真実と事実
初投稿
婚約破棄のその前に交わされるかな~な会話を夢想してみました。
勢いばかりで矛盾や荒さが多々あり、短編というよりメモと呼ぶべきかも。
なんとなくの雰囲気を楽しんでいただけたら幸いです。
R15は保険です。
2019/10/23 日間ジャンル別ランキング欄5位に掲載されていて、すごく驚きました。ブックマークやポイント、コメント、誤字指摘のアクション、そしてなによりご覧いただき、本当にありがとうございます!
常に背筋を伸ばし、傲然と顔を上げて、一人歩むアウレリアの姿を王子は思いかえす。直毛の銀髪と、同じ色のまつ毛に彩られた薄氷のような水色の瞳、抜けるような白い肌。下側が少し肉厚の桃色の唇が、15歳という年相応の甘やかな印象を与えていた。氷細工の美神だと評したのは隣国の大使であっただろうか。
初めて相まみえたのは王子が八歳、令嬢が五歳の頃。一緒に読んだ物語にお化けが出てきて、一人で寝るのは怖いと泣かせてしまった愛らしくあどけなかった婚約者。お詫びにと付けた影へ御礼がしたいと彼女が言うので、一杯の紅茶とビスケットでよいと教えたのは王子だった。
『朝起きたら、ちゃんとなくなっていたのです。これでお化けが出ても怖くありませんわ。殿下、ありがとうございます』
はにかんだ笑顔は、王子にとっては大分昔の記憶だった。
変節したのは、令嬢の両親である前公爵夫妻が不慮の事故で早逝したせいなのだろうか。後三年もすれば成人となる彼女が別途育成されている一族の男子を後継者として指名するまでの間、代理として届けられたのは、たしか彼女の叔父で、と脳裏で時を進める毎に王子の表情が曇っていく。
陽を弾いて淡く光る桃金髪に、煌めく新緑の色をした瞳、小麦色の肌は健康的で笑う姿はどこまでも明るかった。その姿が弱弱しく王子の目に映るようになったのは一年前くらいからだろうか。彼女の従妹であるインディウィアから悩みを打ち明けられはじめたのは。アウレリアを叱責をしようと王子が言えば、心優しいインディウィアはやめてほしいとそれを止めた。
『私が悪いのです。お従姉さまは私のためを思って…。でもそれができないから、私は…。殿下、ごめんなさい…』
繰り返され、一向に改善されない事態は、王子の心中に憤懣を鬱積させていった。
そしてそれを助長するのが、社交界や学園で耳に入ってくる噂だった。アウレリアは領民に対しても冷酷で残忍な振る舞いをし、学園でも家格に物を言わせて横柄な態度で周囲に圧力をかけているという。
悪女となったアウレリアとの婚約は解消せねばならない、と王子は決意していた。だが、それだけでは不足だとも、感じていた。
アウレリアを罰したい。非がないのに傷つけられたインディウィアの尊厳を取り戻してやりたい。領民や学友に安寧を与えてやりたい。罪ないものを救い、罪あるものを懲らしめなくては、臣民は王を疑うようになるからだ。
後顧の憂いを断つためにも、アウレリアは辺境の修道院か、もしくは国外に追放するのがよいだろうとまでは将来側近となる学友と話し合いが済んでいる。
だが、そのためには彼女の罪を詳らかにして、公衆の面前で裁くことが必要だ。密偵を派遣したものの一家内のことや噂である所為か、届けられる情報はどれも決め手に欠けていて、これぞという証拠が未だつかめていなかった。
「腐っても王子妃教育を受けただけのことはある、か」
苦々しい気分で吐き捨てながら、先ほど脳裏を過ぎ去った情景から王子はあることに思い至る。そうして、呼び出してみれば王家直属の隠密部隊という忍ぶ身分ながら、日中に臆しもせずに扉を開けて王子の執務室へ入ってきたのは、これといった特徴のない壮年の男性であった。宮中ですれ違ったとして、顔見知りと知覚するのも難しそうだと王子は思った。手短に目的を告げ、もっているはずのものを出せと影に命じる。
だが、影はその命に戸惑いを見せた。
「確かに10年前に殿下の命を受け、アウレリア様には影を付けておりますから、その時分より記録はございます。
しかし、今回の件については事実が必要でしょうか?
