第14話:貧民街の少女
「……さてと」
リカは立ち上がって呟いた。その下には、先程まで馬乗りになっていたヴィクターの姿がある。文字通りボコボコにされたらしい彼の両頬は赤くなっており、その手と足には手錠や足枷のつもりで描いたらしい何かがそれぞれつけられている。
「セオに言われてるし、アーロンの助けに……」
行くとするか、と続けながら歩き出そうとした彼女だが、その言葉を途中で止めた。ボロボロになったはずのヴィクターが彼女の足を掴んだからだ。
「行かせるか……」
「なっ……足さわんなし」
リカが足を振ると、彼の手は簡単に解かれてしまう。それでも少年はなおリカを引き留めようとする。
「頭領の……ところには……っ行かせない……」
「な、なんだよ……怖ぇよ……」
足首に縋りつこうとする少年の手から、リカは少し後ずさって逃げた。しかし、少年は地を這ってそれを追い、今度は両手で彼女を捉えた。
「どんだけ忠実なんだよお前……」
「……当たり前だ」
唸るように声を出す少年のあまりに真剣な眼差しに、リカは気圧されてしまい、足首を掴む手を振り払う気になれない。
「頭領は……僕らみたいなあぶれ者を拾って……居場所を与えてくれたんだ……」
息も絶え絶えに彼は言葉を紡いだ。
「恩人なんだ……どんなにカッコ悪いことしても……守りたいんだ……」
「……これじゃあたしが悪役みたいじゃん」
リカはため息をついて足を掴まれたままその場に座りこんでしまった。
廃坑の最奥部。そこに剣と剣が交わる音が響き渡っている。ほんの僅かでも集中を欠けば、すぐに決着がついてしまいそうな激闘だ。
アーロンは指先から肘くらいの長さの短めな剣を握り、剣先で牽制してキッカを近づけさせない。対するキッカは両の手にクナイを握り、逆手に持ったそれで剣撃を受け流しながら虎視眈々と攻撃のチャンスを狙っている。
「……ボミアによる魔法書第二章。ラッシュキューブ」
このままでは戦況は悪化する一方になると判断したアーロンは岩魔法を放つが、彼女は軽いモーションで飛び上がり、それらを躱す。アーロンがそこを切りつけようと一歩踏み込むが、キッカはまた空中に着地し、バク宙を繰り出して距離を取る。
「……セクアナによる魔法書第十三章。アズールブレード」
更にその着地際を狙って撃ち出された水の刃が彼女に迫る。しかし、その攻撃は僅かに逸れてしまう。キッカはそれを嘲るかのように、着地点から動かない。
三日月型の刃は空を切り、キッカの金色の髪を揺らして駆け抜けて行った。
「当たらないぞ」
「……」
アーロンは珍しく少しだけ顔を顰め、自身の右腕を見た。切りつけられた時よりはマシになったが、服を赤く濡らす傷は痛々しい。ふとした所作で痛むその傷が、アーロンの魔法の精度を落としていたのだ。
接近戦ではすばしっこい彼女に分があり、クナイの攻撃範囲外での中距離戦闘は決め手に欠く。その上遠距離攻撃はコントロールが上手くできず、彼女の能力もあってほとんど当たらない。
現在の戦況は、彼にとってかなり厳しいものだ。
「……それならば」
アーロンは能力を発動させると、再び剣を作り出す。しかし、先程までのそれとは見た目が大きく異なっている。持ち手につけられた手の甲を覆う曲線型のナックルガード、簡素な装飾が施された鍔、そして刺突に特化したすらりと細長い刀身……。
「随分シャレた剣だな」
「……レイピアだ」
アーロンはそう言って右手に持ったその剣を振るった。1メートルを超えるそのレイピアはスマートな見た目によらず重みもある。
