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Scene 1 静寂

“Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.”


「怪物と戦う時、お前自身が怪物にならないようにしなければならない。お前が深淵をのぞく時、深淵もまたお前をのぞいている。」


(フリードリヒ・ニーチェ)





東京都千代田区某所、宮内庁書陵院地下資料庫に夜警職員の須賀威貞(すがたけさだ)の姿があった。


須賀がエレベーターを降りると、まるで巨大金庫のような重厚な鉄扉が目の前に飛び込んで来た。

それを初めて見る人間ならば、相当異様な威圧感だが、須賀のような人間はこんな程度の光景は見慣れているようだった。


扉の前には簡易的な机と椅子が置かれており、宮内庁付きの警備担当の職員が1名、競馬新聞を広げて座っていた。


「──1944、K118の案件を…」

と須賀が涼しい顔で口を開くと、

職員は競馬新聞から目線をこちらへ向け、無言で手を差し伸べた。


須賀も勝手知ったるように、懐から警察IDを取り出して、職員へ提示した。


「警察庁警備局〜公安部の須賀(すが)威貞(たけさだ)さんね〜」

警備職員はもごもごと呟きながら、机上へバインダーを広げて短い鉛筆で何やら書き込んだ。

描き終わると書類を上下逆さにくるりと回し須賀の方へ向けた。


「閲覧者名簿に署名を──」


「はぁ、」

警備職員から、ネズミに齧られたような短く小汚い鉛筆を渡されると須賀は顔色一つ変えず、素直に、その書類へと署名した。


「原則として滞在時間は、1時間になります──」

警備職員は腕時計を見ながらそう言うと、徐に立ち上がり、背後の壁に設けられた掌ほどある赤いボタンをドンと拳で叩きつけるように押した。


すると何処からともなく、“ブーっ”

