出立前に
鏡に映る姿にターシャは言葉を失った。あの後、ドレスを身に着け、今までしたこともなかった化粧をした。髪型も今時だとモアナが言っていた緩く巻いた髪に変わった。侍女経験の豊富な彼女が丁寧に栗色の髪を編み込み、リボンで後ろに束ねたおかげでみすぼらしさが全くなくなったのだ。
「ターシャ、入っていいかね?」
父の扉をノックする音にはい、とこたえた。部屋に入ってきたレギルは固まってしまった。
「……ターシャ、なのかい?」
「はい、お父様」
ぎくしゃくと機械仕掛けのようにレギルは娘に近寄った。ターシャの正面に立って、頭のてっぺんからつま先まで見つめる。
「……とても、綺麗だよ。ナタリアがいたのかと思ったよ」
「お母様に?」
実母のことはぼんやりとしか覚えていない。屋敷にある肖像画の顔がターシャの知る母だった。
「ターシャ」
「はい」
急にレギルの口調が真剣になった。
「……本当に、いいのかい?」
「え?」
「マーガレットが君を心配しているよ」
隣にいるモアナが渋面になった。継母の面の皮の厚さをミヒャエルから聞いているらしい。継母の裏の顔に気づかない父も父だが。
「それと、宮廷に入った時点で、候補者たちの黒い駆け引きが始まる」
「はい」
「それでも?マーガレットと一緒に暮らしていく方がいいのでは……?」
ターシャは内心ため息をついた。父の心配は的を得ているようで外れている。宮廷内の〝黒い駆け引き〟ぐらい知っている。その対処法もターシャなりに考えがあった。今の自分にとってつらいのは、このままだと一生継母の飼い殺しだということだ。
「いいえ、お父様。もう決めたことですから」
父の視線を受け止めながら、はっきり返事をした。
「……そうか」
レギルはすっと懐に手をやった。中から出てきたのは、銀色のロケットペンダントだった。真ん中にサファイアが埋め込まれている。
「これは、ナタリアの形見だ。ターシャが年頃になったら、渡すように、と。『いつかきっとターシャの助けになる』と、生前言っていたよ。次に会うのがいつになるかわからないから、今渡そう」
父に手渡され、ターシャはペンダントが温かいことに驚いた。生き物を持っているような感覚になった。
「ありがとうございます、お父様。大切にします」
レギルは終始心配そうな表情で、部屋をあとにした。
――そういえば、お父様とこんな風に話したのも五年ぶりだわ。
部屋を去ったあと、そう思った。