アウレリア様を退け、愛しいと思われているインディウィア様をお迎えになるなら、正式な手順さえ踏めば問題はないでしょう」
「勿論そうするつもりだが、インディウィアの名誉を回復し、彼女のみならず領民や学友を傷つけたアウレリアを罰したい。
罪を詳らかにせねば裁けないだろう。だからその証拠たる真実が必要なのだ」
王子は改めてそう告げたが、影は動こうとしなかった。
「…殿下の求められる真実がどのようなものかは私にはわかりかねますが、私ども影は意図や主観を交えることは許されておりません。
ただ、王家の下す命に従い、魔石に事実を記録し、それをお見せするだけにございます」
芝居がかった恭しい態度が苛立たしさを助長させているなと、王子は眉間にしわを寄せた。
「その事実こそが真実ではないか。くどい、早く見せろ」
「…承知いたしました」
「こ、れは、どういう、こと、だ?」
王子の顔色は青を通り越して白い。口内に舌が張り付いたのか、呂律が回っていなかった。
「殿下がお求めになられました、ここ三年間のアウレリア様の周囲で起きた事実でございます」
全てを映し終えた魔石を丁重に持ち上げ、影は保管箱に片づける。金属のプレートには影の告げた年月とアウレリアの名が彫られていた。
掛けた椅子のひじ掛けを軋む音がするほど握りしめて、王子が叫ぶ。
「話が違うではないか!」
インディウィアが涙ながらに語ったことも、聞こえてきた悪評も確かに事実であった。加害者と被害者が、逆ではあったが。
公爵家内で虐待されていたのはアウレリアだった。王子が開いた茶会の日時は必ず誤ったものがアウレリアに伝えられていた。彼女が認めた詫びの手紙は一通も王子には届いていない。
孤児院や救貧院を慰問していたのはアウレリアであった。
ただし名乗りはインディウィアとするよう強要されて、付き従った侍女と御者はそれを見張っていた。貴族令嬢を見知るなど平民には稀なことであるから、姿と名前の不一致に気づくはずもない。
領主の馬車を平伏して見送らなかったとして幼い子供を鞭打ちしたり、容色の優れた若者を召し上げてその婚約者を不敬として領地追放としたり、小町娘と評判の少女を召し上げてならず者へ嬲らせたり、領地で無慈悲な振る舞いをしていたのはインディウィアであった。悪業を働く際に侍女がこれ見よがしに告げるのはアウレリアの名であったから、密偵がアウレリアの絵姿を見せて確認しても領民が反応しなかったのだ。
異性との火遊びが盛んな子爵令息と割りない仲であったのも、インディウィアだった。領主館内での二人の親密さからして、インディウィアは生娘ではあるまいと王子には窺い知れた。
公爵代理一家の意に沿まぬ振る舞いをすれば、容易には露見しない背や尻、太ももの内側をアウレリアは鞭で打たれ、食事は平民でももっとましと思う程質素であるのに、それも抜かれていた。
王子妃教育を受ける王宮と学業を修める学園にいるときは心休まると思いきや、王妃からは王子と心が通わぬのは努力が足りないと叱責され、学園では根拠のない悪評で遠巻きにされ、聞こえよがしに謗られ、頼れる先は一つもない。
一時の憩いを求めて足を向けた学園の庭園には、インディウィアと寄り添って語らう王子の姿があった。アウレリアの視線に気づいて顔を上げた自分の眼差しは、こんなにも鋭く険のあるものだったのかと王子は驚いた。あれでは喉元まで言葉が出かかっていたとしても、告げる気は霧散してしまうだろう。だからこそ、見守っていた影が補うべきだったと王子はひじ掛けを握りしめる。
「なぜ、私に報告しなかった」
「命はアウレリア様の側にあり、守れとのことでしたので」
報告の命は受けていないと、影は嘯く。その言い草に頭に血が上り、それでは守ってはいないだろうと反論しかけたが、これでは影から情報は引き出せないと王子は思い留まる。
「…危険があったのか」
「前公爵家夫妻亡き後、公爵代理が領主館に居を移されてから、アウレリア様が学園寮に入られるまでの二年間は半年に数度、命を狙われておいででした」
「その周期はなんだ」
「冬から春にかけて、公爵代理は家族を連れて領地に滞在されます。ご自分たちが遠方にいる間に王都に留め置かれたアウレリア様が亡き者となれば、疑いがかからないと考えられたようでございますね」
それは公爵代理一家、いや館の全ての人間が計画に加担していたということだ。領地と王都双方の屋敷の使用人も関与していなければ、毎回影が危機を退ける羽目にはなるまい。事実、公爵代理夫妻が着任して最初に行ったのは、使用人全員の解雇だったと影は言う。
