運命の邂逅
アンタンシフ家はある命令を、その家が興された時に当時の国王陛下から勅令として戴いている。
その命令は数百年という時間が過ぎ、何十世代と経った今でも撤回されていない――というより、王国はその命令を忘れている節があるけれど、アンタンシフ家はそれを忠実に今も尚、護り続けている。
だから。
「…………」
あの地震から三日後。
震源の方向と推測される南部大山脈へと急いでいた私は、西部平野との境界にある街の残骸、その瓦礫の一番高いところに昇った私は、南部大山脈の中心地へと視線を向けていた。
その方向には大山脈――標高五から六地理単位にまで及ぶ山々が見える。当然だ、天気は良い。晴れている。だから見えなければ逆におかしい。
「…………」
おかしいのだけれど――だからこそ、『見えないという問題』が発生している。
霊峰ルゥ・リグレ――標高十一地理単位。あの山脈の『倍』もの高さを持つその山の姿が無い。
「…………」
この街に来るまでに私が経由した街の数は、港を除いて九つ。
港から離れるほどやはり被害は大きくなっていて、港から三つ目まではなんとか七割ほどが生存していたけれど、五つ目になると生存率が三割にさえ満たない大惨事となっていた。無理もない、建物が建物として残っていなかった――建物は凶器にしかならなかったのだろうと目に見えた。
そして七つ目、八つ目、九つ目……そしてこの街に、生存者は居ない。
……けれど、全滅したとも思えない。未曾有の大震災だけれど、だからといって全員が揃って死ぬとは考えにくいし、七つ目、八つ目の街には墓が作りかけられていた。つまり生存者がいて、せめてもの弔いをしようとした痕跡はあったのだ。作業は途中で止まっていたけれど、作業中に死んだような死体はなかった。
となると、状況からして避難したと考えるのが妥当で、一体何処に逃げるのかという話もあるけれど、とりあえず街の物資を持てる限り持ち、死人は諦め生きている者だけでもなんとか逃げ延びたという可能性がある――それらの街の残骸には保存食が少なかったのも、この説を裏付けていたし、ならば何故中途半端に墓を作ろうとしたのかと私は疑問を抱いていた。逃げるならさっさと逃げるだろう。途中で放棄するくらいならその労力は逃げるための支度に使うべきだ。
事実この街にはそのような痕跡はない。即決で街を放棄し、逃げることを選んだ。その理由が私には、最初分からなかったけれど。
今は分かる。
「…………」
港で落下死したらしい灯台守の今際の言葉、謎かけのような言葉が脳裏に浮かぶ。
『いつも見えていたものが見えなくなった』――この街は港よりも遙かに近い、だから灯台などの高い所に登らなくても普段から見えてたんだろう。そして、灯台守と同じように、見えなくなったことを悟った。
あるいは灯台守とは違って、それが見えなくなる現場さえ目撃していた可能性もある。
要するに。
「霊峰が、なくなった……」
改めて、言葉に出してみる。
なんだろう、現実感がまるでない。
標高十一地理単位もの巨大な山が崩れた?
どんな冗談だ、それは。
もちろんあの地震は前代未聞といって良いレベルだろう、だからといって山が崩れるほどの衝撃か? いや確かに、道中、大きな崖崩れが起きている場所は見た。局所的にはあり得るだろう。けれど山が丸々一つ無くなるというのは、あるのか?
よしんばあったとして、じゃあ何故、その霊峰を取り囲んでいる大連山は無事なんだ?
だから、逆なのかもしれない。
地震のせいで霊峰が崩れたんじゃない。
霊峰が無くなるような何かが起きたせいで、地震が起きたのだと考える――
「――いや。今はそれよりも、確認、しないと」
父はこの状況を把握しているだろうか?
いや、どちらでも構わない。
把握していようといるまいと、やるべき事は変わらない――私が成すべき事は変わらない。霊峰の状態を確認し、あの『術式』が働いているかどうかを確認する。それが全てだ。それ以上のことは父の役割、私が成すべきではない。
決意新たに街の瓦礫から飛び降り、霊峰を目指して歩く。
道中更にいくつかの街を横切る――街には人っ子一人残っていない。どこかに逃げた可能性が高い、高いけれど、私がきた方向には逃げていないはずだ。何処に行った?
……北か。そうだよな。こういうときはまず第一都市に逃げたがるだろう。アンタンシフの庇護を求めて。
となると、父の行動は遅れるはず……行動は遅れても、情報は入り始めているはず。私の名前に気付いていれば、父はきっと私の意を汲むはず……。
そう自身に言い聞かせてさらに二日。
大山脈の麓――禁忌領域に最も近い街の残骸へと辿り着く。
「…………?」
気配が、ある……?
