第16話 コロネの日常その2、青空市のエミールのお店
「エミールさん、今日もよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
目の前でにこやかに微笑んでいる女性――エミールさんにあいさつして、持ってきた『商品』を手渡す。
わたしが今いる場所は、『サイファートの町』の中心地から少し北西へと進んだところにある『ヘブレアデス・パーク』という名の公園だ。
町の中心部に近い割りに、かなり広めの公園で、たぶん、広さとしては東京ドーム数個分はあると思う。
この『ヘブレアデス・パーク』。
ここはわたしにとっても、とても興味深い公園なのだ。
何せ、その広大な敷地を使って、毎日のように市場が開かれているんだもの。
お肉やお魚、お野菜や果物といった食べ物から、『職人街』で作られた各工房作の道具の数々、それに衣類や装飾品などの身に着けるものや、家庭で使う日用品などなど。
本当に歩いているだけでわくわくしてしまうような場所なんだよ。
通称は『青空市』。
バザールとフリーマーケットを合わせたような感じになっていて、きちんとした店舗型のお店が集まっている区画と、その日その日で出店者が異なる露天商が集まっている区画に分かれていて、それらをまとめて『青空市』と呼んでいるんだって。
ちなみに、市場の開催については『商業ギルド』という組織が管理しているそうだ。
一応、出店するために管理費をギルドに支払えば、誰でもお店を出すことができるって触れ込みだけど、その辺は『商業ギルド』で決められている『商人ランク』とも関係あるらしく、ランクが低い人の場合、露天商エリアでしか商売ができないなどの決まりもあるみたいだけどね。
きちんとした店舗を建てるには、信頼と実績が大事とのこと。
それで、わたしがなぜ、この『青空市』にいるかというと。
アルバイトの合間に、『塔』の厨房でお菓子の試作品を作っていたわたしを見て、オサムさんがこの市場の存在を教えてくれたからなのだ。
『コロネ、お前さんも自分が作ってるお菓子がどのぐらいで売れて、客からどういう反応があるか知りたいだろ?』
試作品の出来もいいから、それだけで終わらせるともったいない、って。
うん、確かにそうだよね。
きちんとした商品って形じゃなくって、『お試し品』って形での市場調査のようなものだろう。
地方限定で購買層を探ったりとか、その国の平均的な地方で『その国の好みの味』みたいなのを調べたりするのって、けっこう重要なんだよね。
その土地土地によって、嗜好の差が出るのって自然なことだから。
だから、その話を聞いて、わたしはすぐにオサムさんの提案に飛びついた。
その結果、オサムさんの伝手で、市場での協力者を紹介してもらうことができたんだよね。
それが、エミールさんだ。
健康的な小麦色の肌を、白地のランニングシャツでこれでもかってばかりに露出させたお姉さん。歳はわたしよりも年上かな? 一応、胸のところは南国風のカラフルな柄のビキニのようなものを付けているので、ある意味で安心なんだけど、細見ながら、引き締まった筋肉が見えるから、ちょっとドキッとさせられることがあるよ。
何となく、ジムとかのトレーナーさんっぽい雰囲気かな。
下もピチッとしたパンツスタイルで、ラインがはっきりと見えるから、どことなくセクシーな感じになってるし。
まあ、エミールさんの印象はそれぐらいで。
このエミールさん、この『町』から少し離れた森の中に住んでいるらしく、定期的に外から売り物を持って来てくれる商人さんらしい。
なので、『商人ランク』は高いけど、基本は荷車を使った露天売りなんだって。
「ふふ、コロネちゃんの持って来てくれる『商品』、なかなかの評判よ。おかげで、いつもよりお客さんが多いもの」
「本当ですか? それは良かったです」
「ねえ、本当にコロネちゃんの名前は出さないでいいの?」
「はい。それがオサムさんから言われた条件のひとつですから」
エミールさんが苦笑しながら聞いてくるのに、しっかりと頷き返す。
この試作品を売る際にあたって、オサムさんからいくつか条件が出されたのだ。
ひとつめは、商品は『この青空市で手に入る食材のみ』で作ること。
ふたつめは、『チョコ魔法』は使わないこと。
みっつめは、量は控えること。味見程度の大きさぐらいが望ましい。
よっつめは、コロネが作ったことは秘密にすること。
これらが条件だね。
ひとつめは、わたし自身がこちらの物価などを把握していないので、それも踏まえて、足を使って、今持っているお金で上手にやり繰りするように求められたためだ。
加えると、『塔』の厨房なら普通にあるお砂糖、あれも実はちょっとした嗜好品の一種で、この市場などではあまり出回らないものなのだとか。
だから、この市場で購入できる、って制限を付けられたわけだね。
ふたつめは、単純にチョコレートがこっちの世界に今まで存在していなかったから、だね。オサムさんも、わたしの『チョコ魔法』で初めて、ゲームの中にチョコレートがあることを知ったってぐらいだから、お試しも何もない、と。
これに関しては、慎重に流通させないとまずいことになる、のだそうだ。
結構、真剣な顔でオサムさんに忠告されたから、これについては肝に銘じている。
何となく理由もわかる気がするしね。
みっつめは、本腰を入れて商売するなら、きちんと自分のお店で、ということだね。
今はあくまでも市場調査の段階。
それに下手に評判が良すぎても、エミールさんにも迷惑がかかるから、無難な範囲で抑えた方がいい、ってことらしい。
