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世紀末の羊飼い

作者: 野黒 鍵

 少年と彼の飼い犬が廃れた街道を歩いている。その前には羊達が五匹。時折、群れから外れそうになる羊を彼の犬は吠えながら群れへと戻す。

 街道を行く少年は羊飼い。ならばその飼い犬は牧羊犬である。それはナイフとフォークのようなもの。

 フォークがあるからといってナイフがあるとは限らないが、ナイフがある時、フォークはある。

 羊飼いと牧羊犬も同じようなもので、犬だけでは牧羊犬か分からないが、羊飼いが飼っている犬であれば、それは牧羊犬と相場が決まっている。

 羊飼いの少年が指示を出さずとも牧羊犬は羊達を導く。

 羊達も群れでの移動になれているのか、滅多なことでは離れてしまうことはない。

 羊飼いの少年エリックにとって町から町への移動は少なくない。むしろ多い方である。

 移動を続けて三日目。ようやく町が見えて来た。この町には羊達の餌が生えていると良いんだけどな、とエリックは思っていた。


 町はエリックの思っていた通り廃れていた。それは町というより廃墟と呼んだ方が相応しい様相だった。

 家屋は倒壊し形を保っている物もあるが、ヒビが入っていたりしていつ崩れてもおかしくなかった。

 「ヘルメス」

エリックの相棒である牧羊犬に声を掛け、エリックの側へ呼び寄せる。それを合図に羊達は自由に散らばりだした。

 羊達は砂利や石畳の隙間から生える雑草を食みはじめた。エリックが廃墟と化した町を巡る理由は羊達の餌を求めてだった。

 草を食む羊達を見守っているとヘルメスが低い声で唸り出した。他者の接近による警戒。それに合わせてエリックも辺りを警戒心を高める。

 接近に気付かれたと判断したのか体格の良い男が建物の陰から姿を現した。

 「こんなご時世に羊飼いか?」

男は小馬鹿にした風でエリックに話し掛けて来た。

「家業なんでね。両親が『審判の日』に死んだから俺が後を継いだだけさ」

 力なくエリックは答える。

『審判の日』とエリックが口にしたのは世界を襲った未曾有の災害が起きた日。隕石が落ちて来たとか未知の科学兵器を使われたとか、いろんな憶測が飛び交っていたが誰も真実を知らない。もしかしたらエリックが出会った誰かが知っていたかもしれないが、エリックにはそんなことは興味なかった。

 世界崩壊の真実より明日の飯。それはエリックだけでなく、この世界で生きる生き物の常識だったからだ。

 エリックは廃墟ばかりを巡っているんじゃなく、行き着く先が全て廃墟と化しているだけなのだ。

「まあお互い大変だよな」

 エリックには目の前の男が次に何を口にするか分かっていた。こんな事態は初めてじゃない。

 「こんな時代だから助け合わないと。悪いんだが俺『達』、腹が減っちまってな。その羊達をくれないか?」


 少年と彼の飼い犬が廃れた街道を歩いている。その前には羊達が五匹。時折、群れから外れそうになる羊を彼の犬は吠えながら群れへと戻す。

 街道を行く少年は羊飼い。ならばその飼い犬は牧羊犬である。それはナイフとフォークのようなもの。

 フォークがあるからといってナイフがあるとは限らないが、ナイフがある時、フォークはある。

 羊飼いと牧羊犬も同じようなもので、犬だけでは牧羊犬か分からないが、羊飼いが飼っている犬であれば、それは牧羊犬と相場が決まっている。

 羊飼いの少年が指示を出さずとも牧羊犬は羊達を導く。

 羊達も群れでの移動になれているのか、滅多なことでは離れてしまうことはない。

 羊飼いの少年エリックにとって町から町への移動は少なくない。むしろ多い方である。

 移動を続けて三日目。ようやく町が見えて来た。この町には羊達の餌が生えていると良いんだけどな、とエリックは思っていた。


 町はエリックの思っていた通り廃れていた。それは町というより廃墟と呼んだ方が相応しい様相だった。

 家屋は倒壊し形を保っている物もあるが、ヒビが入っていたりしていつ崩れてもおかしくなかった。

 「ヘルメス」

エリックの相棒である牧羊犬に声を掛け、エリックの側へ呼び寄せる。それを合図に羊達は自由に散らばりだした。

 羊達は砂利や石畳の隙間から生える雑草を食みはじめた。エリックが廃墟と化した町を巡る理由は羊達の餌を求めてだった。

 草を食む羊達を見守っているとヘルメスが低い声で唸り出した。他者の接近による警戒。それに合わせてエリックも辺りを警戒心を高める。

 接近に気付かれたと判断したのか体格の良い男が建物の陰から姿を現した。

 「こんなご時世に羊飼いか?」

男は小馬鹿にした風でエリックに話し掛けて来た。

「家業なんでね。両親が『審判の日』に死んだから俺が後を継いだだけさ」

 肩をすくめてエリックは力なく答える。

『審判の日』とエリックが口にしたのは世界を襲った未曾有の災害が起きた日。隕石が落ちて来たとか未知の科学兵器を使われたとか、いろんな憶測が飛び交っていたが誰も真実を知らない。もしかしたらエリックが出会った誰かが知っていたかもしれないが、エリックにはそんなことは興味なかった。

 世界崩壊の真実より明日の飯。それはエリックだけでなく、この世界で生きる生き物の常識だったからだ。

 エリックは廃墟ばかりを巡っているんじゃなく、行き着く先が全て廃墟と化しているだけなのだ。

「まあお互い大変だよな」

 エリックには目の前の男が次に何を口にするか分かっていた。こんな事態は初めてじゃない。

 「こんな時代だから助け合わないと。悪いんだが俺『達』腹が減っちまってな。その羊をくれないか?」

「羊をあげてしまったら、俺はただの遊牧民になっちまう」

「もともと本物の羊飼いじゃないんだろう? お前の格好も羊飼いじゃない。ダッフルコートを着た羊飼いなんて聞いたことがない。何かを始めるなら、まずは形から」

「じゃあアンタの格好は盗賊でもやっているからそんな恰好をしているのか?」

「そういうことになるな」

 エリックの格好はダッフルコートにジーンズ。これは『審判の日』以前から着ているエリックの普段着である。

 片や盗賊の男はボロ布を頭に巻いてフードとし、服装を動き易さを重視しているのか単純に着るものがないのか分からないが、この寒さには合わない薄着だった。確かに盗賊らしい格好と言える。