「当初は毒の手段も取られましたが、半年ほどで用いられなくなりました。
第三王子殿下の婚約者である侯爵令嬢が毒殺されかけた際の処分の苛烈さに恐れをなしたのでしょう」
四年程前に起きたその事件は相手が隣国の王家の血を引いていたことから、二国の王家の威信を傷つけたとして徹底的に調べ上げられ、結果として首謀した伯爵家は断絶。その伯爵家の主筋である公爵家は子爵へと大幅に爵位を下げられた。実質、派閥の取り潰しである。
そして婚約者の生家である侯爵家も危機管理が甘いとして叱責を受け、領地の一部を返納させられ、閑職に追いやられた。尤も実力のある当主であったから、復帰にはさほど時間をおかなかったけれども。
アウレリアが毒殺されたとしたら、あの公爵代理ではおそらく閑職のまま、一生を終えるだろうことは想像に難くない。
現在のことだけではなく、過去の罪も詳らかにしなければならないと、王子は眉間を揉む。
「公爵代理一家の関わった全ての犯罪を書面として提出せよ」
先ずは父である国王と宰相に内密に図るべきだろうと、王子は思案する。すぐに取り掛かるだろうと思った影は、しかし佇んだままであった。
どうしたと王子が水を差し向けると、影が口を開く。
「承りましてございますが、殿下はどうなさりたいのでしょうか。意図によって書くべきことが異なると存じます」
「決まっている。公爵代理一家と、そして使用人を断罪せねばならない」
なぜでしょうかと問われて、王子は面食らう。
影は心底不思議そうに首を傾げて、重ねて問う。
「インディウィア様を愛しく思われているのでしょう?」
事実を明らかにせず、罪を問わないほうがよいのではないかとの影の言い分に王子は激高した。
勢い、椅子から立ち上がる。
「馬鹿な!インディウィアは毒婦ではないか!」
「魔石をご覧になるまではその事実はご存知なかったではございませんか」
淡々と告げられた言葉に、王子は絶句していた。
影はその姿を暫く見つめた後、人差し指を立てる。
「もう一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「…何だ」
「アウレリア様をどうなさるおつもりでしょうか?」
「もちろん、彼女を保護する。謂れなき悪評は正し、非のない彼女の尊厳を回復させる。婚約者として当然だ」
「いずれ正妃としてお迎えになるおつもりでしょうか?」
当然のことだ、彼女とてそれを望んでいるはずだと言いかけ、抜き身の刀のように鋭い眼差しに気圧されて王子が口にしたのは別の言葉だった。
「…迎えるべきではないと言うのか」
「怖れながら、お迎えになられたとして、殿下がアウレリア様と心通わせることは非常に困難ではないかと」
言いにくいと前置きしながらも態度はふてぶてしいのだなと、王子は妙な感心をした。
「どういう意味だ。はっきり言え」
「アウレリア様は、全てに絶望しておいでです。
忌憚なく申せば、インディウィア様と睦まじくなられた殿下に、アウレリア様が再び心寄せられるのは不可能かと推察いたします」
あの孤高の令嬢にとっては、一度気を移した相手に再び心を開くことは容易ではないのだと、影は言う。
「それは、私が真実を知らず、毒婦に謀られたからで…」
全ては真実から遠ざけられた謀りの所為だと言い募る王子に、そういうことではないと影は頭を振る。
「アウレリア様はご自身の傍らに影があることをご存知でした。
そしてアウレリア様は殿下の心が離れていった事実を目の当たりにされております。
3年の間、事態は悪化の一途を辿っていたのに、掌を返したようにインディウィア様への気持ちはなく、アウレリア様を妃に迎えると言われて果たして信じられますでしょうか」
影の言う通り、彼女は守ってくれる者への感謝は欠かさなかったが、それに助けを求めることも、何故と問うことも、魔石で見せられた過去の中では一度も行っていなかった。
王家は、いや、婚約者たる自分は助けてくれる相手ではないと彼女は見限ってしまったのかという懸念が、王子の心胆を寒からしめる。
「万が一、アウレリア様が殿下に心を寄せられたとしても、実はアウレリア様は自分を謀ってはいないかと殿下は疑いをお持ちになるのでは。
やはりお二方が心を通わすのは茨の道と存じます」
そんなことはないと言いたかったが、声は出ず、王子の唇は徒に開け閉めを繰り返しただけであった。
