第30話 エンリコ・カイアーノ
「旦那、ニールさんが負傷した!」
ノーマの悲鳴にも似た声に反応したマクスウェルがニールの姿を探す。するとすぐにノーマの補足する声が届く。
「南側です! 旦那の位置からだと死角になります」
南側へ向かおうと向きなおると同時に、左腕から血をながしたニールが砦の南側から大きく飛び退るようにして姿を現した。
負傷しているのは左腕。血を流している左腕には切り裂かれた鉄の盾が握られている。
剣技と魔術の腕。総合的な戦闘力はマクスウェルとベレスフォード一級神官に次ぐ三番手、それも群を抜く三人であるとマクスウェルは判断していた。
そのニールの魔法障壁と鉄の盾を切り裂いて、手傷を負わせることの出来る個体があの壁の向こうにいる。
そう考えた瞬間、マクスウェルはニールとまだ見えぬ脅威との間に飛び込んでいた。
「ニール! 怪我の具合は?」
背後のニールにそう声をかけながら、脅威となる個体をその視線の先にとらえた。
ゴブリンの上位種。
ここまで相手にしたゴブリンの上位種など大人と子ども程も開きのある強大な魔力をまとった個体がそこにいた。
それはまるで上位種のさらに上に君臨するような力と存在感を漂わせている。
「情けない話ですが、左腕は使いものになりません。ベレスフォード神官に治してもらうまでは右手だけで戦うことになりそうです」
苦痛に顔を歪めているが、それでも戦う意思を示す。
マクスウェルはニールの傍らまで後退すると、左手をニールの傷口に添えた。
ニールは瞬時に痛みが消え、みるみる傷口が塞がっていく自身の腕を信じられないものを見るように見つめる。
「ゴォアー!」
咆哮が上がった。強大な魔力を帯びた上位種がもの凄い速度で二人に迫る。
ニールの顔が焦りに歪む。
迫る上位種の異常な速度を目の当たりにして、自身の腕が治癒しいてくのがもの凄くゆっくりとしたものに感じられた。
瞬く間に上位種が距離を詰めた。
マクスウェルとニールの二人は上位種の攻撃にいつでも対処出来るように身構える。
上位種の手にした魔力を帯びた長剣がマクスウェルとニールの二人をとらえようと、横薙ぎに振り切る軌道で高速の斬撃が繰り出された。
二人が同時に飛び退る。
寸前まで二人がいた空間を長剣が高速で振り抜かれた。流れるような動作で上位種は空いた左手をマクスウェルに向けて突き出す。
拳程の大きさの石が瞬時に生成され、マクスウェルに向かって撃ち出された。
およそ人の目では捉えられないほどの速度で撃ち出された石は、マクスウェルの左腕のガントレットに直撃して砕け散る。
「その練り上げた左手の魔力を消費するのを待っていた」
マクスウェルの口元が綻ぶ。
最も警戒していた不意打ちとなる攻撃魔法からの魔力を帯びた斬撃による連続攻撃。その次が一撃でも致命傷ともなりかねない魔力を帯びた斬撃。
魔力視。魔力を視覚でとらえることのできるマクスウェルだけが知ることができる。
攻撃魔法が途絶えたことを知ると、即座に反撃に転じた。
十分に魔力を帯びた長剣を眼前の上位種に振り下ろす。マクスウェルの放った渾身の斬撃を上位種は魔力を帯びた長剣でかろうじて受け止めた。
鋼と鋼のぶつかる甲高い音が響く。
力負けをした上位種が片膝をついた。
態勢を崩したとはいえマクスウェルの一撃を凌ぎきったゴブリンが口元に笑みを浮かべたようにマクスウェルの目には映った。
その笑みを待っていたとばかりにマクスウェルが口元を綻ばせる。
「ここまでだ」
彼がつぶやいたそれは、まるで『力ある言葉』のように主に応える。
左腕のガントレットがその形状を変えた。
魔力を帯びた鋼の刃が鞭のようにうねる。ガントレットから伸びた刃は上位種の魔法障壁の最も低い部分を狙いすましたように貫いた。
「ゴフッ」
鎧の隙間から侵入した刃は上位種の首筋を貫いて頚椎を切断した。
上位種がまとった魔法障壁が急速に薄れていき、静かに地面に崩れ落ちる。
「マクスウェルさん、前から聞こうと思っていたんですが、貴方は何者ですか?」
