王城の式にあてられて
王城にはどうしようもない式が多々残っている。
誰かがそれを変えなければならない、そう誰もが思っているような式なのに、その式は結局継続する。先王が、あるいはかつての王が決めたことだ、それを変えることは許されないと。
婚約の儀式。
それもまた、そういった式の一つだった。
「ルーイ。結局あの、ソーンという子はどうなったのかしら」
「一日目は耐えた、と見えますが、外見だけですね。再起は不能でしょう。ましてや、まだ式は終わっていない」
「残念ね……警告は届かなかった。けれど、残念という資格もあるのか、どうか」
その儀式は王城の施設の一つ、福寿宮において行われる。
出席が義務とされているのが国王、王妃、そして王子と婚約者。
王女や、別の王子の婚約者はこれへの出席は任意ながら、出席する権利は持っていた。
私はそんな権利は必要ないと叩き捨ててきたが。
「ルシエ様」
「今日もクリスは帰ってこないわ。ラフで良いわよ」
「そうなの?」
そうなの。
「じゃあお言葉に甘えるけれど、本当に良いの? ソーンはもう手遅れだろうけれど、まだリザは大丈夫だよ。今なら助けられるかも知れない」
「無理よ」
「なんで。ルシエほどの力があれば……」
「それでも無理よ。私は陛下に逆らえないわ。陛下が描く未来を見てみたい……その欲求は、彼女を助けるという道義を踏みにじってしまう」
だから無理。
それにだ。
「今更ルーイに教えるまでもないでしょうけど……ルーイの方がむしろ事情には詳しいのでしょうけれど、あの『式』で行われることは歪みきっているけれど、必要な事なのだから」
その儀式を簡単に説明するならば――とても簡単に説明してみるならば、単純といえば単純なことだ。
王子は婚約を交わした相手との間で営みを持つ。但し、そこに出席している全員の目の前で、二日二晩、休み無くという補足が着くだけで。
婚約者が女であれば、白い花びらのドレスを贈られた者である事が望ましい。
婚約者が男であれば、白い艶やかなリボンを贈られた者である事が望ましい。
どちらも『未経験』である事の証であって、その最初に最大の、あらゆる恥辱を与えることで、婚約者の心を壊し、制圧し、屈服させる。
それがその儀式の目的と言えた。
婚約者となったリザは、昨日からそれを受けている。
同席させられているソーンは……だから、もはや手遅れだ。
「そんな儀式……やっぱり、おかしいよ。なんで、そんな事を。なんで心を壊すなんてことをするの?」
「心を壊し、制圧し、屈服させる。それは結果よ。大抵の場合でそうなってしまうというだけ――大概の場合でそうなってしまうというだけ。事実、私はそうならなかったし、そこにルーイ、あなたも同席していたけれど、なんともないでしょう」
「…………」
『王を支える者であれ』――。
王という地位が、王という立場がもたらすあらゆる黒い感情を受け止めることができる器を改めて作り上げるという儀式。
だからグェン様のように、心が壊され、制圧されて、屈服させられた上でただ嫋やかに王を支える者が大半になる。
けれど私のような例外は、心は鍛えられ、制圧仕返し、他の誰にも屈服しないという意思によって王子を支えるようになる。
「最初にこんな儀式を考えた者達は、私のような者こそを王妃にするべきだと主張したんでしょうね。どのような恥辱に塗れようとも、どのような苦痛に会おうとも、どのような快楽に溺れようとも、決して己を見失わないような存在こそが王を支えるべきだと考えたんでしょうね」
けれどいつしか理は失われて、式だけが残った。
心を鍛える式だったはずのそれは、心を壊すための式になってしまった。
それでも王を支える事が出来るから――だから、式は残り続けるのだろう。
「ルシエはずるいね。助け出すことが出来る力が合っても、助け出すべきだと思っても、見て見ぬ振りをしちゃうなんて……おいらを助けてくれた時のルシエはどこにいったのやら」
「あら、私はあの時とさほど変わってないつもりよ。……そもそも、誤解があるようだけれど」
「え?」
「私はリザが壊れるとは思っていないのよ」
私と彼女の接点は、あの短時間の顔合わせだけだ。
けれどあの短時間で十分だ。
「リザは壊れない。私と同じよ。私とその理由は違うでしょうけどね……だから私は、『何かあったらここに逃げ込みなさい』と言ったの」
心が壊れれば、そんな助言は何の意味も持たないけれど。
制圧されてしまえば、そんな言葉はきっと忘れるだろうけれど。
私はあの時、リザは耐え抜くだろうと判断した。
「クリスに失敗はなかった。けれど私は壊せなかった」
そして一年が過ぎた。
「テオにも失敗はないでしょう。なのにリザは壊せない」
心を壊す事に、二人の王子がどちらも失敗した。
それを陛下はどう思うのだろう?
