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目覚ましのアラームを止めたことまでは覚えている。
半覚醒の状態で手さぐりに操作してアラームの機能をオフにした。それですぐにベッドから出ればよかったのだが、りうはそうしなかった。もう少しだけ布団の中でまどろんでいたかったからだ。アラームは一度切ってもすぐにまた鳴りだすように設定してある。
――二度目が鳴ったら起きよう。
りうはそう心に決めて、体温でぬるまった掛布団の中に潜り込み、頬にあたる枕の感触に溺れた。意識はすぐに遠のいていった。
二度目のアラームは鳴らなかった。
いや正確には鳴っていたのだが、りうの記憶からは抹消された。次にりうの脳が記憶を再開するのは掛布団を妹によって力任せに引きはがされた瞬間からだった。
「おねえ、起きなーっ!」
「…………いいいい……肌寒い……」
突如として楽園から放り出され、冷たい空気がりうを包む。パジャマ姿のりうは先ほどまでの快適な温度を少しでも逃がすまいと、ベッドの上で膝を抱え赤子のように丸まった。
「遅刻するぞっ」
「ぬあぁっ!」
裾がめくれ無防備に肌が露出した腰のあたりを強めに叩かれ、りうは勢いよく体を起こした。
「なにすんだよぉ。跡が残るだろぉ……お嫁に行けなくなる……」
「はぁ? なにそれ。バカみたい」
「うきちゃん、朝から冷たくなくない?」
「冷たくなくなくない。起こしてあげてるだけでも感謝してほしいから」
りうの妹――うきは腰に手を当てた姿勢を取ると、いまだベッドに寝転がったままのりうを見下ろす。皺だらけのパジャマで寝起きの微睡をだらしなく甘受する姉と違って、うきは既に制服へと着替えを済ませていた。姉妹は年齢が三つ離れていて、りうが今年高校生になったように、うきは今年から中学生になった。新品の制服は成長を見越してほんの少しだけ大きい。
「……制服、似合うね」
「なにそれ」
りうの感想にうきはそっぽを向いてつまらなそうにこたえた。その頬には僅かに赤い。照れているらしい。そのことに気づいてりうはベッドから降りるとうきを背後から抱きしめた。
「なっ、なにすんの!」
「ふふふ、愛い妹め」
りうは心の底からそう感じながら、思いが伝わることを願って両腕に力を入れる。
「ちょ、やめて! ギュッとしないで! 制服が皺になるでしょ!」
「うーむ、なかなか活きが良いぜ」
腕の中でジタバタと暴れる妹をしばらく堪能した後で、りうはうきを解放した。
「ばかおねえ!」
解放されたうきは服についた埃を大げさにはたく。りうを睨みつける視線は鋭いが、本気で怒ってはいない。それでもりうが謝ると、うきはわざとらしい大きなため息をつき「顔ぐらいさっさと洗いなよね!」と告げて部屋を出ていった。
「さて……」
妹とのスキンシップのおかげですっかり目を覚ましたりうは壁にかかった時計を確認する。二度寝したとはいえ急がなければ遅刻するというほどでもない時刻だ。
「んー……」
僅かに残った眠気を背伸びで散らしていると、開けっ放しのクローゼットが目に入った。周りには収納ケースやら中身の詰まった紙袋やら衣類やらといったクローゼットの中身が引っ張り出され、乱雑に積み上げられている。それは昨晩の長い格闘の痕跡だった。
そうして、手前にある新しいものをどかし、詰め込まれた過去を遡っていった奥の奥。無数のガラクタをかわした先に見つけ出した戦利品は今、りうの勉強机の上に置かれていた。
B5ノートくらいの大きさで、先端に球体のついた八方向レバースイッチと上下に三つずつ並んだボタンスイッチが左右にわけて取り付けられたそれは、格闘ゲームなどに使われる専用のコントローラーだった。
そのコントローラーは、かつてゲームセンターなどのアーケードで使用されていた筐体に備え付けられていたものの形を模していることから『アケコン』という通称で呼ばれていた。もっともそう呼びはするものの、りうの時代には家の外で遊ぶ格闘ゲームは絶滅状態で、アーケードで使われていた筐体も特別なイベント以外では見る機会もなかった。
机の上のアケコンに近づくと、りうは棒状に伸びたレバーの先端にある球体のパーツを左の掌に収めて、円を描くように一周させた。レバーの根元には上下左右にそれぞれ斜めを足した計八か所にわずかな窪みのようなものがあり、その窪みにレバーが触れるたび小さくカコッという音がした。
――やっぱり、いいなぁ……。
