それはもっと困る
目を覚ますと体があちこち痛かった。いつの間にか気絶していたらしい。
川の流れる音が聞こえる。どこだ、ここ。谷底……の河原?
吹っ飛ばされた後、背中を強く打ったと思う。それから斜面をズルズル滑ってゴロンゴロン転がって、何度も何かにぶつかったような気がする。最後は投げ出されてここに落ちたのだと思う。
村を襲ってきたやつと同じような、いや、恐らくやつ以上にひどい目に遭ってしまった。無様だ……。
それでも動けるのは、魔術をあれこれ使って衝撃を緩和しようとしたのがうまくいったからか。お守りの効果で弱まってはいるが魔石の力のおかげでもあるだろう。
体を起こしてみて、もう一人ひどい目に遭ったらしい人がいることに気付いた。
ウェルが倒れている。
…………起きない。
「不審者さん? ふーしーんーしゃーさーんー?」
声をかけてみても起きない。気絶しているのだろうか。それとも気絶したふりだろうか。
小さな水の塊をウェルの顔にぶつけてみたが起きない。いつでも攻撃できるようにしつつ近付いてみてもやはり起きない。近付いてわかったが死んではいない。
殺……自由に動けないようにするなら今のうちか。
剣を握り締め、動かないウェルを見下ろす。
…………だめだ、できない。ここでやっておかねばならないのに。どんなに痛いだろうとか、かわいそうだとか考えてしまう。
しかも、目を覚まさないウェルを見ているうちに、彼に関する知識が次から次へと思い浮かぶ。それでさらにやりづらくなってしまう。
殺すわけじゃないんだ。ここでやっておけば、私や仲良くなった人がこれから殺される可能性を低くできるんだ。
でも……。
……はぁ……こんな甘っちょろいやつだったのか、私は。人を殺す覚悟をしたのではなかったか。あれは何だったのだろう。こいつが起きて襲ってくればきっと容赦なくやれるのに。
どうするか。自力で上まで戻ることは無理だ。ウェルが起きる前にどこか別の場所へ逃げるべきだろうか。しかしここから動いては私を捜すであろう人たちに迷惑をかけてしまう。
安全を確保してここに留まるには、ウェルを拘束、いや、先に武器を取り上げるか。
ウェルの衣服をあちこち捲ったり外したりして、大量のナイフを回収した。
その途中、頭から少し血が出ているのを発見したので、肩の怪我と合わせて治癒の魔術の練習台になってもらった。ついでに彼の整いすぎな顔をよくよく見てやった。美の女神はかなりの気合いを入れたのではないだろうか。
回収したナイフは川に放り込んでやった。下流の人たち、流れたナイフで怪我させてしまったらごめんなさい。
さて次は拘束だ。制服のネクタイで縛ってみるか。……意味ないか。どうせ魔術で切断するか、関節を外して抜け出すことだろう。訓練された人間を拘束する縛り方など私は知らない。
それにしても全身を漁られてもちっとも目を覚まさないとは。もしかしてかなり危険な状態なのか。
「このまま死にますかー?」
ウェルの頬をつついてみた。特に何の反応もない。
……もういいや。
放置することにした。
川で魚を捕まえて遊んでいると、ウェルが起きた。
辺りを見回すウェルと私の目が合った。しかし彼はただ私を見るだけだ。攻撃する気が無いらしい。変だ。
「ちゃんと起きていますか」
ギリギリ剣が届く距離まで近付き、ウェルに話しかけてみた。
ウェルが小さく頷いた。その時に何か言ったようだが川の音に消されて彼の声は聞こえなかった。少し近付いてみることにする。
「頭から血が出てましたよ。どこかおかしくなっていませんか」
「……特には」
本当に?
「私の顔がちゃんと見えていますか? 意識ははっきりしていますか? やるべきことわかっていますか?」
なぜ私に攻撃してこない?
「……やるべきこと……」
ウェルは頭に手を当てた。そしてそのポーズで固まった。
「…………誰だ?」
え?
「俺は、誰だ?」
……はい? え、ちょっと待って。
「自分が誰だかわからない……?」
そう聞いてみるとウェルは頷いた。これってもしかして?
「では、何をしていたかは?」
「……何も思い出せない……」
まさかの記憶喪失かあああっ!
