それでも心はうずく
クリスが率いる騎士達の出征は公にされる反面、その部隊長がクリスであることは公表されなかったし、民もほとんどはそれに興味を示さなかった。
無論、興味を持って調べようとする者も居るには居るが、王城の式がそれを阻んだ。
相手にすると厄介極まりない性質だけれど……味方にする分には便利極まりないわ、これ。
「ルシエ様。お客様がお見えになっていますが」
「客?」
クリスらが出征してから二日後の昼下がり。
リザとのお茶会を百合宮で楽しんでいると、珍しくその邪魔をするようにルーイが言葉を挟んだ。
「おや、ルシエ。お客様をお呼びだったのですか?」
「いいえ、呼んだ覚えはないわ……、テオかしら?」
「いえ。フェルナンド・チ・ローレルメルス様です」
フェルナンド、心当たりは無し。
ローレルメルスという名前もよく分からない、しかし見覚えはある……。
ルーイが知らせてきている以上、その『冒険者』は相応の資格を行使して尋ねてきている、か。
「一応聞いておくと、リザ、心当たりはあるかしら」
「いえ、全く。どなたでしょうか……ルシエには心当たりがありませんか?」
「個人としては知らないわ。ただ、名前は何度か見たことがあるし、腕の立つ冒険者ということは分かるけれど」
冒険者の、『高み』。
それは漠然とした話ではなく、この王国において冒険者は明確に階級が付けられる。
見習いのプレーン。
駆け出しのブロンズ。
一人前のシルバー。
一級品のゴールド。
『高み』――選ばれた『四十七人』のプラチナ。
プラチナの四十七人は、さらに四十七人の内の何人目かということまで丁寧に定義されており、そしてそれは『一文字の称号』として与えられる。
「『チ』の称号ということは第八位ね。ルーイ、お相手は私に会いたいと言ってきたのかしら? それとも、陛下がこちらに回したのかしら」
「さきほど女中に確認しましたが、陛下を訪ねた様子はないそうです。ルシエ様をご指名ということになりますね」
「すでに城内にいるの?」
「いえ、城外で回答を待っているそうです」
なるほど、追い払おうと思えば簡単ということだ。
とはいえこのタイミング。まず間違い無く、フェルナンドという冒険者は動く。
「……そう。リザ、どうする? 同席したいというならばしても良いわ。けれどその場合、ちょっと一芝居打って貰うことになるけれど」
「芝居ですか。私はあまり得意では無いのですが……、そうですね、腕の立つ冒険者と会うなどという機会にはこれまで恵まれていませんし」
…………。
この天然女、天運が尽きればどんな目を見て死ぬのだろう。
もっとも、この天然女の天運には限りが無さそうなので、なにかこう破滅することはなさそうね。羨ましい才能だけれど、私も欲しいとは思わないわ……。
「ルーイ。今の時間は?」
「十二時三十二分となります」
「十三時半。午後の一時三十分に百合宮で待つと伝えて頂戴。それと、伝え終わったらすぐに戻ってきて」
「かしこまりました」
すっと行動に移るルーイを横目に、さて、とリザに視線を向ける。
今日のリザは特に行事もなく、婚約者としての花嫁修業も休息日。
だからこそお茶会としゃれ込んでいたのだけれど……。
「それで私は、どのようなお芝居をすれば良いので?」
「あなた、ルーイのことはどう思う?」
「はい? ……ええと、かわいらしい男の子だとは思いますが」
「嫌いって事は無いのね」
「もちろんです。ルシエのお付きという点を抜きにしてもとても良い子ですからね。偶然お会いしたときも、色々とお菓子などをくれるのですよ」
ルーイのやつ、リザの餌付けを試みてたのかしら……。
そしてお菓子程度であっさりと籠絡……まではいかずとも、好感度を得られているあたり、ちょろすぎるわね、リザ。ちょっと不安になるくらいに。
「ならばリザ、ちょっとルーイといちゃついてなさい」
「いちゃつくって……。私、テオ様の婚約者なのですが」
「安心しなさい。妙に刺激しなければあの子は上手なだけだから」
「いえ、そういう問題ではなく。しかも妙な刺激をすると何か危険があると言うことなのでは?」
天運女は耳聡かった。
「だいたい、そんな淫らなことをあのような子供とするのはちょっと、罪悪感が」
「ちょっと待って。リザ、行き過ぎ。行き過ぎよ。いちゃつくってアレね、ルーイを抱っこしたり頭を撫でたりするだけよ。何もそれ以上のことは求めないわ」
「……あっ」
ぽっと顔を赤くして、リザはすっと顔を横に向けた。
天運女は耳聡かったけど、やはり天然だった。
放っておいたら間違い無くルーイのスイッチを入れてたわね。相手も王子の婚約者とはいえ、容赦ができるほど大人でもないし……それはそれで見てみたい気もするけれど、もはやそれは演技でも、そして縁起でもないので却下。
「けれどええと、そのような事をして何か意味があるのですか?」
「相手に余計なことをさせたくないのよ。冒険者は意表を突く情報にとても弱い」
「意表を突く情報ですか……」
そう。
少し時間もあるので、リザには説明しておこう。
「今回来る冒険者、フェルナンドと言ったわね、その人物の目的はまず間違い無く、今回の出征を仕切っているのがクリスである事を『確認』する事よ。フェルナンドとは別の冒険者が、既に出征の本隊を探ってるでしょうけど、ソレとは別口、別方向から確認をしたいというのが冒険者ギルドの考え方になるわけね」
「はあ。……ええと、それでクリス様が出征していることが分かったとして、何か意味があるんですか?」