しみじみと感動しながら、りうは左手をレバーに添えたまま右手の指先をボタンの上に重ねる。人差し指を使って適当なボタンを叩くように押すとパチンと軽い音が響いた。りうの顔が思わずニヤケた。
りうはさらにランダムな動きでレバーとボタンを操作して感触を確かめた後で、おもむろにレバーを右、下、右下と素早く動かし、さらにボタンを一つ押す。先ほどまでと違う規則性のあるその動作は、対戦格闘ゲームのなかでキャラクターに特定の行動をさせるためのコマンド入力動作だった。子供のころに散々繰り返した動きは、十年近く経った今でも淀みない。
「いいね」
りうは呟くとひとり満足そうにうなずいた。
ある特定の年代に所属する女子にとって対戦格闘ゲームに触れることはきわめて自然な、当たり前のことの一つだった。
半世紀以上前、初めて歴史に登場した対戦格闘ゲーム――格ゲーは主に男子の遊ぶものという色合いが強かった。しかしそれから何度かの流行と衰退を繰り返し長い年月を経た今、対戦格闘ゲーム――特に奥行のない平面上で展開される2D格闘と呼ばれるジャンルは女子が好んで遊ぶものになっていた。
むろん本質的には性差など何の関係もない。あらゆるものがそうであるように、それはどちらのものでもあってどちらのものでもない。格ゲーは格ゲーとしてただあるがまま存在しているだけだ。だからそういった意味では格ゲーが特別な変化をしたという訳ではない。
変わったのは周りの空気だった。皆がなんとなく感じて抱くイメージが、気づけばそうなっていたのだ。
その変化が始まったのは、今から十年以上前のことだ。
黄金期と後に呼ばれる格ゲー黎明のころから存在する第一世代の古参プレイヤー、その後の格ゲー冬の時代を支え、競技化されたビデオゲーム――エレクトロニックスポーツという新たな地平を切り開いた第二世代のプレイヤー、その両者が揃って表舞台から姿を消して、気が付けばすべてが歴史の中の出来事として語られるようになったころ、格ゲーはかつて最悪と呼ばれた冬の時代をも凌駕する暗黒期へと突入していた。
対戦型ゲームが多様化していく中で新規層の開拓に失敗。世代交代を切っ掛けにプレイヤー人口は右肩下がりで減少の一途をたどり、ユーザーを失ったメーカーは新作を作る余裕を失い、さらには大きな賞金付きの大会の消滅と、それによって運営されていたプロツアーの崩壊でスポーツとしての立場も揺らいで、格ゲーの危機は決定的なものとなっていった。
起死回生を狙ってメーカーがリスクを背負い必死の思いで発表した新作は、見るべきところの多い良作ではあったものの、当時肥大化しすぎていたファンの夢と希望を支えきることが出来ず、メーカーをも巻き込んで脆くも自壊。残されたのは、瓦礫に埋もれた崩壊の光景だった。
そんな状況を前に誰も何もしなかったわけではない。メーカーを含む格ゲーを愛する人々は持てる力を振り絞って最後まで格ゲー文化を支えようと奮闘した。が、そんないじましい努力ですら、結局は神のいたずらとしか言いようのない不運の連続によって失敗することとなった。
そうして全力を出し切った後には希望すらも失う羽目になったのだ。
残ったのは地平線まで続く無人の荒野。かくして対戦格闘ゲームは死んだ。誰もがそう思っていたし、実際にそれはそうだった。
十年前までは。
格ゲーの問題を解決したのは、やはり格ゲーだった。
救世主となったのはインディーズを中心としたアジアのゲームマーケットで発売された一本のゲーム『ファイターズ』だった。
あまりにもシンプルなタイトルをつけられたその対戦格闘ゲームは、二次元の平面的な画面でキャラクター同士を戦わせるという基本的なデザインを踏襲し、直感的に理解できる単純さと簡易な操作性ながら技術介入の余地を十分にもたせ、そのうえでボードゲームのような戦略と駆け引きの奥深さをも兼ね備えた、まさに究極ともいえる完成度の作品だった。
もっとも、ただ単純に出来が良いだけだったなら、当時格ゲーが置かれていた状況を変えるまでには至らなかっただろう。実際、発売された時点で『ファイターズ』がもたらしたものは時代の片隅で瞬く火花程度のものでしかなかった。
状況に大きな変化が生まれたのは発売から半年後、日本では記録的な猛暑となった夏のことだった。その夏、世界で最も売れていた携帯端末むけに『ファイターズ』が無償で提供されることになったのだ。