 「形というのは大事だぞ? 神父だって俺と同じ格好をしていれば賊に成り下がるし、俺も修道着を着れば敬虔な神の僕になる。そうなれば俺はお前に導かれるかもしれないな」

 神を『良き羊飼い』と言っているのだろう。目の前の男は盗賊なんてことをやっている割には賢そうだ。もしかしたら『審判の日』以前は本当に神の僕だったのかもしれない。

 「じゃあ俺も形に合わせて言い方を変えるな。その羊を全ておいていけ。その犬はサービスで見逃してやる。牧羊犬がいないとただの流れ者になっちまうからな。遊牧民で済ませてやるよ」

その言葉を皮切りにして物陰から三人の男が現れた。先程、男が俺『達』と口にしていたので仲間がいることは察していた。エリックと会話している男を含めて四人。それに対して、エリックで戦力になるのはエリックと牧羊犬のヘルメス。ヘルメスはやる気満々で今に飛びかからん様子だが、圧倒的にエリック側が不利である。

 「先に仕掛けて来たのはそちらが先だからな」

そう言ってエリックはコートのポケットから逆転の一手を取り出した。

「はあ、嫌な予感はしていたんだ。元気な羊を五匹も連れているんだ。牧羊犬が優秀なだけな訳がない」

エリックが取り出したのは拳銃。『審判の日』が起きてから機械などの電子機器が壊れ、工場による大量生産は出来なくなった。それに加えて世界が崩壊するほどの大災害が起きたことによるモラルハザード。誰もが自分が生きることだけを考え、武器を手に争いが起きた。その時に銃も使われた。だが、大量生産の出来ない世界で弾は直ぐに枯渇した。

 この世界で銃自体は珍しくないが、弾は貴重なのだ。そんな弾を誰もが持っている筈もなく、弾のない銃はただの鈍器である。だから誰もが銃を捨て、捨てられた銃は壊れてしまった。

 そんな銃を持っているということは弾も持っているだろう。人数差を使って無理にでも襲いかかることも可能だが、必ず怪我人が出る。もしかしてハッタリ? という考えが盗賊の男の頭を過った。しかし、本当だった場合、勝ち目はない。そう盗賊の男は判断した。

 リーダーは手に持ったナイフを捨てて両手を上げる。

「ただそんな予感だけで目の前のお宝を見過ごせる訳がないよな。俺達もこうすることでしか食えないんだ」

「俺も盗賊だったら同じことをしていたと思う。形の問題ってやつだな。俺にとってもコイツは貴重なんだ。無駄には使いたくない。アンタが部下を縛ってくれるとありがたいんだが」

エリックは構えた拳銃に視線を一瞬移しながら盗賊の男に言う。

「ああ、分かってるよ」

諦めた様子で物陰にいた部下を集めると手際良く後ろ手に縛って行く。

 「いてて、もっと優しくしてくだせえ」

「こういうのは引き際が大事なんだ。甘く縛って危険だと判断されたら俺達が危ない。この状況を支配しているのは相手なんだ」

盗賊のリーダーは部下の三人を縛り、一カ所にまとめた。

「次はどうする? 歌でも歌おうか?」

「その必要はない。ヘルメス」

エリックは相棒の名を呼び、頭を一度撫でると腕を素早く振った。

 合図を受け、ヘルメスは盗賊の男に飛びかかった。不意を突かれたリーダーは投げたナイフを拾う間も無く喉笛を噛み付かれていた。

 「お、親分?」

 その光景に部下の男達は理解が追いつかないでいた。

 盗賊の男は悶えるように暴れていたが、しばらくすると静かになった。

 「お、おい。話が違うじゃねーか!」

「話? そんな話はしてないと思うが」

「俺達を縛れば見逃すって言ってたじゃねーかよ」

「俺は縛ってくれるとありがたいって言っただけだ」

「そ、そりゃあ確かにそうだが」

「コイツも言っていただろ? お宝があったら見逃せないと。俺もそうだったって訳さ」

「お宝? お前何を言って……」

 残りの盗賊達はエリックの言うお宝が自分達であると悟った。男達の顔に恐怖が浮かんでいた。

「羊飼いはもちろん羊の肉も食べる。だけど毎日食べられる訳じゃない。そんなことしたら羊が何匹いても足りないからな。だからその時々で食料を調達しないといけないんだ。こんな世界だ。わかるだろう?」

 盗賊のリーダーが捨てたナイフを拾って、縛られた男達に近付く。

「暴れないでくれると助かる。痛い思いは出来るだけさせたくない」

ナイフを持ち申し訳なさそうに言うエリックを見て、男達は諦めたようだった。目の前の少年は何があっても自分達を見逃してはくれない。

「そ、それならその拳銃で頼む」

盗賊達は懇願した。

「悪いな」

そう言って盗賊に拳銃を向け、躊躇うことなく引き金を引いた。

 カンっと乾いた音と、ガチャリというシリンダーの音だけが響いた。

「ブラフってやつさ。ヘルメス」

先程の男をやった時と同じように手を振り、ヘルメスに指示を出す。それに合わせてエリックも男の口を押え喉を切り裂く。そして慣れた様子で手早くもう一人の男も処理した。

 「今日は大収穫だな」

ナイフに付いた血を男の服で拭い、空いている左手でヘルメスを撫でる。相棒は一つ「ワン」と鳴いてエリックに答える。

 羊達は何事も無かったように草を食べていた。

 「綺麗な顔してえげつないことするのね」

先程手に入れた『食料』の解体し、血抜きを行っているとエリックに誰かが話しかけて来た。

 盗賊の仲間がまだ隠れていたのか? と警戒するエリックだったが、何故かヘルメスに反応がない。

 声のした方へ視線を移すと、まだ崩れていない家屋の塀に座る少女がいた。

 ヘルメスは少女に気付いていないかのように、エリックから与えられた『食料』を食べていた。エリックは手足の四肢、ヘルメスはそれ以外の部位を食べる。内臓を食べるのに抵抗があるのと、もとが何であったかを強く意識してしまうからだった。

 ヘルメスは食事中だとしても自分達に接近するものに反応するはず。

 目の前の少女は一体何者なんだ? とエリック警戒を更に高めた。

 慎重に少女の様子をうかがう。特に変わった様子は見られない。更に上から下まで注意深く観察する。

 「あ、クマさんだ」

「はっ!」

エリックが口にしたことを少女は咄嗟に悟った。声を掛けてからずっと、少女は足をブラブラさせて塀に座っていた。スカートを履いた少女が足を揺らすと見えるのだ。おパンツ様が。