インディウィアから告げられる言葉を、疑いもなく聞き入れることはもうできない。そして、その相手をアウレリアや他の令嬢に置き換えたとしても、謀りに傷つけられた王子は疑いを捨て去ることはできそうにないと自覚していた。事実を知る前と後の自分の心の変わりようは明らかで、それに反論する術を王子は持たなかった。
短くはない沈黙の後、王子はようよう言葉を絞り出した。
「…どうすればいい」
「殿下はどうなさりたいのですか?」
再び問うた影の目は、やはり鋭いままであった。
逡巡しながら、王子は心の上澄みに浮かんできた望みを口にする。
「あるべきものをあるべき姿に。正しきものは報われ、罪あるものは裁かれるべきだ」
過ちを認識した自分は、それを正すことをためらってはならないと王子は強く思う。
しかし、影は再度頭を振った。
「それでも、殿下とアウレリア様の間の事実は覆りません」
事実、の部分に力が込められているのを、王子の耳は拾った。覆らないのであればと、心の澱みを浚いながら王子は考えを深く巡らせる。
「…やり直したい、アウレリアと」
「アウレリア様を憎んでいらっしゃるのでしょうに」
影は瞠目し、声音に呆れを含ませた。
「…裏切られたと思ったのだ。
慕わしく懐いていて、幼い日に一生一緒にいようと約束した彼女が、気づいたら人のうわさに上るほどの悪女になっていて、そんなはずはないと信じようとする端から周りに覆されて。
だから、私の期待を裏切る彼女がだんだんと憎くなって。
でも、それはすべて嘘と謀略で、そして彼女は誰にも何も言えない状況に置かれていて…。
言おうとしても、言わせないような態度を自分は取っていて…。
いや、そうか、それでもアウレリアではなくインディウィアや周囲の言を私が取り上げた事実は覆らないのだな…」
心情を吐露しながら、影が再三告げていた覆らない事実の真相を掴んで、王子は口を噤む。乾いて味などわからないはずなのに、口中が酷く苦いと王子は感じた。
「アウレリア様が殿下に真心を返すことは、一生ないかもしれません。
あったとしても、気が遠くなるぐらいの時間を要するでしょう。
心が通いあっても、その絆は盤石にはならず、脆いままかもしれません。
お心に疑いが生まれる事態も、再び起こるかもしれません。
疲れ果てたときに、愛らしく優しいご令嬢が殿下をお慰めし、殿下の心が傾くかもしれません。
…ただ、一度手を差し伸べて、再び手を離せば、アウレリア様の心は今度こそ完膚無きまでに壊れるでしょう。
そんな危険を冒してまで、殿下はアウレリア様とやり直されたいですか。
傷つけた償いをされたいのであれば、他の形でもできるのではありませんか」
影は静かに王子に尋ねた。非難されているのでも、戒められているのでもない。起こりうるべき未来を告げて立ち止まらせようとするのは、影が純粋にアウレリアと自分を慮ってのことだと王子は受け止めた。
「…そなたが言う懸念は尤もだろう。
だが、それはすべて憶測に過ぎない。
真実は彼女に聞いてみなければわかるまい。
いや、信をほぼ失いかけている今、聞いたところで明かしてくれるはずもないだろうがな」
王子とアウレリアの間に起きた事実とは、互いに信を失いかけていることだった。それは、あるべきものをあるべき姿にしても戻らない。
信を失いきってはいないというのは自分の願望に過ぎないかもしれないと、王子は押し寄せる絶望の重さに椅子に腰を下ろし、目を閉じた。奈落の底に落ちていきそうな王子の意識を踏みとどめたのは、魔石が見せた光景だ。気づいたら見つめずにはいられないと、王子へ向けられたアウレリアからの視線。そして必ずその眼差しに振り返る王子の姿。
あれは事実、だから。
「私は彼女を諦め切れない」
「大層身勝手な台詞でございますね」
大仰に肩を竦め、影が微笑んだ。それは年嵩の者が我武者羅な年若い者に向ける諦念を多分に含んでいたが、王子はそれを不敬とは感じなかった。
「…そうだな。ただ、あの頃と同じようにアウレリアの目をもう一度見て、声を聴きたい」
それが容易ではないことは、今の王子にはわかっている。
事実は彼の中に、生涯消えぬ爪跡を残した。
おわり
ご覧いただき、ありがとうございます。
2019/10/21 誤字修正
2019/10/22 一部推敲
2019/10/23 誤字指摘反映、ありがとうございます
2019/10/24 姉、従妹部分を推敲
2019/10/25 誤字修正
2019/11/04 時系列を見直しし、5年→3年に変更しました。一部記述を修正しました。