一気に億単位のユーザーを手にした『ファイターズ』はその本来のポテンシャルを十二分に発揮し、次々にファンを獲得していった。とくに当時シリーズの長期化によって新規参入が難しくなった他の対戦ゲームに馴染めなかった若者達から好意的に受け止められたことで『ファイターズ』はさらに大きな流行を生み出して行くことになった。
そんな流行に押されるようにして、発売から一年後、『ファイターズ』の世界大会が発表される。複数の企業が資金提供をすることで実現した超高額の賞金を掲げ、さらに一年間を通して複数の予選大会が定期的に開催される大規模なものとなった。
くわえて実用化されたEPR通信による超低遅延環境でのネットワーク対戦によって携帯端末さえあれば家にいながらでも参加することが可能という敷居の低さもあり、大会は全世界のあらゆる場所で大いに盛り上がることとなった。
かくして対戦格闘ゲームは唐突によみがえった。
そしてそれこそが大きなイメージの転換点だったのだ。
暗黒期となった第三世代を超え、新生した第四世代のプレイヤーたち。その中でも最強とうたわれたのは、当時十代の少女たちだった。最初の世界大会でベスト5を独占した五人は、その後全員が企業からスポンサードを受けるプロのプレイヤーとなり、数年間にわたって『ファイターズ』を舞台とする格ゲーのプロシーンでトップを争い続けた。
格闘ゲームの長い歴史に敬意をはらい格ゲー五神と呼ばれた彼女たちは『ファイターズ』のプレイヤー全てにとっての憧れだった。とくに性差による区別のない環境での圧倒的な活躍は同性である女性から熱い支持を受け、中でも子供たちからの人気はすさまじく、多くの少女が自分専用のレバーを求め、それを所有することが当たり前になった。
りうの持つアケコンも、つまりはその時に購入したものだ。
身支度と簡単な朝食を済ませたりうはアケコンを学生鞄とは別のバッグにしまうと、それを背負って部屋を出た。階段を降りると玄関でうきが腕を組んで待っているのが見えた。
「おねえ、遅いよ」
「ごめんごめん」
うきに見守られながら革靴に履き替えると、ついでに扉横の壁にかかった姿見にりうは自分を映した。そこにいるのは癖っ毛であること以外に特徴のない、どこにでもいる様な女子高生の姿だ。新品のブレザーは妹と違いぴったりサイズ。さすがに高校生となるとあまり成長を考慮しても仕方がない。とはいえ、すでに諦めた身長はともかく、もう少しばかり胸にボリュームが出ても罰は当たらないと思う。
「なに鏡ジッと見てるの。おねえ、ナルシスかよ」
「身だしなみです。身だしなみ。ほらココ、髪の毛ハネてる」
りうは耳の上のあたりで全体の流れを無視して外に向かう髪の毛を手で押さえる。
「そんなの、いつもじゃん」
「違うから……、あれ? これ、直んないぞ……」
「無駄だって。ホント遅刻するよ」
「んー……」
短時間では全く改善しそうにない頑固さに、りうはがっくりと肩を落とす。うきの言う通り、今からセットしなおすような時間はない。
「なにゴチャゴチャしてるのかしらんけど、さっさと行きなー」
リビングから聞こえてきた母親の声に、りうはしぶしぶ鏡を見るのを止めた。
「もっと早く起きるか、夜にちゃんとブローするとかしなよ」
あまりにごもっともな妹の言葉をつまらなく聞きながら、うきの後に続いて玄関を出る。
天気のいい日だった。
日向のアスファルトが白く乾いている。不意に吹く風は涼しく、名前の知らない白い花が道端に揺れていた。りうとうきは横並びに会話しながら住宅街を五分ほど進んで、大きめの十字路に差し掛かったところで手を振って別れた。
「ほんじゃーね」
「はいはい、じゃあね。電車、遅れないでよ」
うきは中学校へ、りうは駅に向かう。どこにでもありそうな駅までの平凡な道のりが、りうは好きだった。
りうの通う高校までは電車で三駅の距離があった。駅に着いて改札を抜けホームにたどり着いたところで、タイミングよく定刻通りの電車がやってきた。列に並んで乗り込むと、車内は居場所を選べない程度には混雑していた。人混みに押され、隙間にはまり込むように誘導され、四方を人に囲まれ行動や視界を制限されるのははあまり愉快なこととはいえない。
――あの子ぐらい身長があれば、もう少し楽なのかな……。
上部、天井との間に開いた空間を感じながら、りうが思い出したのは昨日、対戦格闘ゲーム部――通称格ゲ部の部室で見た少女のことだった。
少女の身長は百七十センチほどあった。少なく見積もってもりうとは十センチ以上の差がある。
