第1話 英雄の街
空が白み始めたと思うと程なく東の山間から太陽が覗き、東から西に向かって市を横断する中央街道を照らし出すように朝陽が射し込む。
馬上で左手をかざして陽光を遮るが、期待したような効果はなかった。
「もう少し早く起きるんだったなあ――」
正面から射し込む陽射しのまぶしさに視線を右側の街並みへと逸らすと、この三日間市内のあちらこちらで目に付いた名前と旗に目が行く。
「――一昨日が英雄の生誕五十五年。昨日がその英雄の没後十三年と『滅龍祭』、か」
街のあちこちに、英雄『レスター・グラハム・ランドール』の名前が書かれた横断幕が掲げられ、公共の建物や酒場、宿屋の軒先ではランドールの紋章が描かれた旗が翻っていた。
年に一度の事と一晩中飲み明かす者とたちの声が酒場から響いてくる。それでも昨夜の騒ぎの十分の一にも届かない。
ほとんどの者は酔いつぶれて寝ているか、騒ぐ体力も残っていないのだろう、道路の端には酒瓶を抱えたまま寝ている者も目に付く。
まぶしさを避けるように左右に広がる街の様子を見ていると、ガラスに映る自分の姿が見えた。
武人らしい引き締まった身体に張りのある肌、綺麗に剃られたヒゲ。
年齢よりも若く見える要素ばかりだ。それでも年齢よりも上に見られるのは、澄ましたようなアイスブルーの目と灰色の髪の毛のせいだろうか。
さて、どうしたら若く、いや、せめて年齢相応にみられるかな。
そんなことを考えながらガラスに映った自分の姿をみていると、聞き覚えのある人懐っこい声が耳に届く。
「マクスウェルさん、おはようございます。早いですね」
旅支度をすっかり整えたニール・ライリーが馬を寄せて来た。
エメラルドグリーンの目に少し長めの金髪をなびかせている。爽やかな雰囲気と溌剌とした口調が彼を年齢以上に若々しく感じさせた。
「おはよう、ニール。そっちこそ早いな、それに休息十分って顔だ。昨夜はゆっくり休めたようだな」
「ええ、長距離移動の前日は十分に睡眠を取るようにしています」
「賢いな、それが正解だ」
そして、俺は間違った選択をしたようだ。朝っぱらから太陽がやけにまぶしく感じる。
ニールも陽射しを避けるようにして左手で目に影をつくると、市内のあちらこちらにある、英雄ランドールを称える飾りつけに視線を走らせた。
「英雄ランドールの生まれた都市だけありますね。国を挙げて祝う『滅龍祭』が霞んじゃっていますよ」
「この街の住人にとっては『滅龍際』よりも、龍を倒した英雄を輩出したことの方が誇りなんだろ」
実際にこの二日間は市を上げての盛大な祭が催されていた。近隣の街からはもちろん、遠く王都からやって来た人たちもいたらしい。
「『滅龍の英雄ランドール』。あらゆる魔術を使いこなした天才宮廷魔術師にして、王国騎士団の団長を務めた武術の天才。しかも人格者! 私も彼に憧れた口なので、生誕五十五年と没後十三年の歴史的な祭を見られたのは感動ものです! ――」
エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、興奮気味にそう口にしたニールは、反応の薄い俺の顔を『おや?』といった様子で見る。
「――マクスウェルさんは私と同い年ですから、同様に憧れたと思いましたが、違いましたか?」
「いや、憧れたさ。そりゃあもう、師匠と仰いだくらいだ」
師匠は俺の憧れだった。いや、三十三歳のこの年齢になった今でも、憧れてもいるし尊敬もしている。人格者だとも思っていたよ、今際の際の言葉を聞くまではな。
「師匠ですか。マクスウェルさんは魔術師ですし、剣や弓も使いますから、英雄ランドールはまさに理想の英雄でしょうね」
「そういうニールも、魔術も使えるし剣の方も腕に覚えがあるんだろう?」
引き締まった身体と強靭な足腰は、決して旅をしているだけが理由じゃないのはすぐに分かった。
俺の言葉に、ニールは悪びれた様子もなく人好きのする笑みを浮かべる。
「あ、やっぱりバレていましたか?」
「魔道具の職人兼商人としてあちこち旅をしていると言っていたし、素材を集めるために魔物を倒した話もしていたからな」
帯剣した状態での動きや普段の身のこなし、馬を操る技術。どれをとってもニールが相応の手練れである事が分かる。その辺りの騎士なんかじゃ足元にも及ばない剣術と馬術の腕があるはずだ。
俺もニールの笑顔を見ながら口元を緩めた。
「――いい年をした男二人が、朝から何をにやけているんですか?」