まあ、これもどちらかと言えば、オサムさんの意見かな。エミールさんは今も言ってきたように、『もっと増やしても大丈夫よ?』って感じだもの。
ただ、そうなると、よっつめの条件に引っかかるからねえ。
わたしがエミールさんのお店に卸していることはないしょ。
そもそも、そういう意味で信頼できる人として、オサムさんが紹介してくれたらしいしね。口が堅くて、商売っ気はそこそこの商人さん。それで人が良い、と。
『コロネの腕なら、作ったお菓子はまず売れる。それは間違いない。問題は売れすぎた場合でな。下手をすると供給が間に合わなくなる。小麦粉はまだしも、砂糖類は高価で入手できる量が限られているのさ』
『だから、あくまでも今回のは限定した市場調査ってことにしてくれ。ああ、そうそう、興味があるからって、コロネが直接販売したりするなよ? 作り手が即座にばれる。そのためにエミールを紹介したんだからな』
そんな感じだね。
うん。
オサムさんが言いたいことはよくわかるよ。
とある国に出張で出かけた時、店長のお菓子目掛けてお客さんが殺到した時のことは忘れられないもの。
何かに飢えた人たちの迫力ってのはこわいからねえ。
あの時も警察の人たちが間に入ってくれなかったら、どうなってたことか。
エミールさんに間に入って卸してもらうことで、出処不明の新しい食べ物として、お客さんに試してもらおう、って趣旨なんだよね。
きちんとわたしが作ったものが受け入れられるのかのテストだ。
だから、正直、ただで一口分ずつ配ってもらっても良かったんだけど。
「ふふ、欲がないわね、コロネちゃん。はい、これ。一昨日の売り上げ分、『石』を合わせて」
「はい」
エミールさんに言われて、わたしはオサムさんにもらった指輪型の石を、エミールさんの指のそれと合わせた。
それだけで、指輪と指輪の間でお金が移動するシステムなのだ。
「ありがとうございます、エミールさん。あ……すごく増えてますね」
「ふふ、びっくりした?」
「はい。金額もそうですけど、このやり取り自体、何度やってもびっくりですよ」
さすがはゲームの世界、と頷く。
この『サイファートの町』で使われているのお金。
その主たるものが、この『仮想通貨』なのだ。
わたしもお金に関して、最初にオサムさんやピーニャから説明された時驚いた。
◆◆◆◆◆◆
『この町は少し特殊でな。一応、三種類の通貨が使用可能だな』
『なのです。ひとつはこの国――レジーナ王国の通貨で金属通貨なのです。ふたつめは魔石通貨なのです。前にコロネさんと一緒に乗った『影狼便』で支払ったもの、と言えば思い出せますか? 魔石の中に含まれるエネルギー量によって価値が決まるものなのです』
『最後のひとつ、というか、これが主流だな。この町独自の仮想通貨だ。そうだな、町の住人として登録されたから、コロネにもこれを渡しておこう』
『指輪、ですか?』
『ああ。その指輪についている石が『マネーストーン』と呼ばれている石だ。個々のステータスを介して、残金を見ることができるようになっている。要は銀行のカードの代わりというか、個人個人でATMを持っているというか、そういう感じだな』
『ああ、つまり、スウェーデンとかと同じってことですね?』
『はは、そういえば、ヨーロッパじゃあ、もう現金は持たないんだっけな? まあ、そういうことだ。最初に言ったが、この町は特殊でな。レジーナ王国の一辺境でありながら、他の地方と比べて、物の価値基準が滅茶苦茶になってしまってるんだ』
だから、変則的ではあるが、この国の王と王妃より、通貨の発行権を得ている、とオサムさんが苦笑して。
『本来ならあり得ないな……まあ、そのぐらい経済への悪影響が大きいと思ってくれ。交易の関係で、魔石通貨でのやり取りもあるってことがそれに拍車をかけたんだ。結果として、バランスを取る意味でこの町限定の『仮想通貨』が生まれた。これと王国に元からある金属通貨、某所でよく使われる魔石通貨、その三つでやり取りして、相場を変動させる――――』
『えーと……』
『あ、コロネさん、大丈夫なのです。ピーニャもオサムさんの言ってることが完全にはわかっていないのです。要は、この指輪とステータスを使えば、お金を自由にやり取りできる、ということなのです』
『ま、そういうことだ。ちなみに、クレジット機能はない。なので金額がマイナスに落ちることはないぞ。そういう意味での金儲けはしてないからな』
◆◆◆◆◆◆
ということらしい。
管理しているのが銀行じゃなくって、信頼できる管理人さんなのだとか。
そして、価値変動がおかしくなっていないかチェックするのが商業ギルドなんだって。
わたしもあんまり経済は詳しくないので、よくわかってないところもあるけど。
まあ、便利な指輪って認識でいいよね。
さておき。
わたしがエミールさんに卸しているのは、果物のコンフィチュールだ。
『青空市』を巡って、値段がお手頃で良さそうな果物を仕入れているので、日によって種類はまちまちだ。ちなみに今日はブルーベリーに似た紺色の甘酸っぱい果実で作ってみた。
「随分と良いお値段が付きましたね。もしかして、ビンもセットのお値段ですか?」
昨日卸したのは、本当に小さめのビンに詰めたものを10個と味見用の1個だけだ。
にもかかわらず、今受け取った金額は25,000N。
日本円換算だと、『1N=1円』だから、小ビンひとつで2,500円になったことになる。
あくまで市場調査の意味もあるので、味見した上でお客さんの付け値で売ってもらうようにしておいたんだけど、それにしては随分と高めの値段になった気がするよ?