――十センチって、すごい差だよね。
もっとも少女とりうの差を探し始めると、身長の違いなどは些細なことだ。いかにも平凡なりうと違って、あの少女は特別だった。
昨日の出来事に関してりうは、実のところすべてが夢だったのではないかという疑いを捨てきれていない。もっともそうでないことは対戦していた二年生――格ゲ部の部長にも後から確認を取って分かってはいたのだが、それでもやはり三割ほどの疑念が残っていた。
それくらい、妙な出来事だったのだ。あれは。
少女が誰でなんという名前なのかは格ゲ部の部長も知らなかった。少女はふらりと部室に現れて、名乗りもせず、挨拶らしい挨拶もないままで対戦を始め、そして最後には唐突に去っていったのだ。
涙を流しながら。
その去り際のインパクトはりうに三割の疑いを持ち続けさせるに十分なものだった。
だがそれ以上に、りうの心に刻まれていたのは少女のプレイだった。少女がりうにみせたプレイは、かつて五神に憧れる子供だった頃の感情を思い出させるものだった。それこそクローゼットにしまい込んでいたアケコンを思わず探してしまうほどに。
――どういうヒト、なんだろう。
りうは自分の周囲を取り囲んだスーツとスーツの隙間に窓の見える角度を見つけ、そこから流れる外の様子を眺めた。歯の抜けた櫛のように間隔を空けて立つ背の高い建物の向こうに靄がかった空が見える。
――出来ればもういっかい、あってみたいよね。
りうはそう思っていた。そして、またあえるような気もしていた。
あの少女が同じ学校の一年生であるのは間違いない。だとすれば探し出すのは簡単だ。あれだけ目立つ特徴のある生徒なら、きっとすぐに見つかるだろう。
と、現実的な理由としてはそんなところだ。ただそんな理屈とは別に、りうは感じていることがあった。つまりはそう――運命のような、そんな何かを。
――……って、見つけられないし。
休み時間、昼休み、そして放課後の今。可能な限りの空き時間でりうは少女を探した。クラスメートから情報を募り、一つ一つのクラスを自分の眼で見て回って、学食や購買、図書室のような生徒が集まる場所を巡回し、何なら勇気を出して知らない生徒に聞き込みをしたりもした。なのにりうは少女を発見することができなかった。
「なんで……」
放課後が始まって十五分。最後の望みとばかりにやってきた中庭が当然のように空振りで終わり、りうは精神的な疲労からひとりベンチに腰掛け天を仰いでいた。はぐれ雲がプカプカと、やたらとのんきな速度で視界を右から左へ流れていく。
出来る限りのことはした。それでも少女が見つからないのだから、今日は学校に来ていないのかもしれない。
――そうに、違いない。
そうとしか考えられなかった。他にうまい説明も見つからない。残念だが今日はあきらめるしかないようだ。
運命は、今日ではないらしい。
「……よしっ」
気持ちを切り替えて、りうは脇に置いていたアケコンの入った鞄を引き寄せると勢いよく立ち上がった。
未練に思う気持ちもあるが、今日は予定を果たさないといけない。というのも、りうの通う学校は全員が何らかの部活に所属することが義務付けられていて、新入生は部活紹介日の翌日から設けられた三日の体験入部期間で自分が所属する部活を見つけるのが通例となっている。りうは格ゲ部に体験入部することを決めていて、昨日会った格ゲ部の部長にもその旨を告げてあった。初日から遅刻というわけにもいかないだろう。
りうは中庭を後にして旧校舎を目指す。旧校舎は何度かの改装を受けているらしく、名前の割にさほど古い感じはしない。ただし節約のためか廊下の電灯の数が少なく光量も抑えられているので、日の傾きによってはかなり薄暗く感じた。そのうえ格ゲ部の部室がある三階は生徒の出入りが少なくひと気がない。そんな条件が重なって、三階の廊下にはどこか寂し気な、そんな雰囲気が漂っていた。
もっともその程度では、それなりに知恵のついた高校生の脚をすくませるほどの迫力は生み出せない。だから、階段を登り切って三階にたどり着いたりうが脚を止めたのには、旧校舎が纏う独特の雰囲気とは別の理由があった。
「…………あ」
原因となったのは、柱の陰に潜むひとりの女生徒の姿だった。
その人物は窓際の柱に自分の体を沿わせ、陰から覗き見るようにして廊下の奥――格ゲ部の部室をじっと眺めていた。長い黒髪に白い肌、そして全体に細長いシルエット。もしきのう出会っていなかったら、その独特の空気を背負った雰囲気にあるいは幽霊か何かと見間違えていたかもしれない。
