冒険せずとも冒険者
定刻ぴったり。
その男、フェルナンド・チ・ローレルメルスは百合宮へとやってきた。
白銀の鎧に紺色の外套、外套を止めるバッヂは白金の卵型。それは彼の立場を顕している。
燃えるような赤い髪に蒼い目、非常に整ったその顔には、しかし大きな傷が三つある。それでも色男といって過言はないだろう。
そして何より特徴的なのが、その背に担がれている巨大な複合弓……。
「フェルナンド・チ・ローレルメルス、ごきげんよう」
「お目通りが叶い光栄です、リュシエンヌ・ニ・アンタンシフ様。……そちらは?」
「気にしないで頂戴。さっきまでお茶会をしていたのよ。あなたには悪いけれど、お茶会の方が先約だったし……。どうしてもというならば別室に移動させるけれど?」
「いえ、構いません。差し出がましいことを申し上げましたことをお詫びいたします」
フェルナンドの態度はお手本通りの冒険者と言うべきだろう。
さすがはプラチナ、第八位。
……まあ、武器を持ち込むのはどうかとも思うが。
それでも王城のルールに『武器を持ち込んではいけません』という項目がない以上、決して違反しているわけではない。
「それで、本日の用件は何かしら?」
「まず、先の出征に関しまして……」
「公式に発表されていることに関しては、それ以上を教えることが出来ないわ」
「存じておりますとも。その上でお伺いしたいのです。期間はどれほどを推定しているのでしょうか」
「コメントする立場にないわ」
即答に、それでもフェルナンドは予想通りと頷いた。
……今の質問には本当、コメントする立場にないとしか言いようがない。
作戦立案には一切携わっていない以上、騎士がどのように動くのかは知りようがない。
「冒険者ギルドより、クリストフ様に親書が送られたことはご存じですか」
「いつの話かしら?」
「これは失礼。六日前に王城へと到着しているはずです」
……六日前?
心当たりがない。
もちろん、私相手に出された物ではない。知らなくても当然だ。
けれど、クリスに親書なんてものが来たならば、私はともかくルーイは勘付くはず……、ルーイさえも欺いたのか、あるいはそもそも親書など出しておらず、この会話ははったりか。
はったりならばその目的は、私からクリス不在の情報をなんとか引き出すためのもの。
ルーイにさえも隠し通したならば……、内容次第か。
「知らないわ。どのような内容だったのかしら?」
「それを告げることは、たとえ相手が上位者であろうとも、許可されていません」
「そう」
お手本通りにフェルナンドは続ける。
ならば私もそれに続くまで。
お手本通りに打ち切ろう。
「用件はそれだけかしら」
「はい。私からの用件は以上となります」
一瞬、フェルナンドの表情に失望の色がかすかに混じった。
私ならば教えてくれるだろうとでも思ったのかしら?
だとしたら甘ちゃんにも程がある。
そして第八位という階級の『高み』にある冒険者が、そのような甘ちゃんとも思えない。
裏がある……。
「ダメね。王城での生活が長くなると、やっぱり勘が鈍るわ」
私も。
どうやら、ルーイも。
「条件次第では親書を出しても良いわ。そしてその条件を決めるのは、あなた。さあ、何を交渉の天秤に載せるのかしら?」
何かを冒険者ギルドは掴んでいる。そして私はそれを掴めていない。
杞憂ならばそれで良いけれど、フェルナンドのあの失望の色が気に掛かる……。
精一杯の妥協ライン。
その線を踏み越えるだけの踏み込みを、フェルナンドはしてくるか?
