第16話:嵐の前の賑やかさ
「あぁ……緊張したぁ……」
ヴィオラを見送ってギルドに戻ってきた瞬間、アイラがぐったりと壁にもたれた。先ほどまではキュッと引き締めていた表情が、一気に弛緩してだらしないものになっている。
そんな看板娘の様子につられて、メンバーの顔つきもそれぞれ和らぐ。自覚的ではないだろうが、彼女の気分はどことなくギルド全体の雰囲気を引っ張るところがあるようだ。
「お疲れ様、アイラ。お茶ここ置くわよ」
「ありがとー」
アリスがアイラのすぐ近くにあった机に湯呑みを置いてやると、看板娘はゆるゆると席について湯気の立つお茶を啜った。
「あぁー……沁み渡りますなぁ……」
「なぁに年寄りみたいなこと言いよん。今日はわしらが夕飯作るけぇ、アイラはゆっくりしとき」
「ほじゃ、お言葉に甘えて……」
猫背に座っていたアイラは、そのまま机に伏した。彼女のウェーブのかかったオレンジ色の髪が、木製の質素な机に広がる。
「アリスも料理するの?」
「出来なくはないけど……アーロンとシンディがいれば私の出る幕はないわ」
レニーの質問に答えたアリスがキッチンの方を見やった。
そこにはいつの間にかエプロンを装着したアーロンとレニーの見知らぬ女性がいた。
身長は160センチメートルくらいだろうか。肩甲骨のあたりまで伸びる薄紫色の髪は、彼女の手によって今まさにポニーテールにされようとしている。淡い色味の肌に、細めの並行な眉。澄んでいるが大きすぎない目は、目尻がほんの少しだけ下がっている。
三十代くらいであろう彼女は、どことなく水彩画のような淡い雰囲気を纏っていた。
「そういえばレニーは会うの初めてよね。彼女はシンディ・レノン――そこにいるアルフィ・レノンの妻ね」
アリスがレノンの方を顎をしゃくって示した。彼はシャツの袖をたくしあげて、キッチンへ向かっている。彼も夕飯の支度に加わるらしい。
へぇー、と相槌を打つレニーだが、今は本当に知りたいところはそこじゃない。
「でさ、アリス。さっき来てた人って?」
「あー……あの人はね……」
「ヴィオラ・シトロニエ。冬界を収める女神の1人だよ」
珍しく歯切れの悪いアリスに代わって答えたのはセオだ。車椅子をレニーの隣につけた彼は、見上げるような形で話を続ける。
「女神というのは、種の名前なんだ。見た目は近しいが、僕たち人間とは根本的に別の生物だと思ってくれていい」
「え……でも言葉は通じてましたよ?」
「彼女たちの叡智のなせる技さ。冬界を統べる女神や、その補佐をする天使は知能に優れているからね」
「あ、そうそう。その冬界っていうのも分からないんだけど……」
レニーは何となくアリスの方を見て言ってみた。しかし、腰に両手を当てた彼女は柄になく難しい顔をしたままだ。何か話しにくい事情があるのだろうか。
仕方なく再びセオの方を向いて解説を求めると、彼は顎を引いた。
「春界と秋界の話は聞いたのかい?」
「はい、なんとなくは」
「魔法や異能を使う人々の秋界、それらと無縁な春界、そして凶悪な魔物が巣食う夏界……冬界は、それらの世界を管理している」
「管理……?」
ああ、と頷くセオはゆっくりと車椅子を移動させ、手近な机につくと隣の椅子を引いた。
座って話そうということらしい。レニーはそれを察して引かれた椅子に座る。
「例えば秋界の魔法や能力が春界に持ち込まれないようにしたり、夏界の魔物が秋界に入ってこないようにしたり……冬界は世界の秩序を司っているんだ」
「へぇ……大変そうな仕事ですね……」
「だけど、とても大事な仕事さ。さっきみたいな女神や天使の他に、秋界出身の人間の一部も冬界で働いているけど、彼らは秋界ではエリートとして扱われるくらいだからね」
つまるところ、先ほどまでいた彼女たちは秋界の人間からしたらあこがれの的だったのだろう。そうなると、ギルドの前に人だかりが出来ていたのも頷ける。
