帰還した地で
王国アンタンシフ領。
最西端から最東端までの距離が二百八十地理単位、最北端から最南端までが百五十地理単位。
王国の貴族領としては三番目に広く、この領土は大まかに四つの区域に分けられている。
まずは北部大平原、東部丘陵地帯、西部平野の三つ……アンタンシフの第一都市は北部大平原にあり、アンタンシフ領に生きる人々の内の六割はここに集合している。東部丘陵地帯は農畜産が盛んで、肉やミルク、果物に野菜などの産地として有名で、人口分布的には一割くらい。最後の西部平野は海に面しており港を持つため他の海に面した貴族領との貿易などはこちらで行われることもあり、人口分布は三割だ。
さて、既に十割になっていることからも分かるけれど、『まず』で紹介した北部、東部、西部がアンタンシフ領で人間が住みうる領域の全てである。
しかしアンタンシフ領にはもう一つ区域が存在し、そこの名は南部大山脈――あるいは、『王国指定禁忌領域第二番』。王国が指定する『許可無いものの立ち入りを強く制限する』地帯の二つ目として指定されているその区域は、王国にある標高の高い山を上から十番まで数えたとき、その十番目までを独占するほどに高い山が乱立する他、それぞれの山の間には悍ましいほどに深い渓谷があったり真昼間でも陽が当たらないほどの大樹海が広がっていたりと、およそ人間が生存しうる環境ではない。
よって、許可無いものの立ち入りを強く制限する。
とはいえ許可それ自体は王国かアンタンシフ家に指定された書類を提出することで、その日のうちどころかその場で受けることが出来るし、提出する書類もたったの一つ、『死んでも文句を言いません』という主旨のものだけで、その場でサインするだけでも良い。
……尚、許可は一年に大体二百から三百ほど出されているのだけれど、一度足を踏み入れてから戻ってくる割合は百人に一人程度という統計が百年ほど前に出て以来、アンタンシフ家は数えるのをやめているため、直近の実情はよくわかっていない。
それでも許可がそれなりのペースで出されているのは、王国ではその支持率が恐ろしく低いことで有名な大地信仰の宗教が、アンタンシフ南部大山脈の中心にあたる霊峰、『ルゥ・リグレ』を聖地の一つとしており、この聖地巡礼のために向かう者が後を絶たないためだ。
尚、向かう者は後を絶たないけれど帰ってこないので、実はルゥ・リグレの周囲に集落でも作って険しいながらに生活をしているのではないかと王国が疑ったことがあり、この大調査は四十年前ほどに行われた。結果、王国騎士の内熟練兵の八割、冒険者ギルドの内プラチナの六割とゴールドの八割、シルバー以下に至っては数えるだけ無駄というありさまの損害を出し、『いやいやいやいや、待て。こんなところで人間が生きて暮らせるか馬鹿者』と当時の国王陛下が冷静を取り戻して側近に思わず突っ込みを入れたという逸話があるけれど、これが逸話ではなく実話なのだと言うことを知ったのはつい最近である。
先代国王陛下はお茶目だったらしい。
今の国王陛下は大分堅物だからなあ……。
「お嬢さん。お嬢さん、どうだい。お花とかに興味はないかい」
そして私は今、アンタンシフ領西部平野で二番目に大きな港町、ポート・トゥルヌソルに居る。
もう少し状況を正確にするならば、今し方海路でアンタンシフ領に入ったばかりながら既にお昼を過ぎていたため本格的な行動は明日からと決意し、宿を取ろうと宿場町を目指して商店街を歩き出したところで、花売りの子供に声を掛けられた。
「今日はどんなお花を売っているのかしら?」
「お、興味ある感じかな。よかったら見ていっておくれよ」
身なりは決して悪くはない。けれど豊かとも言えはしない。
それなりに生活は厳しいようだ――不景気だから、というより、この場合は場所が問題のような気がするけれど。
「……港町で、花売りとはね。あなた、なかなかセンスが独特なのかしら?」
「そうかな? 結構売れるんだけどね」
「へえ」
「……その表情、信じてないな? でも本当なんだよ。だからお嬢さんも是非買っていって欲しいな」
案内された屋台には色とりどりの花が置かれている。
確かに、売れ残りという感じは一切無い。むしろ全体的に質も良い、その分値段も少し高いけれど……、この港まで運ぶ手間を考えれば、適正な範囲ね。
「ならばいくつかは買うことを約束して上げるから、かわりにいくつか質問してもいいかしらね」
「もちろん! 答えられる質問ならばだけどね。何が聞きたいんだい?」
「今晩、泊まる宿を探しているのよ。お薦めはある? 予約はしていないの」
「うーん。普通の宿なら、ハーファ通りにある三日月亭。あそこは大通りから一本外れてるから、予約がなくても結構泊まれるし、値段的にも普通だよ。……あんまりお薦めはしないけど、安い宿なら、カペル通りにある山茶花亭」
「お薦めしない……?」
「まあ……お嬢さんみたいな美人さんだと、たぶん犯されるよ。この街、港町にしては治安が良いけど、それでもその手の安宿はならず者がよく使うからね」
「なるほど」
……この子供、割と直球ね。年齢は十二、三歳といったところかしら、その手の知識は……、いや港町ならば当然か。
色町ほどじゃないけれど、船乗り向けにその手の施設も多いわけだし。
「あとは別な意味でお薦めしないけど、町外れに桜花亭ってところもあるよ」
「別な意味って?」
「……俺ん家なんだよ、そこ。兄弟で切り盛りしてるんだけど……、食事の質がちょっとなー」
「呆れた。普通はその当たりを隠してでも誘導するものでしょうに」
「よく言われるよ。でもなあ。やっぱり、他に一段どころか二段は劣るから、やめた方が良いよ」
正直者ね、この子。兄弟に恨まれてそうだわ。
いや、その分を花売りでカバーしてるのか?
