肉体派な私たち
「おお、ルシエ。今日もその肉体美を朝から拝めることは僥倖だ。……が、何をしているのかな?」
「見ての通りですわ、クリス様」
王国の第一王子……つまり、次世代における王国の大黒柱、クリストフ・ロワ・エパーニュ。金髪は短く風に揺れ、そして金の瞳は鋭く私を射貫いている。
彼と王国の大貴族として大きな領地を辺境に持つアンタンシフ家の一人娘、つまりは私、リュシエンヌ・ニ・アンタンシフの婚約が決まったのは、アンタンシフ大崩落と呼ばれる大災害から一年後、王国歴七百二十二年のことだった。
そして丁度、今日はその日から一年――婚約記念日、その日の朝も、私は日課を消化していたわけである。
「素振りと体力作りはしていて損がありません。どころかサボればすぐに身体は正直に、腕も腹もたるむでしょう」
「……いや、ルシエの場合は少々やり過ぎだと思うが」
「この程度の運動は、私と似たような立場の者達は当然のようにこなしますよ」
最後の素振りをふっとすれば、稽古に使っていた槍の柄と穂先がぱきっと割れる。
素振りのノルマは、『稽古用の武器一本』。
何回振るかが問題ではなく、その稽古用の武器が壊れるまで降り続ける。それほどの意気で、そしてそれほどの事をしなければ私はこの身体を維持できないことを知っていた。
「婚約し現役を脱したとはいえど、一度でも冒険者の『高み』に手を掛けた以上、いざという時に動けないのは問題ですもの。美味しいオムレツをあえて不味くすることに快楽を見いだすほど酔狂でもありません」
「うむ……。言っていることがまとものような、そうでもないような」
そう言いつつもクリスは私に安堵の表情を浮かべている。
婚約の話が出る前から多少は探っていたし、婚約するにあたって当然調べたことではあったけれど、この王子は私と考えが近い。
……だからこそ王子も王子でこれまで婚約すらも話題に上がらなかったわけだが。
「ルーイ。片付けてからお茶を入れて貰えるかしら」
「俺の分も頼もうか」
「かしこまりました」
はじけ飛んだ稽古用の槍をてきぱきと綺麗に素早く片付けると、ルーイは一礼して去って行く。
「あの小僧のいれる茶は美味い。あるいは料理番が淹れるものよりもな」
「まあ。ルーイを褒めていただけるのは恐縮ですけれど、それでは料理番の御仁が無念でしょうに」
「ふふ。そうだな。だが実際どうなのだ、あの小僧は料理も出来るのか?」
「雷霆鳥のソテー、みぞれ仕立てなどは逸品でしたわ」
「…………。料理ができると言うことは伝わったが、その素材はそうそう手に入る物ではないな……」
苦笑をゆったりと浮かべつつ、クリスは私の額に手を当てた。
「どうかしまして?」
「いや。昨晩は遅くなった、今朝も朝から運動していた。体調の把握は役目だからな」
「でしたら多少はご自重下さいな。具体的にはもうしませんが」
「……すまない」
気まずそうに謝るクリスは、何か起こられた子犬のようで。
本当に、かわいらしい所もあるのよね。
「それで、クリス様。今の謝罪が用件ですの?」
「用件の一つである事は否定しないさ。だがメインにあるし……少し長くなる」
「ならばなおさら、早めに教えていただきたいのですが」
「まあ待て。小僧が来てからだ」
……はて。
ルーイに聞かれたくない、から、お茶を出してから改めてということか?
