籟籟たる幸福
まだわたしが、小学四年生の頃の事だ。百歳になる曾お婆ちゃんの誕生日祝いを、親戚全員で行うことになり、父の故郷である名古屋に行った時――わたしは忘れられない不思議な体験をした。それは高校生になった今も、わたしの記憶の中に色濃く残っている。
当時のわたしは、幼いばかりにまだ何も知らないながらも、興味のある事には人一倍敏感な子供だった。お婆ちゃんのお母さんて何? 百年も人は生きられるの? どんな人? 知りたいことは山ほどあったけれど、父と母は、会いに行けばわかる。と、曾お婆ちゃんに興味津々なわたしに、大人のくせに悪戯っ子のような目つきで笑って言っていた。
新幹線で名古屋へ着いて、駅からタクシーで向かったのは、大きな昔ながらの日本家屋での“お屋敷”だった。古い日本の屋敷など、テレビでしか見たことがなく、その程度の浅い知識しかないわたしには、実際に見るその佇まいに、ただただ圧倒させられるだけだった。まるで門前に立って棒立ちになってるわたしを、一度迎え入れたら呑み込んで外に出してもくれなそう、と思わせるような、魂が宿っているようにも見える建物だった。
ただいまと言って、先に到着していたわたしにとっての伯父さんやお婆ちゃんに挨拶をする父は、久しぶりに会う家族や親戚の人たちと話していて、とても楽しげで愉快なようだった。しかし、わたしはこの家の迫力に圧倒され、母にとっての義理の姉にあたる小母さんと話していたその服の裾を掴み、背に隠れる。動きにくい、と言われて渋々離れると、親戚の人たちはわたしのリアクションが大層“予想通り”だったようで、けらけらと笑っていた。なにがなんだかわからないわたしは、とにかく俯いて、赤く染まる顔を隠すことに必死になりながら、気遣ってくれた父に手を引かれてお屋敷にあがる。
馬鹿みたいに広い家だな、と。ここでもまた、幼いながらに感じた。けれど、廊下から見える壮麗でいて品のある庭園を目にして、家も大きいし、この家に住む曾お婆ちゃんは、さぞかしお金持ちで裕福なのだろうとも思った。
――曾お婆ちゃんは、どんな人だろう。恐い人だろうか。厳しい人だろうか。父もお婆ちゃんも朗らかなタイプであったから、もしかしたら家系的に温厚なのかもしれない。だけれど、それに甘えてはいけない。わたしはきちんと挨拶を出来るだろうか。子供のくせに、周りの大人達の顔色を窺って生きていたわたしは、どうしようもない不安、そして、やはり冒頭で述べた通り“興味のある事には人一倍敏感”であったので、会ったこともない曾お婆ちゃんという不思議な存在へ、一握の期待をのような物を胸の中へとどめる。
通された居間で水羊羹とアイス緑茶をきちんと味わうも、早々と胃におさめた。それからこっそり、ちょっとお手洗い、と一応小声で言った後に大人たちが話している隙を見て、屋敷の中を散策して曾お婆ちゃんと一足先に会ってみることにした。
やはり、広く大きい家だから、探すのも骨が折れるだろうと思い、どこから探そうか考える。今、通ってきた廊下の傍の仏間には、誰も居なかった。曾お婆ちゃんは車椅子で生活をしているそうだから、台所にも立ったりもあまりしないらしいと父に聞いた。ただ、料理は好きだそうで、高齢者ともあり早起きなのでたまに杖をつきながら朝食を作ってしまうこともあるんだよ、と困っていた。
「もう、自分の歳を考えてほしいって言いだす年齢も、越えてるからなぁ」
そりゃあそうだと思った。人間の寿命は平均で八十歳だそうだし、その時点で既に寝たきりの人も居る。けれど曾お婆ちゃんは、八十歳の頃はまだまだ現役で、先に若くして亡くなった曾お爺ちゃんの小さな畑を一人で切り盛りし、直販に出してもいたという。お婆ちゃんもお父さんも、元気なことは嬉しかったが、いつ倒れてしまわないか常に不安だったそうだ。今は、さすがに歩くことが困難なようで、車椅子の生活をしているんだっけ。
なんて考えて、さてどこから探そうか、と悩んでいる。先ずはやっぱり、曾お婆ちゃんのよく日向ぼっこをしていると聞いていた縁側かな、と思い、よし。と歩きだそうとすると。
「翔子かい?」