「その辺りの事は後で話そう――」
ニールの問いにマクスウェルはウィンクをしてそう答え、砦の防壁を仰ぎ見る。
「――俺は防壁を越えて、一旦砦内部の様子を確認する。西門のオーガの様子次第だが、すぐに外の掃討戦に戻る。その間、外の指揮を頼む」
ニールがかすり傷まで回復した左手を軽く上げて、無言で了承するのを確認すると、防壁の上へと飛び乗った。
◇
「ギャ、ギャッ!」
「な、縄を解いてくれ! 加勢する」
「嫌だ、このまま縛られたまま死にたくない!」
兵舎に飛び込んだカイアーノたちの耳に甲高い金属音とゴブリンの咆哮、そして壮年の男と思しき悲鳴が聞こえた。
「黙っていろ!」
兵舎の一室で一匹のゴブリンと若い騎士が剣を交えていいた。部屋の隅ではダリオ・マイヤーと二人の護衛が拘束された状態で震えている。
「騎士殿! 加勢します!」
カイアーノと共に真っ先に兵舎に飛び込んだ護衛の一人がそう叫んで、抜き身の剣を手に駆け寄る。カイアーノがそのすぐ後ろを走る。
「すまん! 助か、グフッ、な、何を……」
加勢を感謝する騎士の言葉が途中で途絶えた。
若い騎士は胸に突き立てられた剣と剣を突き立てたカイアーノを不思議なものを見るような目でみる。
「カイアーノ様!」
「助かりました!」
「な、縄を、はやく」
そして、ダリオ・マイヤーと護衛の二人の反応に加勢に来たと思った者たちが敵である事を薄れる意識の中で察する。
若い騎士が最後に目にしたのは、自分と切り結んでいたゴブリンが共に床に崩れ落ちる姿だった。
「よし、やれっ!」
ダリオ・マイヤーたちの無事を確認したカイアーノが護衛たちに号令を下すと、拘束されたダリオ・マイヤーたち三人が抗議の声を上げる間もなく護衛たちに切り伏せられた。
カイアーノは念を入れるようにダリオ・マイヤーの左胸に剣を突き立てる。
「貴様ら何をしている!」
兵舎の中に声が響き、一人の騎士がカイアーノたちの前に姿を現す。ダリオ・マイヤーに止めを刺す瞬間のカイアーノと目が合った。
「チィッ! ヤツも仕留めろ!」
カイアーノの言葉に護衛たちが一斉に動いた。
騎士は八対一の不利を悟り、応援を求めるために踵を返す。
「兵舎の外へ出すな! なかで仕留めろ!」
カイアーノも護衛たちに続いて逃げる騎士を追う。
護衛の一人が投げた短剣が騎士の左脚に突き刺さった。
「グゥッ」
苦痛に顔を歪めながらも騎士は兵舎の外へ転がり出た。だが、そこまでだった。立ち上がった瞬間、エンリコ・カイアーノの護衛二人の剣が騎士の脇腹と左胸を貫いた。
騎士の断末魔の悲鳴に続いて、激しい怒りを伴った叫びがカイアーノの耳届く。
「グワッ、ゴフッ」
「貴様っ! 何をしたっ!」
中隊長の記章を付けた騎士が真っすぐにカイアーノたちに向かって駆け出した。
「見られました!」
たった今騎士の左胸を貫いた護衛の一人が顔を青ざめさせて言った。
カイアーノが周囲に視線を走らせる。
彼らをとがめる者の姿は他にない事を見て取ると、今の失態を思い返して指示を出す。
「目撃者を出す失態を繰り返す訳にはいかない! 兵舎の中に引き込んでから仕留めるぞ!」
カイアーノの視界の外、防壁の上に飛び乗ったマクスウェルの目に若い騎士がカイアーノの護衛二人に殺される瞬間が飛び込んで来た。
「バカな……」
騎士を殺害した護衛たちに向けてカイアーノが笑みを浮かべる。
マクスウェルの鼓動が大きく脈打つ、次の瞬間、彼はカイアーノの名を叫んでいた。
「エンリコ・カイアーノ!」
自身の名前を呼ぶ、聞き覚えのあるその声にカイアーノが思わず振り向く。
東門から伸びて南側の防壁へと続く防壁の上に彼がいた。アイスブルーの瞳に怒りを湛えたマクシミリアン・マクスウェルが真っすぐに睨みつけていた。
「マクシミリアン・マクスウェル!」
カイアーノがうなる。
最も目撃されたくない相手に目撃された事で一瞬思考が停止しかけた。
「灰色頭です!」
続く護衛の言葉にカイアーノが即座に反応する。