若い女性の声に振り返ると、薬師のロザリー・ブローシュが『おはようございます』と朝の挨拶を口にし、
「――この時間だと、朝帰りの男二人に見えちゃいますよー」
邪な妄想を思い描いたように含み笑いを浮かべる。
「おはようございます、ブローシュさん」
「おはよう、ロザリー」
ニールと俺がロザリーのからかう言葉を受け流して挨拶を返すと、彼女は肩口で切り揃えたピンク色の髪の毛を揺らして、大袈裟に天を仰ぐ。
「ニールさんもマックスの旦那も冷たいわー。あたし、寂しい」
「なあ、ロザリー。何でニールが『ニールさん』で俺が『マックスの旦那』なんだ?」
理由なんて知りたくはないが、ハッキリさせないと今後も続きそうなので、ここでハッキリさせておこう。
「ニールさんは年上の男性だもの。マックスの旦那は実際の年齢以上に老けて見えるから」
十九歳だと言っていたな。
今の若い娘は遠慮がない。
陽気に笑うロザリーを横目に、人あたりのいいニールが苦笑交じりにフォローする。
「私に落ち着きがなく、年齢よりも若く見られがちというのもあります。それに比べて、マクスウェルさんは落ち着きがありますから、年齢以上に大人びて見えるんですよ」
「このラムストル市までの馬車で三日間一緒だったし、ここから先の駅馬車でも一緒なんだ。二人とも、そろそろ親しみを込めて『マックス』って呼んでくれないか?」
ニールのように『さん』付けならまだいい。
だがロザリーのように、この先も『旦那』だの『マックスの旦那』だの呼ばれた日には、今日から道中を一緒にする人たちにまでオッサンだと思われそうだ。
「私は長年商人としてやって来たのもあって、親しい人も敬称をつけて呼ぶのが癖です。なので、口調も含めてこのままでお願いします」
ニールはしれっとした表情でそう言い、ロザリーが面倒臭そうに返した。
「はーい、努力しまーす」
案の定、二人とも改める気はないようだ。
◇
◆
◇
三人で雑談をしながら馬を進めると、程なく、駅馬車の発着場であるラムストル市の東門前の広場に到着した。
広場には既に駅馬車が並んでおり、荷物を積み込んでいる姿が見える。
「人が少ない時間というのもあるでしょうけど、こうして見るとやっぱり広いですね、この広場――」
東門の手前には数千の軍隊が配置できるほどの広場があり、広場のあちらこちらで屋台が開店準備を進めている。
開け放たれていた東門の向こう側には、これから街へ入ろうと順番待ちをしている隊商や旅行者、駅馬車が列をなしていた。
「――それに随分と警戒が甘いようです。時間前だというのに門が開け放たれていますよ」
「あれのせいじゃないですか? ――」
ロザリーが視線で示す方向に目を向けると、布で覆われた数台の馬車と一際大きな、やはり布で覆われた馬車が門の外に並んでいた。
彼女は嫌悪の色を浮かべて言葉を続ける。
「――あれ、奴隷や罪人を運搬する檻馬車ですよ。というか、多分奴隷商人の馬車ですよ」
護送用の檻馬車か。馬車の周囲に兵士はいない。冒険者が護衛という事は、中身はロザリーの予想通り奴隷だろう。
それと、大型の魔物だろうな、あの一際大きな檻馬車は。
「あんなのとは一緒に旅をしたくないな」
思わず本音を漏らした俺の顔を見てニールが苦笑する。
「あの一際大きい檻の中には大型の魔物が入っているのかもしれませんよ」
「あの檻馬車も出発準備中のようだな」
「まさか一緒に次の街に向かう、なんてことはありませんよね」
そう言って顔を歪めたニールと視線が交錯する。どうやらお互いに嫌な予感を抱いたようだ。
俺とニールが揃って肩をすくめたタイミングで、ロザリーが声を上げる。
「うわー、手続きどころか、もう荷物の積み込みまでやっている。『滅龍際』の翌朝だから絶対に遅いと思っていたけど、そんな事無いのねー」
驚いたように声を上げるロザリーに、ニールが半ばあきれた様子で答える。
「祭の翌朝だから遅いとか、あり得ませんよ」
『ロザリーさん、貴女ではないんですから』と言わない辺りが、ニールの優しいところだな。
ニールとロザリーの間で商人の姿勢について話し合いが始まるとすぐに、駅馬車の方から走って来た十代半ばの若者が声を上げた。
「すみませーん。クラーレン市まで駅馬車に乗られる方ですか?」
「その先だ、終点のパイロベル市までだ」
俺の答えに続いて、
「あたしたち三人ともそうよ」
ロザリーが間髪容れずに補足すると、若者はすぐに手にした書類と取り出した。
