第13話 コロネ、ガトーショコラを仕上げる
「はい、どうぞ。できましたよ」
「おおっ!」
「すごいのです! 美味しそうなのです! 部屋中に甘い香りが漂っているのですよ!」
うん、何とか作ることができたよ。
目の前のテーブルの上には、わたしが仕上げた1台のホールケーキが置かれている。
それを見て、興奮しているふたりの姿に、ふぅと安堵の息を吐く。
うん。
偉そうなことを言って、失敗したら目も当てられないものね。
やっぱり、現実では何度も作ったことがあるものだけど、初めてのお店、初めての設備、そして初めての材料で作るのは、それなりに緊張もするのだ。
試作なしのぶっつけ本番。
それでも、思った以上に焼き上がりまでうまくいったようだ。
目の前のものを見ながら、オサムさんもどこか嬉しそうにしてくれているしね。
「いやあ、恐れ入ったぜ。さすがは本職だな。惚れ惚れするような手際だったぜ」
「え、そうですか? ありがとうございます」
「なのです。コロネさん、作っている姿がきれいだったのですよ」
歴戦の戦士みたいだったのです、とピーニャも笑う。
褒め……てるんだよね?
ともあれ、自分ではそんなつもりはなかったから少しびっくりだよ。
普段通りの動きだもの。
でも。
わたしの身体はしっかり動く。
これなら大丈夫そうだと思ったよ。
「いや、冗談じゃなくてだな、コロネ。俺も『眼』で見ていたんだが、お前さん、はかりを使わずにきっちり計量をしていただろ? 目分量なんてレベルじゃなくて」
「はあ、まあ、一応、今までの経験の賜物ですね」
オサムさんは感心してくれてるけど、でも、これって、そこまで驚かれるようなものじゃなくって。前のお店では、店長の付き添いで出張した時とか、現地にその手の器材が不足しているってこともよくあることだったのだ。
そうなると、どうやってお菓子を作るかというと、まあ、そこにある器材で料理をしなければいけないわけで。最終的に頼りになるのは自分の身体の感覚だったんだよね。
だから、慣れてるってのはある。
そもそも、お菓子作りは料理の中では特に科学に近い、ってのは散々、店長から教わってきたことだしね。
だからこそ、いつ何時であっても、パティシエたるもの肌感覚は磨いておく必要があるんじゃないのかな、って。
「やっぱり、それは『スキル』とかの恩恵はないってことだな?」
「そうですね。店長のうっかりで厨房が修羅場と化した時とかは、いちいち計量している暇がありませんでしたしね」
うん、だから慣れだよ、慣れ。
ほんと、店長ってば、お菓子造りの腕は天下一品なのに、商売ごととなるとうっかりしてることが多かったからねえ。
お店のキャパを超える注文を突然受けてこないで! って、わたしを含めた従業員全員が何度思ったことか。
……まあ、多くの人に喜んでもらいたい、って思いは伝わってきたからね。
だから、そのうち、その手のことも仕方ないって、笑って対応できるようになったし、悪いことじゃないと思う。
少なくとも、うちの店では、その日の温度湿度やそれによる粉の変化とかの見極めなどは一見習いといえども、きちんと把握できるように求められていたのだ。
もちろん、個人差はあったけど。
各部門のチーフの中には、わたしなんかじゃ太刀打ちできないほどの人もいたしね。
お世辞にも、自分が優れているなんて思えなかった。
そう言うと、オサムさんが呆れたように笑って。
「はは、俺も見習わないといけないことが多いな。ただ、純粋に本職の菓子作りってが見たかっただけなんだがなあ。俺が想像していた以上に、本格的なものが飛び出してきたな」
てっきりプリンとかそういうものになると思っていた、とオサムさん。
えっ……?
