第7話:制服と車椅子
「あ、おかえりー!」
夕方前にギルドに戻ると、暇そうに椅子に腰掛けていたアイラが迎えてくれた。立ち上がる彼女の動きに合わせて、オレンジ色の髪がふわりと揺れる。
「コーヒー淹れるね! アイスの方がいいかな?」
「そうね、アイスでお願い」
そう言って席についたアリスの言葉を受けて、アイラはパタパタとカウンターへ向かっていった。大きな冷蔵庫からアイスコーヒーの入ったボトルを出し、氷の入ったグラスに注いでいく。
「任務、どうだった?」
「お強うございましたが、やはりこれだけの人数ですと、難しくはありませんね」
フィリスは、カウンターの向こうからの声に答えながら、アリスの隣に座った。残りのメンバーも、続々と適当な椅子に腰掛けていく。
「ま、あたしにかかればなんてことは無いわね」
「ふふ、エマったら頼もしいな」
コーヒーを注ぎ終え、運びに来たアイラが得意気なエマの前にアイスコーヒーを置いて、ミルクとシロップを添えた。エマはまんざらでも無い様子で、出されたコーヒーにそれらをたっぷりと入れていく。
アイラは一通り配膳を終えると、自分もアイスコーヒーを持って、先程まで座っていた席についた。
「レニーくんは? 初任務だったと思うけど、どうだった?」
「えーと……ドラゴンなんてお伽話でしか知らないようなものが見れて凄かったけど……この人たちの方がよっぽど怪物だったような……」
レニーの言葉に、その怪物たちは表情を和ませた。フィリスでさえも、柔和な笑みを浮かべている。
「本人たちを前にして、ずいぶん言ってくれるのね」
そう言ったエマも、言葉の割には和やかな表情だ。その向かいに座るアリスも、呵呵と笑っている。
「ま、違いないかもね。ここにいるメンバーたちは、皆そんなもんよ」
「いや本当びっくりだよ……魔法を見せてもらった時も相当驚いたけど、さっきの能力だっけ? あれにはもっとびっくりした」
「そっか、そういえば帰りがけに春界出身だって言ってたわよね」
エマはすっかり甘くなったカフェオレを飲みながら納得したように頷いた。
しばらくそうして話していると、二階から誰かが降りてくる足音が聞こえた。アイラが目をやると、白衣を着た青年が降りてくるところだった。
「あ、ハカセ。解析終わったの?」
アイラが聞くと、ハカセは眼鏡を外して眠たげに目をこすりながら答えた。
「あぁ、なんとか終わったよ。僕にもアイスコーヒーくれるかい?」
「はーい!」
アイラがカウンターへ向かうのと入れ違うように、白衣の青年はアリスたちのいる机に近寄り、手頃な椅子を手繰り寄せて席についた。
「……今度は何の解析?」
「ああ。この前、君たちがレニーを回収してきた時に、妙な大男の襲撃を受けたと言ってただろう。君たちが教えてくれた座標を元に、送渦の魔法痕を調べて、転送先を割り出したんだ」
ハカセは眼鏡を拭きながらアーロンの問いに答えた。
「すごい……! そんなこともできるんだ……!」
「まぁ、大まかにしか分からなかったけどね。送渦の作りが甘かったみたいで、魔法痕が多く残ってたから、一晩も経っている割にはやりやすかった」
ルイが心底感動した様子で言うと、ハカセは少し照れ隠しをするように、わざとあっさり言い切った。
すっかり置いてけぼりになったレニーがぼんやりと聞いていると、気づいたハカセがレニーに向けて解説を始める。やはり少し上機嫌らしい。
「魔法というのは、使うとその場に残り香のように痕跡を残すんだ。僕たちはそれを魔法痕と呼ぶ。魔法の扱いが上手ければ魔法痕を少なくすることも出来るが、基本的に完全に無くすことは出来ない」
「なるほど。えっと、ハカセさんはそれを解析したってことですね?」
やや緊張気味に話すレニーを見て、ハカセは初めてレニーに笑顔を見せた。
「ふふ……アリスやアーロンのように気軽に話してくれて構わないよ。気にしないから」
「あ、ありがとう」
生真面目に研究に取り組む普段のハカセの様子と打って変わって案外温和な態度に、レニーは少し表情の緊張を解いた。
「それで、僕たちのように魔法を使い慣れている人なら、その魔法痕から大体どんな魔法が使われたかが分かる。ちょうどキッチンに漂う匂いで何の料理が作られたか分かる感覚に似ている」
できるだけ噛み砕いた言葉で説明するハカセのもとに、アイラがアイスコーヒーのグラスを届けに来た。ちゃっかりお茶請けの焼き菓子まで持ってきている。
程よく冷えたコーヒーをひと口啜って、ハカセは言葉を続けた。
「だが、時間が経つほど魔法痕は薄れていくし、いくら解析に長けていても、何の道具もなければ、得られる情報はたかが知れている」
「ということは、ハカセ……くんは何らかの道具を使って、その送渦の解析をしてたってこと?」
