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「頑張ってね」
「一発かましてきな!」
「ううー、りうさん! 私の分もお願いします!」
「りう、いけるよ」
皆の声援に、りうは大きく頷いた。
「うん!」
モニターが向かい合わせで並んだ中央の対戦台まではおよそ五歩。その短い距離を、りうは噛み締めるように進んだ。その一歩ごとに、頭の中を思い出と感情が駆け巡る。初めて格闘ゲームに夢中になった幼い日、高校になって初めて知ったハイレベルな戦い、メアリの操るホシの美しさ、知らなかった格闘ゲームの奥深さ、そして――真剣になって初めての敗北。
――あれは、悔しかったな。
思わず逃げ出してしまうくらいに。
だけど、今りうはここに立っている。逃げ出したりうの手をメアリが引いてくれたからだ。
「やっははー、よーろーしーくねー」
りうの前にツインテールの少女――蘭花が立ち、握手を求めてきた。りうはその手を握り返す。温かい手だった。
「よろしくお願いします」
「うんうんー、なんかさ、そっちの人たちスゲー強くなってるよねー。上達、ヤベくない?」
蘭花はヘラヘラと笑う。
「初心者は伸びるっていうもんねぇ。でもこっからだよねぇ。こっからがー、まじたいへーん。伸び悩みの時期よ。蘭花っちゃんたちはさ、今そこにいるんサ」
「そう、なんだ……」
発言の真意がわからずりうはただ頷くしかない。そんなりうの様子を、蘭花は満足そうに見ていた。
「そう、なのサ。なかなかくるちー時期なのよ。ちなみに今のは別に言いわけじゃないゼ。蘭花っちゃんがさー、これからあんたちゃんに勝利する理由を述べたんだよね。伸び盛りの初心者より、伸び悩みの中級者ってこと。どうだいこの勝利宣言、いえいいえい」
蘭花はあいた手でピースサインを作る。
「……わたしも、負けませんよ」
りうはそんな蘭花を真剣な表情で見つめ返した。不意に蘭花の表情から笑顔が消える。
「蘭花っちゃん、マジだから」
「わたしもマジです」
ふっと握った蘭花の手から力が抜け、するりとりうの手を抜けていく。
「んじゃまー、あとはモニタの中でやりましょー」
そういって蘭花は自分の席についた。りうも席につき、自分のアケコンを膝に乗せ目をつぶる。すると自分の胸が鼓動を速めているのを感じた。
気が付けば、手も微かに震えている。
――落ち着こう。
息を吸い、息を吐く。
一度、二度。
呼吸を整える。冷静さを取り戻すための方法。紗香に教わった方法だ。その紗香は試合が始まってからずっと、志度高ともりうたちとも距離をとった壁際で腕を組み試合の流れを見守っていた。
――うん。
りうは目をひらき、レバーを握る。鼓動はいまだに早いが気分は落ち着いていた。モニターにはキャラ選択画面がうつされている。蘭花の選んだのは前回と同じシアルク。そしてりうが選んだのは、前回と違うキャラクター。マスターだ。
メアリにあこがれて使っていたホシをやめて、自分が納得できるキャラクターを選んだ。
正しい勝負をするために。
言い訳や、独りよがりにならない対戦のために。
そのためにはまず、前回と違うことを相手に理解してもらう必要がある。前回の蘭花との一戦は、対戦などと呼べるような代物ではなかった。ただただ一方的に、りうがやられただけ。相手がしたことはひとつ。このゲームを知っているのか、という問いだけだった。
蘭花がしてきた行動はシアルクの特性をいかした、対処のわかりずらい攻撃の数々。しかしそのどれにも正解の対応があった。知っていれば、なんてことはないものばかりだった。りうにはそれすらわかっていなかったのだ。
だけど、今は答えを知っている。
一ラウンド目。前回と同じように蘭花の繰り出してきた問いに、りうは反撃を決め勝利することで答えを出した。基本的なシアルク対策は全て完了している。自分はもう初心者ではない、と。
二ラウンド目、蘭花はそれを理解したようだった。シアルクの動きが明らかに変化する。基本は直線的な力押しだった一ラウンド目とくらべ、奇襲や絡めてを多用した変則的な戦い方。それこそがシアルクの基本にしてもっとも力を発揮できる形だった。
――ようやくだ。
りうは思う。
――ようやく、戦えてる。
自分がひとりの人間として、対戦相手として認められている。だからこそ、ここから自分は証明しなければいけない。自分が何者なのかということを。
マスターが必殺技の飛び道具を放つ。練り上げられた気が球状になって、正面に突き出した手から前方へと打ち出される。その下を、全身を地面に擦り付けるようにして滑り込んだシアルクが絶妙なタイミングで抜けていく。さらにその伸びた足先がマスターの足元を狙っていた。が、間一髪でマスターはそれをしゃがんで防いでみせる。
システム上、飛び道具を含む必殺技の殆どが打ち終わった後に何もできない時間――硬直が発生するようになっている。シアルクの攻撃はその隙を狙ったものだが、そういう攻め方をされるのは予習済みで、りうは防御の間にあう距離でだけ飛び道具を使っていた。
動作の大きいシアルクのスライディングを防御した後は反撃のチャンスだった。しかしマスターは動けない。シアルクの足先が掠めるような先端であったため、距離が離れすぎているのだ。偶然ではなく、反撃を想定した蘭花が距離を調整した結果だ。