ずいぶんと弱々しい気配が一つと、子供だろうか、小さい気配が、一つ。
その二つは寄り添っている。
ただ、この弱々しい気配は……、いや、見た方が早い。
気配のする方へと走り、瓦礫の上へと飛び上がれば、気配の元が見える。
そこには。
「…………、ホープ……?」
いや、違う。
似ているけれど、……違う。別人だ。
少し色の濃い銀の短髪。緑を孕んだ黒い瞳――ぼろきれを纏うだけで、衣服らしい衣服を身につけていない子供が一人。
そしてその子供を護るかのように周囲を睨む金色の眼、血に染まり赤黒くなっているところが殆どながら、尻尾を見るに白銀の毛並みの……狼?
狼はかなりの手負いだ。あれでは、走る事すらできないだろう。
子供は呆然としていて、狼はただ、警戒している。
……なんだ、この組み合わせは。
「グル……」
そして、狼が私に気付いて唸る。
眼にはまだ、光が宿っている――牙を剥き出しにして、私に近付くなと警告している。命を燃やして、最期の力で。
放っておいても……というより、既に致命傷。狼は助からない。
狼をあの子供が狩った……とも考えにくい。狼はむしろ子供を護っている。
「おかあさん……」
子供は呟いて、狼にしがみついた。
おかあさん……?
「もう、もういいよ。もういいんだ。もうやめてよ。おいらは……、ひとりは、いやだよ」
ふと周囲を見渡す。
あの狼が暴れた様子は、……ないわね。
「ねえ、ねえってば……うう」
子供は泣いている。泣いて狼にしがみついている。なのに狼は、私に敵意をぶつけるだけだ。
恐らくはもう、あの狼にはそれしかできないのだ。
何せ、あんなにも小さな子供の体重だけで、押さえつけられてしまっている。
私は瓦礫から飛び降りて、狼と子供の目の前に立って――持っていたナイフを、遠くに投げ捨てた。
「私には狼の言葉が分からないけれど、敵意がないことは信じて貰いたいわ」
ぐるるる、と。狼はそれでも、唸り続ける。
「おかあさんと呼んでいたわね。……どんな理由でどんな関係なのかは分からないけれど、あなたの声さえ届いてない。もうその狼は手遅れよ」
「……おいらのせいなんだ。おいらが、街を見てみたかったなんていったから。なのに、こんなことに、なっちゃって。謝れば、治る?」
「…………。分かってて、聞くんじゃないわ」
「う、うう……」
子供は涙をぼろぼろと流して、ただ、狼に寄り添う。
街を見てみたい。こんなことになった。
前後の事情がわからないと、この状況は結局訳が分からないけれど……だめね、今の彼からは何も聞き出せそうにない。
「そこの狼さん。あなたの気配はもう途切れそうよ。……あなたは、旅立つことになる。あなたにとってそこの子供は大事な存在なのよね? ……だから、護ろうとしているのね?」
狼に言葉が通じるか……?
通じるわけがないよな。それでも、試さないわけにも行かない。
「私があなたの代わりに護ってあげる。だからせめて、今はその子の言葉を聞いてあげなさい――子供の声を聞かずして、何が母親よ」
我ながら、虚しいきれい事を言っているな。
そう自覚しながらも、それでも今は押し通す。
狼は暫く、それでも私を睨んで。
どのくらいの時がたっただろうか、狼は一度眼を細めると、ようやく子供に振り向く。まるで重い、どいてとでも抗議をするかのように。
「おかあさん、おいらは」
そして、がぶりと。
狼は、その子供の腕を甘噛みし、その舌でぺろりとなめる。
その行為に、どんな意味があるのかは知るよしもなく。
けれど、その直後に狼は私に視線を一瞬だけ戻して、強い敵意と――そして、同時になにか、優しい感情を向けてくる。
言葉が交わせれば……私にあの狼の言いたいことがわかれば、何か安心をさせられたのだろうか?