「もう一つ質問。あなた、兄弟は何人いるの?」
「生きてるのは三人。兄貴が一人、弟が一人、姉貴が一人。つっても姉貴は別の街に嫁いじゃったんだ。そのせいでなー、宿がなあ……。いやあ、兄貴と弟でも料理くらいできるだろって思ってつい送り出しちゃったけど、今となっては大後悔ってやつさ」
「それはなんとも……、あなたを含んで、あなたたち兄弟の先見性を恨むしかないわね」
「違いない。で、花は買ってくれるんだろう?」
「ええ、情報量も込みよ。この段にある花で花束を作って貰えると嬉しいわ。代金は先に渡しておくわね」
「へ? いいのかい?」
「ええ」
コインの入った袋を渡せば、少年は中身を見て一瞬ぎょっとした。
「……お嬢さん、金持ちだなあ。けれど、これは……、ちょっと、その、ここにある花全部を売ってもつりが必要だぜ?」
「なら、宿代もそこから出させて貰おうかしら。桜花亭、一泊おいくら?」
「……それでもつりが必要なんだけど」
「戯れよ」
「……こーれだからお金持ちは」
でも、と少年はすっと姿勢を正して。
「まいどあり。責任を持って案内もするよ。どうせこの花、ぜんぶお嬢さんのものになるし。花束は宿で仕立ててやるよ。それでいいかい」
「ええ。……えっと、あなたのお名前は?」
「センクだよ。センク・スリジエ。そういうお嬢さんは? かなりの金持ちみたいだけど」
「私?」
さて、どう答えるか。
いや、別に隠す意味も無いのよね。
首に巻いたスカーフをずらし、私はその卵型のバッヂを見えるようにする。
「……白金色の、卵のバッヂ? え?」
「名乗りが遅れたわね。リュシエンヌ・ム・アンタンシフよ。ルシエって呼んでくれたらそれで良いわ」
「プラチナ階位の冒険者ぁ? ……って、待て。え、アンタンシフ? ルシエ? それってたしか、家出したお嬢様の名前だったような」
大正解。
そしてこの子供を選んだ私の判断もまた、大正解。
この子、この港町の情報どころか、アンタンシフ領の情報をある程度把握してるわ。
打算じゃなく、経験則とかその手のもので。
「私がそのルシエよ。家出をしてプラチナに駆け上がったところで、そろそろ一度顔くらい見せるかって帰ってきたの」
「……うひゃあ。金返すから別を当たってくれねえかな?」
「あら、でもそのお金があれば大分楽になるのではなくて?」
「うう。金持ちが憎いけど有り難いから文句もいえねえ無力さが憎い……」
世の中結局金だもんなあ、と少年、センクは呟くと、屋台のブレーキ台を取り外し、私を先導するように歩み始めた。
尚、先ほどこの少年に渡した金額は、三人家族ならば一年は生活できる程度。当然、花を全部買っても余裕で余るし、一晩泊まったところでまだまだ余る、どころか殆ど使えていない状態だろう。
センクの言うとおり、世の中結局金なのだ。お金があれば寝食性の全ての欲求を満たすための手段を買うことが出来るのだから。
「折角だし、少し街の案内でもして頂戴よ。私、アンタンシフは久々すぎるのよね。家出する前もこの街は来たことが一度もないわ」
「ふうん。……って、この口調は不味いな」
「気にしないで。むしろその辺を気にされると私がやりにくく――」
その瞬間、微かに。
けれど確かに、地面が震えた。
「センク」
「え?」
「私の手が届くところから離れないで頂戴」
「えっと……何を藪から棒、……にっ!?」
言葉尻が素っ頓狂な音程に跳ねたのは、あたりに『ゴオオオオ』という地鳴りが、そして地面が突き上げられたから。
纏っていた外套を手にしてセンクを包み込み近くへと寄せて、とん、と一瞬だけ跳躍しつつ周囲を確認……地震?