 うっかり口に出したことを後悔しつつ視線を少女の顔へ移すと、そこには真っ赤な般若がいた。

 まだ少女と呼ぶのに相応しい年齢でも、こんな顔出来るんだ、とエリックは暢気に考えていた。

 足を閉じて揺らすの止め、両手でスカートの裾をギュッと握り、見えないように抑えた。

 「すまん、たまたま目に入って来て」

エリック右手を後頭部に当て、軽く会釈するようにして誤った。

「たまたま? 私のことメッチャ見てたでしょ! 何? カニバリズムにロリコン?」

少女は般若の顔を崩さず、エリックを罵倒する。

 前者は認めるが後者は違う。あらぬ誤解を受けたエリックは弁解する。

「いや違う。俺は年上の方が好きだ」

「そういう話じゃないでしょ! この変態!」

 なんだかおかしな展開になって来た。ただこんな時でもエリックは油断しない。相手が子供だとしても、油断した瞬間に死ぬ。この『食料』と同じように……。

 子供とはいえ武器さえ使えば簡単に人を殺せるのだ。子供相手だからと言って油断すると痛い目に遭う。

 エリックの警戒心を感じ取ったのか、少女は微笑みながら塀から降りた。

「おい、近づくな?」

そう言うとポケットにしまった拳銃を取り出す、少女へと向ける。

「ふふ、ずっと見てたから知ってるわ。それ、弾が入ってないでしょ?」

 エリックのブラフは見抜かれていた。少女は先程のやりとりを見ていたという。そうなってしまうと、エリックの手に握られているのは鉄くずと変わらない。

 「ヘルメス」

盗賊と対峙していた時、辺りには気を配っていた。後から現れた三人にも気付いていた。だが少女の存在には気付かなかった。

 『ずっと』見ていたと少女は言った。それはいつからだ。少なくとも『食料』が手に入る瞬間にはいたはず。じゃなければ拳銃の弾が入っていないことは知らないはず。

 エリックの背筋に冷たいものが走る。こんな時に重要なのはヘルメスとの連携だ。だが、先程声を掛けたのにヘルメスはエリックをチラりと見たかと思うと、再び食事に戻っていた。

 「ヘルメス!」

今度は少し強めに相棒へと声を掛ける。一瞬、意識がヘルメスへと移った。その隙を狙ってか、少女は飛び掛かって来た。少女との距離は十メートル近くある。それなのに少女は『飛び掛かって』来た。途中で落ちる気配もなく、勢いもそのままでエリックに飛び掛かって来た。

 「うわあぁ!」

思わず叫び声を上げ、そのまま尻餅をついた。ただいくら待っても体には何の衝撃もなかった。

 まるで通り抜けたように少女はエリックを避けた。

 「おかしい。わあ! だって」

声はエリックの後から聞こえた。慌てて振り返ると尻餅をついたエリックを見下ろしていた。

 急いで解体に使ったナイフを構える。

「あら、おっかない」

言葉とは裏腹に少女は笑いながらエリックへと近づいて来る。

「お、おい。来るなって!」

 エリックの言葉も聞かず、少女は歩みを進める。手を伸ばせばナイフが届く距離まで少女が近づいた。

 悪いな、と心で謝り少女の心臓へとナイフを突き立てようとした。だがそれは叶わず、突き出した勢いのまま地面に倒れてしまった。

 「は?」

視線を再び少女へと向けると、エリックが少女の体を突き破っていた。いや、それは通り抜けていた。

「うわああ、なんだこれ?」

 慌てて少女から距離を取る。

「どう? 驚いた?」

クスクス笑いながら少女をいたずらっ子のような顔を浮かべた。

「あ、ああ。き、君はいったい?」

「自己紹介がまだだったわね。私はミーナ。もう分かってると思うけど幽霊よ」

 そう言うとふわりと浮き上がり、再び塀の上まで飛んで行った。

 「ゆうれい。幽霊かあ……」

現実を受け入れようとしてミーナの言葉を繰り返す。

 「あなたのお名前は?」

「あ、ああ。エリック、羊飼いだ」

まだ処理しきれていないが、ミーナに促されるまま自己紹介をするエリック。

 「本当に幽霊なのか?」

「じゃあ逆に聞くけど通り抜けたり、宙を飛ぶ人間なんているの?」

「いない、と思う。うん、それは確かに幽霊な気がする」

「でしょ? 私だって幽霊だって確信はないけど、こんな存在なんて幽霊しか思い当たらないわ」

 エリックはその言葉を聞いて、自分も人間だという確信はないことに気付いた。現状から推測して人間だろうと思い込んでいるだけかもしれない。通り抜けが出来て空を飛べる存在があれば、ミーナは幽霊じゃなくその何かかもしれない。

 エリックは頭振って余計な考えを捨てる。幽霊と初めて会って、まだ頭が混乱しているに違いない。自分が人間かどうかなんて決まっているじゃないか。

 「それ本当に食べるの?」

ミーナは口元を左手で押さえながら、右手で先程解体した『食料』を指さした。

「ああ。じゃなきゃこんなことしないよ」

「そう。そうよね」

 解体された『食料』を見てミーナは気分を悪くしていた。エリックも慣れたとはいえ、まだ抵抗が残っているのだ。おそらく初めて見たであろうミーナには衝撃が強すぎるだろう。

 「『審判の日』以降、こうでもしないと生きていけないからな」

 エリックの中で線引きはしている。自分達を襲った相手のみを『食料』とする。見境なく『食料』を手にしていたら、自分はは人でなくなってしまう、とエリックは思っていた。あくまで仕方ないことだと自分に納得させる理由が必要だった。

 「私はそんなことしなくても生きていけるわ」

エリックの言葉を受けてミーナが妙なことを口にした。

「生きていける?」

「そうよ。だって私は幽霊だから。幽霊ってお腹も空かないの」

 会話が成立したようで、微妙に噛み合っていなかった。エリックが気になったのは食べなくても生きている、ということではない。

「ミーナは幽霊なんだろ? それじゃあもう死んでるんじゃないか?」

ミーナビックリしていた。まさか自分が死んでるとは夢にも思っていなかったようだ。

「私が死んでる? そんなことはないわ。ただ『幽霊』になっちゃっただけよ」

エリックはますます混乱した。

「待ってくれ。幽霊ってのは死んだらなるんだろ? 幽霊であるミーナは死んでるってことじゃないのか?」

整理するように今度は丁寧に言葉を重ねた。

「そんなの知らないわ。幽霊が死んでいるって誰が決めたの? 私は私以外の幽霊を知らないから幽霊が生きているのか死んでいるのか分からないわ。私は死んだ記憶も自覚もない。だから生きているって思うわ。逆に聞くけどエリックは生きているの?」

