とうとう来てしまった
私は、五歳の何でもない日に、なぜか、日本人であった前世のことを思い出すようになった。
そして十歳のこれまた何でもない日に、前世が遊んだ、とあるゲームのことを一度にまとめて思い出した。そのゲームのことはそれまで全く思い出していなかった。
今の私が生きるここは、そのゲームの舞台によく似た世界だ。……と思う。少なくとも私の名前は主人公である少女のデフォルトの名前と同じで、髪と瞳の色も彼女と同じ。家族の名前と容姿もゲームの中の彼らと同じ。住んでいる村と国の名前もそうだ。
そのゲームは女性向け恋愛シミュレーション(またはアドベンチャー)ゲーム、いわゆる乙女ゲームだ。タイトルはわからない。忘れたままだ。設定は細かいことまでいろいろ思い出したというのに。
物語の舞台は、昔のヨーロッパ風の、剣と魔法(魔術)の世界だ。
主人公は庶民の少女。先祖になんかすごいのがいる、前世やその前が昔の誰それ、とかいう設定はなかった。実はあるのかもしれないがゲーム中には出てこなかった。裏設定など知らない。
山の中の平和な村で暮らす主人公だったが、ある日その村は盗賊と思しき集団に襲われる。あちこちで村人の悲鳴が上がり、建物が燃える。
家にいた主人公は訳がわからないながらも母親と妹を守ろうとする。彼女は七歳から父親(襲撃時は外出中)に剣の稽古をつけてもらっていたので、少しは戦うことができた。しかし彼女は強いとは言えず、大怪我をし、地面に倒れてしまう。さらに母親と妹の身も危なくなる。
流れ出る血をどうすることもできず、死にそうな主人公。彼女は、自分がもっと強ければ、自分に力があれば……と思わずにいられなかった。
そんな彼女に「力が欲しいか。まだ生きたいか」などと何者かが囁く。どこからか聞こえてくるその声に、彼女が弱々しく「はい」と答えると、今度は「赦すか」と問われる。唐突なその言葉の意味を理解できない彼女だったが、すぐに声の主のことだと直感する。そして「はい。あなたを赦します」と答える。それはやってはいけないことだと感じていたが、他に今の状況を変える方法などなかった。
赦された何者かが主人公の中に入り込み、彼女は強大な力を手に入れる。
立ち上がった彼女はその場にいた敵をあっさり倒す。しかし、安心することも喜ぶこともできなかった。まだ謎の集団に襲われている人はいるようだし、父親の安否もわかっていない。しかも何者かが彼女の体を乗っ取ろうとしてくる。
彼女は母親と妹を連れて移動することを決める。何者かの影響か、じっとしていられなかった。それに、家族を守ることより敵を斬ることが優先すべきことに思えた。
移動中に見つけた敵全てに彼女は攻撃を仕掛けた。ときどき、何者かに体を乗っ取られ、やり過ぎてしまうこともあった。おかげで母親と妹にまで怯えられてしまうが、移動の判断は良い方へ繋がった。敵に囲まれた父親を見つけるからだ。
父親の手助けをしたところで主人公の限界が来る。
強い力は彼女の怪我をほとんど治したが、同時に体に負担をかけてもいた。それに、村が破壊されるのを見たショックは抜けていないし、体を乗っ取られるわけには……と気を張ってもいた。
要するに、彼女は心身共に疲れていた。
家族全員が生きていたことに少し安心して気が緩んだ彼女は、また地面に倒れ、今度は意識を失う。
次に目が覚めた時、彼女は狭い結界の中にいた。しかもその結界は牢屋の中にあった。彼女は閉じこめられていたのだった。しかも手錠までかけられていてまるで罪人のようだった。
牢の外には軍人、司教、医者など(主人公は服装で判断する)がいて、彼らは全員が険しい顔をしていた。主人公の知り合いは一人もいなかった。
そしてそこで、主人公は衝撃的なことを聞かされる。
まず彼女の村についてだが、壊滅状態だと軍人が言う。住民のほとんどが殺されてしまったのだ。