その重さをものともしない様子で彼は剣を構えた。右足を前に出し、肩幅程度に開いて後ろに引かせた左足のつま先を9時の方向に向けた。
「ナメやがって……」
舌打ちをしたキッカは右手にクナイを構え、再び攻撃を仕掛けに行った。迎え撃つようにしてアーロンも剣先を躍らせる。
前に後ろに重心を動かし、間合いを調節しながら振るわれる剣はキッカの動きを牽制し、なかなか彼女を近寄せない。
「トールによる魔法書第二章!」
「……!」
しびれを切らしたキッカはレイピアの切っ先を受け流しながら発声した。魔法を使う瞬間は、一瞬だが決定的な隙だ。
アーロンが驚異的な瞬発力を以て右足を踏み込むと、何かが破裂したかのような音がした。彼はそのまま踵から着地し、膝を曲げることで強烈な突きを放つ。常人であれば反応できないままに脳天を刺し貫かれるような、まさに電光石火の一撃。
しかし、キッカは完全にその動きを見切っていた。彼の必殺の刺突を誘うフェイクの魔法を中断し、踏み込みに合わせて彼女も一気に前進する。
「そんな大振りな攻撃が当たるとでも思ったかよ!」
1メートル半ほどあった間合いが一瞬にして縮まる。
至近距離。突き出した剣はすぐには引いてこれない。逆手持ちのクナイがギラりと光った。
「くたばれっ!」
彼女が振り下ろすクナイが真っ直ぐにアーロンの心臓に――達しなかった。
彼の左手に持たれた何かに弾かれたのだ。
「なっ……左手用短剣!?」
「……残念、外れ」
キッカは弾かれたクナイを引き、一度距離を取ろうとする――が、手に持った獲物が何かに引っ掛かったように動かない。
ハッとして視線をそこに向けると、彼の左手には十手が握られていた。その鉤が、彼女の武器を絡め取っていたのだ。
「……ジールによる魔法書第十五章」
アーロンはいつの間にかレイピアを手放し、空いた右手をキッカの眼前に突き出していた。動揺したキッカは咄嗟の反応が間に合わない。
「イエロフラッペ」
アーロンの声が静かに零れる。すると、その手の先から氷で形作られた拳が勢い良く突き出した。まるで水晶のような正拳突きは彼女の土手っ腹に直撃する。
「ぅう゛っ……」
キッカは彼女の胴ほどもある拳骨をまともに食らい、うめき声を漏らして殴り飛ばされた。痛みの余り、受け身すら取れずに少し離れた地面に投げ出される。
一撃必殺。
「っは……ぐ……っ」
のたうつ彼女に、アーロンの足音が迫る。
逃げなくちゃ、逃げなくちゃ、逃げなくちゃ……!
キッカは何とか敵から離れようとするが、呼吸さえ止めてしまいそうな痛みが邪魔をして、結局立ち上がることさえ出来ない。
足音が止まった。万事休すだ。
「くっ……はあ、ここまで……か……」
苦悶の表情が貼りついた顔を自嘲気味に歪めて彼女は吐くように呟き、そのままアーロンの顔を見上げた。
「私は……もう……ぐっ……う、動けない……。殺せよ」
アーロンは何も答えずに彼女を跨いで立った。キッカはギュッと目を閉じる。強気な言葉とは裏腹に、固く瞑った目は涙に濡れた。
抵抗も出来ないままにうつ伏せに転がされる。最早彼女は、恐怖でこみ上げる嗚咽を堪えるので精一杯であった。
――しかし。
「……殺しはしない」
その言葉とともに彼は手錠を作り出し、キッカの手首に着けた。
「は……?」
「……可能な限り殺しはしない主義だ」
キッカの頓狂な声に、アーロンは短く答えた。彼女は何とかその顔を見上げるが、彼の無表情からは何も読み取れない。
「……生きていれば、またお前はやり直せるかもしれない。……そう考えると、ここでお前を殺す気にはなれない」
彼は淡々と言ってのける。
「ふざけん……なよ」