「物分かりが良いね、そういうことだよ。襲撃者がどこから転移してきたのか、大体の目安がついた」
「……で、大体どのあたり?」
アイラが持ってきたマドレーヌのような焼き菓子を頬張りながら、アーロンが言った。
「ここから北北東に行くと、アクスウェル坑道っていう坑道がある。かつては魔鉄鉱などを採取していたんだけど、今は廃坑している。解析結果と照らし合わせた結果、奴はその廃坑道をアジトにしてる可能性が高いだろう」
「……なるほど。少し遠いけど、一応偵察しておいた方がいいのかな」
「アクスウェルに用事かい?」
突然話に加わってきた穏やかな声は、窓際の方から聞こえてきた。一同が窓際の席に視線を向けると、そこには車椅子に乗った男性と、学生服を着た女の子がいた。
「あら、セオ。聞いてたの?」
「ちょうど読み終えたところでね」
セオと呼ばれた男性は、手に持っている本を机に置いた。
車椅子に乗った白髪の青年は、その華奢で色白な腕や、中性的で優しい顔立ちからか、どことなく儚い気配がする。
彼は、慣れたように車椅子を操り、アーロンの隣に移動してきた。
「僕も明日アクスウェルに用事があるんだ。鉱山のあたりで採取任務の予定で、リカも来てくれる」
セオはそう言って、先程までいた窓際の席に目を向けた。制服の少女は、春界で言うところの、スマホのような携帯端末をいじっている。自分が注目されていることに気づいた彼女は、つけていたイヤホンを外しながらセオの後ろに来た。
「なに? なんか用?」
リカはぶっきらぼうに答えた。茶色のショートヘアや器用に着崩した制服のかわいらしいイメージと裏腹に、やや吊り気味の目や無愛想な表情は、良く言えばキリリとしているが、悪く言えばキツい印象だ。
「明日の採取。アリスとアーロンも来るかもって話」
「はぁ? なんであんたらも来る訳?」
「近くに用があるんだってさ」
「まあ、大人数の方が楽しくていいじゃない」
少し不機嫌そうに文句を言ったリカを、セオとアイラが宥めた。邪険な物言いをするリカに、レニーは何となくオロオロしてしまったが、見回せばハカセやエマは何事も無かったかのようにコーヒーを飲んでいた。
それに気づいたアイラが、レニーに寄って耳打ちをした。
「リカはいつもこんな感じだから大丈夫。ちょっと素直じゃないけど、優しくていい子なの」
「なるほど……」
ツンデレみたいなものだろうか、と思ったレニーだったが、それを言うと話がこじれる気がしたので口には出さないことにした。
「フィリスとエマルイとハカセは? あんたらは来ないの?」
「わたくしは明日、別の用事がありますので」
「あたしたちもパス」
「僕も疲れたから明日はパスだな」
「ってことは、私とアーロンとセオとリカの4人ね……採取と偵察ならちょうどいいかしら」
アリスがそう言うと、セオが不思議そうな顔をした。
「そこの彼はいいのかい?」
「レニーはダメよ。魔法使えないもん」
「……訳ありでギルドに滞在してる春界からのゲスト」
「そうだったのか」
エマとアーロンの返答に、セオは納得したように大きく頷いた。
「挨拶が遅れてごめん。僕はセオ・ミレット。セオって呼んでくれて構わないよ。よろしくね」
「リカ・オレンジ。よろしく」
「あ、レニー・トゥメイです。よろしくお願いします」
段々新しい人に出会うことに慣れてきたレニーが彼らに簡単に自己紹介をすると、側で退屈そうにしていたエマが小さく呟いた。
「リカって本当に無愛想ね……そんなんだから彼氏が出来ないんじゃない?」
その小さな失言を受けて、リカはピクリとこめかみを震わせた。
「聞こえてるんですけど」
キッとエマを睨めつけて、ドスの効いた声で威圧したリカの迫力はなかなかの物であったが、エマにはまるで効いていない。
「あらぁ、ごめんあそばせぇ」
「こんのマセガキ……っ!」
エマの安い挑発に、リカは簡単に乗ってしまう。見ればセオやアーロンは、その様子をやれやれといった表情で眺めていた。
「今日という今日は懲らしめてやるんだから!」
「上等よ! 返り討ちにしてあげる!」
二人は啀み合いながら、部屋にある大きな扉へ向かって行った。看板によれば、あの扉の先は練習場のはずだ。
「ほんと、仲良しね」
嵐のように去っていった彼女たちの背を見送りながら、アリスが呟いた。
「仲良し……なの?」
「リカは一人っ子だからね。きっとエマが妹みたいにかわいいのよ」
「妹みたいに……ねぇ」
レニーは練習場の方を見やった。大きな扉の向こうからは、時折怒号や爆音が漏れてくる。
「大丈夫、そのうちお腹を空かせて帰ってくるわ」
アリスのその言葉の通り、息を切らせた彼女たちが、扉を開けるなり声を揃えて夕飯を催促したのは、その数時間後であったとさ。