次に村で彼女がしたことについて司教が説明をする。彼女が赦した“何者か”は千年前に世界中を恐怖のどん底に突き落とし、英雄たちによって封印された存在だった。“それ”を封じる場所は何度か変わっており、今の場所は彼女の村の外れにある泉だった。
そうとは知らず彼女は封印の一部を解いて“それ”を体内に取り込んでしまったというのだ。しかも死ぬまで分離は不可能ときた。
自分の状況を理解するので精一杯の主人公だったが、再び口を開いた軍人がさらに彼女を困らせる。彼女の中のものは恐ろしいものだが、同時に強大な力を授けてくれるものでもある。得た力を使って戦場で大活躍した者も過去にはいるらしい。制御できる(乗っ取られない)のだとしたら、戦力が欲しい国や組織にとってはとても魅力的なものだ。
故に彼女は選択を迫られる。彼女ごと再封印か、強大な力を制御し、戦って生きるか。戦うことを選んでも制御できないと結局封印になるわけだが。ちなみに死はかわいそうなので選択肢からは外された。封印も死と同じように思えるが、封印ならば生きていられないこともないらしい。
とりあえずの二択を突きつけられた主人公がどうなるかは、プレイヤーの選択次第だ。
……で。
困ったことに、私はゲーム内で度々表示される選択肢とその結果についてほとんど思い出せない。十七になった今もそうだ。ただ、場合によっては主人公が死ぬということはわかる。バッドエンドを迎えてしまうのだ。あのゲームの場合はメッセージのみの画面になって終わるから、ゲームオーバーと言ってもいい。
それでなぜ私が困るかというと、私が主人公と同じ目に遭うかもしれないからだ。なにせ見た目、名前、家族構成、住まいが同じなのだ。私が主人公の位置にいることは明白だ。何事もなく生きていけるとは思えない。
いろいろ思い出した十歳の私は考えた。
若いうちに死ぬのは嫌だ。長生きしたい。前世が早死にだったから前世の分まで生きたい。あと、仲良くなった誰かが死ぬのも嫌だ。
そうだ、強くなろう。
そんなわけで、十歳の私は、強くなることを決めた。
強くなれば「自分も残る」を選ぼうが「この場は任せる」を選ぼうが、生き延びること、守ることができるはずだ。うまくやればプロローグの悲劇(村人が大勢死ぬこと)だって回避できるだろう。目指せ一騎当千。
決心してから、私は剣を握る時間を増やした。友達と遊ぶ時間が減ってしまったが、人の命がかかっているのだ。付き合い悪いやつと思われても、一人で寂しいやつと思われても別にいい。死んだら遊ぶどころか姿を見ることすらできなくなるのだから。たとえ生まれ変わって記憶が戻って、まるで二度目の人生を送るかのようになったとしても、別人だ。まず体が違う。物理的、社会的な位置が大きく違うことも大いにあり得る。現に私がそうだ。生き返りでもしない限り、全く同じ人として生きていくことなどできないと私は考えている。
十一で村で剣を習う同年代の子の八割に勝てるようになった。体格の良い子、才能のある子、大人にはなかなか勝てなかった。
十二で山の麓の町にある学校に週一で通うようになった。村の小さな小さな学校と違って、数学などの普通の教科以外に魔術も教えてくれる所だ。主人公は魔術も使うようになるから、私もそうなった時のために早めに魔術の基礎くらいは押さえておきたかった。
十三で村の未成年(二十で成人)の中では上位の強さの子として認識されるようになった。
十四で村と村周辺の見回りに参加するようになった。主人公はしていなかったことだ。
その後二年間、見回りをする未成年の女子は私だけだった。
十五で対「戦える村人(老若男女問わず)」の勝率が八割を超えた。
同じ時期に、裁縫の腕が三つ下の妹より劣ることに気付き、軽くショックを受けた。
十六で対「父」の勝率が五割となった。そして、遠くから訪ねてくる父の元仕事仲間(現役)に、二年ぶり五度目の挑戦をし、初めて勝利した。