「王城にクリスがいない、という情報がまず手に入るわ。そしてクリスが出征している、つまり『何かが起きれば』、そこでダイレクトに恩を売る機会が手に入る可能性がある。あくまでも可能性、殆どの場合では空振りするけれど、捉えることが出来れば膨大な報酬が得られるでしょう」
そう上手く行くことはまず無いけれど、可能性がある限り追い求めるのが冒険者だ。
今回もそうだろう。
「なるほど、そちらはまだ理解出来ます。しかし私がルーイくんと仲良しであることをアピールする意味はどうなのですか?」
「冒険者は『何か一つの情報を確定させる』で済ませない。欲張りなのよ」
「…………?」
「今回の場合は、王城に入りクリスの不在を確かめる。その上で出征の責任者がクリスであることを私から確かめる。この二つは『最低条件』のノルマで、それに加えてどれほど多くの情報を手に入れることが出来るかが鍵になるってわけね」
「つまり報酬の上乗せを狙ってくると言う事ですね。……なるほど、そしてそこに誤った情報を載せると。……いえ、意味あります? ちょっと調べればすぐに偽情報だと気付くのでは?」
「こと王城の内側での出来事に関しては、その『ちょっと調べる』が難しいのよ。あなたも既に痛感しているでしょうけれど、王城は恐ろしいほどに世俗から隔離されている。干渉する手段があまりにも矮小すぎて、検証には時間が掛かる」
「時間が掛かるだけで不可能ではないのですね?」
「そうね。けれど、視線を逸らす事は十分にできるわ」
「…………、」
リザはそこで、ようやく気付いた様子を見せた。
「……なんとなく、ぼんやりとルシエが考えていることが分かったような気がしますが……。本当にやるんですか?」
「ええ」
「ただの嫌がらせを?」
惜しい。
「それは少し違うわ。『手の込んだ嫌がらせ』よ」
「大して変わらないじゃないですか……。まだお会いしたこともありませんが、フェルナンドさんが少し可哀想です」
「あら、その割には手伝ってくれるつもりなのね」
「王城での生活に些細な刺激があっても良いと思っただけです」
結局、リザも同じ穴の狢と言う事だった。
そうでもなければ王子の婚約者にはなれないのかもしれない……いえ、それはないわね。リザの場合はただの運か……。
「ところで。本人もまだ来ていないので先に訊いてしまいますが、その、ルーイくんはどうなのですか、実際。……言われてみれば、クリス様も『上手い』とか言っていたような気はしますが」
「子供のくせにかなり上手いわ。数慣れもしてるしね。しかも子供らしく体力に溢れているから、長時間楽しめるし」
「そうですか……。…………。まさか婚約の儀式に同席を?」
「させたわ」
「……強い子ですね」
ソーンのことを思い出しているのか、リザは少し目を細めて言う。
その直前までの会話が色々と台無しにしているような気もするが。
ちなみに、ソーンとはあれ以来一度も顔を合わせたことはない。
私も、そしてリザさえも。
但し、今どこに居るのかは知っている――ルーイに少し調べて貰っただけで、すぐに見つかった。いえ、あれを見つかったと言って良いのかどうかは微妙だけれど。
結局、あの子は『弱かった』。
けれどそれは、正しい弱さだ。責められるべきは式だろう。
「ただいま戻りました、ルシエ様。ご用件は?」
「丁度こっちも話が終わった所よ。フェルナンドに手の込んだ嫌がらせをしたいから、ルーイ、あなたちょっとリザといちゃつきなさい」
「ルシエ様。昨日の疲労が抜けてないんですけど……」
「あなたまで誤解しないで頂戴」
しかも二重に誤解してるわねこれ。
「昨日って……、まさかルシエ、クリス様がいない間……」
「まあ、それは否定しないけれど、その程度で『疲労』が溜まるルーイじゃないわよ。単に昨日はソレとは別に、夜の鍛錬を手伝って貰ったの」
「すみません。ルシエのそのお言葉からでは、結局同じ事しかしていないように聞こえます」
「……あなた、意外と色好みなのね」
いえいえまさかそんな事はありませんよ私は清き乙女である事を誇りにテオ様と婚約したのですその後もテオ様に尽くす婚約者としてあらゆる努力は惜しみませんがしかしだからといってむやみやたらに淫らなことをしたいわけではありませんしこれっぽっちもルーイくんのような体力に溢れた若い子が羨ましいなどという感情はわきません。
リザはそんな事を伝えたさそうな表情を浮かべて、
「ずるいです」
とだけ言った。
うん、ルーイと相性が良すぎて致命的に悪くなるタイプかもしれない。
ルーイも怯えてるし。
貸し出しはやっぱりやめておこう。
尚、ルーイに手伝わせた夜の鍛錬とは真夜中に行う野鳥狩り。
城内にはフクロウなど夜の狩人がちらほらと紛れ込むことがあり、それを狩ることで戦闘の勘を取り戻しているのだった……まあ、そのたびにルーイが眠気と戦う姿を見るのはちょっと心がうずく、じゃない、痛むけれど。
「ともあれ。お客さんが来る前から、お客さんが帰ってからしばらくの間、その辺のソファなりベッドなりで頭を撫でたりほっぺを触ったりして頂戴」
「……スイッチ、入れないで下さいよ。頑張って我慢はしますけど」
「ええ」
「はあ。リザ様まで、そんな悪質な嫌がらせに手を貸すとは……。フェルナンド様が不憫ですね」
火を付けた私に指摘する資格はなかったけれど、この状況で一番不憫なのはルーイじゃないかしら……?
登場人物
フェルナンド・チ・ローレルメルス……冒険者。