第25話 片鱗
「コンスタンス! そのまま駅馬車隊までノンストップで駆け抜けろ! ――」
マクスウェルはコンスタンスたちとすれ違いざまにそう言うと騎馬から飛び降り、彼女たちを追って来たゴブリンの群れに向かって悠然と歩を進める。
「――こいつらを始末する。後続もいるんだろ? 防備を固めて迎撃準備をしておいてくれ!」
「え? マクスウェルさん? 何を言っているんですか?」
理解が追い付かないといった様子でコンスタンスがマクスウェルの背中を振り返る。
彼女の声に続いて他の先遣隊のメンバーも声を張り上げた。
「マクスウェルさん、引き返してください! ゴブリンの集団暴走です! 間違いありません!」
ゴブリンの集団暴走。
何らかの原因で急激に増えたり複数の群れがまとまったりして群れが大きくなることで、上位種や変種と呼ばれる知能や身体能力に優れたゴブリンが生まれる。
その優れたゴブリンに率いられた集団が大移動する事を『ゴブリンの集団暴走』と呼称していた。
ゴブリン一匹一匹も決して侮って良い魔物ではないが、知能の高い個体に率いられ巨大な群れとなったゴブリンは大きな脅威となる。
「こっちに向かってきている連中だけでも百匹はいます! 国境騎士団の大隊並みの規模です!」
「広域の攻撃魔法を警戒して広がっています! 数が違いすぎます、包囲されたらおしまいです!」
荒野に舞う土煙が大きくなる。土煙の中にゴブリンたちの姿が見て取れた。
ゴブリンたちの走る足音が馬蹄をしのぐ地響きとなって轟く。咆哮が空気を震わせる。剣と盾とを打ち鳴らす音が恐怖心を掻き立てる。
コンスタンスたち先遣隊と黒髪の炎使いブライアンの動きが止まった。立ち止まった彼らの視線がマクスウェルに注がれる。
「ゴブリンのほとんどが武装をしています!」
「ゴブリンたちの武器と防具はちょっとした冒険者並みの装備です!」
マクスウェルの耳にコンスタンスとアランの言葉が届いたときには、軽装の革鎧や鉄の胸当てなどを装備し、剣と盾、槍や弓矢を携えたゴブリンの姿をとらえていた。
迫るゴブリンの数はおよそ百匹。緑を帯びた皮膚をし、人間の基準からはおよそ醜悪としか言えない顔をしていた。
迫るゴブリンたちの体躯は人間の成人男性程で、平均すると百七十センチメートルを優に越えている。
筋肉も冒険者や傭兵並みに隆々とした個体が幾つも目に付いた。
ゴブリンたちの装備が比較的新しい事に眉をひそめたマクスウェルの胸中に不吉な想像が浮かび上がる。
どこかの砦か町でも襲った後なのか。
「まさか意図的に『ゴブリンの集団暴走』を引き起こしたヤツらがいるのか? ――」
珍しく険しい顔つきでそうつぶやくと、ゆっくりと頭を振る。意識を眼前のゴブリンを排除することに切り替えると、マクスウェルは背後のコンスタンスたちに向けて告げる。
「――心配するな! すぐに終わる!」
振り返る事無く発せられた彼の言葉は、迫るゴブリンたちの雄叫びにかき消された。
「マクスウェルさん! 戻って下さい! 駅馬車隊に合流して防衛の指示をお願いします!」
コンスタンスが悲鳴のような叫び声を上げた。先遣隊の一人とブライアンの叫び声が重なる。
「旦那! 後続がいます! 危険ですから戻って下さい!」
「俺に指示をお願いします! 火球を撃ち込む場所とタイミングの指示をください!」
荒野を舞う土煙が大きくなった。ゴブリンの先頭集団が土煙の中にハッキリと見える。
マクスウェルとの距離、二百メートル。広域の攻撃魔法を警戒するように道幅いっぱいどころか道を大きく飛び出して個体同士の距離を空けていた。
「ゴブリンにしては賢いじゃないか」
マクスウェルは左右に広がったゴブリンの群れの両翼に数発ずつの火球を撃ち出す。撃ち出された火球は矢を軽く凌駕する速度で飛び、瞬きをする間に百メートル以上離れたゴブリンの集団をとらえた。
着弾した火球が燃え広がる。一瞬にして左右両翼のゴブリンの集団を炎の海に呑み込んだ。
ブライアンが息を呑む。
その場にいた者たちが眼前で起きた事を理解できずに目を奪われる中、火魔法を得意としていた彼だけがすぐに理解した。撃ち出された火球の数と速度の異常さ。
「あの数なら、あの距離を一瞬でつめられるなら、実戦でこれ程脅威となる攻撃魔法はない――」