これはラッキーかもしれない。ウェルの記憶が戻らなければ、彼が自身を任務を受けた暗殺者だと認識しなければ、彼に殺される人もいないし、私が彼を痛い目に遭わせる必要もない。ただ、ウェルの服装が明らかに普通でないのが心配だ。武器だけに留まらず身ぐるみ剥いでしまえばよかった。
「それは困りましたね……。私もあなたのことはわかりません」
「……? どういう状況なんだ?」
「ええと……私、ヘイネス高等教育学校の生徒です。ここには学校行事で来ていました。そこに何の用か知りませんがあなたも来て、足を滑らせてあの辺りから一緒に落ちてしまいました」
「……俺が、巻き込んだのか?」
あんたが私を殺しに来て自爆みたいなことしたんだよ! でも、
「私もいけなかったですね」
ウェルを追わなければこんなことにはならなかった。それは認めねばなるまい。
「まあそんなわけで、今は誰かが捜しに来てくれるのを待っている状態です」
しばらくウェルと会話してみたが、彼が何かを思い出すことはなかった。
話すこともなくなり、また暇になったので、焚き火をしてみることにした。木の枝を拾い集め、魔術を使って火を点けた。ついでに穫った魚を焼いてみた。
「食べますか?」
焼けた魚をウェルに差し出してみた。
「いいのか?」
「どうぞ」
記憶喪失といえどあのウェルが私が焼いた魚を食べている! なかなか平和な光景だ。私たちは大袈裟に言えば遭難中の身であるが。
そんな風にのんきに過ごしていると、雨が降ってきてしまった。どれくらい降るだろうか。
川が氾濫したら困るので移動することにした。
登れそうな所を探していると、岩壁にぽっかり穴が開いているのを見つけた。洞窟だ。
ウェルが洞窟の中を覗いて言う。
「雨風はしのげるが、川の水が入ってきたら困るな」
「ですよね」
入り口を塞げたらいいのだが。
(魔術で壁でも作ったらどうだ)
魔石の“彼”がそんな提案をしてきた。
(やり方知りません)
私の使える魔術くらい把握しているでしょうに。
(……教えてやる)
何だと!?
(何のお礼もできませんよ)
(別にいい)
どうしたんだ、七章あたりの優しさではないか。私が主人公のように落ち込まなかったからか?
主人公の心の状態は“彼”の心にも影響を及ぼしていた。故郷が壊滅状態になった上に母と妹から敬遠された主人公の心は暗くて重かった。だが物語が進むにつれて主人公は明るさや余裕を取り戻していき、彼女の中にいた“彼”はその影響を受け、普通の人だった頃の感情などを少しずつ思い出していった。
私は故郷の被害を軽くできたし、家族の仲が悪くなったわけでもない。主人公に比べてだいぶ楽しく日々を過ごしている。その分“彼”の回復が早まったのではないだろうか。そうだとしたら嬉しい。
(じゃあお願いします)
“彼”との会話が一旦終わったところで、タイミングよくウェルが「どうする?」と聞いてきた。
「中に入りましょう。魔術の壁で入り口を塞ぎます」
「わかった」
洞窟の中に入った。幅は大人二人がギリギリ並べる程度だが高さはある。少しくらいならジャンプしても頭をぶつける心配はなさそうだ。
“彼”の指示に従って壁を作る。防御用にして結界の基礎となる魔術らしい。
かなり時間をかけて、なんとか壁を作った。
壁は薄く、半透明でぼんやりと青く光っている。壁というより膜と表現した方がいいかもしれない。
壁を触って不具合がないか確認してみる。ツルツルしていて、固いが簡単に斬れそうだ。ぐいっと押してみると少しへこむ。……この感触、なんだか懐かしい。
(こんなんで大丈夫なんですか)
(初めてにしては上出来だが、不安だ)
むう、そうか……。川があまりひどくならないことを願うしかない。
それにしても、この壁の懐かしさは何だろう。
……透明で、中身がないと軽くて……って、中身? となると容器か。
あ、思い出した! ペットボトルだ。この壁はペットボトルと同じような感触がする。この世界にペットボトルは無いので私は触ったことがない。前世の記憶が「懐かしい」と思わせているのだ。
「一応、できました」
壁の感触についての疑問が解決したので、振り返ってウェルに声をかけた。彼は私に話しかけられるまで、立ったまま洞窟の壁を見つめていた。
「一応?」
「あんまり自信がなくて……」
川の様子次第ではもう一つ壁を作ることを考えておこう。
「ところで、あなたのことはどう……って、あ」
今のウェルは私の名前もわからない状態だった。
「ごめんなさい。名乗っていませんでしたね。私の名前はメルア・クイントです。で、あなたのことはどうお呼びしましょうか?」
「何でもいい」
「そうですか……うーん」
記憶がなくて名前がわからないから、名無しの権兵衛……ウェルが権兵衛? 似合わないからやめよう。そうだ、声優さんの名前から頂戴できないだろうか。確か、藤野なんとかさんだった。
「ではジノさんで」
「どこから出てきたんだ、それ」
「とある妖精さんの名前の一部です。あなたのような良い声をしています」
ここからは心の中でもウェルのことをジノと呼ぼう。
「ジノさん、さっきから壁見てますけど、何か?」
「自然にできたとは思えない模様がある」
どれどれ……おお、確かに。
まっすぐな線や図形が壁にある。人が彫ったものだろう。線は洞窟の奥の方まで続いているようだ。反対側の壁にも同じようなものがある。
暗くて見づらいので、魔術で火を出して明かりにした。
「地図、か?」
ジノが呟いた。
「そうも見えますね」
壁に大きく描かれた絵は、整備された街の地図のようだ。しかしそれよりも、回路とか基板とか言った方がふさわしいように私には見える。
洞窟はあまり広くなく、すぐに行き止まりになった。
奥の壁には、絵だけでなく文字もあった。四角い枠の中に書き連ねられている。
「読めます?」
「いや全く」
何語だろうか。普段読み書きしている字と壁の字の形はほぼ一緒で、知っている単語らしきものもある。しかし、どういうことが書いてあるのかはさっぱりわからない。
普通の文章ではない感じはする。壁が回路っぽいし……プログラム?