そんなの、私の自己満足でしかないのだろうけれど。
気配が一気に、小さくなっていく。
あの狼は今、死ぬのだ。
それを狼は分かっていて――あの子供も、それを分かっている。
わんわんと泣きはらす子供に、私はどうしたら良いのかと少し――かなり考えて。
「おかあさん、か。あなたは、その狼の子供なの?」
「…………、」
子供は、頷く。
少なくともその子供は、本当にその狼を親だと思っている。
……思っているだけで、実際は違うな。良くても育ての親……だとは思うのだけれど。
「……おいら、気付いたら森に居て。その時、おかあさんが助けてくれた。……おかあさんは、ご飯とか、取ってきてくれてて……だから、おかあさんは狼だけど、おかあさんなんだよ」
子供は人間の言葉を理解している。私と意思疎通が十分にできる。文節も多い、見た目こそは大分幼いけれど……、六歳くらいにみえるけど、少し賢い部類なのか、あるいは単に栄養不足でそうなっているだけで、既に十歳くらいなのか。
狼という種族を知っている。人間の言葉を知っている。なんだか妙な存在だわ……、あの光の森に居たホープに似ているのも気がかりだし。
「おねえさんは……おいらを、護ってくれるの?」
「ええ」
この場面であれは嘘よ、なんて言える奴はそうそう居ないと思うわ……。
「でも、おいら、なにもできないよ。おいら、……おねえさんの役に立てないよ。おいら、誰の役にも、たてないよ。だからおいら……森に、居たんだと思う」
森。森ね。
「何が出来る、何が出来ないなんて後からどうとでもなるわ。それにあなたは既に、三つも良い事ができているじゃない」
「……良い事? 三つ?」
「ええ。あなたは『おかあさん』を悼んでいる。極限状態に追い込まれても尚、大切な誰かを偲んでいる。それは、美徳よ」
そういう人間的な感性をこの子は持っている。それは間違い無く良い事だ。
「そしてあなたはこうして喋れているわ。話が出来るならば、誰かと言葉を交わせるのだから、それは自分の気持ちを伝えることが出来るという事よ。しかも偽りのない、本当のことを……自分にとって不利になるであろう事を、あなたは言った。それもまた、美徳に違いが居ないでしょう」
但しこちらは、弱点や弱みとも言えるけれど。
そして――
「最後に、あなたは生きているわ。生きているなら、何にでもなれる……ちょっと言いすぎかもね。でも、あなただってきっと何かになれるわ」
「……おいらは。どうすれば、いいの?」
「私に着いてきなさい。……まあ、着いてくる先はちょっと……、というか、大分危険だけど、何があっても私が護るわ」
「でも……おいらに出来ること、なんて……」
「そうねえ。……まあその辺は、少し一緒に動いてから考えましょう」
太陽の位置を確認……、そろそろ夕方になってしまう頃合いか。
私一人ならともかく、この子も連れて行かなければならない事を考えれば、今日はこの街の跡地で休むべき、ね。
「まずはその狼を弔いましょう。その後、あなたの衣服をなんとかしないとね……」
「この服で、おいらは十分だよ」
「あなたが十分と言っても、そんな格好の子供を連れ回すとなると私がどうみられるかって話なのよね。私の都合でちゃんと下服を着てもらうわ」
人は居ない。保存食の類いも少ない。それでもそれ以外は結構、その場に残されている。
この街で暮らしていたのであろう男の子、の衣服を拝借しましょう。いくつかサイズのあうものもあるでしょ。
「……けれどその前に、あなたの名前は?」
「……わからない。おいら、気付いたら森にいたから。おかあさんしか、いなかったから」
「そう……、じゃあ、名乗りたい名前はある?」
「……ない。おいら……なんでもいいよ。おいらは、おいらを護ってくれるおねえさんの言うことを聞くよ。おいらに名前が必要ならば、つけて」
「うーん……じゃあ」
安直だけれど。
「そのおかあさんの狼から名前を借りましょうか。あなたは今日から、こう名乗りなさい」
男の子の髪をくしゃりとして。
「ルゥってね」
けど。
「埋葬を済ませたら、衣服を探して、その後湯浴み……は無理でも、水浴びはしましょうね」
「え、え?」
「髪の毛がべたべたよ。それにぼろのしたもどうやら、随分と汚れているようだし。一度綺麗に洗いましょうね」
「……お母さんみたいになめるの? あれ、くすぐったいんだけど」
「いえ狼がするならまだしも、私も人間なのよね。それを子供とはいえ異性の他人にするというのは何か、様々な問題しかないようなきがするわ……」
「え?」
……この子にも白いリボンが使えるわね。
などというどうしようもない思考はさておいて、まずは埋葬。
次に瓦礫の中から衣服を調達、少し大きめだったけれどルゥに着せられそうな服が何着か手に入った。ズボンにシャツ、下着はなかったけれど、下着なんてつけているのは貴族くらいだし、仕方が無いわね。
着替えの前には壊れた噴水、が水を垂れ流していたので、ここで水浴びをさせる。少し怯えた様子のルゥは、けれどすぐになれたようで、なにやら気持ちよさそうに水を浴びていた。
って……へえ、この子の年でもこうなるんだ。知らなかったわ。
「おねえさん。これでいい?」
「ええ。タオルは用意しておいたから、拭きなさい」
「はい」
渡したタオルで身体を拭くルゥの手際に悪いところはない。
一般的な行動は覚えているけど、記憶が飛んでいるってタイプの記憶喪失かしら。
「ありがとう、おねえさん」
「ええ。……というか、私のことは『ルシエ』で良いわよ」
「でも、おねえさんはおねえさんでしょう?」
まあ、そうだけど。
追い追い改善かしらね。
「今日は、これでおしまい?」
「そうね。保存食も見つかったし、コレを食べて今日は寝ましょう」
「うん」
…………。
いや。
もう一つ、やってしまうか。
私もこのところどたばたしていて、アレだったし。
「訂正させて。ご飯を食べたら、寝る前に一つ手伝って貰いたいことがあるの。いいかしら?」
「うん。おいらにできることなら、頑張るよ」
「期待してるわ」
尚。
この期待は、しかし全く想定しない方向から果たされた。
……癖になるかも。