「もちろん生きてるよ。俺は通り抜けられないし宙も飛べない。腹だって減る」

「そういう死者がいるかもしれないわ。例えばゾンビとか?」

「ゾンビがこうやって話せるか?」

「そんなの私は知らないわ。本物だっていうゾンビに会ったことがないもの。ゾンビがどういう存在なのか詳しくは分からない」

ミーナは肩をすくめて言った。自分がゾンビを例えに出すから答えたのに、とエリックは理不尽に感じていた。

 「それに俺は死んでないんだから生きてるだろ?」

そう口に出した時、エリックは同じ言葉を聞いた。

「そうかもしれないわね。でもそれは私も一緒。幽霊って存在にはなったと思うけど、死んだと思ってない。これって生きているってことにならないの?」

「うーん……」

 エリックは眉間に皺を寄せて考えを巡らせた。ミーナが言っていることは正しいとは思えないが、間違っているとも思えない。

 エリックは考えすぎて頭が痛くなって来た。

 「やめだやめだ」

ミーナが幽霊でも生きていたとして問題はない。それについて考えて腹は膨れないし、頭を使うことでエネルギーを消費してしまうだけだ。そうエリックは考え、足を投げ出して思考を放棄することにした。

 「まあ、エリックの言う通り幽霊って死んでいるものだと、私だって思うわ」

今までの会話を台無しにするような一言をミーナは口にした。

 散々人の頭をかき乱しておいて、そりゃあねえよ、とエリックは心の中で言ちた。

 「私だって馬鹿じゃないもの、それくらい分かるわ。でもね、私は自分が死んだって自覚がない。生きていることをエリックが生きていることを証明してくれたら私は死を自覚出来ると思ったの」

「ちょっと待ってくれ。それって……」

エリックは二の句が継げなかった。死を自覚するってことは、つまりは死ぬのと同義だ。それをミーナは望んでいるようにエリックには見えた。

「ええ、それは私にとっての死と一緒。でもこんな状態でいつまで私はいるの? って思った時、不安になったのよ。『審判の日』でたくさんの人は死んじゃったけど、これからも人が死んでいって、最後には一人も残らないかもしれない。もしそうなったとしても私はここにいる。幽霊として生きてしまう。そんな孤独に私は耐えられる気がしない」

 ミーナの抱える恐怖。それは永遠の孤独。今、世界に起きていることがこの星の終わりだとしても、虚空に放り出され幽霊としてあり続ける可能性もゼロではない。

 そんなものはエリックにだって耐えられない。

 「ねえエリック。あなたはどうして生きているの?」

ミーナの哲学のような問は続く。

「どうして生きているって聞かれても……」

再びエリックは思考を巡らせる。どうして生きているのか。そんなことは『審判の日』が起きる前にも考えたことはない。ただ過行く日常に、時の流れに身を任せていただけだ。朝がくれば起きるし、腹が減れば飯を食う。そんな日常に意味なんてない。

 だからエリックはこうとしか答えられなかった。

「生きてるから生きてるんじゃないかなあ」

「なにそれ」

「生きることに意味や理由なんてないんだよ。太陽が昇れば朝は来るし、可愛い子を見れば恋をする」

エリックが真面目に答えたのに、ミーナは口元を押さえて小さく笑った。

「エリックってロマンチストなのね」

「男の子だからな」

肩をすくめて、照れ隠しにエリックは言う。

「じゃあミーナが幽霊でも生きているとして聞かせてくれ。君はなんで生きてるんだ?」

「私? 私が生きている理由かあ」

そう言うとミーナは顎に手を当てて考え始めた。

 「ヘルメス」

 邪魔をするのも悪いと思い、相棒をあぐらをかいた膝の上に呼ぶ。ヘルメスは嬉しそうにエリックの膝の上に乗りくつろぎ始めた。

 自分の元でくつろぐ相棒の背中を愛情を込めて撫でる。荒い呼吸をしながらもヘルメスは目を細め気持ち良さそうにエリックの愛撫を受け入れていた。

「やっぱり羊飼いと牧羊犬って仲が良いのね。ん? その子、本当に犬というより狼っぽいわね」

 エリックがヘルメスの頭を撫でるのに夢中になっていると、ミーナから声を掛けられた。

「ああ、ヘルメスは狼だよ」

「え、狼って人に懐くの?」

ミーナは自分が考えていたこも忘れる程に驚いていた。

「さあ、俺もヘルメスのことしか知らないから分からないな」

「エリックは家業を継いだとか言ってたけど、ヘルメスはエリックの家で飼われていたの?」

ライオンやトラが生まれた時から一緒にいた場合人に懐く。ミーナはつまり最初からヘルメスは家族だったの? と聞いているのだ。

 「いや、うちの牧羊犬は『審判の日』に死んじゃった。ヘルメスと会ったのは『審判の日』より後だし、その頃のヘルメスは今と同じ大きさだったな」

「うそでしょ? それなら狼が懐くなんて信じられないわ」

「まあ、俺達の出会いは特殊だったからなあ。ヘルメスと初めて会った時、ヘルメスは怪我をしていたんだ。近くにに人の死体があったからヘルメスとその人は戦ったんだと思う。それでヘルメスが生き残った。怪我をしてたから俺が治療したんだ。そうしたら懐いてた」

 「変なの。普通、人間を襲った狼がいたら逃げるか戦わない?」

そう言われてエリックは当時の事を思い返す。

 前足をナイフで切られ、あふれ出る血を舐め続けていたヘルメス。エリックを見付けた時、ヘルメスは諦めた目をしていた。少なくともエリックにはそう見えた。ヘルメスは群れではなく、言葉通り一匹狼だった。

 自分の死を悟ったヘルメスは悲しそうだった。一人で寂しく死にたくない。そうエリックは一人で解釈し、気付けば手当をしていた。

 いくら怪我をしているとはいえ、無防備な人間を殺すなんて訳ないはずなのに、ヘルメスはエリックの治療を黙って受けていた。

 その時、寂しくしている一人と一匹は友達に、相棒に、家族になった。

 そうエリックは思っている。きっとヘルメスもそうだろうと勝手に思っていた。

 だが、そんなことをミーナに話すのは何だか恥ずかしいし、ヘルメスの許可も取らず勝手に話すのも悪い。そう心の中で言い訳をしてエリックは、

「きっと俺達は変なんだろうな」

そう答えた。

 「本当に変。でも素敵ね。羨ましいくらいに」

変だと言いつつもミーナは二人を馬鹿にしなかった。

「私もエリックみたいに友達が欲しかったなあ」

沈みつつある太陽を見ながらミーナは寂し気に呟いた。

「友達?」

「うん。恥ずかしいけど、ずっと友達がいなかったの。なんかクラスで浮いちゃっててね。私もそんなクラスメートを友達にしたくない! って強がっていたけど」

見た目以上にしっかりしているミーナは同級生からしたら腫物のようなものだったのかもしれない。話し方にも品があるし、振る舞いもどこか大人っぽい。クマさんパンツだけど。

