なんてことだ
翌日。
今日は五時間目の授業がある。教科は武術だ。
普通、この授業は受けなくても別にいい。しかし私は未来の軍人として受ける必要がある。必要がなくても受けたことだろうが。
男子はほとんどが出席しているが、女子は二割程度しかいない。人数が少ないので学年全体での授業だ。
今回の授業内容は、好きな武器を選んで一対一で闘うというもの。相手はくじ引きで決められる。
校庭のあちこちで生徒たちが闘う相手と向き合う。
私の相手は攻略対象その三。名前はリゼイル・ファステルグ。
青い髪と瞳をもつ彼は、この国の第二王子だ。文武両道で、大体の教科で成績トップ。見た目も中身も大変良い故に女子生徒からの人気は学校トップ。なお、武術は二番である。
主人公はここでリゼイルにあっけなく負けるが、私はそんなのごめんだ。嫌みったらしいやつその一に絡まれるようになるからだ。負けるのなら激闘の末にかっこよく負けるべきだろう。
私も彼も武器は剣だ。訓練用なので斬れないが、攻撃が当たれば痛い。
先生が開始の合図をする。
先手必勝とばかりにリゼイルが飛び込んできた。主人公がギリギリでかわしたその攻撃を私は受け止める。
成績は二番であるが、リゼイルは強い。国王の教育方針でビシバシと鍛えられてきたからだ。
何度か打ち合った後でリゼイルに、
「本気か?」
と聞かれた。魔石が入っているにしては弱いと思われたようだ。
「本気です。私は並外れて強いとは言えません。あなたのお姉様のお守りのおかげで、身体能力はほぼそのままですから」
「お守り?」
む、この時点のリゼイルはまだ知らないのか。
「これです」
服の中からペンダントを少し引っ張り出して見せた。
「ラウラレティア様特製だと聞かされています」
「そうか」
リゼイルは納得したらしい。姉の優秀さを知っているからだろう。
「弱いわけでは、ありませんよっ」
剣を握り直して、今度はこちらから積極的に攻めてみる。
そうこうしているうちに、だんだん苦しくなってきた。これ以上は良くないかもしれない。でも頑張れば勝てそうな気がする。リゼイルも相当疲れているようだから。
さあ、決着を付けさせてもらおうか。
これは剣術の試合ではない。だから、
「せいっ」
風を切り裂いてくる剣をかわしてリゼイルに蹴りを入れた。魔術の使用は禁止されているが、蹴りは許されている。
リゼイルは私の蹴りをよけたが、よろけた。
それっ!
私はリゼイルの胸元に剣を突き付けた。
「……降参する」
悔しそうにリゼイルが言った。
……勝った! これで、これで、
「ごほっ、がっ」
血を吐いてしまえる。
「げほっ。……はあ……」
私は地面に座り込んだ。
ああ、つらい。本当につらい。ここまでしたのだから、あいつにこの授業関連で絡まれることはないと思いたい。絡まれたらぶん殴っていいだろうか。
私が血を吐いたことにリゼイルは驚いたらしい。
「おい、どうした?」
「まだ、魔石に、慣れ、て、いません。だから頑張ると、こうなり……ごふっ……休めば、良く、なります」
異常を察知した先生が走ってきた。フィーネとカデルも心配そうに近付いてきた。
普通に話せない私に代わってリゼイルが先生に説明してくれた。そして、彼はこんなことを言った。
「俺が保健室まで連れていきます」
「え……って、えっ、うわあっ」
なんてことだ。リゼイルに、おひ……横抱きにされてしまった。
「あ、歩、けます」
「こうした方が早い」
でもあなただって疲れているだろうに。
「そこまでひどく、ありません」
ここまでしてもらうのは悪い。あと少し恥ずかしい。
「遠慮するな」
リゼイルの言葉にフィーネが、うんうん、と頷いた。
「甘えておきなよ、メルアちゃん。王子様にお姫様抱っこされるなんて超貴重な経験だよ」
ああ、フィーネ、その単語は使わないでほしかった。余計恥ずかしく思ってしまう。
先生が許可を出したので、私はそのまま保健室へ運ばれた。
保健室の先生はいなかった。「不在」と書かれた札が廊下の壁に掛けられていた。
私はベッドに寝かせてもらった。しかも口の周りの血を拭き取ってもらった。
「ずいぶん深刻そうな顔をしてるが、どうした?」
リゼイルが不思議そうに聞いてきた。体調が良くないこととは違うものを私の表情から読みとったらしい。
「魔石の中の人が、乗っ取ってこようと、して、いるのです」
私はとても疲れている。しかし動けない程ではない。この状態は“彼”がこの体を乗っ取るチャンスなのだ。
私の言葉にリゼイルが身構えた。
「大丈夫です。でも心配なら、私を殴るなり何なりして、気絶させてください」
安心させようと思って私がそう言うと、彼は今度は困ったような顔をした。