キッカが弱々しく舌打ちした。
「今更……やり直せる訳……ねぇよ」
「……どうして」
「私には……盗賊しか……無かったから……」
「……そんなこと」
「お前に何が分かる!」
アーロンの言葉は、キッカの噛み締めるような強い言葉に遮られた。その叫びにはどことなく悲痛に満ちており、有無を言わせない響きがあった。苦痛に顔を歪めて咳き込み、荒い息をつきながら彼女は続けた。
「生まれついた家が……それはそれは貧しくてよ……私は小さい頃から……嫌な思いばかりしてきた」
語尾が微かに震えていた。
「酷い暮らしだった……それが嫌で……嫌で嫌で仕方なくて……7歳の時に……家を出た……」
彼女は左腕で目を覆い、鼻をすすった。アーロンはその傍らで、彼女の話を黙って聞いていた。
「貧民街の路地は寒くて……みすぼらしい私なんて……誰も助けやしなかった……。アテは……なかった……。でも考えはあった……」
ついに彼女は咽び泣き始めた。それでも話すことを止めはしない。
「私は生まれつき……魔力が強かった……。体力もある方だった……。これを……これを磨き上げて……これで食っていくしか……無かったんだよ」
「……それで、盗賊やり始めた」
「それしか……無かった……。死に物狂いで生きた……。何度も死にかけた……」
彼女は最早隠そうともせずに声を上げて泣き始めていた。
孤独、恐怖、絶望……。彼女は一度も口にしなかったが、その言葉に潜むそれらの感情は、アーロンにはしっかり伝わっていた。
「もう私には……武器を握る腕しか……無い……っ」
「おい」
不意に、部屋の入口の方から声がした。彼が眼を遣れば、そこには制服を着た少女が立っていた。
「……リカ」
アーロンが彼女の名を呼ぶが、リカは答えもしないで部屋に入ってきた。そしてキッカを見つけると、仰向けになって泣き喚く彼女のすぐ隣に腰を下ろした。
――そして。
「……えっ?」
彼女の上体を抱きしめた。
柔らかく、優しい抱擁だった。
「……リカ?」
「敵の紫髪のガキに聞いたよ。こいつの過去」
リカは混乱するキッカの金髪をゆっくり撫でつけた。あまりに突然の展開に、キッカはその優しい動作にすら抵抗できない程に混乱している。
「あたしも貧民街育ちでさ。貧しい暮らしの辛さとか、分かる」
普段の彼女からすれば有り得ないくらい穏やかで暖かく諭すような声色。そこに少なからず同情と共感の気持ちがあることは、リカのことを知らないキッカにも分かった。
「でも、あたしにはblanumakfaがある。居場所がある。仲間がいる」
そう言って、リカはチラリとアーロンを見た。アーロンは、彼女と目を合わせて静かに頷いた。ここは彼女に任せる、という意味だった。
「私には……そんなもの……」
「無ければ作りゃいい。まだやり直せる。あたしらも手伝う。……それにさ」
リカはゆっくり、広間の入口に視線を向けた。その気配に釣られて、キッカも同じ所を見る。
「あんたにはもう、仲間はいるだろ」
「あっ……」
そこに居たのは、手を縛られたまま地面を這いつくばってリカの後を追ってきたヴィクターだった。体中痣と傷だらけで、全身土に塗れている。それでも彼は、真っ直ぐにキッカたちを見据えていた。
「ヴィクター……」
「頭領……」
少年はそのままゆっくりと地面を這って、頭領に近づいて来る。キッカは驚いたような表情をしていたが、やがて目に涙を浮かべたまま微笑んだ。
「バカ野郎……っ」
「あいつらと、またやり直せばいい」
リカはその様子を見据えながら、キッカの顔を見ずに言った。
こうして、頭領の敗北によって廃坑の戦いは幕を閉じた。