 子供の頃、大人は遠い存在で近寄りがたい存在だった。理解出来ない、まるで未知の存在は恐怖でもあった。

 ミーナはクラスメートにとって怖い存在だったのかもしれない。

 でも本心は友達が欲しかったとミーナは告白した。

 それならエリックが友達になればいい。一人の寂しさは知っているから、とエリックは思った。

 だが、エリックから友達になろう、という言葉は発せられなかった。

「私が生きている理由は、友達が欲しいからかもしれないわ」

そうミーナが言ったからだ。

 生きている理由が、友達が欲しい。それは生きている理由というより未練のようにエリックは聞こえた。

 未練がなくなったら生きている理由を失い、ミーナは死んでしまうのではないか、とエリックは思ったからだ。

 友達になろう。

 それはミーナを殺す刃になる。エリックはそう思った。

 ミーナの顔に影が落ちて行く。

 太陽が沈み、夜の帳が降りて来た。

 ヘルメスは相変わらずエリックに撫でられ気持ち良さそうにくつろいでいた。だが、日が落ちる前にヘルメスには仕事があった。

 「ヘルメス、悪いが頼むぞ」

声を掛けて頷くと、ヘルメスは了解したと言わんばかりに一度鳴いて、エリックの膝から立ち上がり駆け出した。

 暗くなり良く見えないが、ヘルメスは「わん」と鳴きながら辺りを駆け回っている。

 ヘルメスに促されるまま、羊達はエリックの元へと集まって来た。

「アキレス、ベネディクト、カール、ダニエル、エーミル。よし、みんないるな」

エリックは集まった来た羊達の名を呼んで確認した。

 羊達がエリックを囲むようにして座る。ヘルメスも再びエリックの膝へと帰って来た。

 エリックの家族が集まると、ただそれだけで暖を取れる。家族の温もりがエリックを温める。

 「さっき羊達の名前を呼んでいたけど、エリックってどの羊がどの子って分かるの?」

「これでも羊飼いだからな、顔を見るだけで誰か分かるさ」

「すごーい!」

ミーナは年相応にはしゃいでいた。感情が溢れる時には見た目通りの精神年齢に戻るみたいだ。

 素直に驚くミーナを見て笑いを抑えられなくなり、エリックは噴き出してしまった。

「な、なによ。世間知らずって思っているの? しょうがないじゃない!羊飼いなんて見たの初めてなんだから!」

顔赤くして恥ずかしそうにミーナは怒っていた。腕を組んでそっぽを向いていた。

「いやいや違うんだ。本当は羊の顔を見て誰が誰なんて分からないんだ」

「で、でも、さっきは指さして名前を呼んでたじゃない」

「それは顔を見てたんじゃなくて毛の長さを見ていたんだ」

「毛の長さ?」

 エリックの言葉を疑いながらも、ミーナは塀を下りて羊達を観察する。

「あ! この子達、微妙に毛の長さが違うわ!」

「その通り。コートの綿を変えたりするのに羊の毛を刈るんだ。だけど、全部刈ってしまったら羊達は凍えてしまう。だから少しずつローテーションして毛を刈るんだ」

「頭良いのね! あれ、でも毛の長さを覚えてるなら、それって羊の顔を覚えるのとあまり変わらないような気がするわ」

また自分を騙したのか? とミーナは訝しんでいた。

 「もう一つからくりがあるんだ。アキレス、ベネディクト、カール、ダニエル、エーミル。羊達の名前なんだけど、何か気付かないか?」

「名前のからくり? うーん」

 ミーナは顎に手を当て、その場をぐるぐると歩き考えていた。顎に手を当てて考えるのはミーナの癖のようだった。

 「分かったわ! 羊達の名前の頭文字がアルファベットになっているのね!」

「おおー正解。アルファベット順に毛を刈るんだ。最近毛を刈ったのがカール。ということは?」

「えーと、この子がカールね。じゃあ、この子がダニエル。エーミル、アキレス、ベネディクト?」

ミーナは羊達を指さしながら名前を呼ぶ。

「そうそう。これでミーナも今日から羊飼いだな」

「ふふ、ありがとう」

エリックが褒めると、ミーナは嬉しそうにはにかんだ。

 「でもアルファベット順なんて少し冷たいわ」

「ん?」

「なんだか機械的じゃない。ヘルメスの同じく機械的に名付けたの?」

「いや、ヘルメスは特別だ。俺の中でヘルメスは意味のある名前だよ」

「羊達も同じ家族なのに差別するのね」

「差別しているんじゃなくて区別しているんだ」

 ミーナにはどちらも同じように感じた。羊飼いという職を良く知らないのだろう。

 エリックが『牧羊犬』と『羊』を区別するのには理由がある。

「『牧羊犬』は羊飼いにとって相棒なんだ。家族と呼んでも良い。でも『羊』はそうじゃない。家族にはなれないんだ」

「どうして?」

「羊飼いはどんな状況でも『牧羊犬』を食べたりしない。だけど『羊』は毛を刈るためだけじゃなく、それと同時に『食料』でもあるんだ」

「そんな。一緒に旅をしている仲間でしょう?」

「そんな優しい関係じゃない。羊飼いが羊を守り餌をやるのは食料とするためだ。あくまで羊は『家畜』なんだよ。酷いと思うか?」

「思わない、思わないけど。なんだか寂しいわ」

「そう思わないために、あくまで家畜なんだと意識するために機械的に接するんだ。情がわいたら俺は羊を『食料』に出来なくなってしまう」

「そう、そうよね。知りもしないで偉そうなこと言ってごめんなさい」

「気にしないでくれ。ミーナは優しいからそう思うんだよ」

「そんなこと……。」

「……」

 二人の間に沈黙が流れた。

 エリックは黙ってヘルメスを撫で続け、ミーナは空を見上げた。

 夜空に星が一つ。まるで自分のようだ、とミーナは思った。

 真っ暗闇に一人。

 視線をエリックに移すと、いつの間にかエリックはヘルメスを出して横になっていた。

 「私もヘルメスになりたいな」

そう一人呟いた。

 エリックはミーナの独り言を落ち行く意識の中聞き、眠りへと落ちて行った。

 「…リク。エリック! エリックってば!!」

エリックは自分の名を呼ぶ声で目を覚ました。まだボーっとする頭のまま体を起こし、声の主へと目をやった。

「ミーナか? そんな慌ててどうした?」

エリックを起こしたのはミーナだった。ミーナの顔を見て昨日ことを思い出し、少し気まずいな、とエリックは思った。

 しかし、ミーナはそんなことはお構いなしで声を荒げていた。

「羊が大変なの! 何か様子がおかしくて」

ミーナの言葉を聞き、気まずい気持ちや眠気が吹き飛んだ。

 陽はまだ上っておらず、辺りはまだ暗い。エリックは目を細め、自分の周りに眠っているであろう羊達を順番に見て行く。

 「アキレスは大丈夫。ベネディクト、カールも良く眠っているな。エーミルは……エーミル?」

他の羊達は今もぐっすりと眠っている。だが一匹だけ荒い呼吸のまま眠れずに起きている羊がいた。

 エーミルだ。エーミルの様子がおかしい。昨日の夜はまだ元気そうだったのに……。

 そうエリックが思いながらエーミルへと近づいて身体を確かめる。

 「この暗さで良く毛の長さが見えるわね」

「ん? あ、ああ。慣れてるからな」

ミーナが関心したように声を掛けて来たが、エリックは曖昧に返事を返した。

 エリックもこの暗さでは毛の長さなんて見えない。エリックが見たのは微かに見える顔や体の大きさ、雰囲気などである。昨日は顔を見ただけでは誰が誰かなんて分からないと言ったエリックだったが、本当はパッと見ただけで分かるのだ。

