杯だった。
ネイと一番仲良しだったのは、私よりも先に入っていた女の子たちがみんな先に「出番」がきてしまったからだ。誰も戻ってこない。ここでどう大人しく過ごしてればいいかとか、具合の悪い時はどうするかとか、誰かから教えてくれた人たちは、みんなどこかに行った。私も教えてもらったことをネイや新しい人たちに教えて、出番が来たのだ。
本当は逃げ出したいけど、殴られたら怖いから、歩くしかない。
このまま行くのも怖いけど、どうにもできない。
前を歩くゴツゴツした男の後ろを歩いて階段を登ると、舞台裏みたいなとこに出た。ざわざわと聞こえてくる大勢の気配にゾッとする。
やっぱり見世物になるのか。それとも売られるのだろうか。エロオヤジとか、娼館とか、ピラミッド建設の現場とかに。3択ならピラミッドがいいな。いやむり。肉体労働とか1日で無理ってなる。
……もしかして、ここでマグロみたいに解体ショーとかされないよね? 舞台がよくわからない黒ずみで光ってるとかそんなことないよね? 入札順に希望部位とかなんかそういうの、小説で見たことあるような。なんか裏社会で、なんかそういう。
私が怖気付いていると、袖にいた小太りの男が私をジロジロ見ながら手元の紙に何かを書き付ける。
「おい、名前はなんて言った。きちんと答えろ」
「……ニッポニアニッポンです」
「チッ、異世界人はややこしい名前をしてやがる。管理も厄介だし高値で売れなきゃ承知しねえぞ」
私は理不尽なことを言って舌打ちをした男性から目を逸らしつつ、その名前は日本でもややこしい名前ですよ、心の中で呟いた。
この世界で私にできた、ただひとつの反抗は、せいぜい偽名を名乗ることくらいだった。
本名を名乗れと脅されたけど、こんなところで、こんな奴らに名前なんて呼んでほしくなかった。だから咄嗟に思いついた言葉を言った。なんでニッポニアニッポンなのかわからない。絶滅を危惧してほしかったのかもしれない。残念ながら、そういう気持ちは伝わらなかったようだけれど。
背中を強く押されて、ザラザラの舞台に押しやられる。どうやら黒いシミはなさそうなのがちょっと救いだった。舞台には灯りがあって見張りっぽい男の人たちが立っているだけで、他には何もない。こちらを見上げている観客は、満員で気持ち悪かった。
みんな帽子を被り、布で鼻から下を隠している。そのせいか、ギラギラした目がこっちを見ているのが余計に強調されている気がした。変な熱気があるような気がして気持ち悪い。
ああ、売られるんだな。
どうなるのかな。
どういう人が買うのかな。
どう見ても違法な売買だし、まともな人じゃないんだろうな。痛いことされないといいな。怖くないともっといいけど。この世界に来てから怖くなかったことなんかないし、無理かも。
危ない目に遭ったら、もう一回転移して帰れないかなあ。
髪の毛で視界を塞ぐように一生懸命下を向いていると、いきなり爆発音がした。
ビクッと飛び上がってしまい、髪が揺れて観客席が見える。
大きな音をした、舞台から一番離れた場所が、なんか妙に明るい。なんでだと思ったら、大きな穴が空いていたからだった。今は昼間だったようだ。日光が差し込んでいる。
その丸い明かりの真ん中に誰かが立っていて、ゆらっと動いた。
「全員潰せ!!」
「えっ」
ここまで響く大きな声と同時に、たくさんの人が入ってくる。
えっえっ何、抗争?!
シマ争い?!
ていうかなんで今?! もうちょっと前とか、なんだったら後でもいいのに!!!
タイミング!!
私があっけに取られている間に、外から入ってきた人が片っ端から攻撃し始め、観客は逃げ惑って押し合いへし合いし、こっち側の陣営の人は叫びながら仲間を集めて応戦し始める。慌てて舞台裏に逃げ込もうとした私は、見張りに立っていた男の人に鎖を引っ張られて尻餅をついた。
「おいてめえ、逃げるんじゃねえ殺すぞ!!」
逃げようとしてません!!
いやしてたけど脱走じゃなくてこの抗争からの逃走であって、流れ弾とか来たら怖いから地下牢に戻ろうとしただけです!!!
もちろん私には剣を抜いている見張りの人にそう言い返すほどの度胸はなかったので、私は尻餅をついたままじっとしているしかなかった。
じわじわと観客席から遠ざかりつつ、背中を丸める。
見張りの人にカッとなられて袈裟斬りにされたくはないんだけど、舞台の真ん中で座り込んでるのもかなり危ないのでは。こんなことならゲス親父に売買された方がマシだった。暴力で死にたくない。
吠えてると形容する方が正しいような叫び声と、荒々しい物音にビクビクしながらじっとしていると、ダン、と大きな音がして座っている舞台の床が揺れた気がした。
私の手枷に付いている鎖が音を立てて落ちると同時に、それを持っていた見張りの人が何か叫びながら大きな音をした方に剣を振りかぶる。
ドクドク動く心臓でなるべくじっとしていると、血飛沫が飛ぶ代わりに、大きな音がして見張りの人が舞台に叩きつけられた。仰向けになったゴツゴツした手が私の膝に当たりそうになって、ヒッと喉が鳴る。
さっきまで私を脅していた見張りの人は、叩きつけられたままピクリとも動かなかった。刺青のある腕も転がった状態のままで、足も投げ出されている。顔がちょっとこっちを向いていて、白目を向いているのが怖い。
じわじわと顔を上げていくとその倒れた体の先に立っている脚が見える。そーっと視線を上げると、私を見ているその人と目が合った。
筋肉の付いたがっしりした背の高い体に、着崩したシャツの間から見える刺青の入った褐色の肌、金色の髪。首元にはネックレスが光っていて、棍棒を持っている方の手にはゴールドのブレスレットが二重に巻かれている。武器を持っていない手にもゴツゴツした指輪がいっぱい付けられていた。
そして、前髪がかかっている鋭い目は、私を虫ケラのように見下していた。
やばい。
これは完全にマフィアのボス。