「えっと、お名前をお願いします。それと、通行証と駅馬車の搭乗証明書も見せてください」
「マクシミリアン・マクスウェルだ――」
若者に最も近い位置にいた俺が通行証と搭乗証明書を彼に手渡す。
「――乗客はどの程度揃った?」
「お客様方三人が最後です」
どうやら、今回一緒に旅する乗客たちは時間にルーズな者はいないようだ。
そうなると心配なのは俺とロザリーか。
「護衛の数が少ないようだが?」
「護衛の皆さんはもう揃っています。今、衛兵の詰め所に挨拶に行っているところです――」
若者はそう言うと、東門のすぐ脇にある二階建ての石造りの建物に視線を向けた。
なるほど、護衛の冒険者たちも時間には厳しいようだ。
「――マクシミリアン・マクスウェル様、良い旅を」
差し出された通行証と搭乗証明書を受け取ると、ロザリーに声を掛ける。
「ロザリー、俺たち三人が最後らしいぞ」
「そんな事よりも旦那、嫌な感じの連中がいます――」
ロザリーの視線の先を見やると、およそ商売人の雰囲気とは程遠い連中が屋台の用意をしている姿があった。
「――それと、向こうにも」
逆方向にも同じような連中がいる。
「三十人ってとこか、結構な数だな。護衛が何人付くのか知らないが、襲ってくるとしたら出発した当日。遅くても次のクラーレン市までの間だろうな」
「あたしの勘だと、今夜あたり――」
ロザリーのセリフの最中、激しい金属音と衝撃が空気を震わせ、地面から振動が伝わって来た。
続いて幾つもの悲鳴が響き渡り、
「キャーッ!」
「オーガだ!」
「バカな!」
「逃げろー!」
獣のような咆哮と何かが砕ける音が轟く。
「オーガが逃げ出したぞ!」
「オーガが檻から逃げ出したぞ!」
何が起きたのか告げる叫び声に続いて、ロザリーの驚きの声が上がった。
「えー! 何であのオーガ首輪をしていないのよ!」
俺は悲鳴と騒音のする方向へ視線を巡らせる。
原因がすぐに視界に飛び込んで来た。門の外に停車していた檻馬車だ。
鉄の檻から今まさに抜け出したばかりのオーガが立ち上がろうとしていた。檻が転がり激しい音と共に、檻の中から現れた一体のオーガが再び咆哮を上げる。
何人かの気の利いた冒険者が、オーガの脚止めに動いているが人数が少なすぎる。
何よりも装備が貧弱だ。大型の武器――投石器や大型の弓、或いは魔術師でもいれば別だが、槍と弓であの大きさのオーガを仕留めるのは無理だ。
詰所の外にいた衛兵が慌てて走り出したが、こちらも人数も少なくオーガを相手にするには装備が貧弱すぎる。
不味い、このままじゃ住民に被害が出る。
「ちょっと、何で首輪無しがこんなところにいるんだ?」
「畜生! よりによって、首輪無しかよ!」
駅馬車の乗客だろうか、何人かが気付いて声を上げた。
隷属の首輪を装着する前の個体か。
せめて隷属の首輪が有効化されていれば、多少暴れられても失神させるなり絞め殺すなり出来るんだが、何も着けていないのなら野生のオーガと変わらんな。
「ニール、ロザリー、住民を避難させてくれ!」
俺はそう言い残してオーガに向かって馬を駆けさせた。
◇
悲鳴が響き渡る。
逃げ惑う人たちはまだいい、かなりの数が何も出来ずに迫るオーガを茫然と見上げていた。
オーガに向かって馬を走らせていると、逃げて来た商人とその護衛らしき男たちとすれ違う。
先頭を切って逃げる彼らに向かって、何人かの人たちが咎めるように叫んだ。
「真先に逃げ出すんじゃねぇ、無責任だろ!」
「おい! 待て! お前たちの持ち物だろう!」
「自分たちのモノなら、何とかしろ!」
自分のところの商品だけにオーガの恐ろしさが分かっているのだろう、形振り構わずに先頭を切って逃げる商人らしき男を、のんきに呼び止めている人たちがいた。
逃げ出した商人は褒められたものじゃないが、暢気な事を口走っている人たちよりも状況が分かっている。
俺はいまだ逃げ出していない人たちに向けて声を張り上げる。
「逃げろー! 戦えない者は逃げろ! オーガの脚は早いぞ! ――」
敏捷ではないが、身体が大きい分一歩の歩幅がある。
弾かれた様に動き出した人たちの姿に安堵する間もなく、俺は馬を駆けさせながら護衛の冒険者たちと、茫然としている住民たちに向かって叫ぶ。
「――戦える者はオーガの脚止めを頼む!」
オーガまでの距離三十メートルを切ったところで、馬が怯えだして速度が急激に落ちた。
ここまでか!
