第8話 コロネ、果樹園に足を踏み入れる
「着いたのですよー」
「……こ、怖かった……」
ピーニャはほのぼのとした表情で笑いかけてくるけどさ。
何だか、ものすごくスピードが速かったよ? この狼さんたち。
……もふもふとした感触を楽しむ余裕なんて全然なかったよ?
何というか、しがみ付くのに必死というか。
もちろん、しっかりしたベルトのおかげで、きちんと狼さんたちとは密着できているんだけど、それ以前に、今まで生きてきた中でも体験したことがなかったような速さだったよ?
景色が一瞬にして前後左右に流れていくのって、ちょっとした街中ジェットコースターって感じだったもの。道なき道を行くって感じの。
しかも、ただ、道に沿って走ってくれるのならいいんだけど、時々大きく跳躍したりとかもするんだよ? 猛スピードで上下運動されると怖いってば。
……これが、安全な乗り物なの?
どう考えても、子供は乗っちゃダメな感じもしたけど。
「仕方ないのですよ、コロネさん。最初はみんなびっくりするのです」
それは誰もが通る道なのです、とピーニャ。
どうやら、この『影狼便』の高速移動って、この町以外ではめずらしい移動手段らしくて、わたし以外にも、この町にやってきたばかりの人が初めて利用した時、カルチャーショックに陥ったりするらしい。
でも、そのうち慣れる、と。
「人間、何にでも慣れるものなのです。もちろん、それは妖精も獣人も一緒なのですが」
「……だから、大丈夫ってこと?」
「なのです」
「ガウ♪」
ピーニャの言葉に、横にいた狼さんが頭をすりすりとしてきた。
あ、やっぱりもふもふだよ。
その感触を楽しんでいると、不思議と気分が落ち着いてきたかも。
「「ガウ!」」
「ありがとうなのです」
ぴょこん、とお座りの姿勢で並んだ二頭の狼さんに、それぞれピーニャがお礼を言って、ここまで乗せてくれた分の運賃を支払う。
それを首から下げた袋で受け取って、狼さんたちはそのまま走り去ってしまった。
「さて、コロネさん、ここが『果樹園』なのです」
「そうなの? どう見ても、森の中って感じなんだけど」
ようやく、周囲を見る余裕ができてきたので、辺りに目をやったけど……何だろう? ここって、どこからどう見ても、森の中だよね?
さっきまで町の中の道路を歩いていたはずが、あっという間に森の中へと連れてこられてしまったというか。
「ここも、町の中なの?」
「なのです。『サイファートの町』の敷地内なのですよ。ほら、向こうの方に町の外壁も見えるのです」
「あ、本当だ」
木々の切れ目から、空とそびえ立つ外壁の一部が見えているね。
何となく、さっきまで目にしていた時よりも高い気がするよ。
大分、外壁に近づいたからだろう。
「この辺りは『迷いの森』と呼ばれている区画なのです。高速移動で来れるのはここまでですので、ここでおろしてもらったのですが、もう少し奥へと進むと『果樹園』の入り口が見えてくるのですよ」
「森の中に『果樹園』があるの?」
「なのです。もっとも、正確にはこの森も『果樹園』の一部なのですが」
「そうなの?」
「なのです。ですから、勝手に森の中に侵入して、そこに生えているものを採ったりしてはダメなのです。きちんと許可がいるのですよ」
へえ、そうなんだ?
ということは、どちらかと言えば自然の環境を利用した場所なのかな?
「今、ピーニャたちがいる場所も、見た目は普通の森なのですが、実は危険だったりするのです。コロネさんも、この大きめな道から外れないようにしてほしいのです」
「え? わかったけど……道から外れるとどうなるの?」
「そこは『迷いの森』の本領発揮なのです。あっという間に、森の中の別の場所へと飛ばされてしまうのです」
『迷いの森』と呼ばれるゆえんなのです、とピーニャが真剣な表情で頷く。
……そうなの?
というか、飛ばされるってのはどういうことなんだろう?