文字の他に、もう一つ気になるものがある。壁にゴツゴツした黒い石が埋まっているのだ。絵の線は石から延びているようにも、石に線が集まっているようにも見える。文字の書かれた四角い枠から延びた線も石と繋がっている。
「それ、黒曜石でしょうか?」
「さあ……?」
ジノが石に触れた。その途端、石が紫色の光をまとった。
「うわっ」
驚いたジノは手を引っ込めたが石の光は消えない。それどころか光は壁の絵を伝って洞窟中に広がっていく。
「こ、これまずいやつ……?」
「出るか?」
(もう遅い)
え?
ふわっと体が浮いた。十センチくらい。
「ええ、何これっ」
私もジノも宙に浮いていて、魔術で飛ばされるものと同じように体が光っている。魔術によって浮いていると判断していいだろう。
突然のことに驚いて、明かりにしていた火が消えたが、洞窟は広がった紫色の光で十分明るい。
体を自由に動かせない。洞窟の様子を見ているしかない。
壁の絵から飛び出るようにして、何もない空中にまで光の線が走り始めた。
足下と頭上に魔法陣のようなものが描かれていく。
また別の線が壁から延びてきた。その線は宙に浮かぶ檻のようになり、その後一本一本の幅が広がって壁や床になった。箱のようになったのだ。
私たちはその箱の中に閉じこめられてしまった。外の様子が見えないし音も聞こえない。
箱の床にも魔法陣が現れた。
(何なんですか、これ!)
遅いなどと言ったからには“彼”には今の状況がわかっているはずだ。だから聞いてみた。
(慌てるな)
そう言われても困る。冷静になろうにも体が浮いていて落ち着かないし、訳わからないものの中にいるし、眩しいし。
ああっ、また魔法陣が増えた!
(下手に動くととんでもない所に放り出されるかもしれないぞ)
それはもっと困る。っていうか何だそれ、どういうことだ。そしてなぜそんなことがわかる?
(あの文章読めたんですか? それとも元々知ってたんですか?)
(読んでだいたい理解した。何もせずに終わるのを待っていろ)
この状況は自動で終わるのか。ならばおとなしくしていよう。
“彼”に言われたとおりにしていると、すうっと箱が消えた。箱の内側にあった魔法陣も、頭のすぐ上のものだけを残して消えた。
そして私たちは地面に下ろされ自由になり、それから十秒程で最後の魔法陣も消えた。
真っ暗だ。日の光が全く無い。雨の音も川の音も聞こえない。
(これ、終わったのですか?)
(終わった)
では明るくしよう。
また魔術で火を出して、周囲を確認する。
行き止まりだったはずなのに、さらに奥に進めるようになっている。それと入り口が見当たらない。入り口が無いから私が作った魔術の壁も無い。
「違う場所……?」
ジノが呟いた。
「そう、みたいですね……」
ここは雨宿りをしていた場所ではないようだ。壁がなくなったとかできたとかではないと思う。
(で、何だったんです? さっきの)
(転移の魔術だ)
転移? やはり違う場所ということか。
(そんなのがあるのですか?)
(千年前にはすでになくなったと思われていた)
なくなった?
(技術が伝わらなかったと?)
(そうだ)
昔の技術か……。あ、そうだ。昔といえば、遺跡。
(もしかして、あの遺跡の元住人たちはその技術を持っていたのでは?)
(恐らくな)
となると、雨宿りしていたあそこも遺跡の一部で、あそこから移動してきたここも、そう。
(ここがどこだかわかりますか?)
(いや。移動先は数字で指定されていた)
数字か……それではよくわからないな。
“彼”と会話をしながらよくよく壁を見ていく。
元の場所なら入り口があった方の壁に、大きな窪みを見つけた。窪みから壁の絵の線が延びている。
それを見たジノが言った。
「あの黒い石がはまってたんだろうな」
やはりそう考えるか。
「自然に外れたというわけではなさそうですね」
地面にそれらしきものは転がっていない。何者かがどこかに持っていったのだろう。
あの石は恐らく、あの仕掛けを動かすためのものだ。ここにも同じ仕掛けがあるようなので、黒い石があれば動かすことができるだろう。“彼”が言うには、壁の文章の、現在地を示す数字と移動先を示す数字がこことあそこで逆になっているらしい。だからここから元の場所に戻れるはずだ。
「奥に探しにいってみましょうか」
この先に石があろうと無かろうと外に出られると考えられる。あればここの窪みにはめれば良し。無いならここを使わずに出る方法があるということだ。不具合が無ければの話だが。