まあいい。どのみち馬に乗ったまま魔術を発動させる訳には行かない。
馬から飛び降りて走る。
「足止めって、無茶だ!」
「簡単に言うな! あいつは七メートル級の大物だぞ!」
「数が少なすぎる!」
文句や悪態を口にしてはいるが、それでも何とか足止めしようとしている数名の冒険者たちの横を駆け抜ける。
「十メートルだ! 俺があいつの十メートル圏内に入るまで出来る限りオーガを足止めしてくれ! 闘えない人たちに近づけないように頼む!」
「畜生! とんだ貧乏くじだぜ!」
「旦那、何かやるのか?」
「十メートルだな? それ以上は出来ねぇぞ」
「旦那、無茶だ! 引き返せ!」
期待と戸惑いの言葉を背に、俺はオーガに向かってさらに速度を上げる。
二十五メートル。
薬を使われていたのか、オーガの動きが鈍い。足元が幾分かふら付いている。それでもふら付く足取りで、自ら破壊した馬車の車輪を武器代わりに手にした。
十五メートル。
オーガと目が合う。まるで自分を捕らえた者が俺であるかのように、怒りを湛えた視線を向けている。
十メートル。
よし、発動圏内だ。
オーガが俺に向かって踏み出した。背後から足止めをしてくれていた冒険者たちの声が聞こえる。
「旦那、十メートルだ!」
「足止めの攻撃はするが、こっちも後退するぜ!」
五メートル。
車輪を右手で振り上げる。
この距離で七メートル級のオーガが馬車の車輪を振り上げると迫力があるな。
俺の背後からオーガに向けて弓が射掛けられ続ける。
ありがたい。口では撤退するような事を言っても、援護を続けてくれている。
三メートル
オーガとの距離が瞬く間に詰る。
俺は急停止し、しゃがみ込んで左手を地面に付けた。
大きく踏み出されたオーガの右足が接地する直前に魔術を発動させる。
地面から槍をかたどった岩がせりあがる様に出現し、踏み込んで来たオーガの右足を足の裏から甲へと貫く。
「ゴァーッ!」
オーガが悲鳴を上げて動きを止める。
咆哮のような悲鳴に続いて、俺の背後で逃げずに足止めをしてくれていた冒険者たちが声を上げた。
「え?」
「何が起きた?」
首輪無しで手負いのオーガなんぞ、危険極まりない。持ち主には悪いが仕留めさせてもらう。
「まだだ! 気を抜くな!」
右手を地面に付けたまま、再び魔術を発動させる。
今度は左足。
唯一地面を捉えてバランスを保っていた左足が突然地面へと沈み込んだ。
オーガの左足が接地していた地面に深い窪みが出現し、地面がオーガの左足を飲み込む。大きくバランスを崩して、その巨体が地面へ向かって倒れ込んだ。
「何だ?」
「倒れるのか?」
「やったのか、旦那!」
「まだだ!」
俺は地面に手を付けたまま、三度魔術を発動させる。
今までよりも多くの魔力を注ぎ込んだ一撃。
バランスを崩して地面に倒れ込むオーガの頭部に狙いを定めて、槍をかたどった岩を生成させる。
今度のは硬いぜ、鋼を多く含ませた槍だ。
地響きと咆哮を伴って倒れ込んだオーガの脊髄を岩の槍が貫く。
致命傷を負いながらも、断末魔の悲鳴と共にのた打ち回るオーガが土煙を上げる。
次の瞬間、喊声が上がり、
「やった!」
「スゲーぞ、あの旦那!」
「ははは、七メートル級のオーガをあっという間に倒しちまいやがった」
「やった、やったぞ、オーガを仕留めちまった!」
続いて驚きと称賛の声が耳に届いた。
人々の喊声が止まぬ中、苦しげな悲鳴を上げていたオーガも、力尽きた様に地面に横たわったまま動かなくなった。
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