「私はリザを助けると言う道義よりも――」
どうしても、どうしても、心の底から。
「――陛下が描く未来を見てみたい」
その翌日。
私の考えたとおり、リザは心を保ったまま、この百合宮に駆け込んできた。
その日以来、私とリザは志を共にしたけれど――ソーンと会うことは、二度と無かった。
◇
「懐かしいわ。薄衣一枚でリザが駆け込んできたと思ったら、あなたはルーイと鉢合わせておもいっきり蹴飛ばしたのよね」
「……あの時のことは、その、本当に申し訳ないと思っているのですが」
「いいのよ。あの子の不用心だし」
まあ、そんな蹴り一発で三日もルーイが寝込むとは私も思わなかったけど。
子ウサギにさえ負けそうなリザに余裕で負けるルーイという執事に若干の不安を抱いたのはあれが三度目だったわね……。
ともあれその日、私はリザと志を共にした。
それは即ち――グェン様とも志を共にしたと言うことだ。
「そう。そこなのです。そこがよく分からないのです。――私たちはあの時、確かに志を共にしたはずです。なのにリュシエンヌ、どうしてあなたは」
リザは一度言葉を句切って。
「あなた一人で殺してしまったのですか」
と、核心を突いた。
「あの時私たちは約束したはずです。私たちは結束したはずです――この王国の式を正すべきは私たちであると。その障害になるならば、一人で罪を負ったのですか。私たち三人で共謀すれば……事の露見なんて、絶対にしなかったでしょう?」
「三人……ね。実際にはそこにルーイとテオも含めて五人かしら? ……確かに、私たち『五人』ならば、完全犯罪は容易だったかもしれないわ」
第一王子クリスを殺し。
国王ニコラを殺し。
その罪科の全てを隠蔽し、第二王子のテオを即位させ、あらゆる改革を進めることが出来たのかもしれない。
「私たちはクリスを殺すことを早い段階に決めていた。だから私たちは、クリスを抱き込むことが出来なかった。……私たちが思ってた以上に、クリスは聡かったのよ。私たちは揃って見誤った。私たちは揃って見くびっていた」
クリストフという人物を。
私たちは評価し損なっていた。
「クリスは私たちが繋がったことに、気付いたのよ。少なくとも私とリザが、そしてテオも何らかの一つの目的に進んでいる事に気付いた。だからクリスは、最善を尽くした」
最善を尽くす中でクリスは気付いた。
私たちの目的が式を正すことだと。
そしてその工程表には国王暗殺と、自分自身の暗殺も含まれるであろうと言うことも。
だからクリスは、無理に最善のさらにその先へと進んでしまった。
「遅かれ早かれ、クリスも到達すると思っていたわ。そして事実、到達して……彼は力を選んでしまった」
新月の夜空に星は瞬く。何かを嘆くこともせず、空はただそこに在り続ける。私の罪を告発したリザが知らない、私と共謀していたテオもグェン様も知らない真実を、空はそれでも眺めていたからか。
「王国歴七百二十四年。つまりは去年……私がクリスを殺したあの日。クリスは――」
やっぱり、それは失敗だったのだ。
ルーイもあの日、嘆いていた。
「――私たちに悟られずニコラを殺す手段として、魔法に手を出してしまったの」
ここまで第一章。
続きはうっかりと気長にお待ち下さい。