が、それは間違いなくあの少女だった。
「…………」
願っていた再会。しかしあまりに突然のことで、りうはうまく次の行動を見つけられずにその場で停止してしまう。まるで凍り付いたように全身を硬直させながら、りうは唯一うごかせる眼球を使って少女を観察する。と、少女の姿に違和感を覚えた。
柱の影に立つ少女は、昨日の少女と細部が少しずつ違っていた。フレームの太いメガネをかけ、下ろした前髪は眉を隠すほどに長い。くわえて今は背筋も若干猫背気味で実際よりも背が低く見える。一つ一つは些細な違いだが、それらが積み重なることで垢ぬけない雰囲気が全身を包んで、昨日の美少女と同一人物とは思えないほどだ。
今のように観察する機会があれば特徴を拾うこともできるし、こうして格ゲ部に対し含みのある行動からも昨日の少女だと断言するのは容易いが、集団の中に紛れ込んでいたら探し出すのは難しかっただろう。
――それで、か……。
今日の捜索が空振りに終わった理由に納得しながら、りうは少女の観察を続ける。見ていると少女は柱の陰に出たり入ったりを繰り返していた。少女が位置を変えるたび、長い手足がぎくしゃくと動く。緊張している様子で、なんだか糸の絡まった操り人形のようにも見えた。
――さて、どうしよう。
できれば声を掛けたいが、果たして今が最善のタイミングなんだろうか。あまりそうは思えない。かといって、今でなければいいのかというとそれも難しい。
考えて、りうはしばらく見守ることにした。いま刺激を与えるのは避けた方が無難だと思ったからだ。少女の様子がもう少し落ち着いたところで、さりげなく声をかけられるなら、それが一番いい。
だが、いつまでたっても少女は一向に行動を変えようとしない。まるでバグったNPCのように柱の影から出たり入ったり、とにかく同じ行動を繰り返す。そんな往復の数が十回を超えたところで、りうはかぞえるのを止め、かわりに早足で少女に近づくと、背後から声をかけた。
「あの、いいかな?」
「ひにぅっ!?」
少女は全身を震わせ奇怪な鳴き声をあげると、一転してピタリと静止した。まるで柱と一体化することで存在を消し、それでこの場をやり過ごそうとしているかのようだ。
「あの……」
しかしバッチリ見えていたし、りうはこの際だから追及を止める気もなかった。そんな空気を察したのだろう。少女はさび付いた機械のようにぎこちない動作で振り向く。
「……き、きのうの……ひと?」
どうやら少女はりうのことを覚えていたらしい。
りうはそのことが妙にうれしかった。
「うん、そう! そうだよ!」
喜びを隠すことなく、りうは頷く。気分は高揚し、何なら踊り出してもいいくらいだ。
「あなたも! 昨日の人だよね!?」
「えっと……、あの――はい……」
少女が認めたのを確認して、りうは昨日からずっと温めていた言葉を真っ直ぐ口に出した。
「だよねだよね! 昨日の試合、すごかったよ! わたし感動しちゃった!」
「ええ?」
「あんなすごいプレイ、五神の配信でしか見たことなかったもん! ほんと、イカスよね!」
「イカ?」
畳みかけるようなりうに、少女はすこし――いや、かなり気圧されているようだった。少女は詰め寄ってくるりうから距離を取りたがったが、後ろに下がろうにも角になった壁が邪魔してそれが出来ず、上半身を中途半端にのけぞらせるにとどまった。仕方なく、といった様子で少女は両腕を胸のあたりまで持ち上げ、りうとの間に配置する。防御のつもりだろうが、りうの進撃に対してそれはあまりに儚い対抗策だった。
少女のつつましやかな抵抗をあっさり無視して、りうはダメ押しのように大股で前に踏み出し距離を詰める。少女は格闘ゲームでいうところの画面端へと追いこまれていた。
「わたし一年五組の日野りう。あなたは?」
「え? わたし……わたしは、一年二組の、剣崎メアリ……」
「剣崎さんか、よろしくね!」
「よ、はあ……」
少女――メアリは頷くというより首をかしげるような仕草をみせる。メアリが混乱しているのは間違いなかった。しかしりうの勢いは止まらない。りうは弾ける様な速度で、メアリの両手をつかみ取ると、驚くメアリに向かってりうは真剣な表情を浮かべて言った。
「剣崎さん! わたしと一緒に格ゲーしよう!」
りうの熱意と強引さ、それとあまりにも真っ直ぐな瞳を真正面から向けられて、メアリは呆然としたまま静かに頷いた。