 あえて分からないと口にしたのは、エリックの中での線引きだった。自分は毛の長さでしか羊達を見ていない。名前だって機械的に付けている、ということで深入りしないようにと自分をセーブしている。

 だけど今はそんなことを気にしている場合じゃない。エーミルの身体を頭から順に撫でるように優しく確かめて行く。エリックに撫でられて少し気持ちが落ち着いたのか、怯える気配は無くなったが、エーミルはまだ喘ぐように呼吸を繰り返していた。

 頭、体と順に撫でて行くが異常は見付けられない。これは足か内臓か? 内臓に異常が出た場合、羊飼いといえど出来ることは少ない。体の内側を確かめることは出来ないのだから。

 心配そうに両方の前脚に触れていると、エリックのズボンが濡れて行くのに気付いた。膝をついている周辺に水たまりのような物が出来ている。それを確かめるようにエリックは水たまりに手を付けた。少し粘り気のある液体だった。

 匂いを確かめるため、濡れた手を鼻の近くまで寄せた。

 「うっ」

それは嗅ぎ慣れたとはいえ、まだ慣れぬ鉄の匂い。

「血だ……」

 血抜きをしている『食料』は離れた場所にあるため、ここまで血が流れて来るとは考えずらい。そんなことは分かっていたが、エリックはそうであって欲しいと願った。

 だが、その願いは叶わなかった。エリックがエーミルの左後足に触れた時、ぬめりを感じた。それと同時にエーミルは苦しそうに声をあげた。

 「ご、ごめん。エーミル、大丈夫か?」

痛い思いをさせてしまったエーミルに謝りながら、もう一度慎重に足に触れて行く。するとエリックはエーミルの足の異変に気付いた。ガラスのようなものがエーミルの足に刺さっていた。

 羊が足を怪我したりすること自体は珍しくない。重傷でなければ止血など、適切に処置することで大事にはならない。

 だが、今回は『大事』になってしまった。エリックのズボンを濡らす程の出血は、エーミルの生命に危機をもたらしていた。

 普段のエリックなら羊達の異変に気付かない訳がない。今までのエリックがそんなミスを犯したことは一度も無かった。

 そんなエリックがミスを犯したのはミーナの存在だ。年の近い人間と話したのは本当に久しぶりだったし、ミーナが幽霊ということでエリックの意識がミーナに集中してしまっていたのだろう。それはミーナの所為ではない。間違いなくエリックの責任だ。

 その事実がエリックを苦しめる。

「ごめんよ、ごめんな」

 エリックは悟っていた。エーミルはもう自分では助けられないと。

 そんなエリックに出来ることはエーミルの側にいて、見送ってやることだけだった。

 ちゃんと自分が見ていればこんなことにはならなかった。そう自分を責めるエリックの瞳から涙が溢れ出ていた。

 「エリック……」

そんなエリックを心配そうにミーナは見ていた。自分は羊飼いだから、羊は家族ではないと言っていたエリックだったが、こんなに悲しい顔を浮かべている人間が羊を大切に思っていない訳がない。

 ミーナは自分が幽霊であることを悔やんだ。幽霊である自分はエリックを慰めることも出来ない。

 そう思ったミーナは思った。例え幽霊ではなく普通の人間だったとしても、エリックを慰めることが自分には出来るのかと。『審判の日』が起きる前も友達がいない。エリックのように家族を愛せていたか自信もない。

 ミーナが自己嫌悪に陥りつつある時、エーミルは横に倒れてしまった。もう座っている力も残されていないのだろう。そんなエーミルを血だらけになることをいとわず、エリックは背中から抱きしめる。

 エーミルの異常を感じたのか、ヘルメスと残りの羊達は、そんな二人を囲むように集まっていた。

 皆でエーミルを看取り、最後の瞬間まで寂しくないようにと……。

 そんな光景をミーナは見つめていた。私なんかが慰めなくてもエリックには家族がいる。私がその輪に入ることは邪魔にしかならない。そう思ったミーナは静かに『エリック家』を見守っていた。

 きっと私が幽霊なんて存在でここにいるのは孤独な自分を誰かに救って欲しいからかもしれないわね。そうミーナは悲し気に思った。エリック達の家族の絆、愛情がミーナの孤独を色濃くしていた。

 朝日が顔を出した頃。太陽が迎えに来たように、エーミルは家族に見送られ旅立った。


 エリックはエーミルを見送ると緊張の糸が切れたのか、心労が溜まったのか再び眠ってしまった。

 そんなエリックを慰めるように『家族達』エリックの側から離れなかった。

 陽も高くなった頃、エリックは眩しさで目を覚ました。昼まで寝てたなんていつ以来だろうか。体を起こすと家族はエリックの側から離れて行った。

 「側にいてくれてたんだな」

家族の温もりを感じ、改めて一人じゃないことに感謝する。自分一人だったら、ずっと落ち込みダメになっていたかもしれない。でも俺がしっかりしないと。俺は羊飼いだからな。そうエリックは思い、リュックからハサミとナイフを取り出す。

 エリックの行動に気が付いたミーナが慌てて声を掛ける。

「ちょ、ちょっと。何をする気?」

「見て分からないか? これからエーミルを解体して『食料』と『羊毛』に分けるんだ」

「な、なんてことするの! エーミルはエリックの家族じゃないの?」

「……だから言っただろ? 俺は羊飼いで、羊達は家族じゃないって」

そう口にするエリックの瞳には強い意志があった。

「嘘よ! だって泣いてたじゃない!」

「……」

「家族が亡くなったら弔うものでしょ?」

ミーナに責められ、エリックは思う。羊飼いという言葉に自分は縛られているだけじゃないか? ミーナの言う通り、羊達はエリックにとって家族同然であり、ヘルメスとも違いはない。ただ『羊飼い』と『牧羊犬』、そして飼われている『羊』という役割の違いだけ。