「…………」
数秒、にらみ合うように視線を交わし。
先に視線を外したのは、結局、フェルナンドだった。
「やはり、お強い。それで『鈍っている』のですか、リュシエンヌ様は」
「ええ。大分ね」
それを別れの挨拶代わりに立ち去ろうときびすを返したフェルナンドに、しかし私も想定しなかった声がかかる。
「お待ちを。フェルナンドさん。失礼とは思うのですが、ちょっとお聞きしたいことがあります!」
ルーイのほっぺたをむにむにとしながら声を張り上げたのは、即ちリザに他ならない。
……まあ、そこでいちゃついてろとは言ったけれど、黙ってろと言った覚えもない。
想定はしなかった――けれど期待はしていたからだ。
リザならば何か、重大な事を聞き出せるのではないかと。
その天運が、上手く使われるのではないかと。
「あなたはルシエの事を『上位』と言っていましたが、あれはどういう意味なのですか? 婚約者という立場は、それほど上位ではない……のですよね?」
どうやらダメだったらしい。
私には味方をしてくれそうにない天運だった。
しかも王子の婚約者という立場は王族に次ぐくらいには高い地位なので、リザの認識にはいささか問題がある。
困ったことに冒険者の視線だと、リザのその発言は正しいのだが。
「……ええ。その通りですね。我々冒険者にとって、上位者とされるのは四つ。一つ、国王陛下。二つ、ギルドマスター。三つ、依頼主。そして四つ、『自身よりも上の階位』の冒険者です。ですから、リュシエンヌ様はその四つ目に該当しています」
「え、上の階位ということですか?」
「……まさか、ええと、ご存じないのですか?」
「……その、私は貧乏貴族でしたからねえ。冒険者のことにはあまり、詳しくないといいますか」
ちょっと言いにくそうにリザは言う。
そしてそんなリザに困ったようで、フェルナンドは私にすがるような視線を向けてきた。助けるつもりもなかったけれど、これは放っておくとリザのためにもならない。
「リザ。冒険者の階位、プレーン、ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナという五つの階級については大丈夫よね」
「はい。それで、フェルナンドさんがプラチナの階級、四十七人のうちの八人目だということも聞いています。とはいえ、たしかにルシエはお強いですけれど、毎朝のように鍛錬をしているのを知っていますけれど、フェルナンドさんを越える力量の方なんて七人しかいないのでしょう?」
「そうね……。ただ、私の上は三人ってだけよ」
「ああ、なるほど。そういう……、こと……、です、か?」
リュシエンヌ・ニ・アンタンシフ――それが私の名前で。
そこに含まれる『ニ』は『一文字の称号』、私が持っている称号だ。
「そう。私が『プラチナ』『第四位』なのよ」
「え、でも、待って下さい。確かにルシエは『冒険者をやっていた』とか『高みに云々』だとか言っていましたけれど、今も現役ということなのですか? だとしたら妙です。おかしいです。だってルシエは少なくともこの一年間、この王城から出ていないのでしょう? ……なのに、冒険者? 冒険をしないのに?」
その疑問はもっともだ。
「冒険者の全員が旅をする物でもないの。一つの街にとどまり、その街を護り続けるという形の冒険者だって成立するわ。……そもそも、『冒険者』の範囲が広すぎるのよ。戦闘も引き受ける何でも屋さんという言い方が近しいかしら?」
「ルシエの言い方は極端すぎませんか。その言い方だと、たとえば美味しいパンが食べたい! なんて依頼も」
「結構あるわね。フェルナンドも受けたことあるでしょう?」
「ええ。滅多に戦闘になりませんし、それでいて報酬は十分ですから、副業がてらに」
「あるんですか!? それで良いんですか冒険者って!?」
なるほど、これがカルチャーショックというものか。
リザは混乱のあまりルーイのほっぺたをぎゅっとつねっていて、ルーイは「いたたたたたた」と流石に抗議の声を上げているけれど、リザはそれに気付いてないし、ルーイも相手がリザなのだ、強引に抜け出すことも出来ないようだった。
ごめん。ちょっと読み違ったわ、それは。うん。
あとで生薬を用意させましょう。
用意するのはルーイだけど。
「失礼、興奮してしまいました」
「いえ。それでは改めまして、これで失礼します」
「ええ。ご苦労様」
フェルナンドはそうして帰っていく。
多分彼はクリスの不在を確信しただろう。ただしその証拠や言質は手に入らなかったはず――反面、フェルナンドの失望が何に由来する者なのかは分からずじまい。
及第点と言えば及第点、けれどギリギリ落第点……追試が可能かは微妙な範囲。
「ごめんなさい、ルーイくん。おもいっきりつねってしまいました……」
「いてて……もしも次回があるのだとしたら、その時からはご遠慮下さいね……」
リザとルーイはそんな私をさておいて仲直りをしている最中のようだ。
思ったよりも役に立ったような、思った以上に役立たずだったような。
効果があったらラッキー程度の試みとはいえ、こうも空振りすると自分の直感を疑わなければならない。
少し荒療治でもしてみましょうか……余裕が出来たら。
今がそのタイミングとは言えまい。