さっきまでの狼さんでも、一瞬にして、場所が移動しちゃったけど、そういうのとは違うのかな? テレポーテーションみたいな感じなのかな? それとも、文字通り、ぽーんと空に飛ばされるとか。
……うーん。
どっちにしても、あまり試してみたくないよね。
ピーニャの話だと、ひとりで『迷いの森』に飛ばされると、ほぼ確実に迷子になるって話みたいだし。
いや、迷子っていうか、遭難っていうか。
どうやら、言葉の響き以上に『果樹園』って物々しい場所のようだ。
そんなこんなで『果樹園』について、ピーニャと話をしながら進んでいくと、しばらく歩いた後で、砦のような場所へとたどりついた。
森の中、周囲の樹などもまとわりついていて、長い年月をかけて木々と一体化したような大きめな建物っぽいところ。
うん。
見た感じ、けっこうな広さがあるようで、砦っぽい建物の壁がずうっと続いているのが見えた。
あれ? もしかして、これって砦というより、城壁かな?
何となく、ヨーロッパで見かける城塞都市の入り口のイメージに近いもの。
「この中に『果樹園』が広がっているの?」
「なのです。この町の食材の多くは、ここで作られているのですよ」
「へえ、そうなんだ?」
あれ? 『果樹園』って言ってるけど、果物だけじゃないのかな?
ピーニャに聞いてみると、やっぱり、その認識で正しいらしくて、森の中で採れる自然の食材だったり、そこに生息しているモンスターのお肉だったりとかも購入できるらしくて。言ってみれば、人工的に作られた環境群のようなもので、農業と畜産、林業その他もろもろを一緒くたで行なっているのが、その『果樹園』らしい。
ふうん? だったら、何で『果樹園』って名前にしたのかな?
ちょっと謎だ。
――――と。
「あれ? これって……? 『グリーンリーフ』?」
「あ、それはこの『果樹園』の名前なのです。元々は別の場所にあった森の名前なのですが、色々あって、今はここが『グリーンリーフ』なのです。森を作っているドリアードさんが、この町に引っ越してくれたのです」
え? え? どういうこと?
というか、今のピーニャのセリフってことは――――。
「えっ!? もしかして、この森を作っている人がいるの!?」
ドリアードって確か、『森の精霊』とかいう意味だったよね?
そんなわたしの問いに、ピーニャが事なげに頷いて。
「なのです。もちろん、統括している人はひとりなのですが、多くの人たちがみんなで『グリーンリーフ』を作り上げているのですよ。もし『果樹園』がなければ、この町の食糧事情も大分偏ってしまいますので、すごくありがたい存在なのです」
そうなんだ。
どうやら、この『果樹園』がこの町のごはんを担っている施設らしい。
確かに、外壁の外は荒野が広がっていて、近くの村と連なっているわけでもないらしいから、この『オレストの町』って、ぽつんと辺境に存在している町って感じだもんね。
外にはおっかない怪物さんもいるみたいだし。
……あれ?
「ピーニャ」
「はい? どうしたのですか、コロネさん?」
「さっき、この『迷いの森』にもモンスターがいるって言わなかった?」
「なのです。ですから、ひとりで道を外れると大変なのです」
道なりに移動すれば安全なのですが、とピーニャ。
えええ。
それって、町の中にも怪物がいるってことだよね?
あ、でも、さっきの『影狼便』の狼さんもそうかも。
もしかして、町中にいるモンスターさんって、比較的安全なモンスターさんなのかも。
いや、今、ピーニャ、『大変』って言ったよね?
「では、中に入るのですよ。もっとも、今日のところは受付で済んでしまうのですが」
「そうなの?」
「なのです」
では行くのです、と入り口の方へと進んでいくピーニャの後に続こうとして。
「……ん?」
不意に、視線のようなものを感じて上の方に目をやると。
樹が絡みついた、城壁の上――――へりのところに誰かが座っているのが見えた。
女の子……いや、女性かな?
緑色の髪をしたきれいな人。
その人がわたしに向かって、にっこりと微笑んだかと思うと。
「――――あれっ!?」
「……? どうしたのですか、コロネさん?」
「いや、あの……」
人が……って、あれ、いない。
ほんの一瞬、気を逸らした間に、誰もいなくなっていた。
というか、影も形もない。
もしかして、気のせいだったのかな?
でも、女の人がいたような……。
「……? もしかしてお疲れなのですか? でしたら、用事を済ませてから『塔』へと戻るのです」
少し一休みするのです、とピーニャ。
「うん、ありがとう、ピーニャ」
わたしもピーニャにお礼を言う。
うん。
少し疲れているのかもね。少し休みたい感じではあるし。
そういうことなら、早いところ、ピーニャのおつかいを終わらせてしまおう。
そんなこんなで、わたしたちは『果樹園』の受付へと向かうのだった。