 ミーナの言っていることは綺麗事だとエリックは分かっている。そんな言葉で揺らぐような決意で羊飼いをしていない。

 だけどエリックは揺れていた。自分が『家族』を食べる資格があるのかと。

 自分の不注意で死なせてしまったエーミル。五匹の中で二番目に若いエーミル。

 自分が本物の羊飼いじゃない。そんなことは言い訳にはならない……。

 手を止めて悩むエリックをヘルメスが背中を押した。エリックは驚きヘルメスを見る。

 ヘルメスは力強くエリックを見ていた。その目はやることをやれ、と言っているようにエリックには見えた。

 そんなヘルメスを見て、エリックは初めて人間を『食料』にした日を思いだしていた。

 エリックとヘルメスが出会った日。怪我したヘルメスを介抱し、ヘルメスが仕留め人間を食べた日のことを。

 そしてエリックは思った。もし自分が死んだ時、ヘルメスは自分を食べるだろうか。一緒にいるのは自分をいつか食べるためじゃないか、と。それは羊飼いである自分が、いつか羊といることと変わらない。それなのに、エリックは悲しくなった。きっとヘルメスは自分を食べる。生きるために必要なことだから。

 そう思うと家族と言っている自分が虚しくなった。機械的とはまでは言わないが、自分たちの関係はビジネスライクのようなもの。

 『羊飼い』はいつか『羊』を食べるため。

 『牧羊犬』は『羊飼い』から餌をもらうため。

 『羊』は『牧羊犬』に身を守ってもらい、『羊飼い』に餌をもらうため。

 そんな表的な付き合いなのか?

 自分は確かにヘルメス達に『家族』に対する愛情を抱いていると思っている。だけど、エーミルが死んだ直後から割り切れてしまう自分の感情は偽りではないか。

 「ワンッ」

迷うエリックにヘルメスは声を上げる。ヘルメスは少し怒っているようだった。

「駄目よ、エリック!」

ヘルメスの言葉が分かるのか、それを止めようとするミーナ。

 「そうだよな」

「エリック」

エリックの言葉にミーナは安心したように表情を緩ませた。だが、エリックの決意はミーナの意図に反するものだった。

 「俺は『羊飼い』として生きている。『羊飼い』は『羊』に生かされているんだ。ここでエーミルを食べなかったら、天国のエーミルに怒られちまう」

そう言ってエリックは優しく笑った。

 「ワンッ」

そうだと言わんばかりにヘルメスは吠える。

 「どうしてそうなるの? あんなに泣く程大切な家族が亡くなったのよ?」

ミーナは信じられないと怒りエリックを責める。

「俺達家族は覚悟して一緒にいるんだ。自分が死ぬその時、家族に食べられることを」

「そんなのエリックが勝手に思っているだけでしょ? 羊達が可哀想よ」

「確かに俺が勝手に思っているだけかもしれない。でもやっと分かったんだ。俺が俺達が生きている理由が」

「理由?」

「俺達は誰かを生かす為に生きているんだ。俺はヘルメス達家族がいるから、こんな世界でも生きていようと思える。自分が死ぬときはヘルメス達を生かす為に自分を食って欲しいと思う。ああ、でもアキレス達は草食だから駄目か」

エリックはおどけて言う。ヘルメスは自分を食べるのかという不安は、ヘルメスには自分を食べて生きて欲しいという願いへと変わった。一日でも長く生きて欲しい。そうエリックは強く思う。

 「そんなのって……」

「まともじゃない? 俺もそう思うよ。だけど俺はこれで良いと思う。ヘルメス達が一日でも長生きしてくれたら俺は嬉しい」

「……」

 エリックが辿り着いた結論は無償の愛。側にいることの幸せ。誰かの為になれる幸せ。

 それは自己犠牲かもしれない。自分勝手な考えかもしれないが、この世界で生きる意味をエリックは見付けられた気がした。俺達の愛情、絆はこれで良いとエリックは思えた。

 ――もう迷いは無い。

 エリックはエーミルに手を掛け、そして『食料』へと変えた。

 エーミルの愛情を感じながら。

 エーミルからの愛を受けて、エリックとヘルメスは眠った。

 そんな二人を複雑な表情でミーナは見ていた。

 エリックは誰かのために生きる。生きる理由はそれで良いと言っていた。確かに生きるということは自分一人では難しい。どんなに些細な事であっても誰かと関わって生きている。関わる相手が大切な人なら、その人に少しでも生きて欲しい、という気持ちはミーナにも理解出来た。

 理解は出来ても感情が追いつかない。生理的嫌悪が先に出てしまう。

 ――そして、それは理解してはいけない。

 ミーナは幽霊になる前ですら出来るだけ一人でいた。誰にも関わらず、誰かのためにもならない人生だった。

 幽霊になってから生きることの理由に気付いたとしても、もう誰かのために何かをしてあげられない。

 実態もなく、触れることも出来ない。

「幽霊になる前から私は死んでいたのかもしれないわね」

そう一人言ちて、ミーナは悲し気に笑う。

 誰かのためにならないなら死んでいる。そういう意味ではない。だけど、ミーナが幽霊になる前から感じていた孤独や生きる意味が見付からないのは、きっと一人だったから。

 ミーナは膝を抱えて頭を伏せる。誰かのためになれるのなら、私は生きているの?

 「友達がいたら私も……」

小さく呟き、ミーナはそのまま静かになった。



 翌朝。エリックは目を覚ますとミーナを探した。今日も同じように塀の上に座っている。

 「おはよう」

エリックが起きたことに気が付いたミーナは声をかける。

「ああ、おはよう。もう起きてたのか」

「ううん、寝てないの。幽霊になってからは眠れなくて」

「そう、なのか」

力なく笑うミーナを見ていると、エリックは悲しくなってしまった。

 ミーナは幽霊なのでお腹も空かない。エリックの考える、食べることの愛情を受けられない。

 眠れない夜はミーナを更に孤独にするだろう。

 自分より幼い少女が背負うには重すぎる、とエリックは考えた。

 「俺達、友達になろうぜ」

だからエリックは自然とその言葉を口にしていた。

「友達?」

ミーナは再び頭を伏せる。そこには深い悲しみを感じる。

「そう、友達。こんなに喋ったんだ。そんなの、もう友達だろ?」

「そうかもしれないわね」

ミーナは頭を伏せたまま答える。ミーナはエリックの同情に気付いているのだろう。それが嫌だとか、そういう気持ちなかった。だけどもミーナには何も出来ない。それが酷く悲しかった。

「今日にはもうこの町を出ようと思うんだ。だからミーナ、俺達と一緒に行こう」

ミーナの態度に負けないようにエリックは言葉を続ける。悲しみから救い出すには強引にでも連れ出さないと駄目なんだ。そうエリックは思った。

 「ありがとう。でも行けない」

「ど、どうして? 俺達みたいのは、やっぱり気持ち悪いか?」

それならそれで良い。こんな世界で生きるために得た価値観は誰にでも受け入れられるものじゃない。悲しいが、その気持ち分かる。『審判の日』さえ来なければエリックも、こんな考えを持たなかっただろう。