――わたしの名前を呼ぶ、聞きなれない。少しだけしゃがれた声がわたしの名前を呼んだ。驚きに驚いていた。ビクつきながら、恐る恐る振り返るとそこには、車椅子に乗った老女が、わたしを見つめていた。藤色に古典柄の慎ましく趣のある着物を着た、上品居住まいだった。
わたしはこの人が曾お婆ちゃんなのと思い巡らしていると。
「ついておいで」
老女はわたしに向かって言うと、車椅子を動かして長い廊下を進んでいった。ひきつけられるようにわたしは、その後を追って歩いていった。
着いたのは、廊下の突き当たりの右の部屋。
「誰も入れないことにしてるんだけど」
そう言って、老女が戸に手をかけようとするところを見つめつつ、あの、とわたしは控えめに問いかける。
「あなたがわたしの曾お婆ちゃんですか」
その問いかけに、老女は戸にかけた手を止めて視線をちらりと寄越す。違ったかな、怒らせちゃったかな。わたしは、何か段取りを間違えたかな、と考えを巡らせると、初対面で自分が何者かを名乗っていないことに気づく。
「えっと。はじめまして。わたし、翔子です」
「……ああ。あたしは燦」
「燦お婆ちゃん! ……じゃあやっぱり、あなたがわたしの曾お婆ちゃんですか?」
ああ。そうだよ、と曾お婆ちゃんは浅く頷いて手を動かし、戸を開けた。
「さあ、入りなさい」
わたしより先に、段差のないバリアフリーの施された、そこだけ新しい床を車椅子で通って部屋へ入ると、手招いてくれる。遠慮気味に立ち入ると、お香のような匂いが先ず鼻孔をくすぐった。落ち着く良い匂いだなと感じつつ、あまり物のない部屋を見渡している。
曾お婆ちゃんが、若いころからの畑仕事で黒ずんで日焼けをしている手で、自らの車椅子を動かす。わたしはそれを何気なく見ると、曾お婆ちゃんはテレビを指さした。手はしわしわだけれど、そのさした指は震えることもなく凛としていた。
「そのテレビを点けてごらん」
曾お婆ちゃんが言うので、テレビが観たいのかなと思い、わかったと頷いて電源ボタンを押した瞬間、何か白く小さい物が桐箪笥の中から飛び出してきて、テレビの画面中に張り付いた。しかも一匹ではない。大勢だ。
「うわあ! な、何これ、おばあちゃん」
虫? これは何? 呆気にとられて、うようよと蠢く白い物体たちを見つめていると。
「てんさらばさら、だよ」
曾お婆ちゃんが言う。お前が生まれて直ぐ、こいつらの絵本を贈ってやったんだがね。読んではいないかい? ――そう言われて、思い出す。
てんさらばさら。白粉を食べさせて、おまじないでお願いを言うと、次々にそれを叶えて、幸せを運んでくれるという不思議な生き物。本で調べたら、未確認生命体に属していると知って、へぇ、何だか浪漫があるようだな、などと思っていた。絵本で読んで、お父さんとお母さんに飽きもせず読み聞かせてもらっていた。
「これが……。でも、お婆ちゃん、どうしてこの子達はテレビに張り付いているの?」
「こいつらは、毛の塊のような姿をしているだろう? あたしもね、昔は白粉をあげていたんだけど、テレビが出来た時代になって、ハイカラにも毛がくっつきやすいことが分かると、電気で温められるテレビが好きになってしまってね。隠すのにも一苦労だったよ」
曾お婆ちゃんは懐から竹筒を取り出し、白粉のようなものを彼らにやると、ホラご飯はもう終わり。そう言ってわたしを見たので、頷いてテレビを消すと、こしょこしょとわたしの耳元で、てんさらばさらが何かを言った。
『燦の曾孫、やって来た』
『初めてのおなご、やって来た』
こしょこしょこしょ。てんさらばさら達は、空のビンの中で金平糖を何粒か入れ、カラカラ音を鳴らしたような笑い声を零しながら、サササっと箪笥の隙間に入り込んでゆく。まるで、有名なアニメ映画の黒い生き物みたいだな、と思った。今思えば、それが原型で、まっくろい、クロスケくんは生まれたのかもしれない。
ぼうっとし、呆気にとられていたわたしは、曾お婆ちゃんに手招かれて歩み寄る。曾お婆ちゃんは、何故か先ほどテレビを指さした時とは違い、小刻みに震える指先からわたしの頬に触れ、ずっと無表情だったその顔を少しずつ入れ替えて、淡く微笑む。
