閑話:オサムとリディアの会話
「ねえ」
「うん……? リディア、お前さん、帰ったんじゃなかったのか?」
自分以外は誰もいなくなった店の厨房で、ひとり、明日の営業へ向けての仕込みを行なっていたオサムは、不意にかけられた声に振り返った。
そこにいたのは『白い人』『大食い』などの二つ名を冠する冒険者のリディア・プラウニエッタだ。
オサムにとっては顔なじみで、店の常連客のひとり。
そして、これまで幾度となく冒険に付き合ってもらっては、命を助けてもらったりした間柄でもある。
その強さは折り紙付きで、本来であれば、冒険者としては最高ランクのA級を頂いてもおかしくない。にもかかわらず、当の本人の拒絶によって、未だにC級のままという、『冒険者ギルド』のランク評価に真っ向からけんかを売っているような存在なのだ。
その理由については、以前オサムも聞いたことがある。
『面倒』
ただ、これだけである。
確かにB級以上は権限が増える代わりに、ギルドとのしがらみも増えるので、そういう判断をする冒険者も少なくはないのだが、リディアの場合は個人としての知名度が群を抜いているというか。
端的に言ってしまえば、各国が囲っているA級冒険者よりも知名度は高い。
それこそ、その端麗な容姿と、姿見からはまったく想像できない実力によって、この大陸では知らぬものはいないほどの存在である。
おまけに、良くも悪くもトラブルメーカーである、と。
君臨すれども統治せず。
いや、正確には、解決すれども報告せず、というべきか。
リディアが冒険者ギルドから仕事を受けることはあまり多くない。
先に自分の目的があって、そのために行動して、結果として数々の諸問題を解決してしまうタイプなのだ。
その結果、彼女の行動で救われたものは数知れずなのに、そのことと因果関係を結びつける作業がものすごく面倒になってしまうわけで。
ある意味、ギルド泣かせの存在と言えるだろう。
オサムなどは長い付き合いのおかげで、リディアの嗜好がどこに向いているか、何となくわかるが、リディアという存在を深く知らない者にとっては、本当に何を考えているのかわからない、不思議ちゃんという表現が可愛すぎるほどに不可解な存在として受け取られてしまう。
実際、リディア個人にちょっかいを出して、軍部が壊滅的打撃を受けた国もあったりするため、一部の国からは『触らぬ神に祟りなし』という認識で恐れられたりもする。
もっとも、料理人であるオサムは、彼女が何を望むかよく知っている。
『美味しい食べ物』と『めずらしい食べ物』だ。
だからこそ。
オサムの中で、コロネという存在をどうすべきか、ひとつの可能性が見えていた。
まだひとつの草案に過ぎないが、覚悟が必要な可能性がひとつ――――。
さておき。
そのような思考はおくびにも出さずに、オサムがリディアに重ねて問う。
「もしかして、まだ食べたりないってのか?」
すでに、コロネが作ったチョコレートケーキは綺麗に片付けられている。
そのほとんどは今、声をかけてきた女性――――リディアのお腹へと収まったが、そのうちの一切れ分は確かにオサム自身も試食を済ませていた。
評価は、文句なしで合格だった。
正直なところ、この店で出せるかどうかのテストには、到底収まりきらない味だった。
だからこそ、オサムもリディアがもっとケーキが食べたくて、一度帰った後で、また厨房に戻ってきたのだと思っていたのだ。
だが。
「そうじゃない」
リディアの言葉は、まったく予想とは異なることだった。
「聞きたいことがあった」
「何をだ?」
思わず、聞きたいこと? と眉根を寄せるオサム。
リディアにしては、少しめずらしい話だ、と。
「コロネが作ったのは『お菓子』という甘いもの――――ね?」
「ああ」
「さっきのオサムの食べた時の反応を見て思った。オサムも『お菓子』を作れるの?」
「ああ、なるほど……そっちの話か。ああ、まあ、コロネほどの腕はないがな。一応、作り方ぐらいは知ってるが、生憎、俺の専門外でな。片手間でやるには、あっちは奥が深すぎる世界だからな。だから、菓子作りに関しては専門のやつに任せる、ってのが俺のスタンスだったからな」
頷きながらオサムが答える。
リディアの疑問は、作れるのにどうして今まで作ったりしなかったのか? だった。
そういう意味では、彼女もめずらしくオサムに対して怒っているのかも知れない。
もっとも、見た目や声色はいつもと変わらないので、本当に怒っているかどうかはオサムにも判断がつかない。
単に、不思議に思っているだけかも知れない。
そういう意味で、リディアの本心を読み取るのは難しいから。
「どうして?」
「作らなかったのか、って? まあ、単純に手が足りなかったからさ。今でこそ少し余裕が出来てるが、当初は普通の料理の方が優先だったからな」
「本当に? あの甘いものは衝撃だった。あれなら、他にも気に入る人が多いはず」
「だからこそ、だ」
