第37話 コロネ、迷子になる
「おや? エミールさん、いつも扱っている『例のもの』は? 売り切れですか?」
「いえ、ごめんなさいね。しばらくお休みするんですって。そのため、当面はうちのお店で扱う予定はなくなってしまったんです」
「そうなんですか!?」
「ええ。どうやら、市場調査の目的は果たしたみたいですね」
エミールが『お菓子』の今後の取り扱いが未定となったことを伝えると、それを目当てでやってきた相手ががっくりと肩を落とした。
「残念です……先日、『王都』へと持ち込んだ際も好評を博したものですから。ああ、いえ、もちろん販売しておりませんよ? そうではなくて、身内の者で味見をした結果、ぜひ買いたいという声が多数上がったというわけなのですが」
「ええ、私も残念です」
「お休み、ということは、また入荷を再開する可能性もゼロではない、ということでしょうか?」
「そうですね、それを期待したいところですね、私も」
「わかりました……」
結局、代わりに、この町産のハチミツを購入して、商人は去っていった。
そのしょんぼりした後姿を見送りながら、エミールもまた苦笑する。
「本当は、私も知ってはいるんだけどね。商人としての道義ってものがあるの。ふふ、ごめんなさい」
今はまだ、その情報を広められる段階ではないから。
コロネから事情を説明されたエミールは、今、コロネが何をしているか知っている。
だけれども、しばらくはお口にチャックだ。
エミール自身は、コロネのお菓子を味見したり、購入したりできる立場にある。
その辺は、『青空市』での仲介をしたり、エリとのパイプを繋いだりしたことに対するお礼のようなものだ。
でも、それはエミール側からの視点だけに過ぎないわけで。
エミール自身、それを恩に着せるつもりも毛頭ないわけで。
今はただ、新しい料理人の成長を温かく見守っているのが楽しい、というのが正しいところなのだろう。
だからこそ。
今、まさに苦闘しているであろう、コロネのことを陰ながら応援する。
「あの場所にお店を出したって聞いたけど……大丈夫かしら? ある意味、この『青空市』よりも癖の強いお客さんがたくさんいる場所なのにね。ふふ、コロネちゃんらしいわ」
『夜の森』。
その場所への立ち入りが許されただけではなく、そこで商売することまで許可されたと聞いて、軽く驚いたものだ。
なぜなら、その場所は――――。
「――――『人間種を怖がっている種族』と『長命種』の巣」
この『町』に籍を置く住人の中でも、それなりに事情を知っている側に含まれるエミールは『夜の森』のことも当然知っていた。
なぜ、その場所が表向きは隔離されているのか。
誰がその場所を護っているのか。
そして、だからこそ、そこで安心して暮らしている種族がいる、ということがどういうことなのか。
おそらく、それを知った上での行動ではないだろうと推測される。
何せ、先日直接会った時のコロネちゃんは、純粋に自分のお店を持つことができて喜んでいるだけにしか見えなかったから。
「お手並み拝見、といったところかしらね、ふふ」
◆◆◆◆◆◆
「ううっ…………どっちに進めばお店にたどり着けるのかな?」
「ぷるるーん?」
困った。
本当に困った。
この、『夜の森』っていう場所は本当に曲者だよ。
今、わたしとショコラが歩いているのは『夜の森』の中のどこかだ。
「……ドロシーと一緒の時はすんなりとたどり着けたのに」
「ぷるるーん! ぷるるっ!」
あの日以来、何度となく足を運んでいる、この『夜の森』。
にもかかわらず、毎回のように道に迷ってしまうのには理由がある。
この『森』、来るたびに道が変わってしまうのだ。
例外はドロシーが同行してくれている時で、その場合は『夜の森』に入ってから、程なくして、ドロシーのお店までたどり着けるんだけど。
わたしひとり……じゃなくて、わたしとショコラのふたりだけになった途端、『森』が迷路のように変質してしまうんだよね。
……うわあ。
この上なく厄介な『森』だよ、ここ。
何というか、不思議森だね。
第一印象は、おとぎ話の中に入り込んだような、そういう感じで浮かれていたけど。
よくよく考えれば、おとぎ話で森の中に迷い込むってのもお約束だよね。
……いやいや、こんなお約束いらないよ!
ただ、ドロシーがこの『森』の管理者だってことはよくわかった。
わたしたちがまだ、この『森』に馴染めていない、ってことも。
だからこそ、最初のうちはドロシーに手伝ってもらっていたんだけど、途中からはわたしとショコラのふたりだけでお店を目指すことにしたのだ。
いつまでも、ドロシーに頼るわけにもいかないし、まず自分たちが独力でお店にたどり着けるようにならないとお話にならないのだから。
うん。
こうなると、多少は意地もあるよ。
それに、こう言ってしまうとあれだけど、わたし自身、この森にできた自分のお店を気に入ってしまったのだ。
あれを諦めるのはちょっと惜しいし、こんなことでくじけているようでは、とても、こっちの世界で一番のパティシエになんてなれっこないって思ったからでもある。
郷に入りては郷に従え。
この『ツギハギ』の流儀がそういうものであるのなら、わたしもきちんと順応して見せるよっ!
たぶん、新しい環境に馴染むことに関しては、得意な部類になるから。
――――とはいえ。
「……何かヒントみたいなものはないのかな?」
「ぷるるーん?」
今のところ、法則性のようなものは見つかっていない。
試しに地図のようなものを記してみたけど、方向性が毎回めちゃくちゃなのだ。
何となく、誰かにいたずらされているような。
そんな印象を受けないでもない。
そもそも、これが森そのものの性質なのか、それとも別の何者かによる能力などなのかもわかっていないし。
その辺はドロシーが面白がって教えてくれないのだ。
いや、たぶん、意地悪で言っているんじゃない。
この、試練みたいなものを乗り越えないといけない、ってことなのだろう。
「今は色々と試していかないとダメってことだね」
「ぷるるっ♪」
今までも日暮れまでにお店にたどり着けず、引き返したことも何度となくある。
まずは、この迷路を時間内に突破できるようになること。
それが、今のわたしに課せられた試練と言えた。
というか。
「お店を持つための最初の難問がこんなものだとは思わなかったよ……」
内心で愚痴りながら。
ショコラにぽんぽんと励まされながら。
今日も今日とて、自分のお店を目指すわたしなのだった。