そんな細かなやり取りがいくつも積み重なっていく。その一つ一つに、時間があった。一つの動作を習得するまでにかけた、長い長い時間が。いまのりうにはそれがわかる。練習を通して、りうは何一つ簡単ではないことを知った。連続技も、起き攻めの動きも、画面端を含む地上でのやり取りも、ただ飛び込むことですら、それぞれに意味があった。そしてその意味のある動きを理解し扱えるようになるには、多くの時間がいることを学んだ。
初めから技術の習得にかかる時間を軽視していたわけじゃない。絵里やメアリの扱う高いレベルの技術の習得に長い時間と努力がいっただろうことはメアリも初めから認識していた。だけどこれまでプロの試合なんかを見ていてそれほど高いと思っていなかったレベルの技術にもそれに近いだけの時間や努力が必要だということは、自分が習得しようとして初めて気が付いたことだった。
そうして気が付いたからこそ、相手がよく見える。
たとえば、蘭花は真面目だ。振る舞いや言動はともかくとして、プレイの内容がそれを物語っている。もしかしたらとか、なんとなくといった行動をとらない。全ての動作にちゃんとした目的と意思があった。
そう理解したからこそ、自分もそれに応えるべきだと、りうはそう感じた。キャラを変え、マスター使いである紗香に学んだこと、自分の理解した範囲の持てる全てを使って。
りうは対戦に集中していく。そのうちに、頭の中から対戦に必要なもの以外の全てが消えていった。世界にあるのはただ目の前のモニターと手元のレバーと自分、そして対戦相手だけ。それもそのうち徐々に消えて行って、最後には自分と対戦相手だけが残っていた。
まるで白い世界に、りうと蘭花のふたりだけがいるような。
それはりうにとって初めての経験だった。いつか紗香の言っていた会話という言葉を思い出す。対戦を通していままさに、それが行われていた。
「いやー、ここまでやるとは、蘭花っちゃん的に想定外だったよねー」
「うん、わたしもびっくり」
「キャラ換えしたの、あってんじゃーん。攻め攻めでいいと思うよ。嫌いじゃないプレイスタイルだわ」
「わたしも、阿南さんのプレイ、好きだよ。真面目で、綺麗で」
「はーっ、照れるし! ま、そうなるように頑張ってんだけどさ。なかなか、勝ちきれないよね……。ま、それはいいや。今日は、楽しかったし」
「うん。楽しかった。ちゃんと、会話できた」
「だねー。とはいえそろそろ、カナー?」
「もうちょっと、やってたいかな」
「ははは、欲張りだし。でもま、それは次にしようよ。今日はもう、さ」
「うん」
「よし、じゃあほら――最後の勝負と行きましょう」
フルセット。一勝一敗、一ラウンドずつ取り合った三セット目の三ラウンド。お互いの体力は残りわずか。ゲージは互いに限界まで溜まっている。たった一撃で、勝負が決まる。両者は互いに距離を測っての移動を繰り返し、牽制しあう。時間は残り少ない。そんな硬直した状態を蘭花が破る。後ろに下がっていたシアルクが突然、ぴょこんと飛び上がったかと思うと、普通のジャンプとは違う低い放物線を描きながらマスターに襲い掛かった。それはこの試合の中で今まで一度も見せたことのない動きだった。虚をつき勝負を決めようという、勇気の、そしてとっておきの奇襲技。普通の状態なら、見てからでも反撃が出来るような技だが、虚をつかれ混乱した状態ではそれも難しい。
終わった。そんな風に思うことすら出来ない空白。
真っ白な頭で、りうは空中のシアルクの姿を見ていた。
ただ見ているだけ。
のはずなのに、りうの手は勝手に動いていた。
レバーを右、下、右下と動かしボタンを押す。
子供のころ、最初に現れた壁。コマンドが難しく、高く飛び上がる軌道の美しいその必殺技を幼かったりうはうまく使うことが出来なかった。しかし空中の相手を素早く冷静に撃ち落とすその必殺技がどうしてもりうは使えるようになりたくて――思えばその時生まれて初めて、りうは自発的に練習しその技術を会得したのだった。
一度覚えたらあとはもう、馬鹿みたいにその必殺技を繰り返した。相手がジャンプするのを見れば、どんな状況であれその対空技を打ち込んだ。その時の気持ちが、今りうの中にあった。
飛び掛かるシアルクに、マスターの炎を纏った拳が突き刺さる。その状況にも、りうの指先は安心せず殆ど反射的に動作を続けた。必殺技をさらにゲージを使った超必殺技につなげる。それはこの状況で最もダメージの取れる選択肢だ。
その連続技を受けて、なお立ち上がる体力はシアルクに残っていなかった。
「…………」
画面の中で、手を突き上げたマスターが笑顔を浮かべている。りうは放心状態でその笑顔を眺めていた。
「うぇーい」
伸びた手が突然目の前に現れる。顔を上げると、蘭花が立っていた。
「握手しよーゼ」
言われるがまま、りうはその手を握った。温かい手が、若干汗ばんでいる。いや、汗ばんでいるのは自分のほうだ。そのことに気づいて、りうは我に返った。
「あ、え?」
「勝利宣言、空振っちった」
蘭花はバツの悪そうな表情で笑う。
「それはそれとして、アンタっちゃんの名前、なんだっけ?」
「り、りう……国仲りう、です」
「おっけー。りうっちゃんね。おぼえた、ぜ!」
蘭花はりうの肩を叩くと、満足したのかりうの前から去ろうとする。そんな蘭花にりうは慌てて声をかけた。
「あ、阿南さん!」
「んー?」
「ありがとう」
「なんかしたっけー?」
蘭花は首を小さく傾げ、それからすぐにまた笑った。
「ま、いいやー。どういたしましてー。あと、次に呼びかけるときは蘭花ちゃんで、ヨロシクネー」
ひらひらと手を振って、蘭花は仲間たちの元へ戻っていく。小さく深呼吸をして、りうはようやく席を立ち、自分の帰る場所を振り返った。
笑顔を浮かべたみんなが、そこに待っていた。