「わたしの、かわいい曾孫。女の子に恵まれなかったから、可愛くて仕方ない。さっきの奴らをお前に託すから、幸せになりなさい。遺産なんて大層なもの、そう遺せない。この家だって、ただ馬鹿に古くて広いだけのもんだ。だから、あたしがお前位の頃に出逢った、あいつらと仲良く生きていきなさい」
いつか外の世界に、あいつらを自分の胸で育んだ意思で放てる位、幸せになれる自信を持ちなさい。――そう言うと、曾お婆ちゃんは笑みを更に深めて、わたしを抱きしめた。温かい。とても心地がいい。
「お婆ちゃん、大すき」
そう、思った言葉をするりと口から零して、笑顔がうつった様子でわたしも笑ってお婆ちゃんを抱きしめた瞬間、わたしの目の前がてんさらばさらの色のように真っ白になった。
何が起きたか。一体、何が温かいか。わたしの手は、温かいだろう。なら、その手を握る、生暖かくて酷く優しい温度は、一体何なのだろう。心が彷徨う。此処から離れたくない。けれど、心臓を羽毛布団で撫でられていると同時に、何か酷い痛みがじくりじくりと胸を侵してゆく。
優しい温度。優しい感触。しかし、痛み。じくりとした傷みは、やがてジクジクとテンポを上げて痛みだし、やがてズキンと心臓が内側から弾け飛んでしまったかのような、一瞬の激痛と共に、わたしは「誰も居ない白い世界」で、悲鳴を上げた。
見失う。
自分が、崩れてゆく。まるで、体が少しずつ石となり、一刹那で風化して、がらがらと足元から小石、小石から砂へと全て還ってゆくようだ。ただ、懺悔も念仏もなく、叫び続けて、いつしか逝ってしまうの。そんな疑問はこの瞬間に浮かんではくれないけれど、漠然と理解っていた。きっと、此処に誰かが居て、少しでも聞いていたら死ぬまで忘れられないほどの悲痛すぎる情けのない、けれど温度に一途な叫び声だった。
雨が降ってくる。涙の雨だ。わたしの、涙の雨。泣き声と、涙の雨。
「翔子は泣き虫だねえ。」
――優しい、両手。わたしが崩れ去る寸前、前にすっと現れたのは、雑草を抜いて石を拾い、地を耕し土を弄って種をまき。生命を育て続けた、土で黒ずんでいて、しわしわの指。年輪を携えた手のひら。うつくしい、手。
ああ、そうだった。わたしは、この都合の良いシステムで出来上がっている、けれど愛が溢れ弾けてもいる世界に生まれ堕ちた時、初めて抱いてもらった人は。
「お婆ちゃん」
わたしの大好きな、曾お婆ちゃん。
「あたしに似て、別嬪じゃあないかい。はは、丸い団子鼻がとても愛いなあ。唇のほくろは、食べ物に困らない証拠だよ。人を救うのは、言葉でも何でも無く、美味しい食べ物さ。なあ翔子、婆ちゃんは死ぬまで食べ物を作り続けるよ。お前に、ありったけ、美味い野菜を食べさせてやろう。約束するよ」
わたし、曾お婆ちゃんの作る野菜が、幼いころからずっと大好きだった。
「婆ちゃんが一番美しかった時、戦争があった。男は見向きもせず、国の為と、命を次々落としていった。いつになったら人は分かるんだろうね、戦争が無意味であることを。爺ちゃんも、その時ね。美しかったあたしを残して。子供を残して。酷いもんさ。けれど、あの爺ちゃんと出逢えた本当の意味での喜びも、爺ちゃんが死んだ時に知った。食べることが、食べられることがどれだけ大切かも、飢え死にしかけた時に知った。戦争は、あっちゃならない無意味なものだけれど、ある意味では、神とやらが人に、その者にとって大切なものや事を教えてくれる、切欠にもなりうるものなのかもしれない。その時出逢った“あいつら”が、あたしを救い、お前の婆ちゃんを育て、孫を見せてくれて、そのうえ曾孫のお前と逢わせてくれた。あいつらは、てんさらばさらは、お前とわたしを巡りあわせるために、あの日、あの地獄絵図の暑い夏の日、晴れた空風に吹かれてやってきてくれたのかもしれないなあ」
やつらには感謝しなきゃね。そう言って、曾お婆ちゃんはしわくちゃの笑顔を浮かべて、泣き叫ぶ赤ん坊だったわたしの額に祝福のキスをした。
「わたしの曾孫で、生まれてくれてありがとう。翔子」