とクイズにハズレたようなブザーが鳴り響き、金庫扉の丸型ハンドルがひとりでにグルグルと回り、扉は解錠された。


いつもの、形式的な行事だが、無駄に仰々しいものだと須賀は苦笑いを浮かべながら、扉が開くのを大人しく待った。


「1944のK118ですと、場所は入って右側の部屋の一番奥ですね──」


警備職員はそう言うとまた椅子に腰かけて競馬新聞を広げた。


一方、庫内に入った須賀は、警備職員に言われた通り向かって右側の部屋の扉を開くと、すぐ傍に見えた照明のスウィッチを入れた。


ラピットスタート式の旧来の蛍光灯照明が一列にずっと奥の方まで点灯すると、人間1人やっと通れるほどの通路が暗闇の中から現れた。


「おいおい、マジかよ──」


通路は軽く1㎞ほどはあった。

その両脇に、高さ3メートルほどはあるスチールラックがズラリと並んでいる。

1番手前のラックの棚に無造作に置かれたダンボールには、「1944、A1〜20」の文字がサインペンで大きく書かれてあった。

「ここが、Aだから──」と、隣の棚を見ると「G ──」の文字。

どうやら関連性のある案件によって区分けされているようで、アルファベット順に並んでいる訳ではなさそうだと、須賀は面倒くさそうに顔を顰めた。


須賀は襟元のネクタイを緩めて、背広の上着を脱いだ。


「これで1時間は短いよな──」

などと呟きながら、白シャツ姿の須賀は、通路の奥へ奥へとゆっくり進んで行った。


10m以上進むと、通路は奥の壁際で次のレーンへと折り返していた。

相当埃を被り茶色く変色したような古い箱にはカタカナで「イ」や「ロ」の文字。

既にアルファベットですらない。


そんな中に、須賀は目的の「K111ー121」と言う番号が記された箱を見つけた。


近くにあった脚立へ登って、目的の箱を棚から引き出すと、ほんのり白檀の香りがした。


ダンボールの蓋には、

──お前が深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗いている──

とペンで走り書きがあった。


須賀は紐で閉じられたダンボールの蓋を開き、中にあった数十冊はあろうかと言うファイルを一冊一冊丹念に検めた。


「──旧関東軍731部隊による、欠番人体実験記録に関する記述、」

と記されたページを刮目する須賀の頭上で、“ブー”っとまたクイズにハズレたようなブザーが鳴った。

まもなく、さっき外にいた警備職員の声が同じ天井のスピーカーから聞こえた。


「須賀さん、1時間過ぎましたよ、速やかに庫内から出て下さい」


「あの──、延長でお願いします」


須賀の、そんな叫びが外へ届いたのか、

スピーカーはそれ以上ブザーを鳴らさなかった。







東京都奥多摩地区。


1台のタクシーが奥多摩湖畔の道をひた走っていた。


「お客さん、この先の鍾乳洞はもうだいぶ前に閉鎖されまして、立入禁止になってますよ」


タクシー運転手はそう言いながら室内ミラー越しに後部席の若いカップルらしき男女を見つめた。


「立ち入り禁止ってことは、誰も来ないんですよね」


そうホクホク顔で微笑む若い男性は、退屈そうに外の景色を眺めている隣の女性をちらりと見た。


「──取材ですから、語弊の無いように」


若い女性は誰にと言う訳でもなく、運転手にも聞こえるボリュームで、そう言ってのけた。


「取材ってことは、雑誌かなんか?」

と、さして興味もなさげに尋ねた運転手は、狭い脇道に入ると、そのまま勾配のきつい山道を登り始めた。


「媒体はウェブですけど、聴き込みで、東京の摩訶不思議なスポットを探し回ってまして──」

男性がヘラヘラと答えると、

女性は、その彼の浮き気味の足を蹴り飛ばした。


「はっ?」


「余計なこと言ってんじゃねーよ」

怪訝な面持ちで男性を睨みつけ舌打ちした女性は、目を丸くしている彼をよそにまた車窓の外へと目をやった。


「ここいらはよく林野庁の警備員が車で見回っているから、気をつけた方が良いよ、あと尋問されても、うちのタクシー会社の名前は出さないでね──色々ややこやしい事になるからさ、」


運転手はそう言いながらタクシーを停めた。


「え、まだ鍾乳洞の入口見えてませんよ」

若い男性は、スマホの地図アプリを見ながらGPSの位置情報と周囲を見比べて、口を尖らせた。


「車で入ってけるのは、ここまで──」


とタクシー運転手は後部のドアを運転席脇のレバーで開けると、一旦車から降りた。


「降りろってことだよ、諦めな──」


女性は薄ら笑いながら、男性の膝を軽く叩くとさっさと車から降りて行った。


「マジすか、まだ(入り口まで)だいぶありますよ──」


男性がぶつぶつ文句を言いながら車から降りて周囲を見渡した。

その場所の標高自体高いようで、道の反対側の崖の下には広大な森が広がっていた。

目的地の方角に目をやると、確かに綺麗に舗装された状態の道はそこで終わっていた。


運転手がタクシーのトランクから大型のバックパックを2つ下ろし、女性へ2つとも手渡した。


「植村、ほら持て、早くしろ!」


女性が不機嫌そうに男性へ呼びかけているうちに、運転手はさっさとトランクを閉めて、車の運転席へと向かっていた。


「下までおりたところに有線の非常電話があった“はず”だから、何かあったら使ったら良いよ──」

と言って運転手はさっさと車に乗り込んでしまった。


「“何か”って何?──縁起でもない、」

と女性は顔を顰めてバックパックを重そうに背負いあげた。


「まあ、いざとなったらスマホも有りますし──」

と男性は改めてスマホの画面を覗き込んでから一気に青ざめた。


「如月さん、ちょ、電波無いっすよ」


男性は改めて周囲を見渡した。


「──逆に有る方が驚きだわ」


女性は冷たくそう言い放つと鬱蒼と生い茂る草木の中へと難なく足を踏み入れた。

その行く手には人の立ち入りを阻むように木々が枝葉を旺盛に伸ばし、微かな風に揺れてはざわめいていた。



「これ、絶対帰り道迷いますよ──」


女性の背後から男性の頼りない声が微かに聞こえて来た。


「そう思うなら、何か工夫しろ」


女性は、面倒くさそうにそう言うと、

バックパックから小型の鉈を取り出して、眼前の枝を払い始めた。


「なんか、如月さん、頼もしいっすね、そう言う秘密道具どんだけ隠し持ってんすか──」


「秘密じゃねーし、山入るんなら普通、常識だし──だいたいアンタさ、そんな軽装でさ、ただのスニーカーとかで山入るとかマジ山ナメってっから──」


如月がそう説教よろしく振り返えると、当の植村は木の枝に張り巡らされた蜘蛛の巣に引っかかって、奇声をあげていた。

「虫とかマジ無理!、蜘蛛?──いるんすかマジで、うわー蜘蛛とかマジ無理なんすけど!」



「お前、もう帰っていいわ」


如月は騒々しい植村の挙動を一切黙殺し、とっとと先へ行ってしまった。




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