一応、蓋付きのガラスの小ビンが『青空市』では、ひとつ1,000Nで売っていたからねえ。ビンの値段+中身のコンフィチュールが1,500Nなら、まあ、納得かな、とそう思っていたんだけど。
エミールさんが首を横に振って。
「違うわよ。きちんとビンは戻ってきてるわ。今渡したのは中身だけの値段よ」
「へえ、意外ですね」
うん、ちょっとびっくり。
わたしも頑張って作ってみたけど、でもこれ、果実を煮詰めた系の料理だよ?
果物自体は売ってるんだから、似たようなものはありそうなんだけど。
そうわたしが言うと、エミールさんが苦笑して。
「そうね、確かに似たようなもので、ハチミツ漬けみたいなものはあるわ。でも、ハチミツ自体がそれなりに高価だもの。コロネちゃんのこの『商品』にはハチミツが使われてないんでしょ?」
「はい」
そう。
何気にオサムさんの出した条件が厳しかったんだよね。
『青空市で売っているものだけ』でお菓子を作る。
まず、砂糖はない。
ハチミツは売っている。実はエミールさんのお店の商品のひとつでもあるのだ。
ただし、ハチミツも値段が高い。
品質によって差はあるけど、一番安いもので、同じ小ビンでもさっきの売値の倍以上はするんだもの。
正直、量を使うメニューには使えなかったのだ。
わたしの手持ちのお金もそんなにはなかったし。
だから、前に店長に教わった果物だけで作るコンフィチュール。
ぶどうやベリーなどの基となる果物を濃縮して、それにフレッシュな別の果物を加えて作るジャムを『お試し品』としてみたのだ。
もしかしたら、他でも作っている人がいるかも知れないから、まあ、ひとビンで200Nぐらいの利益になればいいかなあ、ぐらいに考えて。
なのに予想以上の価格で売れてしまった。
おまけにビンも回収されている、って。
いや、一昨日売った分のビンが戻ってきてるって、お客さん、一日二日で中身全部食べちゃったの? そっちの方もびっくりだよ。
「そうね。ただ、私はこれでも安いと思うわよ? ハチミツの代替品だと考えれば、もう少し高値じゃないとバランスが取れないしね。それに、昨日もまた買いたいって人もやってきたの。私の方からも『気まぐれ入荷』とは伝えてあるけど、ふふ、定期的な販売が期待されているわね。どう?」
「今は色々と試作してる最中ですし、様子見ですね。たぶん、オサムさんに相談してからになると思います」
まだ、市場もじっくりと巡れてないしね。
意外と掘り出し物や出会いがあったりするのだ、この『青空市』。
おかげで、完成度の高いコンフィチュールを作れたりするわけだし。
「そういうわけですので、今日も小ビン10個でお願いします」
「ええ、確かに」
新しく作ってきたコンフィチュールをエミールさんに渡し、空になった空きビンを回収する。
あ、そうだ。
「あの、エミールさん」
「何かしら?」
「本当に、エミールさんの仲介料はよろしいんですか?」
お店に置かせてもらっているのに、エミールさんの卸の仲介料はただなのだ。
思った以上に、利益が出てしまったので、それじゃあ悪いと思ったんだけど。
「ふふ、気にしなくていいわ、オサムさんの頼みだし。それにね、そのうち、コロネちゃんにも相談を持ち掛けることがあるかもしれないから、その時に話を聞いてもらえれば、それで十分よ」
「相談ですか?」
「ええ、もうちょっとコロネちゃんがお手透きになったら、ね」
「わかりました。わたしにできることでしたら」
「ふふ、お願いね」
ふうん?
お菓子作りに関することかな? それとも商売のこと?
わたしにできることなら頑張ろう。
そのまま、エミールさんにお礼を言って。
わたしは『青空市』のもうひとつのお目当ての場所へと向かった。