 こんな世界でも絶望せず、生きていけるように、自分の中で見付けた心の拠り所。それは自分だけ、いや家族だけが理解してくれるなら、エリックは満足だった。

 「私はエリック達の輪には入れない。それに、そもそも無理なのよ。私、幽霊は幽霊でも地縛霊。この私が育った家から離れることは出来ないのよ」

ミーナは後ろを振り返り、崩れかけの家を見つめた。

 ただのお気に入りかとエリックは思っていたが、そこはミーナの家だった。

 この町は羊達の餌が少ない。長いすればするほど羊達は空腹になる。それはもちろんエリックとヘルメスも同じ。

 長居することはデメリットでしかないのだ。

 出会ったばかりのミーナと家族であれば、もちろん家族を優先する。

 だけど、それでも何かしてあげられないだろうか、とエリックは思う。自分はヘルメスという相棒と出会い、孤独を埋められた。羊達もいるが、意思疎通が出来る相棒にはどうしても勝てない。エリックにとってヘルメスは世界で一番の相棒で、世界で一番大切な存在。

 そんな存在に出会えて、エリックは本当に幸運だった。ヘルメスもそうだと信じている。

 だけども生きている頃からの孤独を今も引きずっているミーナが可哀想だった。

「私は行けない。だけど一つだけお願いがあるの」

エリックが言葉につまっているとミーナは静かに口を開いた。

「ああ。俺に出来ることなら何でも言ってくれ」

 明日にはこの町を出る。それは変えられない。だからせめて願いを聞いてあげようと思い、エリックは即答した。

 「いいの? まだ何も言ってないけど」

「うん。だって俺達は友達、だろ?」

そう言ってエリックはミーナに微笑む。

「ふふ、友達。友達ね。じゃあ友達に最初で最後のわがまま言っちゃおうかな」

 ミーナの心に小さな光が宿る。ほんの小さな光だけど、それでも暖かい。それはエリックの情だった。それが愛情なのか、友情なのか、同情なのか。ミーナには分からなかったけど、そんなのどうでも良かった。

 自分を見て来れる人がいる。ミーナはそれだけで十分だった。

 「私の『愛』を貰ってくれる?」

「ミーナの愛……?」

エリックはミーナの意図が見えなかった。混乱するエリックにはミーナは続ける。

「そう。ついて来て」

「あ、ああ」

エリックが考える間もなく、ミーナは崩れかけの家に入って行く。

 見失わないようにエリックも慌ててミーナの後を行く。足を踏む外さないように、壊れかけの家を崩さないように慎重にミーナを追う。

 家の玄関から上がり、すぐ目の前の階段横の廊下を歩く。しばらくミーナに付いて行くと、『ミーナ』と書かれた札が掛けられているドアが見えた。そこでミーナは立ち止まった。

 「ここがミーナの部屋か?」

「うん。きっとここに『私』がいると思う。怖くて一度も見れてない」

「それを一緒に確かめて欲しいってことか?」

「ううん、違うわ。私は『愛』を受け取って欲しいだけ」

そう言うとミーナは中に入るようにエリックを促した。促されるままエリックはドアを慎重に開けて中へと入る。

 そこにはベッドで眠る『ミーナ』がいた。

 綺麗な姿のまま『ミーナ』はそこにいた。

 「良かった。腐ってたり、骨になっていたらどうしようって思ってた」

自分の姿を見てミーナは安心した表情を浮かべた。日当たりが悪い事、季節がら気温が低いことが幸いして、『ミーナ』は綺麗なまま眠っていた。もしかしたら『審判の日』によって腐食させる菌などが死んでしまったのかもしれない。

 本当の理由は分からない二人だったが、そんなことはどうでも良かった。特にミーナにはどうでも良かった。ただ、綺麗なままで良かった、と。

 「エリックの言うこと、全部が納得出来た訳じゃない。食べるとか、それが愛情なのか、とか今でも悩んでる。でもエリックには生きて欲しいと思う。死んでしまった私の分まで」

 ミーナは初めて自分が死んでいると明言した。死んでいると認めることで先へと進める。

 ――私もこれで成仏出来るかな。そうミーナは思った。

 「生きて。私の分まで」

「……」

エリックにはミーナの言っていることが分かっていた。ミーナは自分の身体を食べて欲しい。そう言っているのだ。

 今までも人間を食べ来た。でもそれは自分に害をなした人間だった。ミーナのような友達を食べたことは一度もなかった。

 エリックは迷っていた。自分なんかが食べていいのか、と……。

 「私が誰かのためになれるのって幽霊になる前から一度もなかった。でもエリックに出会って、そんな機会が訪れた。私にも生きていた理由をちょうだい?」

エリックに抵抗はあった。でもミーナがここまで言っている。一人じゃないんだと示してあげないと。それはエリックにしか出来ないことだった。

「分かった」

 だからエリックはそう力強く答えた。


 エリックは『ミーナ』をお姫様抱っこで連れ出した。

 「恥ずかしいから、私は向こう見てる。終わったら教えてね」

ミーナはエリックに背を向けた。そして自分の家をゆっくりと見つめていた。

 エリックは頷き答えると、リュックからナイフを取り出す。羊達を解体するのに使った特別なナイフ。エリックの中で、このナイフは神聖なものだった。このナイフで解体することがエリックにとっての弔いだった。

 無言で『ミーナ』を『食材』へと変えていく。エリックは心配になってミーナを見るが、痛みとか無さそうでホッとした。ミーナの身体だからもしかしたら、と心配したが杞憂に終わった。

 解体を終え、痛まないうちにエリックとヘルメスは食べて行く。これが明日への糧となる。ミーナから命をいただく。

 食べ終え、ミーナに声をかけようとしたが塀の上に姿は無かった。立ち上がり辺りを探すがどこにも見当たらない。 家の中か? と思い、ミーナの自宅に近付いた時だった。

 ミシっという音がしたかと思うと、壁のヒビが大きくなった。それをきっかけにしてミーナの自宅は横に滑るようにして倒壊した。砂埃が舞い、ミーナの自宅は周りの瓦礫と同じになった。

 「ヘルメス知ってるか? 家ってのは家族を守る存在なんだ」

骨を手で押さえながらヘルメスはエリックを見つめた。エリックはヘルメスから崩れた家へと視線を移す。

「きっとこの家がミーナの身体を守っていたんだろうな。その役目を終えたってことなんだろうな」

 強い風が一度吹くと、舞っていた砂埃達を空へと連れて行った。

 その風をエリックは見守った。

 「エーミルによろしく言っておいてくれ」

小さな友達を乗せた風をエリックは静かに見送った。


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