いや、今更そのようなことを考えるとは思えない……、『私が知ったことは全てルーイにも知られる』、その程度の前提条件は入場してから七日も経ずに周知させている。
となると、逆。
ルーイにも聞かせたい話……。
「お待たせしました、クリス様、ルシエ様」
「ええ、ありがとう」
朝の訓練をしている場所から目と鼻の先には、花壇に囲まれた、屋根付きのガーデンファニチャーセットへと自然に移動。
この空間は私が無理を言い作って貰ったもので、実家、アンタンシフ家の屋敷にある設備を真似ている。
家を離れて初めて気付いた、安らぎの場所として。
季節に合わせた花に囲まれ、お茶を嗜む。実に貴族らしい行動だと私は自負している。
「クリス様、お話というのは……」
「ああ。ルーイ、君にも聞いて貰いたい話だ。同席して貰えるだろうか」
ルーイは思考をおくびにも出さず、クリス、私の順にお茶を出すと、ゆっくりとはい、と答えた。私がそれを止めないことを確認する間だったのだろう。
「それでは、ルシエ様の後ろにて」
「いや、少し長くなる。座って良いぞ」
「…………、」
「勧められているのです。遠慮無く座ってしまいなさい」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
堅苦しい言葉とは裏腹に、『らっきー休憩休憩!』といった感情を浮かべつつルーイは席に着いた。
ルーイは私が冒険者だった頃に拾った子供だ。色々と要領が良かったので手元に置いた……のが始まりで、貴族としての生活に戻ってからは専属の執事に、そしてクリスと婚約するに至り、私が王城にスタッフとして連れゆけるが出来る権利を彼のみに行使し、その役割を私専属の執事兼手伝いとしたことは王城を震撼させたらしい。正気かと。
私は正気だった。
無知だっただけで。
それでも失敗したとはみじんも思っていない。
風呂の準備も含め、ルーイに恥じらうものなど既に残っていない私で、逆もまたそうなのだから。
……うん? 語弊があるような。
「では用件を話そう。正式な発表は七日後になる。それまではくれぐれも公言しないように」
「はい」
私が声を出し、ルーイは頷くことで認めると、こほん、とわざとらしい咳払いをしてクリスは言う。
「弟、テオドールが婚約を行う。相手はオース・フォンデシオンの孫娘だ」
「……オース・フォンデシオン?」
っていうと……、たしか、貴族は貴族でも、よく言えば名誉職、実質的に言えば閑職に追いやられている家系だったと記憶している。領地を持たないタイプの貴族だったはずだとも。
「エリザベス様の事ですよ、ルシエ様。エリザベス・フォンデシオン――まだ個人称号はありませんが、婚約が発表されると言うことはオースの称号を継ぐ形でしょうね」
「ほう。さすがに詳しいな、小僧」
「恐縮です」
ルーイはその人物を知っている。らしい。
私には心当たりがないのよね……、ということは、ルーイが独自に調べた人物。
その上で、特に私に報告する必要性はないと判断されている事になる。
「ルーイ。そのエリザベスという人は、どのような人だったかしら?」
「ルシエ様には及ばずとも、貴族のご令嬢としては異質な存在かと。正義感に溢れ、正常を好み、蝶よ花よと言うより前にまずは自ら行動する方です。但し、ルシエ様とは違い自ら戦闘をすることはありません。戦闘を回避するための知謀に長けた方……です」
べた褒め……とまでは言わずとも、その寸前の段階には達していると。ルーイのその高評価は、私からすれば警戒の対象で間違い無い……。
いや。何か、ルーイの言葉には違和感がある。
「ルーイ。他に思うところはないのかしら?」
「……ええと」
そこでルーイはクリスに視線を向けた。憚られると言う事か?