「それは気が乗らないから自力でなんとかしてくれ」
「では、寝ます。おやすみなさい」
布団を頭からかぶって寝ることにした。きっとすぐに眠くなるだろう。
(諦めて一緒に寝ましょうね)
私は魔石の“彼”にそう言いつつ目を閉じた。
鐘の音で目が覚めた。
布団から顔を出すと、ベッドの脇に座るリゼイルと目が合った。先生に私の様子を見ているように言われていたから、ずっとここにいたのだろう。
「ご迷惑をおかけしました」
私は起きあがってリゼイルに謝った。
「もういいのか」
「はい」
「……その話し方やめろ。ここにいる俺はただの生徒だ」
もうその発言をするか。二章早いぞ。まあ、困ることもないだろうから別にいいが。というか、ゲームと違う行動を取りまくっている私にリゼイルに文句を言う資格など無い。
断る必要もないので「わかった」と頷いておいた。
リゼイルと一緒に保健室を出ると、フィーネとカデルが廊下を歩いてきていた。
「あ、メルアちゃーん。良くなった?」
フィーネは早足で近付いてきた。
「血なんか吐くまでやることないだろー?」
同じく早足で来たカデルに少し怒られた。
「心配させてごめん。もうすっかり良くなったよ」
寮の部屋に戻ってから、フィーネが目をきらきらさせながら聞いてきた。
「ねえねえメルアちゃん。もしかしてリゼイルくんと二人きりだった?」
「魔石の中の人も一緒だよ」
「あっ、そっかー。でも今こうしてて、私とメルアちゃんと二人って感じだから、数えないでおくね」
(仲間外れにされちゃってますよ?)
魔石の“彼”に話しかけてみた。彼は寮に戻る少し前に起きていた。
(……どうでもいい)
なんと! 返事が来た。今のは無視されると思っていた。
フィーネとの会話に戻る。
「すぐに寝ちゃったから、来た人がいるかどうかはわからないな。何をそんなに期待してるの?」
「あのね、リゼイルくんがメルアちゃんをお姫様抱っこした時に、お似合いだなあって思ったの」
そりゃあ外見はルートによっては結ばれる仲だからな。
「だから二人きりになった時に何かあったら面白いなって」
面白いのか。
フィーネは胸の前で手を組み、うっとりして言う。
「眠る美少女を見守る美少年……きっと絵になる光景だったんだろうなあ。見たかったなあ」
逆なら前世が見た。主人公がリゼイルに膝枕をしてあげる場面がおまけシナリオにあるのだ。
「私とあの人会ったばっかだよ。何にもならないって」
「でも世の中には一目惚れというものがあるよ」
一目惚れ……今のところ攻略対象の誰にも何も感じないが、残りはどうだろうか。
翌日の放課後。
フィーネと共に再び図書館に来た。古典の先生に薦められた本を借りにきたのだ。
目的のタイトルを見つけたのはいいが、第一巻から第六巻までが無い。ゲームのとおりだ。ということは、
「あのー……」
声をかけられた。振り向くと、予想どおりの人物がいた。
男子にしては背が低い。オレンジ色の髪に濃い緑色の瞳をもち、女子と間違われるような、かわいいと言える顔立ちをしている。ネクタイの色が緑なので一年生だとわかる。
攻略対象の一人、レナイト・イグレッタだ。彼は図書委員である。フィーネに案内してもらった時には当番でなかったので見なかった。
で、なぜ声をかけられたのだったか。
「もしかして、これをお探しですか?」
レナイトが本を三冊見せてきた。
彼の手にある三冊の本はまさしく私が探していたもの。第一巻から第三巻まで。借りられる本は一人三冊までなので四巻から六巻は今はなくてもいい。
「うん」
「じゃあ、どうぞ」
レナイトに差し出された本を私はありがたく受け取った。
「ありがとう」
お礼を言ってふと思った。
なぜレナイトはこの本を持っていた? 借りたいのではないか?
「あなたはいいの?」
「僕は図書委員で、その本を棚に戻しにきたんです。ついさっき返却されたばかりなんですよ、それ」
……あ。
レナイトの言葉を聞いているうちに思い出した。今のは、選択肢が表示される場面だった。
レナイトが「どうぞ」と本を差し出すと、主人公の返事として「ありがとう」と「あなたも借りたいんじゃないの?」が表示される。どちらを選んでも話の展開は変わらない。「ありがとう」を選んでも、結局、主人公は私が言ったように「あなたはいいの?」と聞くからだ。
違いは好感度が上がるか上がらないかである。上げたいなら「あなたも借りたいんじゃないの?」を選ぶべきだ。
つまり、私は好感度が上がらない選択肢を選んだようなものなのだ。レナイトルートを目指していたら、できもしないロードをしたくなっていたかもしれない。