その瞬間、あれほどの痛みが、去った。そこでわたしは分かった。笑顔の曾お婆ちゃんは、泣きながら、赤ん坊のわたしに涙の空を作り出していた。あの時の泣き声が、今の痛みに通じると巡りあわせた絶叫だった。
泣き叫ぶほど、生まれたことが嬉しかった。
赤ん坊のわたしは、それをとうに知っていた。
「大すきだよ。翔子」
曾お婆ちゃんの頬ずりが、ただ温かい。震えている涙声が、ただ優しい。
夏の茹だる様な暑い日、一つのおおきなおおきな争いが終わった。その日、お婆ちゃんは幸せを運んでくれる子達に出逢った。
『愛しい野郎を失っても、自分だけは、離さないで来れたのは。爺ちゃんを失っても、生きてこれたのは、みな、心の支えになったあいつらのお陰。けれど、さまざまに枝分かれした道を選んで歩いてきたのは、あたしだったんだよ。なぁ翔子、あたしはさ』
お前を抱きしめる道を選ぶ、勇気をくれたあいつらを。 ――いつか。
『託すよ、大すきだよ、愛してるよ、生きるんだよ、しがみ付くんだよ、選ぶんだよ、幸せになるんだよ、翔子』
お婆ちゃん。赤ちゃんに、そんなことを言っていたの? わたしは、泣きながら触れていた温度が滑り落ちて、握り直したところで。懐古することを、やめた。……――
*
「ご臨終です」
曾お婆ちゃんの安らかな表情を目に焼き付け続ける。最期のことばを。声ではない、けれど確かに手を握って聴き取った。滑り落ちたのは、お婆ちゃんの手。未だ温かい手。ベッドの上で、お医者さんに臨終であることを告げられた瞬間、涙の雨を降らせて、たった今死んだ曾お婆ちゃんに笑いかける。
「こういう時こそ、どうにかしろって頼むものなんだろうなあ」
周りで、お父さん、お母さん、親戚の人たち大勢が、泣いている。でもわたしは、泣いていても、最後に曾お婆ちゃんが伝えてくれた、「痛みと涙の意味」を、キャッチしたのだ。
「でもさ、婆ちゃん。わたし、あいつらを逃がしてたんだ。ごめんね。だって、わたしより辛く苦しい思いをしてる人、世界中にいっぱい居る。頼りない小さすぎる心かもしれないけど、わたし、それ位は分かる」
人それぞれの不幸なんて、神様にもはかれないものだけれど、きっとそうなんだ。
「だから、選んだんだよ。婆ちゃんの言う通り、風に吹かれて分からない“理由”と、風に吹かれて誰かに訪れる“幸福”を。おすそ分けしようって」
だから、安心して眠ってね。曾お婆ちゃんの言う通り、わたしは生きるし、生き続けるし、生にしがみ付く。
もう、雨が止んで虹がかかるから。色々なものを大昔から見てきた空から、わたしの生きざまを見守っていて。笑顔の訳も、痛みの意味も、涙の理由も、何もかも噛み締めて千切って呑み込んで、生きていくから。
「今度、婆ちゃんに習って作った野菜、お供えするから」
もう、泣かないでね。――わたしは、お婆ちゃんの皺がほどけた額にキスをした。
――もし、おまじないを叶える、テレビ好きで、曾お婆ちゃんの言葉を借りて言うと、「ハイカラ」な彼らがもう一度、風に吹かれて帰ってきたら。わたしは、お婆ちゃんに貰った沢山の愛しみを胸に抱いて、こう伝えるだろうと思う。
「わたしは元気。婆ちゃんの居るところは気安い場所かなあ。そうだといいな。もうお前らに頼らなくても、わたしは幸せだよ。だから、お前らはまた他の誰かを幸せにするために、向かい風さえ乗りこなして世界を旅して、幸せを運んでやってね」
と。
『あたしは温かい日差しの降り続けたような、本当に良い人生を送れた』
燦々と晴れた陽の光が照らした鳥は、風に吹かれて次の幸福の音をしっかりと聴き取り、また、次の世代へ伝えゆくことを選んで飛び立った。
――end.
初作品となります。個人創作小説サイトでも掲載し、短篇企画サイト様にも提出しております。
前半のほとんどは、物書きを教えるプロの方に推敲して頂きました。後半は手探りで自分で書いてみた次第です。
戦争が勃発しそうな、いや、今の世の中にもある戦争の醜さについて、「必要なものかも」と記述していますが、筆者は戦争は断固反対です。突き詰めて見たら――何事にも意味があるとしたら。この世の中の出来事に無意味な事がないとしたら、ということで、こう解釈して執筆致しました。そのあたりは、どうかご了承ください。