彼自身、夢想した事はある。距離と速度を伴った火球。どれ程渇望しても決して手にする事の出来なかった力がそこにあった。
ブライアンは湧き上がる羨望と憧憬を抑えてつぶやく。
「――恐鳥との戦闘では、力を隠していたっていうのかよ」
燃え広がる炎の海がさらに散開しようとするゴブリンたちを阻む。炎の海から逃げ出したゴブリンたちがマクスウェルの方へと移動し、集団の密度が上がる。
「何があったんだ? 旦那は何をしたんだ?」
「今の、攻撃魔法なのか?」
「同時に二方向へ?」
先遣隊のメンバーが茫然とする中、炎の海から逃げ惑うゴブリンたちを、遠距離のゴブリンたちを、クロスボウから放たれた矢が次々と射抜いていく。
百メートルを超える距離にもかかわらず矢はゴブリンの頭部を確実に射抜いていた。
「クロスボウでしたっけ? あの武器、凄いですね」
「ああ、あんなものが出回ったら戦い方が変わる」
アランと先遣隊の反応に向けてブライアンが叫ぶ。
「何を言っているんだ! お前ら考える力あるのかよ! あの距離をろくに狙いも付けずに当てられる武器があるものかよ!」
「そうね。あれはマクスウェルさんだから出来る事、よね」
抑揚なく答えるコンスタンスを見ると、ブライアンも声のトーンを落として疑問を口にした。
「だいたい、いつ矢をつがえているんだよ」
ブラインがマクスウェルに視線を戻すと皆も彼に続いて視線を戻す。
ゴブリンの間を一条の光がうねるように走る。ブライアンだけがかろうじて目で捉える事ができた。
「え? 何だ? 今の光?」
マクスウェルのガントレットがその形状を変える。鋼のガントレットが変形し鞭のようにしなう刃と化す。
次の瞬間、鞭のようにうねる刃はゴブリンたちの首筋を切り裂いた。
首筋から血しぶきをあげて十匹以上のゴブリンが糸の切れた操り人形のように力なく崩れ落ちる。ゴブリンたちが地に伏すよりも早く次の標的を求めてガントレットから伸びた刃がうねる!
刃はまるで意思を持っているかのようにゴブリンたちの間をうねりながら進み、標的を穿ち、切り裂く。
「何であんな事が出来るんだ? ――」
マクスウェルの戦い方が広域の攻撃魔法よりも実戦的であることを火炎系、爆裂系の火魔法を主軸として戦う彼だからこそ理解出来た。
敵味方が入り乱れての乱戦においてこれ程有効な戦い方があるだろうか?
「――あの力があれば、乱戦の中でも味方を避けて敵だけを仕留める事が出来る」
「何が起きているの?」
コンスタンスの疑問にブライアンが力なく答える。
「土魔法だ。鉄か鋼かしらないがあのガントレットを変形させて、もの凄い速度で自在に動かしている」
「嘘でしょう、あり得ないわ……」
ブライアン自身、コンスタンスの言葉に内心でうなずく。
魔力を練り直すことなく魔法を使い続ける。宮廷魔導士でもそんな事が出来るなんて聞いた事もなかった。そんな事が出来るのは神話や物語の中に登場する強大な悪役くらいなものだ。英雄だってそんな事出来ない。
その場の全員がそれ以上の言葉を口にする事無く、ただ眼前で繰り広げられる出来事をどこか現実のものではないかのような、そんな錯覚を伴って見ていた。
◇
コンスタンスたち先遣隊のメンバー全員、絶望に近い感情が支配していた。
百匹のゴブリンから逃げ延びて味方と合流しても、例え逃げ延びる事が出来たとしても、大勢の犠牲が出ると覚悟をしていた。
それでも味方のいるところへ逃げ込むことを選択した。
自分たち自身が生き延びるわずかな可能性を求めて。
仮に百匹のゴブリンを撃退出来たとしてもその向こうに四百匹以上のゴブリンの暴走集団がいる。
半ば絶望に支配されながら騎馬を駆けさせていた。
だが今は違った。
生き延びた事への喜びの感情が込み上げてくる。穏やかな笑みを浮かべて立っている男に対して崇拝と感謝の念が湧き上がる。
暴走する感情が涙を溢れさせた。
「マクスウェルさん……」
立っていたのはマクシミリアン・マクスウェル。
ゴブリンの屍が累々と転がり、乾いた荒野はゴブリンの真っ赤な血を吸ってどす黒くなっていた。
返り血一つ浴びることなく、戦闘を終えた彼が口を開く。
「コンスタンス、お礼のキスはマーカスに許可を取ってからにしてくれ――」
ウィンクをすると全員を見回してさらに続ける。
「――さあ急いで戻るぞ、迎撃準備だ」