「逃げるぞ! 西門を突破する! 向かってくる騎士は無視しろ! ともかくこの場を離れる!」
カイアーノが素早く西門へ馬首を向ける。
「オーガがいます!」
最も若い護衛が反射的に口にした。
「では、東門を抜けるか?」
カイアーノの言葉に弾かれたように東門を振り返る。彼の目にはマクシミリアン・マクスウェルが防壁から身を躍らせる姿が映る。
若い護衛は反射的に西門に向けて騎馬を走らせた。
先頭を駆けるカイアーノを追って、護衛たちは一団となって西門へ向かって騎馬を駆けさせる。
カイアーノたちのその行動がたった今マクスウェルの見た光景が見間違いでなかった事を彼に確信させた。
同時に彼の中で渦巻いていた疑惑が急速に形を成していく。『ゴブリンの集団暴走』が意図的に引き起こされたものだと。
「逃がさん! お前には聞きたいことが山ほどある!」
着地と同時に魔力による身体強化を行い、一直線に西門へと向けて走り出す。
「カイアーノさん、灰色頭が追ってきます!」
「オーガとは交戦するな! 駆け抜けろ!」
カイアーノたちが西門を破壊している最中のオーガに迫る。
右手に持った岩をオーガが西門横の防壁に振り下ろした。激しい破壊音と衝撃を伴い、まるで爆発したように防壁が四散する。
四散した瓦礫の一つがカイアーノの右隣を走っていた護衛の頭部を直撃し、男は一瞬で馬上から消えた。
「構うな! 走れ!」
護衛が即死した事を見て取ったカイアーノが騎馬に鞭を入れた。速度が上がる。飛散する瓦礫に当たらないのが不思議な状況の中、騎馬の一団が西門を抜け、オーガの横をすり抜けた。
刹那、カイアーノの進行方向に巨大な炎の壁が現れる。
マクスウェルの放った高速の火球が疾駆するカイアーノたちを追い抜き、彼らの前方十メートのところに着弾と同時に炎の壁を作り出した。
炎の壁を避け、オーガとは逆方向へ馬首を巡らせる。
「カイアーノさん! まずい! 例の飛び道具を手にしています!」
振り向くカイアーノの目にストレージからクロスボウを取り出したばかりのマクスウェルが目に飛び込んできた。
彼らもクロスボウの射程距離と腕前は都市を出る際に見ていた。
マクスウェルは足を止めてクロスボウを構えた。
標的はエンリコ・カイアーノ。
狙いを定めた直後、マクスウェルとエンリコ・カイアーノとの間に幾つもの爆発が起き、爆炎と土煙が彼の視界から標的を消す。
爆裂系の火球を中心とした幾つもの攻撃魔法が西門のオーガに向けて放たれたものだった。
土煙が晴れるのを待つまでもない。
オーガに向けて放たれた攻撃魔法の幾つかが逸れ、カイアーノたちを巻き添えにした。
せめて一命を取りとめていれば。
焦るマクスウェルが最後にカイアーノを見た場所へ向けて駆け出した。
土煙の中に人影が映る。
マクスウェルが臨戦態勢で近寄ると、そこにはベレスフォード一級神官が瓦礫の上にしゃがみ込んでいた。
「ベレスフォード神官?」
マクスウェルの声に人影が反応する。ベレスフォード一級神官は静かに立ち上がると神に祈る姿勢をとった。
「エンリコ・カイアーノさんと彼の護衛七名の死亡を確認いたしました――」
マクスウェルは疑惑を追いかける手掛かりが途絶えた事に唇を嚙み締めた。
「――作戦と違う行動をとっていたとはいえ、私のミスで彼らの尊い命を奪ってしまいました」
涙を流すベレスフォード神官にマクスウェルが告げる。
「ベレスフォード神官、カイアーノとその護衛七名は砦にいた国境騎士団の騎士を殺害しました。間違いありません、私がその瞬間を目撃しています」
「なんという……なぜそのような事を……」
「捕らえて問い質すつもりでしたが……今となってはそれも出来ません。あとは彼らの所持品を調べるか取引相手などから事情を聴くしかありません。何れにしても真相解明は困難でしょう」
「その辺りのことは騎士団の皆さんにお任せしましょう」
沈痛な面持ちのロイ・ベレスフォードの言葉が静かに響いた。