その言葉にちょっとびっくりしてしまった。
「え、でも、オサムさん。お店で出せるようなものを作ればよかったんですよね?」
「ああ。確かにそうなんだが……コロネ、お前さんの生い立ちを聞いた時も思ったんだが、このケーキを見て確信したぞ。お前さんが勤めていた店ってのは、どうやら普通の店じゃなさそうだ、ってな」
「えーと……?」
「感覚と常識が、一般的なそれとは大きくずれがある」
「そうなのですか? というか、常識知らずのオサムさんがそれを言うのはどうかと思うのですよ」
「いや、話の腰を折るなよ、ピーニャ。俺の常識知らずはこっちの世界限定だぞ? まあ、お前さんにとってはコロネが作ったのも、『すごい料理』にしか見えないか」
「なのです。一品作るのに、ものすごい手間暇なのです」
こんなにちっちゃい料理なのにすごいのです! とピーニャ。
「コロネ、お前さんにとっては、このぐらいでようやく店で出せる基準のものになるんだな?」
「まあ……そうですね」
「同時に複数の生地が必要になるケーキ、だな?」
「ええ」
オサムさんの指摘の通りではある。
今、わたしが腕試しとして作ったのは、チョコレートケーキだ。
土台はチョコレートのジェノワーズ、上にメレンゲベースの焼きショコラ、その間にチョコベースのクリームをサンドしている。
それをチョコクリームで飾り付けて、チョコの花をあしらって。
どこまで食べてもチョコレートの風味が味わえる、チョコ好きのためのケーキだ。
最初、わたしが何を作ろうか考えて、とりあえず、『チョコ魔法』を色々と試してみた結果、この魔法で出せるチョコが思いのほか多岐に渡ったために、このケーキを作ろうと思い立ったのだ。
わたしが『チョコ魔法』で出せるチョコレートはイメージに依っているようで。
何も考えなければ、魔法で生み出されるのは、わたしにとっての理想の味――――店長のベーシックなボンボンチョコレートになる。
ところが、わたしが『こういうチョコレートがほしい』と願うことで、それに近しいチョコレートが生み出されることがわかったんだよね。
うん。
これ、本当に便利!
ビーントゥバーの産地別の個性的なチョコレートまで生み出せるなんて!
たぶん、わたしがお店のショコラティエ部門で、色々と味見もしていたおかげだろうけど、結果的に癖が強めのチョコも『チョコ魔法』で生み出せることができたわけで。
そうなれば、個性の違う複数のチョコを組み合わせてみたい、ってのは、当然考えることだよね?
もちろん、ショコラティエのチーフも言ってたから、『バランスが大事』ってのは覚えてるよ?
でも、今のわたしなら、この『チョコ魔法』でそれを踏まえたうえでのケーキが作れると思ったから。
たぶん、この『チョコ魔法』が涼風さんが言っていた『強いスキル』ってことなんだろうね。
もちろん、すごいチョコが作れるってのはパティシエ以外にはあんまり意味のないものかも知れないけど。今のわたしにとっては最適の能力だよ。
こっちの世界にはまだチョコレートがないって話だし。
だからこそ。
このチョコレートケーキが通用するか、試してみたかった。
オサムさんが言いたいことも何となくわかっている。
ここまでの流れで、この世界のお菓子の在り方も何となくわかってきたし。
そもそも、甘いものは嗜好品で上流階級でしか食べられない。
そのため、作り手もレシピも限定されてしまい、本当に狭い部分でしか発展していないのだと。
オサムさんが言う『本格的』というのもそういうこと。
果物以外の甘味に乏しい世界。
たぶん、ゲームで遊ぶ人に対して、世界を広げる余地を残している設定なんだろうね。
だとすれば、今の自分でも面白いことができるかもしれない。
だからこそ。
「オサムさん、ピーニャ、味見してもらってもいいですか?」
今の自分の作ったケーキでこの世界に挑戦してみたい。
その想いを強く抱いて。
わたしはふたりに目の前のケーキを振舞うのだった。