「あぁ!? 上等じゃん」
レニーが考えを整理していると、物騒な罵声が聞こえてきた。声のする方を見ると、そこには制服を着た女の子と背の低い少女がいる。
――案の定、リカとエマだ。
「やってやるし! 後悔すんなよちびっ子!」
「大した虚勢ね! 叩きのめしてやるわ!」
売り言葉に買い言葉とはまさにこのこと。どちらが吹っかけたのかは分からないが、両者やる気満々のようだ。
周りのメンバーたちは、リカの強い言葉に視線を集めたが、二人の様子を見るなり「なんだ、いつものか」と言わんばかりに興味を失っている。
「え……また練習場で殴り合いでもするの?」
「違ぇよ兄ちゃん。二日連続でしかも帰ったばっかだっつーのにそんな疲れることしないし」
独り言のつもりで呟いた言葉をリカに拾われて、レニーは思わず少しビクリとなる。本人はそんなつもりは無いのだろうが、目つきの悪いリカは軽く視線を向けるだけで睨んでいるようにみえる。
彼女は一拍置いてはっきりと言い切った。
「料理対決だよ」
「……は?」
*
「さぁ始まりました! 緊急企画『blanumakfaのお料理王は誰だ!? 熱血クッキング対決』ぅ! 司会は私、ゆるふわ看板娘ことアイラちゃんです、どうぞよろしく!」
「どうしてこうなった……」
「ちょっとレニーくん! 解説者も盛り上がってくれないと、アイラだけ興奮してるみたいで恥ずかしいんですけど!」
実際そうなのでは、という言葉をレニーは飲み込んだ。
事の発端を聞いてみると、最初に仕掛けたのはエマだったらしい。キッチンに立つシンディを見て、「やっぱり料理くらい上手にこなせないとモテないのかなぁ。ね、リカ」と、あてこすったそうだ。
「……暗にあたしが料理出来ない非モテ女子だって言ってるように聞こえるんですけど」
「そう言ったんだけど、分からなかった? それとも図星すぎて認めたくないのかしら?」
「はぁ? なに、喧嘩売ってんの?」
以下略。
そうして始まった料理対決だったが、面白がった周りの面々も加わって混戦となり、結果として机を寄せて作った大きな食卓には、作り手の違う料理が何種類も置かれている。
「じゃ、アイラとレニーくんが食べて、一番美味しいと思った料理を作った人が優勝ね!」
「皆揃った? じゃあ、せーの」
「いただきます!」
机を囲んだ全員による号令は、食事を始める挨拶ではなく宴を始める合図となった。解き放たれた獣のような各人が好きな皿を取っては食らい、味わって飲み込んでいく。
「ん……! これ美味しい!」
「……それ、自信作」
アーロンが作ったというビーフシチューのような煮込み料理は、コクがあって味わい深い――が、何故か人参が入っていなかった。
「人参……合うと思うんだけどな……」
「アーロン、人参嫌いなんだよ……ってこれは……?」
そう答えたセオが身を乗り出して覗き込む机の中心には、存在感のある謎の麺料理のようなものが置かれていた。焼きそばのように麺と野菜などを炒めた料理であろうが、一目見ただけでゲテモノと分かるそれは、つかむ箸を躊躇わせる。
まずもって色がすごい。何を練りこんだのか分からない麺は青紫色で、具材として加えられた色とりどりのパプリカと相まって毒々しい仕上がりになっている。
「こ、これってまさか……!」
「僕の栄養麺です」
戦慄するルイの肩を、その謎料理の作者……いや、犯人であるハカセが後ろから叩いた。その声でまるでアニメのように固まったルイがゆっくりと振り返ると、ハカセの無邪気な笑顔がすぐそこにある。
「栄養学の観点から完璧に作り上げた僕の栄養麺、沢山召し上がれ」
「い、いやあああああああ」
ルイの断末魔の叫びが響き渡るが、レニーは巻き込まれてはいけないと咄嗟に聞こえないフリをした。