父は傭兵団の一員だった。母に惚れ、いろいろあった末に傭兵を辞めてど田舎の住人になったと聞いている。
そして十七になり二ヶ月が過ぎた今日。
村周辺の見回りをしていたところ、獣道を歩く武装した集団を見つけた。
あの格好には見覚えがある。プロローグで村を襲ってくるやつらだ。画面に表示される彼らの目は陰になっていてモブでしかなく、プロローグ後一度も出てこない。しかし村の驚異であることは確かだ。そんなやつらが、とうとう来てしまったのだ。
私たちは急いで木陰に身を隠し、集団の様子を窺う。
「あいつら何だ……? 賊にしちゃあおかしい……」
一緒に来ていた父が怪訝そうに呟く。
見回りは当番制で、今日は私と父と近所の青年二人で来ている。
「心当たりはあるよ」
私がそう言うと、父が鋭い視線を私に向けた。
「どういうことだ?」
「怖い夢の話、何度かしたでしょ。あれ」
私は家族を始め、村の人に「怖い夢を見た」と言って、村が襲われることを話してある。私が泉にあるものの封印を解くことは言っていない。
私の言葉に父はしかめっ面になった。
「あれが現実になるっていうのか?」
「かもしれない」
ここまで村に近付かれてしまっては襲撃の回避は難しいだろう。だが被害の軽減ならば、きっとまだ間に合う。
「それで、あいつら何なんだよ」
近所の青年の一人、ジェンが聞いてきた。
「リンデレジア軍」
リンデレジアというのは隣国の国名だ。あの集団は、隣国の兵士たちというわけだ。
もう一人の近所の青年リアスが、驚いたらしく目を大きく開いて「まさか……」と呟いた。
「は、はあっ!? あんな格好のが?」
こら、ジェン。
「声が大きい」
あの集団に私たちの存在がばれたらどうしてくれる。
「すまん……」
「兵士っぽくないのは、山賊の襲撃に見せかけるためだよ。大半はあなたでもなんとかなると思うけど、本当にやばいのが何人かいるはずだから気を付けて」
「ヤバイって……どんくらい?」
「たぶん現役の父さんが苦労するくらい。あと魔術使うのもいると思う」
「うげ、そりゃヤバイ」
相手は標的の村に少々やっかいな人物――主人公の父親がいることを知っていて、警戒して強いのを数人送り込んでくる。その中の一人は、ルートによっては後に主人公と戦うことになる。それもかなり派手に、一対一とは思えないくらい盛大に戦う場合もある。
「ってことで父さん、早いとこ知らせに戻るべきだと思う」
「そうするか」
私たちは慎重かつできるだけ早く村に戻ることにした。
戻ってみると村は平和そのものだった。私たちは手分けして村中に知らせて回る。
私は自宅にも行き、村が襲撃されそうなことを母と妹に伝えた。すると、母は刺繍道具一式を投げだし、避難時に持ち出す袋を引っ掴んだ。妹は自分の部屋から剣を持ってきた。
「シエル、母さんは任せたよ」
私がそう言うと、
「安心しといて!」
十四になったばかりの妹は、ぱちん、とウィンクをした。
主人公の妹は、主人公と一緒に素振りをしていたようだし剣を握るシーンもあったが、あまり戦える様子はなかった。
私の妹は剣を振ってばかりの私に影響されたのか、剣を握る時間が私ほどではないが多めで、一対一でならそこそこやれるようになった。
「メルア、無理しちゃだめよ」
母が心配してくれた。
私はプロローグ開始時点の主人公に比べればずっと強いはずだ。彼女は、余裕のある男二人による攻撃を防ぐので精一杯だった。私なら、あの二人が本気になってもきっと自力で倒せると思う。いや、そうでなくてはならない。
「無傷で、とは言えないけど、死なないことは約束するよ。それじゃ、また後でね」
家を飛び出してあの集団の迎撃へ向かう。まだ事態を知らない人も多いだろうが、私が知らせて回らなくとも母や妹、近所の人たちが伝えてくれることになっている。
戦える人々が集まっている場所の一つに行くと、敵の一部がすぐそこまで来ていることをリアスに教えられた。