いや、地震に違いは無いだろうけれど、あまりにもこれは『大きすぎる』。まだこれは本番の揺れじゃない。周囲の建物を確認、恐らくその揺れには耐えられない……、街から一気に抜け出す? 無理ね、私一人ならともかく、センクを持っていくには文字通りに骨が折れる。私のならばともかくセンクの骨が折れるだろう、具体的には足が。それは避けたい。
街の広場……、はパニック確定よね、あっちに逃げると圧死しかねない。となると、ここで『壊れるであろう建物のがれきを片っ端から破壊する』のが一番か。
「ゆ、ゆれっ!?」
「口を閉じなさい。『まだ本震じゃないわ』、舌を噛むわよ――」
そしてその私の言葉はすぐに実感できただろう。
私が着地して二秒と経たずに、私でさえも足を取られるほどに地面が揺れる。
『ぐらり』という表現では生ぬるく、大きく身体が揺さぶられる――建物はしなり、ガラスはガシャンと砕かれて。
ずどん――と、世界が揺れた。
「――――!」
センクは私の言ったことを護り、口を閉じたまま極度の緊張状態になっているらしい。周囲で悲鳴が上がり始める、がしゃん、ばしゃんと、家財が、あるは家屋そのものが大きな振動にあっさりと崩壊し、砕け、周囲でばたりばたりと壁や屋根が落ちてくる。
私は私やセンクに落ちてくる破片を、外套という武器で更に砕き粉々にし、なんとか地震とセンクの周りの安全を確保――している間にも、まだまだ揺れは強くなる。何か致命的なものが壊れるような音がした、そしてかなり遠くからは『地割れが――』と声が上がっている。まずいわね、この規模の地震……、アンタンシフ家に記録がないわ。
最初の揺れから本震までの時間、揺れの方向、地鳴りの向きからして、地震の震源地はアンタンシフ南部あたりだろうか? 大水厄の恐れは無さそうだけれど、震源から『相応に距離はありそう』なのにあれほどまでに揺れたとなると……。
アンタンシフ領にある全ての街が危機に陥っている可能性さえもある。
考えながらも、落ちてくるがれきを片っ端から処理し続ける。最優先は私とセンク、けれど可能な限り他も助けられるだけは助けて行く。落ちてきた人はなんとか受け止めさせて、致命傷は避けさせる。
そうして揺れに対応すること、三分。
ようやく……ようやく、揺れは収まった。
「あ、ああ……」
それなりに活気だった港町は、被害甚大。建物の大半は崩れている、崩落した建物の下敷きになった者もかなり多いだろう。私が救えたのは、私の近くに居た人たちだけ。たったの五十人といったところか。その皆は、呆けている。そして少し離れた広場にはパニックに陥った人々が殴り合うように、ありもしない安全地帯を探して無秩序に動き回っていた。あのまま放っておくと死人が出る……。
外套を宙に。
そして、外套の端と端をたたきつけ、パンッ、と軽い、けれど音を響かせる――周囲の人々の意識を私に集める。
「静まりなさい」
できる限り、高圧的に。
「私はプラチナ階位の冒険者。冒険者ギルドの名の下に、緊急事態発動時の特権を発動するわ。動ける人間はまだ生きている人間を可能な限り助けて街の外へと出しなさい。あの規模の揺れが一度で収まるとも思えないわ、余震もあるかもしれない。財産よりも今は命よ」
可能ならば船に避難させるべきなのだろうけれど、この港町はそれなりに規模が大きい。全員を乗せることは……不可能だろう。
となると、船は別の事に使うべき。
「まずは一時間。一時間後、船の所有者及び船長と、街の代表は可能な限り情報を集めて私の所に来て頂戴。街のすぐ外に私は居るわ、探すように。以上、全員さっさと動け!」
命令を一方的に出し終えたところで、震えるセンクの肩を抱いて。
「あなたの家族が心配だわ。今すぐ向かうわよ」
「――う、うん!」
登場人物:
センク……花売りの子供。