「――――?」
オサムの言葉に疑問符を浮かべるリディア。
それを見て、ふぅと嘆息して、オサムが苦笑を浮かべる。
「そうだな……リディアならいいか。俺が今まで甘い料理……『お菓子』のたぐいを作らなかったのは、それが危険だったからだ」
「危険?」
「ああ。リスクが大きすぎるってことさ。俺が転移してきた当時は特にな。色々と旅をしながら料理をしてきて気付いたことがある。こっちの世界にとって、『美味い料理』ってのは劇薬に等しい、ってことだ」
そう言って、オサムが過去を振り返りながら頷く。
あり合わせのもので作った、出来損ないのような揚げ物ですら、天地がひっくり返ったような反応で喜ばれる。
その料理が食べたいと、わざわざ国の貴族がやってくる。
それに付随して厄介ごとが生じる。
あるいは、強力な能力を持つ種族が味方になったり、逆に敵に回ったり。
ただ、オサムが料理の腕を振るうだけで、行く先々でトラブルが発生したのだ。
その状況に至って、初めて、オサムも涼風が言っていたことがわかった。
「俺がこっちに来る際、送ってくれたやつが忠告してくれたんだ。『やりすぎは禁物だぞ』ってな。当時の俺は、色々なもめ事に巻き込まれて、ようやくその言葉を痛感したのさ」
涼風雪乃が忠告してくれたこと。
『こと料理に関しては、向こうは大分遅れているな。私としても、それをどうにかしてくれる人材が欲しかったのだが……まあ、君がその役を果たしてくれるのであれば、手を差し伸べた甲斐があるというものだ。ああ、そうそう、ひとつ忠告だ。やりすぎは禁物だぞ? 君たちが普段享受している食事が、当たり前に食べている『ごはん』が、どれほど洗練された代物か、世界を跨ぐことではっきりとわかるだろう』
『本来、生命にはエネルギーが必要なだけだからな。効率的な進化を遂げれば、味わうという娯楽を切り捨てるケースも少なくないのだよ……まったくもって興味深い』
思っていた以上に、現代日本の食文化というものは発達していたらしい。
「そのことを理解して、俺はなおさら、菓子に関しては作るのを止めた」
「うん? でも、オサムが今まで作った料理もかなり……?」
「甘いものはその比じゃないのさ。何せ、甘いものは誰もが好むものだからな。おまけにこっちの世界だと、砂糖やハチミツにすら魔素が含まれている――――となれば、苦手とする種族はほとんどいない。身体が欲しているものは美味く感じる。味覚の基本だ」
「ん、そうなの?」
「そういうものさ。おまけに、うちで使ってる砂糖もアキュレスのとこで抱えてる戦略物資だ。ハチミツは『教会』のな。うちだからこそ融通してもらってるが、それらを下手に料理へと昇華させれば、まあ、収拾が付かなくなっただろうな」
下手をすれば戦争だ、とオサムが肩をすくめる。
そのぐらい、こちらの世界では甘いものの価値が高い、と。
その言葉にリディアも頷く。
そして、可愛らしく小首をかしげながら。
「なら、コロネの料理はどうするの?」
「ああ、それだ。リディア、お前さんにこのことを話すのも、これがいい機会だと思ったからさ。コロネがこの町にやってきたこと、それ自体が『お菓子』のジャンルを広めるきっかけになる……ある意味、チャンスではあるってな」
少なくとも、俺が作るよりも各々に衝撃を与えられるはずだ、とオサム。
「つまり?」
「この件に関して、俺は裏方として支援する。いざという時に備えて対策を取る。コロネの身に降りかかる火の粉を払うためにもな」
「ん、それなら」
「ああ。はは、さっきリディアがコロネに付いてくれて助かったぞ? それに今の状況であれば、多少強引に推し進めても何とかなるはずだ。そのための努力はしてきたからな」
「ん、この町はそのためにある」
「……最初はここまで大きくなるとは思わなかったんだがなあ」
「当然。オサムの料理は美味しいから」
「はは、ありがとな」
リディアの言葉に笑みを浮かべた後、真剣な表情へと戻るオサム。
「だからこそ、リディア、お前さんにはコロネの身の安全を護ってほしい。あの若さであれだけの腕だ。放っておけば、余計な悪意にさらされることになる。その悪意から護ってやってくれないか?」
「もちろん。さっきも言った。わたしは美味しいものの味方」
「ああ、頼むな」
頷き合うふたり。
静かな決意は、どこか穏やかな風を伴って。
ひとりの少女の未来を明るく照らす光となる。
――――これは、コロネが部屋で休んでいる間の一幕。
「そういえば、リディア、お前さん、どうやってコロネがお菓子を作っていることを知った?」
「『塔』の中で、良い匂いをさせたらすぐ気付ける」
「え……? ああ、そういうことか。お前さんのネットワークって、ふわわ経由の情報か」
「ん、そう。ねー」
『ねー』
「そういうことなら、コロネにもふわわのことを紹介しないとな」
『そうだよ、おさむー。まってるよー』
「わかったわかった」
『いいにおい、とってもおいしー♪』