「俺ならば構わん。むしろ小僧がどのような評価をしているのか知りたいくらいだ」
「でしたら、少々言葉が過激になるかもしれないのですが……。結果から導き出す限り、エリザベス様は知謀に優れた方です。『最小限の手間で最大限の結果を得る』、あるいは『小さな結果をよりおおきな結果にする』、そういった増幅を得意とする方です。……ですが、どうにもかみ合わないのです。何かこう、『彼女の思惑とは別に、結果的に彼女が得をしているだけ』といいますか……。けれど、それが何度も連続で起きているのは事実で、これが評価の定まらない原因になります」
「つまり『天然』か『計算』か、前者だとしたら厄介ね。天運に恵まれているとしか言いようがない。校舎だとしたらそれは天佑、代えがたい才能だわ」
最小限の手間で最大限の結果……か。
ルーイが淹れたお茶に改めて口を付ける。丁度良い具合にぬるくなっていて、飲みやすい。王子に『美味い』と言わせるだけのことはある。
「ルーイ。例の件はどうなのかしら?」
「それらしき記録はありません」
「そう」
「但し、『記録がない一週間』が存在します」
「……そう」
「何の話だ、ルシエ」
……さて、どう答えるのが最善か。
妙な誤魔化しをしても意味は無いわね。少なくともこの王城という空間、環境において、クリスは味方にしておかなければならないし、私個人としてもクリスは決して嫌いなタイプではない。むしろ好みの部類だ。話も合うし。
かといって馬鹿正直に話したところで、いくらなんでも真実味に欠けると。となると、多少ぼかすか……、いや、ぼかすのだって誤魔化しだ。
「私に限らず、一部の特殊な経験をした者達はある事を確認することがあるのです」
「特殊な経験……?」
「はい。詳しくは……申し訳ありませんが、クリス様が相手とはいえ、説明ができません。あるはクリス様がその経験をなさる可能性もありますが……、今はまだその時ではないでしょう」
「ふむ。もったいぶるな……ちなみにその口ぶりだとルシエ、君はその経験をしているな。小僧はどうなんだ?」
「ルーイにその記憶はありませんが、状況からして経験をしていると私は考えています」
「そうか。ますます気になるものだ。どうすれば俺はそれを経験できるかな?」
「一番の近道は、そうですね。私を素手のタイマンで張り倒す程度の個人的な武術を習得して冒険をするか、それに類する何らかの偉業を目指すことでしょうか」
手っ取り早い方法を伝えると、クリスは「ははは」と笑った。「面白い冗談だ」とも。
……私もルーイも、そこで茶化すようなことはしない。つまり、それほどまでに重い経験なのだ。
『あの森』は。
「とはいえ、クリス様であれば、遅かれ早かれという気もしますわ。遠からずしてこの王国を治めることになるのですから」
「ふむ。そうだな、そしてその時、俺の肩と膝を支えるのはルシエ、お前になるだろう」
「ええ。存分に私をお使い下さいね、クリス様」
もちろんだとも、と満足げにクリスは頷く。
それは自尊心に溢れた野心家にみえるだろうか?
とんでもない。
これは擬態だ。
だから私の言葉も、決してその全てがお世辞ではない。
きっとクリスならば、いずれは『あの森』を経験することになるだろう。
それは――通過儀礼として。
「さて、脱線させてしまった、すまない。話を戻そう。テオが婚約を発表する……それが七日後。そしてルシエ、テオの婚約者、エリザベスは、今日から城で前支度をすることになっている」
「さようですか。それは……、それは……?」
うん……、うん?
今日から?
「ルーイ。今の時間は?」
「時計がありませんので正確には判別しかねます……が、日の傾き具合からして、およそ八時三十七分といったところかと。お茶を淹れていた際、クリス様おつきの使用人たちが話していたのですが、国事用の馬車が十時頃には到着するとありました」
「つまりあと一時間半ほどで来る……ということかしら。クリス様、どうなのですか?」
「その通り。着いたら挨拶をしたいとオース・フォンデシオンから要望があってな、それにルシエも同席して貰いたい……、ルシエ、どうした?」
どうした、って……。
「その話。いつからクリス様はご存じだったのですか?」
「半年前には持ち上がっていた。ただ、俺たちの婚約から一年とたたずに発表するとドタバタ騒ぎになるだろう? だから婚約から一年後、から少しだけズラした頃に発表しようと話は纏まっていた。もっとも、今日の段階で入ると聞かされたのは三日前だが」
「三日前には今日のこのご来訪をご存じだった、と」
「ああ」
だめだ、分かってない。
女がどれほどの要するのかを。
「ルーイ。急いで準備を」
「かしこまりました」
ルーイが急ぎその場を辞する。もちろんクリスに対しての礼は怠らない。
私もその後を追うように立ち上がり、クリスに頭を下げる……今は顔を見られない方が賢明だろう……。
「ルシエ?」
「クリス様。私はこれから湯浴みをし、化粧を整え、髪を纏めてドレスを仕立てるという行動を取らなければなりません」
「ふむ。それは分かったが……」
「今の工程。急いでも一時間では済みませんわ」
ようするに。
「次回からはせめて前日にはお伝え下さいましね」
私の表情は今、少々どころではなく、引き攣っている。
相手が王子じゃなかったら急所に膝蹴り三連だったわ……。ああ、でもクリスのタフさじゃないと死ぬわね……。
登場人物:
ルーイ……リュシエンヌ専属の執事。ルシエお付き世話人の少年。