「偵察を兼ねてじりじり近付いてきてるってとこかな……」
「ど田舎相手に慎重なもんだ。お前の親父さん効果か?」
「それもあるけど」
父は今も十分強いが、傭兵時代はそれはもう強くて強くて、「まさに一騎当千」と噂されたらしい。あと、あちこちから恨みを買ったとかそうでないとか。そんな父はただ今、別の場所で待機中だ。
「魔石に警戒してるんだよ。扱いが難しいから」
この村には魔石というものがあるとされている。
魔石はしっかり封印されているはずだが、万が一封印が緩んだり解けたりしていて、そこを下手に刺激したら大変なことになりかねない、と隣国のやつは考えたのだ。
「あ、こんなこと私が知ってるのは秘密にしといてくれると助かるよ」
「わかった。でも魔石なんて本当にあるのか?」
「あるんじゃないかな。見たことないけど」
泉はあまり深くないので潜ってみたことがあるが、それらしきものは見つけられなかった。不思議パワーで見えないか、水底の土の中にでも埋まっているのかもしれない。
「そうか……。で、どうするんだ?」
事情を知っているとはいえ、私が判断をしていいものか……と思わずにはいられないが、今は時間がない。わかりやすくいこう。
「もう向こうもこっちのことはわかってるだろうから、堂々といく」
というわけで、村への道を塞ぐようにしてみんなで立ってみた。
武器を手に持った敵が、木の陰からぞろぞろと出てくる。ここにいる村人の数より多いが、私が複数を相手にすればいいだけのことだ。
私は一歩前に出て、敵に話しかけてみる。
「何の用ですか」
「何だお前」
敵の兵士の一人が私を見て不愉快そうにした。
「私はミザロア村の住民です。あなたたちは何者ですか。そのような格好をして、ここへ何をしに来たのですか」
兵士は何も言わずに剣の切っ先を私に向けてきた。
「どういうつもりですか」
わかっているがあえて聞く。ついでに剣の柄に手をかけておく。
「小生意気にも度胸はあるようだな」
兵士がニタア、と気持ち悪い笑みを浮かべた。
変なこと考えてんじゃないだろうな、この野郎。
「魔石はどこだ?」
「何ですか、それ。そういえば昔話にそのようなものが出てきた気がしますが」
この村にも麓の町にも、魔石について知ることができるものは昔話以外にない。だから知らないことにする。
「こんな所にあると考えているのですか」
「知らないって言うのか?」
「知りません」
「なら死ね!」
理不尽で物騒な言葉と共に兵士が斬りかかってくる。
「断る!」
兵士の剣を私は難なく受け止めることができた。
わかった。こいつは弱い。
「油断しましたね」
「ぐっ……このっ」
兵士は体勢を整えてまた斬りかかってきた。だから、
「はいっ」
今度は兵士の剣を弾き飛ばしてやった。
「さっさと帰った方が身のためですよ」
「こいつ……!」
他の兵士たちが剣を構える。彼らの目はどれも真剣だ。
……ああ、私、強くなれたんだ。
プロローグのあの二人のようなやつは一人もいない。彼らは皆、本気でかかってくるだろう。本気で殺しにくるだろう。ならば私もそうするべきだ。
もとより全力で応戦するつもりだが、人を殺す覚悟が私にはなかった。だが今、はっきりとした敵意を、殺意を向けられて、変わった。
殺したくない気持ちは消えていないし、消えたら人としてだめな気がする。しかし、殺すくらいでいかなければ、こっちが死ぬかもしれない。
できることなら、重傷で止めておきたい。でもそんな手加減の方法なんてわからないし、手加減する余裕なんてないかもしれないから、終わってみれば何人も殺していてもおかしくはない。……それでもいい。私が生きているならば。
「皆さん、用意はいいですね?」
前を向いたまま後ろにいる村人たちに声をかけると、「おう」とか「もちろん」とか頼もしい返事が聞こえた。
だから今度は前にいるやつらに向かって叫ぶ。
「かかってこい、賊ども!」