てっきり言い出しっぺの二人のうちどちらかが錬成した闇料理かと思っていた彼だったが、失礼な勘違いだったらしい。
「で、リカとエマのは……」
「これよ! そこの極悪目つきより絶対美味しいはずだから」
「ちょっ……それ気にしてんだから言うんじゃねーよマセガキ! あたしのハンバーグの方が美味いに決まってるっつーの」
完全に料理下手フラグが立っていたように思えたリカとエマは、意外にも無難に綺麗なハンバーグとオムライスを作ってきた。却ってリアクションに困るくらいの女子力を見せつけられたレニーは、料理の腕前は見かけで判断してはいけないと思い知らされる。
一口ずつ食べて顔を上げると、啀み合う二人の視線が審判の方を向いている。どちらの方が美味しいか決めろ、と言わんばかりのその視線が刺さるように降り注ぐ。
適当なことは言えないと察した被害者は、もう一口ずつ食べる前に口直しをしようと、近くに置いてあったスープに口をつけた。
「って、薄ーい!」
「それフィリスの」
「えっ!」
エマの言葉に、レニーはひっくり返りそうな程に驚いた。お嬢様という言葉がそのまま人の形を成したような彼女にそんな一面があったとは……。
何かの間違いだったかもしれないともう一度スープに口をつけるが、やはり薄い。具材のチョイスや切り方、盛り付けの仕方はハイセンスなのでお店の料理のような見た目だが、スープというよりはお湯に近い味わいだ。
「あー、フィリスったら味音痴だからね。大方味見はしたけど味が分からなかったってところね」
そう言って呵呵と笑うアリスは、いつの間にか酒を飲んでいるらしい。
彼女が頬張る炒め物は、彼女が自分でピリ辛に味付けたもので、アルコールと合わせるとたまらないらしい。見た目によらず成人済みだというアイラを含め、何人かの成人メンバーたちは酒盛りを始めている。
その楽しそうな輪の中に混ざろうとするレニーだったが、その両肩をそれぞれ違う手に掴まれて椅子に引き戻される。
「おぉっと、逃げてもらっちゃ困るぜ」
「決めてもらわないといけないから」
声だけで分かる威圧感。哀れレニーはその思惑を見透かされて逃げられない。
「どっちが美味しいのか」
「言ってみろ」
「ひ、ひいいいいいいいいい」
本日二人目の犠牲者の悲鳴だ。
ちなみに一人目は栄養麺をたらふく食べさせられて、既に机に突っ伏している。ではその犯人はというと……。
「……ギブアップだ」
「んふふー! しょーがないなぁ、ハカセったら」
同じく机に突っ伏していた。アイラと飲み比べをして負けたようで、頭の横に投げ出された手の中にはショットグラスがある。彼に勝ったであろうアイラがグラスを置いて介抱してやろうとするが……。
「アイラ、今度はわしが相手じゃ!」
「えぇー、レノン強いのに1戦終えた私じゃ厳しいよー!」
「安心せぇ、わしゃ3戦目じゃ」
ニヤリと笑うレノンが親指を後ろへやると、そこには椅子を二つ使ってスヤスヤと眠るフィリスと、床に転がって寝息を立てるアーロンがいた。
「じゃあ今日こそ勝つぞーっ!」
「ほれ、まずは1杯目……」
レノンが酒瓶を手にすると、アイラがグラスを差し出す。独特の香気を放つ透明な液体が満たされ、今度はアイラがレノンに酌をする。
二人の酔いどれはお互いに向き合って、健闘を祈るように乾杯を――。
「私も混ぜなさいよ」
横から入り込んだしたのはアリスだ。その手には、彼らと同じように酒の満たされたショットグラス。
「ほう。えぇ度胸じゃの」
「後悔させちゃうぞー!」
顔の赤い2人は乱入者を歓迎し、3人は軽い音を立ててグラスを合わせた。
そうして宴は夜が深まるまで続き、その場にいる全員が寝静まった頃には、街の明かりは悉く消え、ただ少し欠けた月だけが漆黒の夜空に煌々と輝いていた。