「ほっぺたが真っ赤になってしまって、うう、私ったらどれほどの力で……」
「特段リザが力一杯やったというより、ルーイの耐久力があまりにも欠如しているだけよ。その辺は気にしないで良いわ。子供だしすぐに治るでしょう」
「ルシエ様。子供も大人も治癒力はさほど変わりませんからね……」
言いつつ、耳の先まで赤くしているルーイだった。
ああ、……この子、我慢してたのね。
「ルーイ、フェルナンドに依頼を出した人物を特定しておいて。お茶会は私たちで片付けておくわ」
「……ありがとうございます。では、失礼します、リザ様」
「はい? はい。どういたしまして?」
事態を飲み込めていない様子をありありと浮かべ、それでもリザはルーイを見送る。
一方のルーイはいつもよりも気持ち素早く部屋を出て行き、扉を閉めるときにちらりと私に視線を向けてきた。その視線は『助かった!』という意思が乗っていたので、『少し離れたところでね』と私も視線で返事をしておく。
「ルーイくんに任せてしまっていいのですか? 私たちも手伝った方が……」
「……そうね。けれど、その手の非戦闘行為はあの子の得意分野。私たちが出張っても邪魔になるだけよ」
リザは……どうやら本当に気付いてないみたいね……。
鈍感すぎる。
その鈍感さがルーイを助けているので今は文句などないけれど、いずれそれが原因で……、失敗しないんだろうなあ。天運娘だもんなあ……。
「だからせめてものお手伝いで、片付けを手伝って頂戴。リザはもうすぐ、テオと用事があるのでしょう?」
「それは、そうなのですが。……テオ様に、フェルナンド様の事をお話ししたほうがよいのでしょうか」
「その判断はあなたに任せるけれど、私ならば一応お会いしたということだけは伝えるわね。内容は聞かれたらって所かしら」
「……そう、そうですね、わかりました。ありがとうございます、ルシエ。……けれど」
リザも立ち上がり、お茶会用のテーブルの上に置かれたカップを手に取って言った。
「フェルナンド様は思ったより、嫌がりませんでしたね。もうちょっと派手に邪魔をした方が楽しかったかしら……」
「…………」
鈍感な上で嗜虐趣味気味かあ……。
テオ。
がんばれ。
リザに手伝って貰いつつの片付けは十分ほどで終わり、リザはそのまま百合宮を出た。
見送った後、私は寝室へと向かう。
ルーイが先ほどまで着ていた服は畳まれもせず、乱雑に床に放り捨てられていて、よっぽど切羽詰まってたようだと思う――無理して我慢していたようだし、その反動もあるだろう。今晩は私も楽しめそうだ。
けれど今は、まだ少し時間をおくべきか。
ベッドに座り、手近な本を手に取って、タイトルを眺める。特に興味がある分野ではないけれど、特に嫌いな分野でもない。
なんとなしにページをめくると、はらりとページの隙間から一枚の紙切れが落ちてきた。
栞……じゃあないわね。
紙切れにはただ、『ニ』、と書かれているだけ……、裏返してみると、『ロ』。
偶然?
のわけが、ないのよねえ……。
「アカシ・ロ。居るのね?」
「ああ。君の連想力に感謝しようじゃないか」
私の問いに、誰も居ないはずの場所から声がする。
手繰ったところで気配はない。
当然だ。
そこに在るのはもはや生き物ではない。ただの現象――他人に認識されることでかろうじて一つの連続性を保っているだけの、いつ消え失せてもおかしくないような意識の霧。
だからそれに名前はなく。
ただ便宜上、『アカシ・ロ』と呼ばれている。
「あなたがこうも直接的な干渉を世俗にできるとは知らなかったわ」
「王城の内側が世俗から隔離されていると言ったのは君だろう。それのおかげで干渉が楽になったと理解して欲しい」
「ふうん……?」
言わんとしていることは、わかるような、わからないような……。
私がそう認識したおかげで、『王城内部で起きたことは外側には知られにくい』『王城は世俗とは隔離されている』って連想が同時に発生して、それによって『多少干渉しても世俗に影響は与えない』とでも続けたのだろうか?
詳しく考えるだけ無駄か。
「そう。詳しく考えるだけ無駄だよ。狼の居ぬ間に用件を済ませたい」
「……あなたは本当に、ルーイが嫌いなのね」
「嫌いというわけでもない。彼との間には何もないだけさ」
無関心や無関係であるというほうがむしろ怖いのだけれど……、まあ、そんなことを問い詰めて解明したところで意味は無いか。
意味を問うならば、アカシが現れたその理由であるべきだろう。
「クリストフは数日内に森に到達する」
「…………。そう。そうでしょうね。けれど、それがどうかしたの?」
「彼は帰ってきたら、きっと君の役に立とうとするだろうね」
ん……?
何か今、ニュアンスが……。
「君の覚悟は空回りしそうだよ。それを警告しに来ただけ――それが本題、これが本題。ルシエ。君の選択を見てるからね」
アカシはただそう言って。
ふっと、その場から消えてしまう。
「……違うわね」
消えたかったのではなく、維持できなかったのか。
つまりは干渉のしすぎ……かしら?
何が起きているのかがまるで分からない。
ただ、アカシは己の存在が揺らぐ可能性を踏まえて、それでも私に何かを伝えたがっていた。
「…………」
何かが起きかけている。
それだけは、確からしい。
登場人物
アカシ・ロ……意識の霧。便宜上の名前。